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護り守られるもの(BWV544)
登場人物一覧
「師匠……」風牙の口から血と共に溢れる。
相手は微笑みを浮かべた。「差し違えてはならぬ。それは戦士ではなく魔の所業」師匠の言葉が蘇る。
「でも、それで救えるのなら……」
ーーー
風牙は鉄帝の首都から遠く離れた骨董屋で師匠から頼まれた青銅の鏡を購入した。生まれ故郷のジンジャに飾ってあるような古風な代物。風牙にとってはそれが何を意味するのか理解できなかったが、お使いくらいちゃんとこなせる。
帰り際に街が騒がしかった。通り過ぎようとして、光景に目が釘付けになる。
「妹は渡さない……」
自分よりも小さなオールドワンの少年が短刀を震えながら構え、屈強な男と対峙している。その少年の影に隠れるようにハーモニアの少女。経緯こそわからないが、妹を助けたいという思いは伝わってくる。風牙に選択肢はなかった。
少年の前に立ちふさがっていた男が斧を大きく振りかぶる。その瞬間にあわせて風牙は少年に体当たりをして吹き飛ばし、敵の斧が振り上げられたところを右手で抑え、左手で刀を軽く抜いて柄で
斧を叩き落とされた男は風牙の足元に気絶して倒れた。急いで少年に駆け寄ると「待て」と声がかかった。振り向けば、先の敵とは全く別種の気配をもつ男がいた。中華風の身なりで、風牙の3倍はあろうかという巨漢。細身で筋肉もさほどついてはいない。怜悧な顔立ちで商人のよう。
「無礼を詫びよう。だが、私たちにも道理がある」
そう言って、男は紙を広げて見せる。
人身売買の契約書。風牙に嫌な汗が走った。
「その娘はすでに私たちのもの。だが、その少年は血も繋がってもいないのに、ハーモニアの兄だと言い張ってな。親はこうして捺印していると言うのに」
ちっ。風牙は舌打ちする。
その瞬間、少年は無謀にもその男に短刀を向けて走った。だが軽くあしらわれ吹き飛び風牙の胸元に飛び込んでくる。一瞬、その少年が昔の自分に重なる。
「お兄ちゃん、止めて。私、行くから」少女から涙が溢れる。
風牙は少年の頭を軽く撫でてこう言った。「この子はお前の妹なんだろ?」
少年がこくりと頷く。問答は無用。風牙の両眼に闘志が灯った。
ふっ。と男が笑い、右手を後ろに大きく引くと低い金属音がして手が金属製の刀に変化する。それが後ろの群衆に引っかかり、誰かがうめき声を出した。今まで見えなかったオーラが男の背後から立ち上がる。多くの者の死を纏った重く、暗いオーラ。コイツは人の姿だけを
「アンタ人間じゃないな?」
「だとしたら?」
男が嘲笑う。
「切るまで」風牙の迷いのない声。
それまで吹き荒んでいた風が止んだ。来る。
こちらが間合いを見切る前に初動。バックステップでそれをかわす。危なかった。コンマ数秒反応が遅かったら風牙の首は宙を舞っていただろう。相手は圧倒的なリーチを活かして、斬りかかる。右上からの振り下ろしに身を低くしてかわせば、刃を翻して下段の払いが容赦なく浴びせられる。
慌ててこちらも剣を抜くが、軽く弾かれる。だが、風牙には勝算があった。敵は長物で、こちらの得物は決して長くない。風牙の武器は速度だ。
相手との間合いを取りつつ円を描くように足をはこぶ。剣を片手持ちに切り替え、上段に構える。手首のスナップを効かせ剣先を軽く振り上げれば相手はそれにつられて長物を構えなおし、ゆえにモーションが大きくなる。隙。風牙は突風のように間合いを詰めて、コンパクトに構え直した剣をアッパーカットのように下から上へと弧を描くように引き抜く。
