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どうか俺を忘れないで
登場人物一覧
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「助けに来たんだ。君を」
『ネコ』君にそう言った君の目はまっすぐで、迷いが無くて。
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「たぶんこの辺、だよな?」
零・K・メルヴィルは片手に大きな紙袋、もう片手に小さなメモを持って周囲を見渡し呟いた。メモには目的地の住所とそこへの行き方、ふんわりとした『目印になるもの』が書き込まれている。線が細く丸い字体はそのメモの作成者の柔らかい性格をそのまま表している様だ。
「えーっと、『山のある方向を背にして街道沿いの牧場の角を右に曲がった後、楠が見えるからそこを目印に進んで……』や、やばい。楠ってどんな木だ?」
樹木にはいまいち疎い零は、街道の周囲にポツポツと植えられている木々を眺めながら眉間に皺を寄せてぐぬぬと唸った。なにせ図鑑も無く区別がつくものといえば桜にイチョウなどの彼のいた『地球』でメジャーな樹木くらいだ。『クスノキ』なんて言われてもその姿形に想像も及ばないのである。
「……ぃ。……おー……ぃ……」
「……ん?」
長閑な牛の声を聴きながらうろうろと牧場の周辺をうろつくこと十数分。いっそ牧場の人を探した方が……と零が思い始めたところで零の耳に誰かの声が届いた。おっとりとした聞き覚えのある男性の声に、零はもしやと声のする方向を振り返る。
「おーい、零くーーん!」
「アルム!」
少し遠くから手を振っているのは零の目的地に居るはずの人物だった。大柄な体躯に先へ伸びるにつれて強く青みを帯びていく灰色の長い髪──間違いなく、零の友人であるアルム・カンフローレルその人だった。零が「どうしてここに?」と「助かった!」の感情をごちゃまぜにしながら彼に近づくと、アルムはにこにことしながら持っていた陶器製の入れ物を零に見せた。
「ここの牛乳、凄く美味しいから零君にも飲んでほしいなって思って分けてもらいに来てたんだよ。そうしたらちょうど零君を見かけたから運が良かった〜」
「そっか……わざわざありがとな。牧場の人から牛乳貰えるんだ?」
「そう! ご近所さんだからね、物々交換したり牛のお世話のお手伝いで貰ったりしてるんだぁ」
「なるほど……いいなぁ、そういうの。そういえばアルム、楠ってどういう木なんだ?」
「あっ、楠知らなかった!? ごめんね、それじゃどこ行っていいかわからなかったよね……」
あれなんだ。と家へと向かう道すがら、アルムが指差した先には青々とした葉を茂らせる巨木があった。天へ向かって威厳たっぷりに聳え立つその幹は、大人が10人以上いないと囲めそうに無いほどの太さを持っている。(零は知らぬことではあったが)元々、楠という木が巨木になりやすい木であることを差し引いてもなお驚嘆に値するほどの大きさであった。
「デッッッッッッッッッッカ!? 凄い大きさだなあの木!? そりゃ目印に書くよな、こんなの。遠くから見ても一発だし……」
「へへ、凄いでしょお……!」
それからあっちには食料品があって、あそこには木工職人のおじさんが居て……遠くに見える建物をひとつひとつ指差してアルムの道案内を聞きながらゆったりと歩くこと5分ほど。アルムはひとつの建物の前で止まる。
「それで、これが俺の自宅! 『黄金の大楠亭』だよ」
じゃーんとアルムが両手を広げた後ろにある建物は古びてこそいたが、かつては多くの冒険者が宿泊していたことが窺える重厚な作りで立派な建物であった。零はおーって感心した様に建物を見上げる。
「立派な家に住んでるんだなー、アルムって」
「俺が建てたわけじゃないんだけどね……廃業になって住む人が居なくなったからって使わせてもらってるんだ」
