SS詳細
微睡みの午後。或いは、波に揺られて…。
登場人物一覧
●お買い物へ出かけよう
ある秋の日の朝のこと。
「お買い物の行きたい……なのだわ?」
「はぁ……喜界湖・ショッピングモール。最近出来たばかりの大型ショッピングモールですね」
華蓮・ナーサリー・瑞稀 (p3p004864)が手にしているのは1枚のチラシ。つい先ほど、朝食を終えたばかりのエリーとサンドリヨンが、少し恥ずかしそうに差し出して来たものだ。
トール=アシェンプテル (p3p010816)はチラシを覗き込みながら、少しだけ思案する。
喜界湖・ショッピングモールのことは知っている。錬達郊外に最近出来たばかりの大型ショッピングモールだ。
喜界湖というこれまた割と最近出来たばかりの湖を囲むように幾つもの店舗が並んでおり、練達のみならず各国から様々な商品を仕入れ、販売している。もちろん、レンタルボートで湖に漕ぎ出すことも可能で、休日になればカップルや親子連れで施設は大層に賑わうらしい。
トールと華蓮は顔を見合わせ、思案する。
研究所育ちの2人にとって、人の多い場所は不慣れで、何かのトラブルを起こすのではないか。“研究所”の職員が2人を探しているかもしれない。
そんな懸念があったからだ。
だが、それと同時に2人の意思を尊重してやりたいという想いもある。当たり前の子供のように、当たり前の休日を過ごさせてやりたいと言う想いもある。
エリーとサンドリヨンはまだ子供だ。
けれど、子供は“いつまでも子供のまま”じゃいられないのだ。
だから、少しの心配を堪えて華蓮とトールは2人の申し出に許可を出すことにした。
「暗くなる前に帰って来るんですよ」
心配な気持ちを、完全に抑えることは結局、出来なかったけれど。
●休日を謳歌しよう
エリーとサンドリヨンは、存外に上手くやっている。
案内板やパンフレットを頼りにして、時にはショッピングモールのスタッフに道を尋ねて、順調に買い物を続けていた。
今はオープンテラスに座って、2人でタピオカミルクティーを飲んでいた。
タピオカを口にするのは初めてなのだろう。目をキラキラと輝かせている2人を見ていると、華蓮もトールも、なんだか幸せな気持ちになった。
子供が、子供らしく笑えている。
ただそれだけの光景を見るのが嬉しいのだ。
世界中に溢れる数多の悲劇が、子供たちの笑顔を奪う。子供たちから、“子供らしく”振舞う権利を奪ってしまう。
「もしかして、心配し過ぎだったかしら?」
ズコー、と音を立ててタピオカミルクティーを啜りながら華蓮が言った。
エリーとサンドリヨンが心配で、こっそりついて来てしまったのだ。だが、存外に2人は上手くやっている。大人が思うよりも、子供の成長は早いということなのだろう。
となると、むしろ華蓮やトールの方が子離れ出来ていないようにも思えて、どうにもバツが悪かった。
「少し過保護だったかもしれません」
あはは、と笑うトールだが、その頬はほんのりと赤い。
結局2人は、早々にエリーとサンドリヨンの後を追いかけるのを止めて、買い物を楽しむことにした。
「ホットショートフォーミームーンライズラテウィズキャラメルソースなのだわ」
「……え、何ですって?」
「ホットショートフォーミームーンライズラテウィズキャラメルソースなのだわ」
昼下がりの陽気が心地良い。
少しだけぼーっとしていたのだろう。
トールは一瞬、華蓮の言っていることが何を指すか理解できなかった。なお、聞き返したがやはり理解できなかった。
どうやらそれは、今現在、華蓮が飲んでいるドリンクの名称であるらしい。
ショートサイズの「ムーンライズラテ」をベースに、ふわふわのフォームミルクとキャラメルソースをたっぷり追加したものだ。寒い季節にぴったりの、暖かくて甘いラテである。
なお「ムーンライズ」というのは、最近、練達で流行しはじめたチェーンの喫茶店である。
「ムーンライズ」はドリンクのカスタマイズ性が高く、達人はまるで呪文のようなオーダーを平然とこなし、とても豪華な1品を仕上げて見せるという。
華蓮はどうやら「ムーンライズ」のオーダー巧者であったらしい。
「なる、ほど……? いえ、まぁ美味しそうですけど」
「ひと口、いかがなのだわ?」
口元に差し出されたラテを一瞥。
トールの頬がほんのりと赤く染まった。華蓮は知らないことだが、トールの性別は男性だ。
「……じゃあ、ひと口だけ」
断ろうかとも思ったが、ドリンクのシェアなど女性同士であれば誰でもやることだ。断っては華蓮にあらぬ疑いを持たれるかもしれない。
そんな“万が一”の可能性を考慮し、トールはラテをひと口貰うことにした。慎重すぎだと、考え過ぎだと、心配し過ぎと、そんな風に思われるかもしれないが、ここ最近のトールは少し迂闊に過ぎる。
生来の不幸体質を差し引いても、“性別ばれ”のポカが続いている現状が、トールを慎重にさせたのだ。
