PandoraPartyProject

SS詳細

夏に落としたプルンバゴ

登場人物一覧

ルビー・アルカイネ(p3p011118)
真紅の幻想師
テオ・アルカイネ(p3p011119)
宵色の幻想師

 リッツ・パークを歩き回っていた。両親のことは覚えて等居ない。ただ、テオという名前だけを少年は覚えていた。
 海洋王国の孤児院に引き取られ、ある程度の文字を覚えてからと言うものの漁師達の仕事を手伝い日銭を稼ぎ、それを『弟』や『妹』の食い扶持に当てる。怪我をしたとて問題は無い。異国情緒溢れ、観光客の多いこの国では『働き手』は何人だって居ても良かったのだ。
 大号令の影響を受け、人出の減少があり子供でも手伝う事が出来るというのは孤児達にとっても喜ばしかった。確りと学び、確りと働く。そんなテオの姿を孤児院の経営を行って居た『先生』はよく見て居た。
「出来の良い子ですよ」
 最初に、彼女はそう言った。目の前には見慣れぬ夫婦が座っている。彼等は孤児院に出資をしている海洋貴族のアルカイネであった。
 売り込みが良かったからだろうか。それとも、テオの此れまでの献身を理解していたのかは分からない。アルカイネ夫妻はすぐにでも彼を引き取ると決めてくれた。
 飛行種の家門であるアルカイネに引き取られたテオは「幻想種のお耳なのね」と義母となった女に教えられた。髪を整え、入浴し、食事を与えられて勉学に勤しんだ。はじめての家族の温かさは心地良く、テオは義母も義夫も実の両親のように愛し慈しんでいた。
 テオが引き取られて暫くした頃だ。義母が妊娠したという。「お兄ちゃんになるのね」と彼女は嬉しそうに言ったが、テオが感じたのは危機感であった。
 此れでもしも男が産まれたら――? 元々はアルカイネ夫妻の間に子供は居なかった。慈善家であったアルカイネ卿が孤児の少年を拾って育てたのには『跡取りがいない』という事情があったからだと子供乍らにテオは考えて居たのである。寧ろ、貴族がどうして孤児を引き取るのか位は孤児院育ちで耳にした事があったのだ。
「おめでとうございます、母さん」
 ――お母様、と貴族の子となったからにはと意気込んで呼び掛けたが彼女は無理をしないで良いと「母さん」と呼ぶ事を許してくれた。非常に心優しい人なのだ。
 十月十日を過ごしてから産まれた娘にはルビーと名付けられた。アルカイネ夫妻と同じ金色の髪で同じ種族である飛行種だ。
(俺とは違うんだ――)
 海洋王国は海種と飛行種の国である。勿論事だが育ての親となったアルカイネ卿も飛行種であり、貴族同士の結婚であったからには代々続く飛行種の家系を護り続けてきたということになる。
 余所より拾われ育てられた形となって居るテオと、その実子であり血を引いたルビー。テオにとってはそれは驚異的な存在であった事に違いは無かった。
「母さん」
「ごめんね、テオ。ルビーが泣いているから……」
 そうやって義母がテオに構う回数も減った。赤子に手が裂かれるというのは理解出来る。だが、理解よりも先に、どうしようもない不安が存在したのだ。
 貴族として引き取られ学んできたが、学べば学ぶ程に貴族とは血統主義であるという面が強いと知ってしまう。
(俺は、いらない?)
 そう思ってしまったのは仕方が無い事だった。ルビーと8つも年が離れてると言えども少年はまだ幼く、親に捨てられた経験があるのだ。孤児院から引き取られたと言えども用済みだと送り返される可能性だってあるのではないかと疑ってしまうのだ。
 テオの心境の変化を義母はよく理解していた。歩き出し離す様になった幼いルビーの手を引いて母は「ビーチに遊びに行きましょう」と行った。
「テオは何か食べたいものはありますか?」
「俺……やっぱいい」
 最近は満足に甘えることが出来なくなった。ルビーが産まれてからというものの、自らを捨てないで欲しいという親への存在意義の表し方も分からなくなってしまったのだ。
 言葉にするにも儘ならず幼いが故の苛立ちを母にぶつけるばかり。ふいと外方を向いたときに悲しげな顔をしたことに気付いて居たがどうしようもなかった。
「にいさま」
 てこてこと走り寄ってきたルビーは麦わら帽子を被せて貰ったのだろう。俯いていたテオの手をぎゅうと握り締める。
「みて」
「何?」
「すな」
 だからどうした、と思わず口に出かかった言葉を飲み込んだ。此処で義妹に強く当たれば、自分の立場が苦しくなるだけではないか。
 またも俯いたテオに「かに」とカニを勢い良く掴み上げたルビーが満面の笑みを浮かべた。
「うわっ!?」
「かに」
「ルビー!? い、いつの間に! お兄様にカニの鋏を向けちゃあぶないでしょう! テオ、テオ、怪我はしていない?」
 慌てて走り寄ってくる義母に抱きすくめられる。「やだあ」と叫び両手を振り回すルビーの手からカニを奪い取った義父は「こらこら」と彼女を宥めるように抱き上げていた。
 顔面の至近距離に居たカニもさぞ驚いた事だろう。鼻を掠めた気がして思わず指先をやったテオに義母は「鼻!?」と慌てた様子で顔を覗き込む。
 頬を掌で包まれてじいと見詰められたとき、久しぶりに『母さん』の顔をまじまじと見たことに気付いた。
「……」
「テオ、大丈夫よ。怪我はして居なさそう……どうかしたの?」
「ううん……何も……ビックリしただけ」