アルムが玄関の扉を開けて一階を案内する。1階は元は酒場として使われていたらしく、開けた空間とカウンター、そこから厨房へと繋がっていた。アルムは厨房の保管庫に貰ってきた牛乳を置く。
「なあアルム、昼ご飯は食べたか?」
「ううん、まだだよぉ」
「そっか。よかったらさ、厨房使わせてもらってもいいか? 昼食一緒に食べられたらな〜って思って食材買ってきたんだけど……」
どうだろ……と零が手持ちの紙袋を持ち直しながらアルムへと視線を遣ると、アルムはキラキラと目を輝かせていた。
「えっ、いいの!? もちろん好きに使ってよ!」
「ホントか? よかった、駄目だったらフランスパンでサンドイッチでも作ろうと思ってたんだ」
「駄目なんて言わないよ。零君、パン屋さんでしょ? 絶対料理上手だもん。……俺、手伝うことある?」
「……じゃあ、一緒に作る?」
うん! と無邪気に頷くアルムは幾分か年上の筈なのだがどことなく幼く見えてしまって、零は思わずぷるぷると首を横に振りながら張り切って腕まくりをするのであった。最初はベーコンと目玉焼きのパンケーキの予定だったが、アルムの提案もあって貰ってきた新鮮な牛乳とアルムの家にあったパスタを併せてカルボナーラに変更された。温泉卵を乗っけたカルボナーラは、アルムに大好評でそれはもうにっこにこだったと零は後に語った。
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お腹も膨れてうららかな昼下がり、1Fのソファーで2人は何やら熱心に話し込んでいた。
「"投影"の魔術かぁ……出来ることの幅が広くて奥が深いね……それから零君が持ってきたバター、零君がやってるお店から買ってきたんだよね? 全然溶けてなかったけど、もしかしてあれも魔術を使ってる?」
「そうそう。俺が使ってるんじゃなくて、師匠が使ってる魔術なんだけど保存の魔術を容器にかけておいて……」
「なるほど……氷の魔法で冷やすよりずっと便利そうだねぇ」
ざくざくと零が買ってきたおやつの堅焼きメープルクッキーを齧りながら、アルムは愛用している万年筆で零の語る言葉を文字や図に直して紙へ書き留めた。冒険者のアルムとパン屋の零、この2人の共通点に『魔術・魔法』の存在がある。普段から魔法使い然としているアルムはもちろんのこと、零もとある
「あれ。でも魔術の痕跡、何も残ってないねぇ?」
「ああ、特定の動作……この場合は容器の開封だな、それを行うと魔術の解除と痕跡の抹消が行われるんだってさ。まあ、開封前でもわからない様に秘匿してるらしいんだけど」
「……もしかして、これ1つに凄く高度な魔術が使われてたりしない?」
「まぁ、師匠だからなぁ。……うわ、この牛乳味濃くて美味しい」
「でしょお」
アルムが貰ってきた濃厚な牛乳に溶かしたチョコレートを注いだ特製ドリンクをちびちびと飲みながら零が答える。魔術師や魔法使いは自身の扱う神秘が薄れる(すなわち、その神秘の効果そのものが低下する)ことを忌避して同門の徒でもなければその仕組みやノウハウを秘匿することが多いが、幸か不幸かこの2人の間にそういった意識は薄い様で和気藹々と意見を交わしていた。
「零君って昔から魔術を使えるの?」
「いや、混沌に召喚されてから。師匠に魔術回路を埋め込んでもらって、戦える様に鍛えてもらったんだ」
「零君ってここ数年の内に召喚されたって言ってたよね!? 凄いなぁ……」
「……戦うことから逃げてたら、やりたいことができなかったからさ」
そう言ってアルムを真っ直ぐに捉える零の視線は、初めて共にした依頼の時の彼を思い出させて、何とも言い難い"後ろめたさ"に似た何かを感じたアルムは逃げる様に自分の視線を手元に下ろして魔術に関する考察を紙に書き留めていく。
「そういうアルムはどうなんだ? 混沌に来た時から魔術……アルムの場合は魔法? ……って、使えた?」
「俺は……うん。……そうだね、使えたよ」
