PandoraPartyProject

SS詳細

明日も晴れて

登場人物一覧

天香・遮那(p3n000179)
琥珀薫風
小金井・正純(p3p008000)
ただの女

 波打ち際に寄せる水飛沫が、足下を攫っていく。
 引いていく波と共に、足の裏から砂が流れていくのが少しくすぐったい。
 水分を含んで沈み込む砂の足跡を、寄せる波がすぐに掻き消した。

 夕陽が水平線に沈んで行く。
 直視するには眩しい夕陽の赤色。
 太陽の色を映した空を見上げるぐらいが丁度いいのかもしれない。
 夏の夕焼けは湿気を含んで一層赤く空と海を照らしていた。

 正純は前を往く遮那の背を見つめる。
 結い上げた黒髪が歩く度に左右に揺れた。時折、寄せる波へ戯れるように重心を傾ぐ。
 体幹の悪くない遮那がこんな風に身体を揺らすのは、遊んでいる証拠だ。
 純粋に波打ち際の散歩を楽しんでいるのだろう。

 終わってしまった恋ではあるけれど、想いは髪と一緒に散っていった。
 遮那に伝えなかったこの心と引き換えに残ったのは、親しい友人という立場だろうか。
 もし、恋する気持ちを伝えていたら、きっと此処には居ないだろう。
 背を見守る事もできず、波打ち際を共に歩く事もできなかった。
 恋する気持ちを向けて来ない相手というものは、友人として安心出来る存在であるのだろう。
 その証拠に遮那は容易く正純をからかって見せた。年上の姉貴分にする甘えでもある。

 遮那はこう見えて男である自分、天香の当主である自分を強く意識している。
 正純が女であることを選んだのなら、遮那も男として振る舞わねばならぬと思ってしまうのだ。
 弱音を吐くことを躊躇い、強く逞しい『頼れる男』であるようにと自分に課すのだ。
 好いてくれる相手、恋愛として気になる相手には格好いい所を見せたい、頼られたいという男心だ。
 そうすればこの弟のような甘えも見られなくなる。
 これは正純だけが得た姉貴分としての唯一無二なる関係。
 実らぬ恋より、長く続く、深い関係性を選んだ。

 だからこれからは、昏く焦れったい感情ではない。
 諦めてしまえば、思ったよりも心が軽くなった気がした。

「正純どうしたのだ? まだ昼間の泳ぎの練習を根に持っておるのか?」
 押し黙ったままの正純へと振り返った遮那が楽しげに笑みを零す。
 青空の下、遮那に泳ぎの練習をして貰っていたのだ。その時に遮那が仕掛けた悪戯は泳げぬ正純の手を片方離すというもの。勿論、片方の手は繋いだままであった。
 この遮那の問いかけも、彼なりのコミュニケーションの一つであるのだろう。
 だから、正純はそれを逆手に取り悲しそうな顔をしてみせる。
「あれは、本当に泣きそうになりました」
 正純の怒った顔や呆れた顔を予想していた遮那は、彼女の悲しげな表情に困惑した。
「そんなにか!? すまぬ、そんなに怖かったとは思わなかったのだ」
 申し訳なさそうに正純の顔を覗き込む遮那。
 普段は天香の当主として凜とした表情をしている遮那は、正純の前では気兼ねなく子犬のようにころころと表情を変える。
「ふふ……冗談ですよ」
 近づいて来た遮那の頬を、正純は「ふに」と摘まんだ。
「なっ、正純!? 其方がそんな冗談を言うとは。少し変わったのう?」
「そうですか? 元々こんな感じでしたよ?」
 悪戯そうに微笑む正純の顔を見て、遮那は琥珀の瞳を輝かせる。
「うむ、今までの正純も凜々しくあったが、そのように悪戯に微笑む其方の方がずっと良いな。そっちの方が好きだぞ!」
「……そういう所ですよ、あなた」
 はあ、と大きく溜息を吐いた正純に遮那は首を傾げる。

「遮那さん、不用意に女性へ好きだなんて言っちゃいけません」
 そこに恋愛感情は無いと思い知らされる。
 髪を切る直前の自分ならその事実だけで変に傷付いていたかもしれない。
 けれど今は少し違うのだ。
「何故だ! 正純なら良いのではないか? 明将にも吉野にも喜代婆にも万緒にも望にも安奈にも言うぞ? 見知らぬ人には言わぬしな」
 遮那にとって、名前が挙がった者達は「頼れる男」を張らなくてもよい、安心出来る存在なのだろう。
 その中に自分も含まれているのだ。嬉しくもあり、少し……いや「嬉しい」で良い。
 安心して気兼ねなく好きだと言ってくれる距離感が良い。
 それが恋愛でなくとも良いのだ。
「まあ、有り難く頂戴いたしますが、私も遮那さんが好きですしね。それにまだまだ、ええ……まだまだ甘えん坊なんですから。お屋敷に帰ったらしっかりと執務をして頂きましょう。長胤様たちにも貴方を支えるとお伝えしましたし、私が責任を持って厳しくします。ただ、まあ今はいっぱい遊びましょう!」
 お説教と共に降り注いだ笑顔に、遮那は満面の笑みを浮かべる。

