PandoraPartyProject

ＳＳ詳細

たった一日、誰にも知られぬ麓にて

登場人物一覧

トレランシア(p3n000331)
碧岳龍
クウハ(p3p010695)
あいいろのおもい

●
　ぼんやりとしたまま、クウハ（p3p010695）は歩を進めていた。
　初夏の深緑が夏の熱を遮ってきらきらとした木漏れ日が肌に影と光の網を作る。
　知らなければアルティオ=エルムとも見紛う穏やかな木々が続いていた。
　ここは覇竜領域――竜がいて、亜竜がいる、混沌でも指折りの危険地帯である。
　それさえも忘れてしまうような景色は崩れ落ち、少しずつ再建に向かおうとする黄昏の地に少しばかり似ていた。
　ときおり姿を見せる亜竜らしき生き物はクウハの事を遠巻きに見てはどこかへ消えていく。
　どれくらい歩いただろうか、ふと見つけた小川には椅子のような岩があった。
　木漏れ日を齎す木々は小川に掛からず、キラキラと水面が反射して輝いていた。
　腰を掛け、ぼんやりと空を見上げる。
（……ベルゼー）
　ベルゼー・グラトニオス――冠位暴食と呼ばれた男のことが忘れられないでいた。
『自身を愛する者、愛した者の魂程喰らいたくなる』――それはクウハの持つ性質、本能といえるものだった。
　あらゆるものを愛してしまう冠位暴食に対してクウハは強い親近感と同情を抱いていた。
　せめて魂だけでもと手を伸ばし、喰らおうとしたがそれもベルゼーの制止された。
　細やかな嫌がらせ一つで命を落とす可能性があるならば――と彼は言った。
　あるいはそれは、『ただ唯一、自身の飢えと葛藤を真の理解者となったかもしれない』という希望さえも断たれたように感じたからかもしれなかった。
「……はぁ」
　漏れた溜め息、こんな姿を自分の良く知る彼らになんて見せられやしなかった。
　弱った姿を見せたくないのもそうだが、彼らにはお人好しで善良な奴が多い。
　比較的、お人好しなほうであるクウハ自身もそう思えてしまうぐらいには。
　だからきっと――こんな姿を見せてしまえば、心配されるだろう。
　心を痛める者もいるだろう。
　その事実こそがクウハを更に弱らせる――だから、ここを選んだ。
　わざわざこんな場所にまで来ようとする奴はいないだろう。
　彼らの知れぬ場所で、独りきりで泣けば、少しでも楽になると思ったのだ。
　そうして選んだのがここだった。
　覇竜領域、彼らの誰も知れぬ場所。
　そこはある竜種の縄張りである裾野であった。
　どうして此処を選んでしまったのか――それはきっと、その竜への甘えであった。
『碧岳龍』の異名を取る彼女なら、大きな心配もなく、黙って泣く事を赦してくれる気がした。

　何もない、ただ空気が流れていく。
　１つ、目元から雫が零れ落ちた。
　それからはもう、止めようがなかった。

●
　分かっていた。
　分かっていたのだ、ベルゼーがそれを望まないようなことぐらい。
　仮に自分が同じ立場だったら、同じように止めただろう。
　――それでも、願わずにはいられなかったのだ。
「分かってる。あれで、幸福な結末であったことぐらい。
　もうベルゼーが苦しむ事はない――のに」
　小さく漏らした声は、叫び声のように喉から押し出されていく。
　駄々をこねる子供とおなじようなものだった。
　それでも、欠片でも、どうか共に、そう願わずにはいられなかった。
　だから、奇跡まで尽くそうとしたのに。
　ベルゼーを殺す。彼の心を救うためには、それが絶対だった。覚悟はした。
　けれど――それでも死なせたくなんてなかったのだ。
　お腹の下あたりがぐるぐると捩じれるように痛む。
　あぁ――腹が減った。
　この痛みを、この苦しみを、唯一、理解してくれるかもしれなかった。
　護りたい、愛おしい、そう思う相手が増えていく。
　それは喜ぶべきことで、実際喜ばしいことだった。
　けれど悪霊たるその性質はただ喜ぶだけでは済ましてくれない。
　愛おしき主人から受け継ぎし『強欲』と『慈愛』の性質。
　空腹は満たされない――否、満たすことをしていない。我慢し続けていた。
　思えば、それもまた、ベルゼーと重なってしまうのだ。
（俺が正気を失って、見境もなく魂を喰らい始めた時、アイツらは情に流される事なく、俺を殺してくれるだろうか）
　幾つも思い浮かぶ、お人好しな彼ら。
　狂ったクウハをそれでも護ろうとしかねない者。
　喰われても構わないと身を差し出しかねない奴。
　そう言った者達の心当たりがありすぎた。
（どうか、俺の為に犠牲になどなってくれるな）
　ぎゅうと手を握り締めて、腹部を抑え込む。
（俺は確かに、オマエ達を愛しているのだから）
　訴える欲求を抑え込むように、握りしめる。
（俺にオマエ達を殺させてくれるな……そうして飢えを和らげた所で一切の意味はないのだから）
　最悪のイメージは、浮かんでしまう。
　ベルゼーの気持ちはよく分かる。
　自分の想像のなかにあるイメージを、彼は身をもって経験した。
　父と慕う竜による献身を以ってその空腹を紛らわせた彼。
　その絶望は、その嘆きは、今のところ本当には分からない。
　分かってしまったその時に、クウハはどうなっているのだろう。
　想像するだけでも吐きそうになるその状況が、現実となった時。

