PandoraPartyProject

SS詳細

夏陰に佇んで

登場人物一覧

ショウ(p3n000005)
黒猫の
杜里 ちぐさ(p3p010035)
明日を希う猫又情報屋

 はあと大きく息を吐出してからちぐさはごろりとソファーに寝転がった。窓を一瞥すれば、覗く空は鮮やかそのものだ。夏の空に立ち上がっている入道雲は遠方の天気が崩れる証拠なのだろうか。
 茹だるような夏の気配に身体が悲鳴を上げている。ちぐさは無数の戦いを経て、漸く一日の休暇を得るために帰宅したのだが――何かをやる気が起きなかった。
「疲れた」と唇を擦れ合せて吐出した言葉一つで、身体の上に重くのし掛かる何かがあった。苛烈な戦いが続いている。覇竜領域での戦いが終ったかと思えば天義を襲う遂行者の動きは激化した。其れ処か、境界世界へと渡る道が見つかったとさえ言われている。その何方も『滅び』の気配を宿しているのだ。
 ――ここで戦いから逃げ出せば、ショウとの日常が終ってしまう。
 それがちぐさの中での原動力だった。無力に何もかもを諦めれば、全てなくなってしまうのだ。それはどれ程に恐ろしいか。
 そう考えて居たからこそ、戦いに出向くことにしていた。ショウは情報屋だ。彼はイレギュラーズのために情報を集め、危険地帯にも自らが向かう事だろう。
(ショウも頑張っているのにゃ。僕も頑張らないと……。ショウと一緒に、沢山楽しい思い出を作る為にも……)
 次の戦場の情報を集め、自身が参加していないローレットの依頼の報告書にも目を通した。まだまだ事象の範囲ではあるが情報屋見習いとして、出来うる限りを熟してきた筈だ。
 それだけの努力をしてきたが夏の暑さにやられたのか、それとも疲弊が蓄積したのかちぐさは起き上がる気力が湧かなかった。
 汗を掻いた麦茶の下には水溜まりが出来て居る。テーブルを拭かなくてはとも考えながら、暫くの間はクッションに顔を埋めていた。幾許かの時間を経てから「はああ」と息を吐出して、やっとの事で起き上がる。休憩をしている暇はない。ショウの負担を減らすためにも尽力しなくては。
 纏めた情報をローレットに持っていこう。彼の役に立つはずだ。テーブルを拭き、コップをシンクに置いてからちぐさは軋み悲鳴を上げている身体を起こしてからのんびりとローレットへと向かった。
 道中の太陽にぐったりとするが、水分補給だけは確りと行なう事に決めて居た。情報屋が仕事中に熱中症なんて元も子もないからだ。その辺りの危機管理は出来ていたが、ちぐさに今足りていないのは睡眠や休息であることを彼はまだ理解するに至っては居なかった。それだけ火急に行なうべき課題が目の前にあったからだ。
「こんにちはなのです」
 いつもの通りの受付嬢(敏腕情報屋を自称している)が微笑んでくれる。「こんにちはにゃ」と何時も通りの挨拶をしたつもりだが、彼女はこてりと首を傾げた。
 持ってきた資料を手渡せば内容を確認してくると彼女は一度裏に下がる。着席を促されてからちぐさはほっと息を吐いた。それにしたって暑すぎる。ローレットに設置されていた水差しで水を汲み喉を潤した。疲労ばかりが身体を包み込むが、これ位は皆同じ事だろうとストレッチをして何とか身体を解す。
「ちぐさ」
 呼び掛けにちぐさはゆっくりと顔を上げた。その瞬間に口に放り込まれたチョコレートは甘すぎず丁度良い。ナッツが入っているのだろうか食感も普段とは違い、かりかりとして美味しくも感じられた。
「ん。ショウ」
「やあ。ユリーカに聞いたよ。資料を纏めてくれたんだって? お疲れ様。良い出来だったって褒めていたよ」
 にんまりと笑ったショウにちぐさは胸を張った。彼に褒めて貰えるだけで疲れなんて何処かに吹き飛ぶのだ。
 頑張った甲斐がある。満足げに笑ったちぐさにショウは「それにしたって最近は忙しそうだね」と困ったように言う。隣に座った彼がチョコレートをもう一つ包み紙から取り出して口の中に放り込んでくれた。
「ん。最近は、大変なのにゃ。でも、こうして頑張れば、平和になる未来があるなら僕は元気いっぱいになれるのにゃ!」
「オレもそうだよ。平和が何よりだしね」
 頷いたショウは「けれど、無理をしすぎるのは駄目なことだよ」とちぐさの顔をまじまじと見た。きょとんとしたちぐさの頬に触れてから「蒼い顔だ」とショウは肩を竦める。
「ユリーカもオレも、人を見る目はある程度養っているからね。ちぐさは最近頑張りすぎなんだよ。これからの予定は?」
「んー……資料に目を通すとか、かにゃあ」
「じゃあそれはキャンセルだ。今日は休息日にしよう。ちぐさの家出良いかな。帰る前に食材を買って、昼寝をしようか」
 立ち上がったショウがひらひらと手を振ればユリーカは頷いている。それだけで理解されるほどに疲れていたのだろうかとちぐさははっとしてから頬を抑えた。
「情報屋失格にゃ……」
「全然。むしろ、ちぐさはオレより真面目で頑張っているよ」