 そうでしょうねと母は楽しげに笑った。いつの間にやら逃げていったカニの行く先は気にならず。少しばかりぐずったルビーを見て「ごめんなさい」とテオは俯く。
「どうしてテオが謝るの? ルビーがカニを握ったからでしょう。お顔の前に近づけてはいけないものだもの」
「けど……」
「テオが何を考えて居るのか。お母様は少し分かった気になっているの。だから、言わせてね。
 テオはわたくし達にとっての大切な我が子なの。ルビーにだって、テオは本当のお兄様だと教えているし、あなたもそうして振る舞って欲しいのよ」
 はっと顔を上げたテオに「いつも、こうして言わせてくれないじゃない」と義母は優しくテオの身体を抱き締めた。止めろ、恥ずかしいと思わず藻掻いたその身体を彼女は離さない。
 見た目に寄らず強い力で抱きかかえてから「お返事は?」と彼女は唇を尖らせる。
「……けど」
「お母様の言う事が信じられない?」
「あの……」
「お母様は本当に本当にテオが大事なのよ?」
 じいと見詰めて顔を覗き込む。その一生懸命になる所は幼いルビーも良く似ていた。屹度彼女は、初めて見かけた生きたカニをテオに見せたかっただけなのだ。
『にいさま』と幼い彼女が呼びかけて手を引いてくれたのだって、母の言う通りに『本当のお兄様』と思っての事だったのかも知れない。
「……俺って、ここにいて、いいの?」
「おかしなことを言って! 勿論よ、大切で大好きなテオ」
 優しく撫でてくれる母の胸に甘えていたテオはくいくいと服を引っ張られてから顔を上げた。じいと見詰めるルビーが指を咥えてみている。
 母をとられたと感じたのだろうかと慌てて身体を起こすテオにルビーは「にいさま、るびーもぎゅうなの!」と手を伸ばす。
 恐る恐ると抱きかかえれば「きゃあ」と嬉しそうな声を彼女は出した。眩い陽を透かしたような美しい金の髪をテオは持たない。彼女の有する両親の色は眩しくて、つい羨んでしまう。
 それでも、だ。彼女がこうして兄として慕ってくれることが嬉しくてテオは「ぎゅう」と彼女の真似をしてその小さな身体を抱き締めた。
 拾われた『兄』と実子であった『妹』。端から見ればその関係性は随分と歪なものだっただろう。
 後ろ指を指されることだって勿論ある。令嬢が生まれたと言えども、養子を取らねば家督を継ぐことは出来ない。ただ、拾い子に家督を譲る前提であれば彼女は何処かに嫁ぐ可能性がある。実子が居るのならば、養子を取り家督を譲るのならば、その拾い子となった兄はどの様な立場になるのか。
 囁かれる噂に耳を傾け、テオは不安に襲われることがあった。そのたびに母は「貴方が好きに生きて欲しい」と願い、ルビーは「にいさまと『けっこん』? する」と嬉しそうに笑うのだ。たどたどしくそう言って手を握り締める彼女を無碍にも出来まい。
 何となく折れてしまったテオを見て「にいさま、にいさま」と小さな彼女はちょこちょこと後を着いてやってくる。あの夏の海を経てから、アルカイネ夫妻とルビーはテオに構うようになった。
「反抗期なのだろう」と笑う義父に「本当は可愛らしいものね」と揶揄いながらも向き合い続ける義母。何も分からない様子ではあるが何れだけ自分を好んでいるのかをアピールしてくれる妹の輪の中に居ればテオとて絆される。
「テオが欲しい物があれば、なんでもあげる」と軽く言って見せた義母にテオは「じゃあ、勉強がしたい」と乞うた。
 もしも、将来的にルビーが婚姻を結び、養子として誰かがやってきてアルカイネ家を継ぐことになったとしたら、自身はそれを支える役割になろうと考えたのが幼少の頃だ。
 跡取り息子として育てられたが、それ以上に必要なのは人を支える事である。母は「テオが継ぐかも知れないのに」と唇を尖らせたが、備えはあった方が良い。そう告げれば、自由に学ぶことを許してくれた。
 そんな両親の優しさに、そして、献身にテオは感謝を覚えた。反抗ばかりしていたが、こうして学ぶ機会を与え、望めばどの様な事でも取り組ませてくれる両親が「不要だ」と言ったとしても――有り得ないと思い始めた己の心が少し憎い――問題は無いとさえ思えるようになったのだ。
「兄様、これは?」
「あ」
「あ~~~……」
 兄を真似て文字を読みたいと望んだ幼い妹にもテオは向き合うようになった。自身に懐き、信頼を置いてくれる小さな妹が可愛らしくて仕方が無くなったのだ。
 雛鳥のようについてやってくる彼女に文字を教え、自身が学んだ事をゆっくりと噛み砕き彼女の糧としていく。貴族として過ごさねばならないルビーにとっての必要な事を教えてやれば、彼女は「すごい、すごい」と喜ぶのだ。
 ルビーは熱心な少女だった。テオの背を見ていたからなのだろう。真剣に物事に取り組んで出来たと花咲くようにぱあと笑うのだ。
「にいさまがいるから、わたしはおべんきょうができるのね!」
「兄様が居なくてもできるよ」
「ううん、できない。だって、にいさまがおしえてくれないとわからないもん」
 ぷうと膨れ面を見せたルビーに「淑女はそうしちゃだめなんだよ」とテオは笑いながら頬を突いた。
 いつの間にやら彼女への嫌悪は消え失せた。母をとられたと何処かで焼き餅でも焼いていたのだろうか。今は、本当の妹であると認識出来て、酷く愛おしい存在にもなったのだ。

