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落日のイストリア

【落日のイストリア】

登場人物一覧

マリエッタ・エーレイン(p3p010534)
死血の魔女
セレナ・夜月(p3p010688)
夜守の魔女

 夕焼けが尾を引いて海を染め上げた。夏の気怠い風に煽られた黒髪を抑えてから「マリエッタ」とセレナは呼んだ。
 夏は普段とは違う姿の『マリエッタ』が居た。セレナにとっては死血の魔女と自らの傍に居た姉妹は別物だった。それでもいずれかに嫌悪を示すわけではない。
 どんなマリエッタであったとて彼女が大切な存在であることには変わりが無かったからだ。
「終ったわね」
「ええ。もう日が沈むから……花火があるそうよ。マリエ……魔女はどうするの?」
 魔女はくるりと振り向いてから「どうしましょうね」と呟いた。普段よりも楽しげな様子である彼女への違和感は思った以上に人当たりが良いとセレナが改めて感じたからだろうか。
 暴れる事も無く、何らかの事件が起きることもない。夏を満喫している様子であった彼女がビーチをゆっくりと歩いて行く。
 セレナは何となくその背中を追掛けた。今の彼女を一人にしてしまいたくは無かったからだ。マリエッタが「どうして出てくるんですか」と苛立ったように呟いた声が聞こえた。魔女とマリエッタは普段から喧々囂々とやり合うことがあるのだ。その様子が妙におかしくて、ああ何時もの彼女だとセレナは安心できる。
「どうして、だなんて……長らく出てくる事が無かったからでしょう? いいじゃない、夏を楽しんだって」
「だからって勝手に」
「だから――『いいじゃない』の。ね、いいわよね」
 突然振り返って同意を求められたセレナは「ええっと」とまごついた。どう答えるべきなのかが浮かばなかったからだ。
「綺麗な夕日ね。そうは思わない?」
「え、そ、そうね。でも、少し寂しいわ。日が沈んで、終ってしまうようだもの」
 セレナはゆっくりと俯いた。夜が来たら、全てが静まり返ってしまう。もう少し遊んでいたいと乞えども、時は流れれば眠りの時がやってくるのだ。
 そんな彼女の横顔を眺めてから魔女は「寂しい、ね。ええ、そうだね。太陽は生命そのものと捉えられることがあるわ」とそう言った。
「陽が昇る事を生誕を意味し、沈み行く事と夜を夜だと定義することがある。これが命の終わりだというなら、なんて呆気ないのでしょうね。
 ……そう。だから、私は死を厭うて居るのかもしれないわ。50年余りもの間、老いと死を遠ざけようとしてきたのだもの」
「……え?」
 セレナはマリエッタを眺めた。今、何と――「50年……?」
 マリエッタの瞳がすうと細められた。まるでセレナの惑いを見透かすような気配である。魔女だ。その姿が幾ら姉妹そのものであっても、魔女が表面上で話していることが分かる。
「気になる?」
「……気にならないと言ったら嘘だわ。だって『50年』だもの」
 セレナはおずおずと唇を動かした。眼前の女の笑みは深く、そして底知れない。その感情の意味合いされも察することが出来ずにセレナがごくりと唾を飲み込んだ。
「そもそも、死血の魔女とは何かと気にならなかった?」
「なるわ。けど……マリエッタが言いたくないことは私は聞きたくないから」
「そう。けれど、今は『その先を教えて欲しい』って顔をして居る」
「意地悪ね」
 セレナは唇を尖らせる。もう断片的に聞いてしまったのだから、それを見て見ぬ振りなど出来るわけがない。
 彼女が教えてくれるのであればセレナは聞きたかった。無理矢理聞き出したいわけではない。敢て、マリエッタ自身が教えてくれるのであればとそう考えていたのだから。今は目の前に餌がぶら下げられているかのような状態だ。
「いいわよ」
 魔女の瞳が細められた。
「教えてあげる」
 誘うかのような言葉にセレナはごくりと唾を飲み込んでから頷いて見せた。
 死血の魔女とは今から50年余りもの過去にその悪名を広めた人物だと言われている。悪行を繰返したと語る者も居れば、気が狂った魔女だと誹る者も居るらしい。
 どちらにせよその評価を魔女は甘んじて受け入れる事にしている。何故ならば、『彼女が求める目的』の為には外聞など構っては居られないからだ。
「待って。なら、マリエッタは少なく見積もっても50歳以上ってこと……?」
「そうね。簡単に言えばそうなるわ。『マリエッタ』も気付いて居るわ。ねえ、そうでしょう? だって、『私達』は老人だもの。
 見た目は若いままに保っていられても肉体の機能全てをそうであるようには出来ない。だからこそ、この身体を動かすためには魔力が必要だった筈だもの」
 その違和感を覚えてから、マリエッタは自らの身体や本来の在り方について調べたことだろう。肉体は魔力の補佐がなくては動かせず、長年の研究で見た目だけでも若い女のそれになっていようとも老人そのものの肉体は日々の戦いで大きな負荷が掛かっていたからだ。
「それに生物というのは案外、賢く出来ているのよ。自らの命の終わりを、その気配を感じることが出来る。