「やっぱりか〜。なんか姿とか、雰囲気が幻想種達に似た感じがしたからなんとなくそう思ってたんだけど……アルムも師匠とかいる? それともなんか学校とかそういうのがあったり……」
「……、」
「……アルム?」
「……わからないんだ」
「えっ」
アルムは口を噤み、少しの間手元の愛用している万年筆を見つめてから静かに零へ視線を向けた。瑞々しい常緑樹の葉の様なアルムの瞳は、その色彩に似合わぬ諦念をどことなく含んでいる様に見えて零は息を呑む。
「俺さ、この世界に来る前の記憶が無くて……。魔法は、なんとなく身体と頭が覚えてる感じで使えるんだけど……混沌に来る前にどこでどうやって習得したのかは、さっぱりなんだ」
「そう、だったのか。それって……凄く、不安だよな」
「うん……でも、大丈夫だよ。たぶん俺さ、何回もこういう経験してるんだと思う。混沌から出ていったらまた記憶を喪うんだろうって確信が、ある。だからなんだか
本当は、忘れたくないんだけど。寂しそうに呟くアルムに、零は言葉を出せない。記憶が無くなることに『感覚的に慣れる』……いったい何回繰り返したらそんな状態になるというのか彼には見当がつかなかった。それだけ、アルムは異世界を渡り歩いてその度に記憶を喪っているというのか。何度も、何度も……。
「それに……もし今後、俺が急に混沌を去ることになっちゃってもみんなを心配させる必要も無いし。そこは安心してるよ」
「……何言ってんだよ。急に連絡取れなくなったら心配になるって」
「ううん。大丈夫なんだ」
「なんで」
またアルムは黙り込む。しまった、つい言ってしまった──。根が素直なアルムからは言葉が無くてもそんな風に思っている様子が窺えた。だが零だって今の話を流してしまうことはできない。急に友人が行方知れずになるかもしれない話を聞いて、彼が黙っていられるはずもなかった。
「教えてくれよアルム。俺、知らない振りなんてできない」
アルムは、頼りなく細い息を吐く。薄々と感じていることを言葉にするのは恐ろしい。こんなことまで誰かに話すのは初めてだ。でも、零君には話した方がいい……漠然とそんなことを思ってアルムは重々しく口を開く。
「確証は無い、けど。たぶん俺が世界を去る時、世界の方も俺を忘れる。俺の存在は無かったことになるんだ」
「……そんな」
「だからさ、零君は気にしないで。俺が居なくなったらどうせ全部無かったことになると思うし、仮に零君に記憶が残ったとしても……こういう事情だから」
「いや、無理言うなって! 俺は嫌だよ! アルムを忘れるのも、そんな唐突な別れになるのも!」
「……ありがとう」
「なあ、アルム。確認させてくれよ。世界を移動するのはアルムの意志で行っていることなのか?」
「……たぶん、違う。でも仕方ないよ、俺にはどうにもできないんだと思う。だから、こうして何回も……」
「アルム」
零はアルムの目を真っ直ぐ見た。その声に、アルムは今度は何故か目を離せずに彼の顔を見つめ返す。
「『本当は忘れたくない』んだったら、俺も一緒に考えるよ。アルムが忘れずに済む方法、俺や混沌で知り合った人がアルムを忘れずに済む方法。……いや、一緒に考えさせてくれよ」
友達だろ。
そう言って、零は笑った。その言葉を聞いたアルムは少しの間ポカンとあっけに取られた後、くしゃりと顔を歪めて──
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「ああ、もう日が沈みそうだ。あっという間だったなー……」
零は『黄金の大楠亭』から出ると空を見上げて嘆息した。まだ話し足りないくらいだと呟く。
「……零君」
「ん?」
「……また、遊びに来てよ」
「……ああ、"またな"、アルム!」
零は大きく頷くと手を振って元来た道を帰っていく。アルムは手を振り返しながらその姿を見送ると、自分の手を見つめる。
「……"またね"」
心配せずにそう言える日が欲しいと、彼はそっと目を閉じた。