SS詳細
よく似たタクティクス
登場人物一覧
●一人ではチェスもできない
「リースヒース君といったね」
『影編み』リースヒース(p3p009207)に、『61分目の針』ルブラット・メルクライン(p3p009557)は問いかける。すでに、一度のチェスの対戦を終え、なかなかに楽しかったので(そして、負けて悔しかったので)もう一戦……と駒を並べなおしていたところだった。
まだ名乗りあっていなかったことに目を丸くしたリースヒースは、かすかに噴き出した。とっくに友人同士だと思っていたのに、先ほど出会ったばかりではないか!
「おや、おや、私としたことが。すっかり目の前のことに夢中になって、基本的な礼儀も忘れていたなどとは。好敵手の相手に名前とともに刻まれるのが己のうかつさとは、聊か滑稽なものだ」
「いや、そんなことはない。なかなか面白い手だった」
ルブラットの仮面の奥の表情をうかがい知ることはできないが、それでもその言葉に偽りはなく、この邂逅を楽しんでいるということは伝わってくる。
「では、改めて。リースヒース、と呼ばれている」
「ルブラット・メルクライン」
格好だけとってみれば、まるで対照的な二人だった。
片方は純白の白衣をまとっていた。
もう片方は影をまとっている。
リースヒースは、ルブラットの白色のクロークに影を見出そうと試みてみた。
そこにはただ白さがある。
その奥には何があるだろう?
リースヒースの母なる夜のシャンドリエは、ただ沈黙を守っている。
それは決して、不愉快なものではなかった。心はなぜだか好奇心に満ちている。
好奇心は幾度となく人間のみならず精霊も滅ぼしてきたものであろうが、リースヒースは通常の自分の理念に従って、探求につとめることにしたのである。
●キャスリングに必要な駒は二つ
二人が偶然に出会ったのは、ギルドでのことだ。
その日は大きな依頼でもあったのか、かなり込み合っていたものである。ルブラットが手際よく用事を済ませ、さて、落ち着くところでも探そうかと視線をやると、ちょうど、部屋の隅にチェスのおかれた席があるのを見つけた。
ルブラットが歩み寄ると、ベルベットの緋色のカーテンの影に先客があった。不思議そうに駒を太陽、ではなく、日も暮れていたもので、のぼった月のほうにかざしていた。
それがリースヒースだった。
「座ってもかまわない?」
リースヒースは、どうぞ、とにこやかに着席を促した。
ルブラットは銀と真鍮の懐中時計を懐にしまった。その意匠が蛇だったものだから、リースヒースは、かすかに友人の姿を重ねる。
チェス盤は、誰からも忘れ去られていたかのように、さきほどまでホコリをかぶっていたようだった。そして静かに、客人を待っていた。確かにそこにあったのに、ギルドは少なからず混みあっていたのにもかかわらず――誰も一瞥をくれてやらなかったのだ。
二人以外には、誰も。もしかしたら興味を持つものもいたのかもしれないが、奇遇が語り掛けたのは二人に対してだけだった。
ルブラットは駒に手を伸ばした。薬品が染みついているような雰囲気はあるが、それは見せかけだけで、危険は感じられない。
おそらくは天義で作られたものなのであろう。
精緻な加工の施されたチェスの駒は見事なしつらえだった。駒の種類は見覚えがあったが、姿は微かに知っているものと違うのだった。ナイトは聖騎士の衣装をまとっており、ビショップはなかなか威張っている。……てんでばらばらにおいてあるのもなんとなくおさまりが悪かったので、ルブラットはボードに駒を並べていった。手早く、正確に。
向かいが顔を上げる。
「おお。チェスを知っているのか。そうか、ウォーカーかい。そうだ、君の世界にチェスはあった?」
「いや」
「なら、覚えたてかな」
「こっちにきてから覚えたのは確かだ」
「それはいい! 私も遊ぶことはあるが、それでも友人同士で遊ぶような戯れだ。これが、本格的にやろうと思うとかなり奥深いと聞くね。名人はそれだけで身を立てることができるともいうのだから驚きだ。やあ、白が先だったね。望むのなら、白い駒をどうぞ」
しつらえたかのような白と黒。
ルブラットにとって、チェスはなじみのあるものではなかった。混沌に来てから知ったものだ。しかし、整然としたルールの上で紡がれる盤上での戦いにおいて、ルブラットの頭脳はきわめて明晰だった。
最初は相手の手を探るようだったリースヒースの手が、徐々に真剣さを帯びてきた。侮ったわけではなかったのであるが、それでも見事一勝をあげていた。
「やあ、チェスまで上手いんだね。見事だ。ああ、実はこちらも御身を知っていた」
「私を?」
「御身の名前というよりは、影を知っていたというべきか。風のうわさでね。夜をもたらす者がいると、影がささやいていた」
悪い噂ではなさそうだった。リースヒースは慎重にまた一礼した。
「君のことを知っていた。君のミゼリコルディアを。「精霊」がよくささやいている」
「ああ、これか。これは働き者だ」
ルブラットは虚空に手をやり、当たり前のように„ ūna nox “をとりだした。
「もともとは単なるメスだった。ほんとうに単なるメスだったんだ」
それを手術「以外」に使っていたことは、新しい友人にはあえて黙っておいた。後ろめたかったわけではなかった。
「けれども、そう……ある時だね。私と同じ意思を持っているのが分かった。意思があった」