 諦めた代わりに変わったもの、得たものを全て受入れるにはもう少し時間が必要なのかもしれない。
 けれど、変わらないものもある。
 遮那が自分に向けてくる絶対的な信頼は、髪を切る前も後も何ら揺るがない。
 この緩やかで、けれど確かに深い繋がりを大切にしたいと、正純は橙色の夕暮れに目を細めた。

 ――――
 ――

 義兄に最後の矢を放った者。
 それが彼女を最初に強く意識した切欠だっただろう。
 望月貫く矢は強く気高く、強烈な印象が残っている。
 よくぞ止めてくれたと思った、同時にほんの僅かに胸に棘が刺さったような感覚を覚えた。
 当時は彼女の事をよく知らなかったというのもあるだろう。
 知らぬ者に義兄は討ち取られたのだという事実だけが目の前に横たわっていた。

 されど、後日彼女は自らが義兄を射たのだと申し出てきたのだ。
 先代長胤を射貫いた者の責任として、天香の行く末を見守ると言い放った。
 それから彼女は――正純は「知らぬ者」では無くなった。
 今となっては、義兄を射たのが正純で良かったと思う程だ。

 ――姉の様な存在、それが正純だ。
 遮那は夕焼けに波打ち際を歩く正純に振り返った。
 髪を切ってからは自分が姉と見間違えてしまうほど、纏う雰囲気が似ている。
 コントラストの強い夕暮れでは、全てが橙色に染まって陰影の差違が広がる。
 紫色の髪が深く見える代わりに、金色の瞳は輝いて見えた。
 姉が生きていれば、こうして他国の海にも連れてくる事ができただろうか。
 重ねて見てしまうのは申し訳ないと思いながらも、正純には特別な親近感があった。
 だから、つい甘えてしまうのは自覚している。

 この前だって正純の作る菓子が食べたいなどとねだってみた。
 仕方ないと項垂れながらも、美味い菓子を作ってくれる。甘やかしてくれる。
 姉の役を正純に押しつけているのだろうかとも考えてみた。
 しかし、姉はもっと厳しかった。
 正純の方が優しい。これは向こうに言った時には口が裂けても言えないけれど。
 ともあれ、正純との関係は遮那にとって心地の良いものだった。



「もう日が暮れそうだのう……正純、夕食はどうする?」
 眩しく輝いていた赤い太陽が沈んだ海と空は次第に紫色へと移り変わっていく。
 そうなれば、一番星が姿を現す。もう少しで群青が空を覆い満天の星空が見えるだろう。
「そうですね。まだ何も考えてませんでした。適当にホテルのレストランで取ろうかなと」
 シレンツィオはリゾート地である。そういった観光客にも対応しているだろう。
 正純は浜辺に置いてあったサンダルを取って振り返る。砂が付いたままの足では履けないから足洗い場までゆっくりと歩き出す。遮那もそれに習って同じようにサンダルを手にした。

「では、ディナーに行くか!」
 サンダルを履いて足洗い場から出て来た遮那が元気よく言い放つ。
「一緒にですか?」
 不思議そうな顔で聞き返してくる正純に、遮那は目を見開いた。
 此処に来て一緒に行かない選択肢が出てくるのかと遮那は眉を下げる。
 特別な親近感を覚えているのは自分だけで、天香を見守るという義務感でこうして付き合ってくれているのではないかと遮那の胸に不安が過った。
 正純はもう随分と背が伸びてしまった遮那を見上げ目を細める。
「だめかの?」
「勿論、ご一緒しますよ。何処がいいでしょうかね」
「やったー! 流石正純だ! そうだの、そうだの! こっちの料理はどれも美味しいからのう。魚介と大きめの米で作った炊き込みご飯のような。あれが好きでな……パレイア?」
 少し発音が違って聞こえるが「パエリア」だということは分かる。
「パエリアですね。だったら、この先に美味しい店がありますね……でも、遮那さんスパイシーなものって食べられましたっけ?」
「うーん、普段は出汁と塩や味噌の素朴な味付けだからの。他国の香辛料は口に入れた瞬間大抵驚いてしまうのだが、でも、美味いものは美味いからの」
 香辛料たっぷりの料理は食べ慣れていないと、毒か何かを含んだのかと思ってしまうだろう。
 去年の夏にシレンツィオに来た当初は驚くことばかりだったと遮那は微笑む。

「そういえば、二人で行くんですか?」
 レストランへと続く道を歩きながら正純は遮那へと問いかけた。
 車道の中央に引かれた線路の金属が僅かに揺れて、しばらくしてから数人を乗せたスチームトラムが過ぎさっていく。
「ん? 明将と吉野を呼ぶか? 朝から釣りに出かけたから、もうそろそろ帰って来るだろう」
「いえ、聞いてみただけです。二人でも構いませんよ」
 にっこりと微笑む正純から何処か嬉しそうな気配を感じ、遮那も同じように目を細める。
「明将と吉野が居るとどうしても煩くなってしまうからのう……私もつい同じようにはしゃいでしまうから、同罪ではあるのだが。正純は静かな方が好きであろう? だから今日は二人でな」

 美味しいものを一緒に食べる。
 それは、何気ない幸せであり、掛け替えの無い時間であるのだろう。
 遮那と一緒にゆっくりと歩きながら、正純は空に輝く星を見上げた。


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