 ショウに促されながら、ちぐさは領地である程度の買い物を済まそうととぼとぼと歩いていた。沈んだ心を潤わせるのは何時だって彼なのだ。
 菓子屋によって、何かおやつにできるものはないかなと呟いたちぐさに「試作品のアイスクリーム、味見してくれませんか」と店主が声を掛けてくれる。ショウと共に食べた甘酸っぱいラズベリーアイスは心を潤わせる。
「美味しいにゃ!」
「ああ。良い味だね。また完成したら買いに来るよ」
 ある程度の菓子を購入し、ちぐさの為の軽食の材料を買ってから二人はちぐさ宅へと帰宅した。練達から持ち込んだ家電を駆使すれば夏でも快適に過ごす事が出来る。
 涼やかな空気を感じ取ってからちぐさはほっと息を吐いてソファーへと沈み込んだ。
「さ、お疲れ様。ちぐさ。こっちにおいで」
「有り難うにゃ」
 少しの作り置きを作成し終えたショウがひょこりと顔を出す。ソファーへと座った彼が珈琲をテーブルに置いてから膝をぽんぽんと叩いた。
 ごろりと転がってから「ショウは疲れてないかにゃ?」とちぐさは問い掛ける。頬を擽るように指の腹で撫でたショウは「まあ、結構鍛えているから」と笑った。
「僕も鍛えてるのに」
「その年数の違いさ。ちぐさもこれから鍛練を積めばオレよりもずっと立派な情報屋になるよ。
 まあ、鍛錬っていうのはさ……休む事も含んでいるんだよ。ちぐさは頑張り屋だから、ずっと走ってきたのだろうけれどね」
 それでは何時か潰れてしまうとショウはちぐさの肩を撫でた。慣れた温もりも、安心するその声音も、ちぐさにとっては安心の材料だ。
 彼が居ると甘えてしまう。それでは立派な情報屋にはなれないのに。そんな風に考えて居た凝り固まった考えを解きほぐすように彼は優しく囁くのだ。
「少しずつで良いんだよ。オレ達には未だ未だ時間はあるし……ちぐさはイレギュラーズだからね。
 オレと違って戦いに出る事もあるだろうから、疲弊も溜りやすいんだ。だから、疲れたときは立ち止まって休むように」
「休む?」
「そう。こうしてオレと一緒に昼寝はどうかな。それだけでもちぐさにとっての休息になるなら呼んでおくれよ」
「ショウは忙しいから……」
 そんな我が侭を言ってはいられないとちぐさはぱちぱちと瞬きながら言った。気付いたらすぐにでも眠ってしまいそうな程に身体が気怠いのだ。
 ショウの言う通り最近は戦いも連続していた。眠たいと唇が動く。ショウがちぐさの背をとんとんと撫でた。
「大丈夫、呼んでおくれ」
 柔らかに微笑んだ彼の声に「それなら、いいのかにゃあ……」とちぐさは呟いた。瞼が重たくなってくる。眠りへと誘われるように、意識がゆっくりと落ちていく。
 お休みと囁かれてから――ちぐさは暫く眠っていた事に気付いた。
 はっと顔を上げた時、ブランケットがずるりと地面に落ちる。資料を見ていたのだろうショウは「ああ、おはよう」とちぐさの肩を叩いた。
「あ、僕、寝て……」
「うん。よく寝ていた。身体は?」
「すっかり元気なのにゃ! ありがとう!」
 朝から感じていた疲弊や重苦しい身体のこわばりが何処かへ行ってしまったとちぐさは拳をぶんぶんと振り上げる。ショウは「無理するからさ」とちぐさの鼻先をつんと突いた。
「む……休むことに対しては未熟だったのにゃ……」
「それもこれから学んでいくと良いよ。夕食は作ったけれど、明日のちぐさの朝食の用意は買い忘れてしまったね」
「あ、じゃあ、そのお買い出しをするから出掛けるのにゃ! ショウは明日も忙しいのかにゃ?」
 ショウはふと手帳を見下ろしてから「そうだね、ちょっと遠方に行かなきゃならない」と肩を竦める。此の儘一緒に食事をとれたら――と思ったけれど、そこまでの我が侭は言えない。
 ちぐさは少しの寂しさを飲み込んでから「それならついでってわけじゃないけど送っていくにゃ!」と微笑んだ。
「大丈夫だよ?」
「ううん、夕焼け空が綺麗だから、それを眺めながらお散歩も良いかにゃーって。ゆっくりとお散歩するのも休息にゃ?」
「確かに。これはちぐさの方が良い休息を見付けるのが早いかも知れないね」
 くすりと笑ったショウにちぐさは胸を張った。眠っている間に一雨降ったのだろうか。石畳は雨に濡れ、夕焼けに照らされてからきらりと輝いて見える。
 雨上がりの匂いは嫌いではない。水溜まりを跨ぐようにぴょんと飛び越えて「ショウも朝ご飯買っていくにゃ?」と問うた。
「そうだね。朝は早く出る事になるから何か買おうかな。何かオススメでも?」
「あっちに新しいパン屋さんが出来たのにゃ! パニーニが美味しいのにゃ。家で温め直して食べれるようにしてくれるから明日の朝用に買っておいても良いかもしれないのにゃ」
「じゃあ、ちぐさと同じ物を買おうかな。立派な情報屋だね」
 情報屋としてはまだまだこれからかも知れない。これからも続く戦いを乗り越えた先に、輝く未来を見たいから。
 もう少し頑張るぞと拳を振り上げてからちぐさはショウの手を引いて歩き出した。
 茹だるような夏の暑さは気付けば、何処かへ行ってしまっていた。


PAGETOPPAGEBOTTOM