とくん。とくん。
脈打つ„ ūna nox “の感触を、ルブラットは覚えている。
そう、あれは、助かりようもなく愚かな連続殺人犯だった。まあ、ルブラットに桁が及びはしなかったが……。
いつの間にか手にはそれがあった。
求めに応じて「命」を止めると、命が移るかのように„ ūna nox “は輝いた。そして最後に、命の一滴までもを吸い取るように鼓動し、刻を吸った。本来ならまだ致命傷ではなかったはずのそれは残されたむなしい時刻を吸い取った。そう、鼓動して、刻を吸い上げる。
すべての人々を、たった一つの夜が待ち受けるという。
●チェス・クロック
夜。
それはすなわち、死である。
世界がいくつも存在する以上、夜とは無数にあるものだった。極彩色もあれば静かな白もあった。
ここ、混沌に至り人々は天上にある夜はまた一つとなった。いや、空に島があるくらいだから、世界に何があるかわからないものではあるが……、それでも不文律はある。
死は覆らない。
「クイーンをe2へ」
「こちらもクイーンをc7へ」
覆りがたい、はっきりとした結末。愚かなものも、善人も、きっと、誰しもが等しく夜を待っている。
チェスにおいては、減っていく駒は補充されることはなかった。ただ淡々と運命の選択が狭まっていき、そして、ふいに消える。
「不思議なものだね」
どちらともなく、リースヒースが言った。
「出自がどうあれ、われわれは同じ言葉を交わしあっている。同じ夜を見ている。同じルールのもとに、こうして競い合っている」
「そうかもしれない」
無機質な盤上に想像を巡らせれば、幾多もの生死が繰り返されているはずだ。陶器の駒が小さく響くような音を奏でるたびに死を意味するはずだ。
一歩引いて記号に置き換えれば期待値と計算のゲームとなる。冷静に頭を働かせ、ルブラットは誤らないようにつとめた。
ルブラットの指し手は、容赦がなく、鋭いものだった。しかも無謀ではない。
「おっと、まだ動かしていなかった。すまなかったね」
リースヒースは、ルブラットがかなりの手練れとみるや手を変える。動かしたかに見せてまだ動かしていない。タッチアンドムーブに従えば、手を触れれば動かさねばならない。油断をしていると足元をすくわれる。とはいえ特にルールに厳格なわけでもない。実際、リースヒースは友人と気軽なチェスをたしなむ際にはあるいは本を片手になんてこともあるくらいだった。……そう、待ち時間が長いので。
「……いや、触れてしまったからね」
ルールには、従っても従わなくてもいい。けれどもルブラットは高潔だった。
「ああそうだステイルメイトはどうだったか、決めていなかったな」
「負けとしよう」
いくつもの戦いがあった。
盤上で競い合うたびに、違う存在であることがわかる。けれどもそれは深い崖のような隔たりというよりは無数ある色のひとつだった。
「ところで、腰の剣は刃をつぶしてあるようだけれど」
「ああ、これはね、単に触媒なんだ」
ルブラットは許可を得て、コルタナ・デ・クールの先を指でなぞっている。確かに斬れない。
「……ああ、そうか。似ているな」
『九告鐘』ナイン・テイラーズの影を見た。最期を告げる弔鐘の剣。そうだ、その音が欲しい。その音は美しい。ああ、だからか、とルブラットは思った。これは「誰も傷つけぬ」と誓うためだけのものではない。だからこそ嫌悪もない。いたずらに生を長引かせるステイルメイトではない。
これが、一度鋳つぶされるに至るまでにはどのようなエピソードがあったのだろう?
「チェックメイト」
ルブラットにとって、死は慈悲だ。ずるずると引き延ばしているのは、冒涜だ。ピリオドを幾たびも打った。楽しい? 楽しいのかもしれない。ああ、楽しい、楽しくあってくれればよかったのに。
駒は射貫かれ、殺され、取り除かれ、また配置される。
無意味な死は存在するか?
ルブラットは心のどこかで嘆く。そんなものはない。少なくとも自分は、自分だけはそう言ってやりたい……。
「強いな、やはり御身は」
火はルブラットを焼き尽くすことはなく、「穏やかな死」は想像でしか知りえないものだった。
しかし、リースヒースにとっては、循環するものなのだ。
生と死がともに存在し、循環していることをよしとする。
なぜならば、物事が終わらねば新しい芽は生えてこないものであるから。
おまけSS『コンティニュー1分』
「……おや、詰みか。認めよう」
こんどはルブラットが追い詰められていた。上手い遊撃だった。かすかに悔しい、と思った、その感情は表に出されることは決してなかった。むろん、楽しいという気持ちも含まれている。
「まだやるかい?」
「ああ」
無数の試合があり、無数の勝敗があった。リースヒースはいちいち数えていなかったが、ルブラットはわりと詳細に覚えていた。
それがなんとなく、本気の証左であるように思えてうれしかった。
「おや」
気が付けば、深夜から、1分過ぎていた。そのかすかな間、並べられた盤上の駒たちは命拾いをした。取り除かれるまでの、わずかな間だけ……。
「また会えるかな」
「きっと約束する必要もない」
同じ夜のもとに、違うものを求めて、互いはまた言葉をかわしあうのだろう。互いの白さと影を確かめ合うようにし、向かい合い、言葉でもそうでないものでも論議を尽くすだろう。