「おいしいのだわ?」
「……おいしいです」
ラテの甘みが口内に広がる。正直、甘すぎて“味”というより“甘味”と言った方が正しいように思える。まぁ、甘いというのは美味いということなので、美味しいと言えば美味しいが。
ゆったりと雲が流れていく。
のんびりと過ぎる時間を楽しむ贅沢を噛み締めながら、トールはオールをゆるりと回した。ちゃぷん、と水の跳ねる音。
現在、トールと華蓮はレンタルボートに乗って湖に漕ぎ出していた。
昨年までは存在しなかった湖だ。錬達のある科学者が、実験の失敗により造ってしまったクレーターに、雨水と湧き水が溜まって出来た人工の湖である。
「晴れていてよかったですね。暖かくて、眠たくなっちゃいます」
空高くに太陽があった。
降り注ぐ光と熱が、否応なしに眠気を誘う。
ほんの少しの波。ボートが揺れる。ゆりかごで微睡む赤子の気分とは、きっとこのようなものだろう。
「んー……そうだわねぇ」
「おねむですか、華蓮さん?」
うとうとしているのはトールだけじゃない。
白い翼を身体に巻きつけた体勢で、華蓮もすっかりリラックスして微睡んでいた。
元々、トールと華蓮は、エリーとサンドリヨンの様子を見守るためにショッピングモールへ訪れたのだ。
何か急ぎの用事もない。
トールは少し考えて、オールから手を離した。
変にボートを動かして、華蓮を起してしまっては可哀そうだ。睡眠と言うのは、誰にも邪魔されてはいけない。穏やかで、安寧としたものでなくてはいけない。
何者も眠りを妨げるなかれ。
どこかの誰かが残した言葉だ。
けれど、しかし……。
「わっ……っ!?」
風が吹いた。
穏やかな天候に不似合いな、嵐を想起させる突風が吹いた。
湖面が波打ち、ボートが揺れる。
「な、何なのだわっ!?」
船体が大きく傾いて、微睡んでいた華蓮が短い悲鳴を上げた。
自分がオートに乗っていることをすっかり忘れていたのだろう。突風に驚き、咄嗟に立ち上がってしまったのが良くない。
華蓮が足をもつれさせた。
自分の脚を、自分で蹴飛ばすようにして、華蓮が湖に落ちかける。自分の翼で空を飛べばいいのだろうが、咄嗟の出来事に対応が遅れた。
トールは片手でボートの縁を掴んだまま、身体を限界まで伸ばす。差し伸べた手が華蓮の腰に回された。
「危ないっ!」
強引に、引き寄せるようにして。
或いは、抱き寄せるようにして華蓮の転倒を食い止めた。
突風と、ボートの揺れが湖面を大きく波打たせた。
転落こそ免れたものの、華蓮もトールも頭から水を被ってしまった。
「あ、ありがとうなのだわ……あら?」
トールに抱きしめられた姿勢のまま、華蓮は目を丸くした。
違和感があった。
トールの身体付きや、硬さや、その感触。思ったよりも力が強い。
水を被って、肌に張り付いた衣服の様子。
「あら? あらら?」
華奢ではある。
だが、しかし……。
「なんだか……まるで」
男性に抱きしめられているかのように思えた。
トールは女性だ。
本当に?
そんな疑問が脳裏をよぎる。
その横顔が、少女らしい横顔が、何故だか少しかっこよく見えた。
●休日の終わり
「ただいまーっ!」
「ただいまなのだわ!」
太陽が沈んで、辺りがすっかり暗くなる頃。
元気な声と、慌ただしい足音、扉が開いて、エリーとサンドリヨンが帰宅した。2人とも、すっかり休日を満喫したらしい。
足取りは軽く、笑顔は明るい。
幸せな休日を過ごせたのだろう。
それはとても良いことだ。子供には日々を“幸せ”に生きる権利がある。
エリーとサンドリヨンの年齢は“子供”と呼ぶには少し上だが、何しろこれまでの人生が“人生”と呼ぶにはあまりにも“らしくない”ものだった。少しでも今日と言う休日で“幸せ”を取り戻せたのであれば、それに勝る幸いは無い。
「あれ? なんか、様子がおかしい?」
「お疲れなのだわ? 顔が赤いのだわ」
2人を出迎えたトールと華蓮。
そんな2人の態度に少しの違和感を覚え、エリーとサンドリヨンは首を傾げた。子供というのは思ったよりも大人のことをよく見ているし、変化に敏感なのである。
もっとも、例えエリーやサンドリヨンでなくとも、今のトールと華蓮の様子がおかしいことには、誰でもすぐに気付いただろう。
顔を赤くして、視線を逸らして、どこかよそよそしい雰囲気で。
「?」
何かがあったことは明白。
ただし、何があったのかをエリーやサンドリヨンは理解できない。
「お帰りなさいなのだわ」
「2人とも楽しかったですか? さぁ、手を洗って、うがいをしましょう」
華蓮とトールに出迎えられて、エリーとサンドリヨンは嬉しかった。
おかえり、と言ってもらえることが嬉しかった。
手を洗って、うがいをして、それから夕食を食べて……眠る前に、2人にお土産を渡そう。日頃の感謝を込めたペンダントを渡そう。
そうして、幸せな休日を終わりにしよう。