SS詳細
狩猟と料理
登場人物一覧
図書館は独特の匂いがする。新しい本ばかりが並ぶ本屋では感じられない、古い本が放つ香気はどこか懐かしさを感じさせる。
ルブラットがまず手に取ったのは医学書だった。誰かがよく使いこんでいたものが寄贈されたのだろうか。ところどころに書き込みがあり、消したり書き足したりが繰り返されている。その痕跡をじっと見つめ、何度か視線でなぞってからその一冊を抱えた。
家に帰った後にじっくりと読もう。今日図書館に来た一番の目的は医学書ではないのだ。これを読みだしてしまう前に、目的の本を探さねばならない。
他にも気になる本はあったが、次に来たときにまた探すと決め込んで目的の書架に向かう。通路をいくつか通ったところで、見慣れた角が見えた。思わず立ち止まる。
「リュカシス君じゃないか」
高い場所にある本を取ろうとして背伸びをしていた少年が、その手をぴたりと止める。浮いていた踵が降りて、それから半身がルブラットの方を向く。
「ルブラットサン」
少年――リュカシスはペストマスクが視界に入ると、ぱっと表情を輝かせた。年頃の子どもらしい無邪気さと安心したような笑い方が眩しい。
リュカシスは古代遺跡について記された本を探しているところだった。フィールドワークからしか得られない緊張や興奮があるのは言うまでもないが、他人が込めた熱意を直に感じ取り、整然と書き連ねられた研究の成果や考察を読み解いていくためには本が適している。鉄帝も首都となれば多くの本があるだろうと踏んでここに来たのだが、まさかルブラットに出会うとは思わなかった。
「ルブラットサンは何を探しに来たんですか」
リュカシスがルブラットの手元を見ると、ぼろぼろになった端がテープで補強されている本があった。医学書らしいそれは彼らしく、先ほどの質問の答えがそこにあるように思ったのだが、彼の返事は違った。
「実は料理の本を探しているのだよ」
「料理、デス?」
かくりとリュカシスは首を傾げる。意外だ、と言わんばかりの顔であった。
「冒険の際に料理ができたら便利だろうと思ってね」
ルブラットは頷いた。
冒険に想定外の出来事はつきものである。何かしらのアクシデントによって食料が足りなくなるという事態も在り得るのだ。しかし野生の動植物を料理できるようになれば、そのリスクは減らせる。それに、料理ができるようになれば、飢えた人々に食料を振る舞うことができる上に、栄養失調で命を落とすことも減らせる。いざとなった時に救える人を増やせると気が付いたのだ。
中世医学としての栄養学や、植生学の知識はある。だが料理の経験はほとんどない。そこでまずは本を頼ろうと思い、図書館まで足を運んだのである。
「なるほど、料理ですか」
リュカシスはふむふむと頷いて、自分が手に取りかけていた本を見た。普段は給食もあるし寮生活のため料理はほぼしないが、フィールドワークの際はキャンプもする。食材を現地で調達することもあるため、コツは分かっている。
「まずは食べられる生き物かどうか、ですよね」
野生の生き物を食べるときは、まずそれが食べられるものなのかどうかを見極めなければならない。加熱で分解できない毒などいくらでもあるのだ。だからまずは食べられるもの食べられないものを選別する必要がある。
「あとは加熱ですかね。食あたりが怖いですし」
リュカシスの話を、ルブラットは頷いて聞いている。ペストマスクの奥の表情は分からないが、興味を持って聞いてくれているのは分かった。
折角図書館にいるし、そういったサバイバル向きの料理本を一緒に探してもいいかもしれない。そう思ったとき、頭の中に一筋の光が走った。
「そうだ、ルブラットサン。ボク、お肉なら焼けますよ!」
狩りをして手に入れた肉や採取した植物を調理するため、食べられる動植物の知識は自然とついた。ルブラットと狩りに行って、食べられるものについて教えつつ一緒に料理をすればいいのではないだろうか。そう伝えると、ルブラットは声色を柔らかくした。
「ふふ、君と私の知識が合わされば良き学びが得られることだろう」
決まりである。
採取した植物の調理は本を頼ることにした。料理本のコーナーやサバイバル技術の本が置いてある書架に向かって歩きながら、二人はその日の計画に思考を巡らせた。
山の中はいくらか温度が下がる。そもそもこの国は寒いのだが、民家が並ぶような場所の気温に慣れていると、やはり高所は尚更寒く感じる。
ここに登ってくるまでに見つけた山菜は、調理道具と共に野営地に置いてきた。採取した山菜の中に、それによく似た毒草が混ざっていたことが何度かあったのだが、日が経てば笑い話になることだろう。
「よし、次はお肉です」
各々の武器を構え、動物の足跡を見つけて辿っていく。見つけた小鹿に似た生き物を手早く仕留め、頸動脈を切った。
「血を抜いておかないと臭みが強くなるんです。あと内臓も取り出します」
血抜きの間、小鹿の魂の安らかな眠りのために祈りを捧げた。それから野営場の近くまで戻り、ルブラットはナイフを取り出した。肉の解体は元々得意である。内臓を取り出すのは容易い。
「ルブラットサン、これの内臓には毒があるので気を付けてくださいね」
「肉の部分は平気なのかな?」
「そうです。肉の部分はね、食べたら美味しいやつです」
内臓の部分は食べたらどうなるのだろうね。ルブラットが好奇心で呟いた一言に、リュカシスはぶんぶんと首を振った。絶対にダメとその表情が物語っている。