　昼は既に過ぎ去った。
　空は夕焼けに染まり、水の色が黄昏色に染められていく。
　夜は近い――その時まで、赦されるならここにいたかった。
「俺が正気を失って、見境もなく魂を喰らい始めた時……万が一の時トレランシアは俺を殺してくれるだろうか」
　小さく、誰にも聞こえないぐらいに小さくそんな声が漏れた。
　強大な力を持つ竜種、自分一人の力では到底敵うことはずもない存在。
　きっと彼女なら自分に喰われることなく、寧ろ殺すことが出来るだろうと、思わず漏れた小さな声。
「……それは逃避？　願い？　どちらかしら」
　長いような短いような沈黙の後、不意に声がして顔を上げたら、そこには一人の女性が立っている。
　いや――人ではない。
「……トレランシア」
「本当に誰も止められないのなら、それを竜への願いだと喰らってあげるわ。
　でも、我はお前達のことを少しばかり理解したわ。
　きっと、それよりも前にお前を救う子たちがいるでしょう。ベルゼーにそうしたようにね」
　そう言って龍は微笑んで見せた。
「俺達が……ベルゼーにやったように、あぁ――そうかもな。そうだと、いいんだが」
　全力だった。
　ベルゼーを助けたくて、ほんの少しでも、魂の欠片でも、連れて行きたくて。
　――あぁ、ベルゼーのように、俺も。
　俺も――そうやって、貰えるのだろうか。
「我はね、終焉が嫌いだわ」
　突然の言葉に不思議に思って顔を上げれば、トレランシアは笑っている。
「ベルゼーの想いを踏み躙った終焉が嫌い。
　龍である以上、我は世界の命運とやらに関わるつもりはなかったけれどね。
　個人的な不快感のために、動こうと思うの」
　笑みを刻む、龍が笑っている。
「霊の子、奮い立ちなさいな。
　我はね、ベルゼーを踏み躙ったあの終焉どもを相手にするのであれば手を貸してあげましょう。
　ベルゼーの事を思い泣いたのなら、ベルゼーの為に怒り、ベルゼーの為に奴らに一泡吹かせてあげなさい」
　それぐらい、出来るでしょうと、龍は笑っている。
「はっきり言いましょう、霊の子――我はね、貴方たちに期待してるのよ」
　柔らかな、慈愛と期待の籠った笑みを讃えた龍が、それだけ言うと顔を上げた。
　つられて空を見上げれば、そこに日差しはなく、代わりに夕焼けの赤が差すだけだ。
「……もう夜が来ようとしているわ。
　満足したのなら本格的な夜が来る前に帰りなさい。
　人の子というのは、勝手に姿を消したら心配するのでしょう？
　我が縄張りならともかく、夜の覇竜は危険よ」
　視線を下ろせば、トレランシアは未だ穏やかに笑っている。
　けれど、その質は多少違っていて。
「……あぁ、悪かった」
　クウハはそう頷いた。
「今回は特別よ。ベルゼーもあそこまで泣いてもらえれば満足でしょう」
　一から十まで見られていたことを察して、クウハは少しだけ目元を抑えて深呼吸する。
「……ありがとう」
　来た道へと歩みを進めた。
　不思議と重い――けれど悪くはない空気が背中を押している。
　何となく、トレランシアが背中を見守ってくれているのだとそう思った。


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