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聖楽なんていらないけれど
登場人物一覧
冬を越え、春過ぎて、夏が目を背けた頃。漸く国中を回り終えたとアミナは久方振りにギア・バジリカへと帰還した。
馬を駆り、同士と共に廻る国内は立ち止まることも多かった。特に、六つの派閥にも分れた後だ。冬の気配が消え去れども、国民同士の不和や支援物資の不足など気に掛かることは山ほど合った。
拠点であるギア・バジリカには幾度かは帰還していたが立ち止まり問題解決に尽力していれば暫くの間は留守をすることになる。
故に。
「お久しぶりですね」
ルブラットとも久方振りに再会することになった。晴れた空のように明るい笑みを浮かべるアミナは手を振りながらルブラットの元へと駆け寄ってくる。
その様子を見れば、一時期の失意や諦観の様子はない。思い詰めていた時とは打って変わった明るい表情はルブラットの心を安心させるものである。
「ごめんなさいルブラットさん、お待たせしてしまいましたね」
「いいや、忙しい毎日を過ごしていると聞いている。気にしないでくれ」
首を振ったルブラットにほっと胸を撫で下ろしたアミナは「よかったあ」と微笑んだ。革命派――もとい『クラースナヤ・ズヴェズダー』として活動して居るアミナはそれなりに顔が広いのだろう。他愛もない会話をしているだけでも「アミナ様だ」と呼び掛けられる。
「アミナ様、だなんて。私なんて普通なのに」
肩を竦めた彼女にルブラットは謙遜のしすぎも悪いものだと感じていた。
『戦友』である彼女は一時は命を擲ってでも民を救わねばならないと考えて居た。その献身は目を瞠るものでもある。
あれだけの覚悟と勇気を有していたのだ。革命の旗頭として担ぎ上げられ聖女となる事を求められた彼女のその当時の心境は計り知れないが、今は非常に落ち着いている。
難民救済を掲げる指導者としての芽をめきめきと伸ばしているのだから。
「案外聖女と呼ばれる日が近いのでは?」
「もう、ルブラットさんもそんなことを言って。先輩……聖女アナスタシアのようにはなれませんでしたから、
それでも、私がそう思って貰えるなら嬉しいです。アナスタシア先輩達みたいにかっこよくて素敵な『戦士』になります」
意気揚々と拳を掲げながら話す彼女はくすりと笑った周囲の目に気付いたかのように頬を赤らめた。
「あ、そ、そうだ。お茶でもしませんか!?」
「ああ、是非」
慌ただしく「こちらです!」と走って行くアミナの背中を追掛けながらルブラットは小さく笑った。鉄帝国を冠位魔種が襲った際には強く在ることが求められていた彼女だが、戦乱が過ぎ去れば斯うも穏やかで愛らしい少女になるのか。
気丈に振る舞うことを止め、等身大の人間として明るく時には大雑把に過ごす様子を見ていれば元々は親しみやすい存在なのだと良く分かる。
そんな彼女が人の命を害し、奪い、剰え悍ましい声に耳を傾けかけていたのだ。戦乱とはそれだけ恐ろしく受け入れがたいものなのだと改めて理解も出来よう。
「ふふ、ルブラットさんに是非食べて頂きたいものがあって」
嬉しそうに笑うアミナに連れられて遣ってきたのは彼女が休憩時に使う小部屋であった。給湯室が隣接しており、こざっぱりとした室内にはアミナが先程まで担いで出掛けていたのであろう荷物が其の儘にされている。
「あっ、お片付けは後でしようと……そうじゃなくって、今日は良いジャムがあるんですよ。コケモモの……あれ? おかしいなあ、ここに入れたと思ったのに」
鞄を開いてみてないなあと呟いた。戸棚を探して首を捻る。慌ただしい彼女は給湯室にありましたとジャムと買って来ていたのだろスコーンを持ってやって来た。