「内臓は食べたらやばいヤツです。ボクはうっかり死ぬところでした」
食べたことがあったのか。ルブラットは驚いたが、リュカシスはその時のことを思い出したのか青い顔をしている。これは相当ひどい目にあったのだろう。
詳しく聞けば、吐き気と嘔吐では済まず、脱力感や麻痺などといった症状に見舞われたらしい。聞く限り、神経毒による食中毒らしかった。
「解体には細心の注意を払おう」
「よろしくお願いします」
ルブラットがてきぱきと解体を始める。ナイフを走らせる手は素早いが、中身を傷つけることなく腹が裂かれ、臓器が一つひとつ取り出されていった。その様子をリュカシスは感心して見ている。さすが医者、と言うべきだろうか。手際が良い。
「美味しいお肉になりそうですね」
「そうなるように努力しよう」
美味しいものとそうでないものでは、美味しいものの方が栄養になると言う。気持ちの問題ではあるが無視できる要素ではない。そう思ってルブラットは黙々と小鹿の皮を剥ぎ、解体作業を続けていく。しばらくしないうちに肉塊に変わったそれに、リュカシスは「おお」と歓声を上げた。
「ルブラットサンすごい」
「ありがとう。ここからはリュカシス君に頼るよ」
肉を焼く前に、手に入れた山菜たちをおおまかに切って鍋で煮込んでいく。これで肉が焼ける頃に山菜の汁物が出来上がるはずだ。味付けは丁度よくなっていると思いたい。
「本を見たら、ガーリックで香り付けすると美味しいと書いてあったので」
肉の調味料としてリュカシスが鞄から取り出したのは、塩と胡椒、それからガーリックである。ガーリックの香りを油にうつすと、香りが立って美味しくなると本に書いてあったから、試したくなったのだ。
肉塊を食べやすい厚さに切り、筋切りをする。塩胡椒を振って、フライパンに油を敷く。ガーリックで香りづけをしながらフライパンを温めて、そこに肉を並べた。じゅっと香ばしい香りが立ち、リュカシスはそわそわとした気持ちを落ち着かせるように息を吐いた。
野生の生き物の肉なのだから、加熱をきちんとするに越したことはない。ただ焼きすぎると食感が落ちるから、見極めが肝心になる。
「まだ肉を返さなくていいのか?」
ルブラットも真剣な様子である。焼き加減が難しいらしく、フライパンをじっと見つめている。
「まだこのままでいきましょう。もう少し焼き目がついたらひっくり返します」
「成程」
リュカシスは肉の両面と側面をじっくり焼き、焼き色と焼き時間の目安をルブラットに伝えていく。それから肉をフライパンから取り出し、火の側で休ませた。加熱のし過ぎを防ぎつつ、内側にきちんと火を通すためだと伝えると、ルブラットは感心したように頷いていた。
しばらくして。肉を切ってみると、内側から肉汁があふれ出た。厚めの肉から滲んでいく肉汁が皿の上に広がっていく様子に、リュカシスとルブラットは顔を見合わせる。
「ちゃんと火も通ってそうですね」
出来たのかと尋ねるルブラットに、リュカシスは満面の笑みで頷いた。
「さっそく食べましょう」
出来上がったステーキに油に香りをうつしたガーリックを乗せ、山菜の汁物を器に盛る。それから麓で調達していたパンを並べ、食事を始める。
二人がまず手をつけたのはステーキだった。肉を噛むとしっかりとした歯ごたえと共に肉汁が溢れ、旨味が舌の上で踊る。塩の効いたガーリックの香りは旨味を引き立て、肉本来の美味しさを際立たせていた。
「美味しいですね」
ルブラットは頷いた。自分たちで獲物を狩るところから始めたのも相まって、その味は格別であった。
「汁物はどうかな」
うきうきとした様子で山菜の汁物に手を付けたリュカシスだったが、汁に口をつけた途端その渋さに驚くことになった。顔をしかめるリュカシスにならってルブラットも口をつけ、鈍い声を出した。
「そういえば、あく取りをし忘れていましたね」
「成程。あれは大事だったのだね」
渋いが食べられないほどではない。この学びは次に活かすことにしよう。そう二人で話して、笑い合った。
「またこうして一緒に料理をしてくれるかな」
ルブラットの声色は落ち着いているが、ほんの少し期待が込められている。リュカシスはそれに気が付いて、にこりと笑った。
「もちろんです」
おまけSS『山菜採り』
山を登り始めてしばらくのことだった。
「ルブラットサン、あれ、食べられるやつです」
「ほう」
「あとこれも」
獣道の端に座り込んで、リュカシスはそこにあった植物をいくつか指さした。
「こっちは実が食べられます。こっちは茎も全部いけます」
食べられる部位について説明しつつ、リュカシスはひょいひょいと山菜を摘み取っていく。ルブラットもそれに倣い、同じものを摘み取っていった。知っているものもあれば、記憶の中の山菜に当てはまらないものもあり、リュカシスの知識の幅広さに感心するばかりである。
「あ、これは似たやつに毒があるのがあって。葉の形が違うんですけど」
リュカシスが指先を動かし、葉の形を宙に書きだしていく。記憶を手繰る様にどこかを向いていた視線が最後にルブラットの方を向き、「あ」とその唇が動いた。
「ルブラットサン、それです」
「これが毒のあるものなのか」
「そうです。それ、毒草です」
気が付いて良かったというべきか、なんと言うべきか。マスク越しに額を抑えたルブラットに、リュカシスは「そんなこともありますよ」と笑った。最終的に選別できれば良いということらしい。
「気を取り直して探していきましょう」
明るいままのリュカシスの声に、ルブラットは静かに頷くのだった。