 ――ふと、顔を上げれば夕焼け空が広がっていた。
 開け放った窓から潮の香りが入り込む。懐かしい夢を見たとテオはのろのろと顔を上げた。
 目の前には書きかけた書類が幾つか存在しており、その資料を見ながら眠ってしまったことに気付く。
(……今は……何時だ……?)
 壁掛け時計に視線を送ってから、18時を過ぎた頃だと気付いてからテオははっと息を呑んだ。ルビーとのディナーの約束があったのではなかったか。
 目の前の書類は父から回された決算の資料だった。それらの調査を行って居て近頃は多忙だったのは確かだが、居眠りをするほどだとは思って居なかった。
 慌てて立ち上がったテオの動きを静止したのはノックの音である。「はい」と返事をすれば予想通りに顔を覗かせたのはルビーであった。
「兄様、お仕事お疲れ様です。……近頃は忙しかったですもの。ディナーは少し遅くしてもらいました。
 大丈夫ですか? 私も兄様のお手伝いが出来ればと思ったのですけれど……その、覗かせて頂いたら少し難しそうで……」
「ああ、此の辺りは新しいものだからルビーには馴染みがないのかもしれないね」
 幼い頃と変わりなく彼女は「教わっても宜しいですか」と穏やかな声音でそう言った。

 ――ルビー、こっちだぞ! これは、こうするんだ!
 ――兄様、これはこうなの? うーん、これって難しいのね!

 そんな風に言い合っていた日常を思い出してから「なら、少しだけ教えようか」とテオは椅子を引いた。
 嬉しそうに駆け寄ってきた花咲く笑顔も幼い頃から変わらない。ちょこりと腰掛けた彼女が書類を覗き込んで「少し難解ですね」と呟いた声を聞いてから、テオは思わず吹き出した。
 あの日から、彼女との関係は変わっていない。実の兄妹として、日々を穏やかに過ごしているのだから。


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