 この外見をしていたって私は寿命の近い老人だもの。外見は若々しく保てても、それは美を求めただけにすぎないわ。真の不老不死でないの」
「待って、待って」
 セレナは頭を抱えてから息を吐いた。「もうすぐ、マリエッタは死んじゃうの?」と震える声を絞り差したセレナにマリエッタの唇が吊り上がった。
 それがどちらの『マリエッタ』であるのかをセレナは分からずに居る。それでも、だ。
「だから、言えなかったのです」
 マリエッタだ、とセレナは顔を上げた。何時ものマリエッタが悲しげに目を細めている。「あ、ちがう」とセレナは慌てた様に言葉を吐出した。
「違うわ。混乱しただけ……むしろ、聞けて良かったと思ってる。だから、教えてくれて有り難う。
 でも何だか納得できたわ。機械が苦手なところとか、なんだかおばあちゃんっぽかったし」
「セレナさん!」
 少し拗ねた様子のマリエッタにセレナはくすくすと笑った。老人扱いされるのは心外だと唇を尖らせた彼女は「身体はそうでも心は若いつもりなんですよ」とぼやいた。
「ふふ、だって、魔女とマリエッタは違うものね」
「……ええ」
 マリエッタは目を伏せてから小さく息を吐いた。セレナの表情をチラ見してから、心がざわめいたのだ。
 マリエッタは死んじゃうの――? その言葉を呟いたときの彼女の表情はなんと痛ましいことか。その顔を見たくなかったからこそ直隠しにして居たのに。
 魔女め、と恨む気持ちはあれど識られてしまったのであれば此処から誤魔化すこと何て出来ようもない。
「……あ、の」
 セレナはざらりと唇を動かした。確かにショックではあった。感情的に「教えてくれて有り難う」とジョークを言うだけの余裕があったことを褒めて欲しい。本当は頭の中も、心の中も掻き回されてまとまりさえないのだ。
(……マリエッタが、死んじゃうかもしれない……私なんかよりずっと早く……)
 ずっと一緒だと思っていた。姉妹だと手を繋ぎ、微笑みながら冒険の旅を続けるのだと。セレナが考えて居た『ずっと』という展望が打ち砕かれたような気がしたのだ。
 夕焼けに伸びた影を見下ろしてからセレナは唇を一度引き結んでから歯を噛み合わせた。泣き出しそうだ。ここで泣けばマリエッタが傷付くと分かって居るからこそ堪えて居る。
「マリエッタ。一つだけ、聞いても良い?」
「はい」
 彼女がおばあちゃんだったとしても、その過去がどの様な悪行を熟してきたとしても。なんだって受け入れられるけれど――あなたが居なくなることだけが何よりも辛い。
 こんな思いを抱く事になることをマリエッタは知っていただろうから。セレナは敢て聞いておかねばならない。
 優しい彼女の真意を。
「マリエッタは、どうしてこの事を隠したかったの?」
「それ、は……心配を掛けると思っていたからです」
「勿論心配はするわ。それは当たり前のことだもの。けれど、それも嫌なんだとしたら……」
 マリエッタをまじまじと見詰めてからセレナはすう、と息を吐いた。
「おばあちゃんとして皆さんに扱われるのも良い心地でも無いですし、今の私は若いつもりと言ったでしょう? ですから、秘密にして置いて欲しいんです」
「うん。うん」
 セレナは噛み締めるように頷いた。貴女を心配する特権を貰ったような気がしたのだ。
 魔女を恨むマリエッタに、魔女に少しの感謝を為ながら微笑んだセレナ。対照的な思いを抱いて、何方も告白を抱え続ける。
「安心して、マリエッタ。この事は誰にも話さないから」
「セレナさん……」
「マリエッタが言いたくないことは私も言わない。
 だから、魔女。それまで魔女の『マリエッタ』も、他の人に話しちゃダメよ!」
 幼子を叱り付けるように言ったセレナに魔女はくすりと笑った。堂々としていて、臆する仕草も出さない。ずっと年上だと知っても変わらぬ振る舞いは魔女の目から見ても愛らしく見えたのだ。
「ええ、約束してあげるわ。『一応』ね」
「もう!」
 セレナが唇を尖らせば魔女の楽しげな声が聞こえる。セレナは「ほら、マリエッタ。ディナーの時間よ」と手を差し伸べた。
 伸びる影に夕焼けの目映さも去って行く気配がする。その手を重ねてからマリエッタは「ええ」と微笑んだ。

 ――魔女。世界の理に抗うように不老と不死を求め足掻いた貴女。貴女の気持ちが今は分かって仕舞うのだ。
 マリエッタは多くの約束と、果たすべき事を抱えてきた。それに、一緒に居たいと願う相手が出来てしまった。
 大切だと抱き締めていたいぬくもりが、その腕に収まりきるのかさえも分からない。『大切』を作りすぎてしまったのだ。
(ああ、だからこそ――私は貴女魔女の夢に手を貸してしまうのでしょうね。
 ……死さえも血を以って超越する魔女と同じ夢を抱いたがゆえにこうして同じ夜の下にいるのでしょうか)
 波の音色に耳を傾けながら、マリエッタは独り言ちる。
「何か言った?」と振り向いたセレナに「いいえ、何も。お腹が空きましたね」と何時も通りの顔をしてマリエッタは笑って見せた。


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