流石にこの動きは相手も見えなかったようで半身をきったが、それでも首元に剣がかする。
「なかなか……血を流すのは久しぶりだ。お前は魔は切ると言ったな。ならこの娘は?」
相手との間合いに気を取られて少女への意識が疎かになっていた。迂闊。男は少年を薙ぎ払い少女の髪をつかみ持ち上げると、首元に軽く刃を当てる。少女の首から血が薄っすらとしたたり、男はそれを舐めた。
途端、オーラの圧が増す。
「この娘もまた、魔の血を引くもの。ゆえに親から見放された。いまなら魔を二体も倒せるぞ?」
男は冷たい目でそう言った。
「離せ!」風牙がどなる。
「お望みのまま」
男は少女をこちらに放り投げながら切りかかってくる。確かに魔ならば倒さねばならない。その逡巡が命取りだった。少女を受け止めながら右のハイキックで合わせる。体重をすべて乗せきった渾身の一撃。だが少女を受け止めたせいでワンテンポの遅れが生じた。男はそれを利用して風牙の脚を左手で捉え、そのまま軽々と投げ飛ばす。先程までとはパワーが違う。
なんとか受け身はとれたが、足首も折られ、剣も取り落とした。だが、ここで止まってはいられない。速度勝負でスタミナが切れたら負けだ。再度の突進から跳躍し、空中での膝蹴り。今度は入った。
そう感じたのは一瞬。確かに相手の鳩尾に膝は入っているが、こちらの腹部に激痛が走る。急いで身を引くと腹部から流血していた。何が起きたのかわからない。見れば、相手の左手には小刀があり、それで突き抜かれたのだ。
思わずひざまづく。
「魔を討つか。私も昔は同じことを考え、鍛錬を続けた。そこでふと、気がついたんだ。魔を討つためには自分もまた魔にならねばならぬとね」男はさも楽しげに語る。
少女が魔なら討つべきか、その前にこいつを倒さなければ……頭が混乱する。だが立ち上がったとて、右足はもう使えない。唯一、方法があるとすれば捨て身の差し違え。「師匠……」思わず声がでた。
うつむくと、吐血した。それと同時に胸元から何かが転げ落ちる。先程買った青銅の鏡。それも一部が欠けている。鏡が相手の一撃から風牙をかろうじて守ってくれたのだ。それを覗き込むと、そこには自分以外の何者かが映っていた。いや、それは確かに風牙だったが、顔は憎悪に歪みまるで“魔”だ。
風牙は鏡を見ながら笑みを浮かべる。忘れていたことを思い出したのだ。サンキュー師匠。魔だから討つんじゃない。普通に生きて泣いて、笑う人々を護るために討つんだ。
「これを使って」と少年の声が飛んできた。見ればセラミック製の短刀。行ける。風牙はクラウチングスタートの体勢をとる。
その様子はまるで四つ脚の獣。影が地を這うように疾走し、風が後を追う。風牙は斬撃を左右に何度もかわすが、その度に身体のいたるところに刃がかすり血が舞い散る。遁走曲のようだ。相手が刀を最も低く構えた瞬間にそれに飛び乗り、力を込めると同時にナイフを叩きこむ。敵の刀がしなり、爆ぜるような音と共に折れた。
相手の体勢が崩れたところを狙って、空中を舞いながら首筋を狙う。血しぶき。
「その娘もまた魔の血を引く者。いつかお前のもとに現れるだろう」男はそう言い残して息絶えた。
「さあね。オレは血を越えた関係ってのを信用するたちなんだ」それは相手に言ったのではない。
親も同然の師匠、そして目の前で抱きしめあってる兄妹への言葉。少年と少女はお互いの命を賭けて互いを護ろうとしていた。魔とは血筋ではなく、その在り方。
やれやれ、お使いは失敗。風牙は欠けた鏡を軽く撫でて胸元に戻してから、人懐っこい笑みとともに目の前の二人を抱きしめた。あの時、自分を救ってくれた師匠のように。
fin