席に着いてから「どうぞ、お召し上がり下さい!」とアミナは笑う。頂きますと応じればアミナは幸せそうに笑った。
ルブラットが甘味を好ましく思って居る事をアミナは知っている。時折顔を見せてくれるルブラットに相談を持ちかける際に、甘味を口にする機会が多かったからだ。
「ああ、本当に美味しいジャムだ」
「そうでしょう? これは――あ、そういえば、もう見ました? タスカの復興もだいぶ進んだんですよ」
タスカの辺りに行った時に買ったのだとアミナは微笑んだ。
「私も見にいったよ。人々の顔にも活力が戻っている。良きことだ」
あの辺りのジャムなのかとしげしげと見詰めるルブラットにアミナは「そうなんです、ジャムを作って下さる方がとっても素敵な方で……」と指を折り重ね楽しげに話し始める。
饒舌なアミナに頷くのがルブラットの仕事だ。こうして彼女の話を聞いて心が軽くなってくれることが何よりも嬉しいのだ。
ルブラット自身は生に溢れ、元気いっぱいに未来を見据えるアミナが眩しく感じられていた。死生観と言うべきか、医者という死と隣り合わせの現場に立ち続けていた事もありルブラットは己の生死に関しては頓着もしていなかった。
それが今では民草の希望の道標の戦友だ。彼女の手を引くと行った手前、己が生きていなくてはならないと意欲が湧いたのだ。
果たして――救われたのは何方なのかとふと思う事もある。そんな風に独り言ちて笑えば「どうしました?」とアミナは首を傾げてからまた頬を赤らめ手を頬に添えた。
「お話ししすぎましたか? あ、あの、ですから。
……皆で焼けたお家を建て直して、麦を植えて。秋になって麦が実ったら、収穫祭に招待しますねっ!」
「勿論。楽しみにしているよ」
「嬉しいです。ルブラットさんはお医者様として皆さんの様子を見て下さっていますし、来て下さると喜びますよ!
特に子ども達なんて、先生、先生とはしゃぎまわって居ますから」
彼女の傍を付いて回っていると自身もアミナと同じように好まれ、親しまれているのか。
ルブラットは「意外だな」と呟いた。アミナは「アミナ様のお友達だって呼ばれているんですよ」と子ども達の言葉を返し、如何にルブラットが好かれているかを教え込みたい衝動に駆られた――がふと、言い淀む。
「子ども達が、私とルブラットさんはお友達だよねって言って居たんですよ」
「ふむ」
確かに広義でくくれば友人と呼ぶべき存在だ。戦友も、同士も、それらに分類されるはずだから。
アミナは緊張しながら「同士とか、同じ革命派の仲間とかではなく……あのう」と何処か気恥ずかしそうに言葉を選ぶ。
「あの、私達ってもう友達ですよね? だから、その……呼び捨てにしても、構いませんか?」
ルブラットははた、と動きを止めてアミナを見た。目尻は赤らんで緊張が滲んでいる。
今まで『友達』と呼ぶ存在はアミナには多くなかった。クラースナヤ・ズヴェズダーに参画してから、周りに居た存在は友ではなく同士だ。
アミナの憧れた聖女――嘗て、そう呼ばれた存在は反転し討伐されたそうだ――は憧憬の的であり、その妹分であった
対等な関係性で共に過ごせる相手というのはアミナには多くなかったのだろう。
「勿論、君がそう望んでくれるのであれば、私は何時だって君の友達、だとも。アミナく、…………アミナ」
ああ、何とも気恥ずかしい。照れを滲ませたルブラットの声音に同じように恥ずかしそうに微笑むアミナは喜びを滲ませる。
「ありがとう、ルブラット」
同士や戦友の枠を越えて。対等な存在として接するだけでもこんなにも心は躍るのだ。
さあ、次は何処に行こう。『お友達』とのお出かけは、楽しみなのだから。