SS詳細
葬送の日。或いは、美少年と美少女と、それからプリン…。
登場人物一覧
●英雄の死
英雄の帰還は、ひどく陰鬱としたものだった。
誰もが涙し、嗚咽を零した。
それから、彼女の……咲花・百合子の死は瞬く間に美少女領全域に広まって、あっという間に葬儀の準備が整えられた。
人は死ぬ。
生きている限り、永遠なんてものはあり得ない。
そもそも、今日1日を生きたということは、死へと1日近づくということなのだ。で、あるならば“人は死ぬために生きている”と言う考え方もできるだろう。
だから、人の死を悲しむことは無い。
死を悼むことは構わない。涙を流すのもいいだろう。
だが、いつまでも悲しみ、泣き続けるのは愚かだと断言できる。
人も所詮は動物で、世界の部品の1つに過ぎない。巡り合わせ、幸運、不運、運命、天命、呼び方は何だって構わない。今回は咲花・百合子の番だったというだけのこと。
明日は別の誰かが死ぬ。明後日にはまた別の誰かが……。
そうして世界は巡っていくのだ。
なんて……。
「そんな風に思える奴ばかりじゃないさ」
暗いチャペルの片隅で、セレマ オード クロウリー (p3p007790)は誰にともなくそう告げた。
花畑が広がっている。
美少女領に咲き誇る、白い百合の花畑には大勢の人が集まっていた。美少女道場の門下生を中心に、美少女領の各地から集まって来た領民たちだ。
言葉は無い。
時折、すすり泣くような声が聞こえる。
集まった人々の表情は様々だ。目を赤くして悲しみに暮れる者、堪えきれない怒りに握り絞めた拳を震わせている者、これから先の生活を不安に思い顔色を悪くしている者、それから感情なんて全部抜け落ちてしまったかのように茫然としている者……。
「結局、よく分からない人だったよな……」
「あぁ、でも強かったよな。鬼神って言うのは、あの人のためにある言葉だよ」
「よく分からないし、偉く強いしで近寄り難かったけどな。あぁ、でも結婚してからは親しみやすくなったよ」
「あんな風に強い人でも……死んじまうんだなぁ」
声を潜めて美少女領の領民たちが言葉を交わす。
生前の百合子は、あまり積極的に領民たちと交流してこなかったようだ。それでも多くの人が美少女領に暮らしているのは、百合子の強さに由来する。百合子であれば、自分たちの生活を、魔物や盗賊などの外敵から守ってくれるという信用があったからだ。
信用であり、信頼では無かったけれど。
それでも、百合子は百合子なりに領主の務めを果たしていたように思う。
だから、百合子が死んだ今、領民たちは不安なのだ。これからは誰が自分たちを守ってくれるのか、と。
不安なのは、きっと領民たちだけじゃない。
百合子と言う絶対的な支柱を失った美少女道場の門下生たちも、顔には出さないが皆、多かれ少なかれ、不安な気持ちを抱いているに違いない。
「あの人の背中は大きすぎましたね」
領民たちの会話に耳を傾けて咲花・百合華 (p3p011239)が言葉を零す。
「…………あぁ」
マッチョ ☆ プリン(p3p008503)の反応は鈍い。
百合華はそっとマッチョ ☆ プリンの肩に手を添えた。いつも通りの恰好で、花畑に立つプリンの様子は異様の一言に尽きる。
だが、誰もそれを指摘しない。
マッチョ☆プリンが悲しみの渦中にいることは、誰の目にも明らかだったからだ。美少女領に住む者であれば、誰もがマッチョ☆プリンを知っている。会話を交わしたことはなくとも、百合子と一緒に何かしている光景を1度や2度は見たことがある。
きっと“友達”だったのだろう。
“友達”の死を悲しむプリンを、いったい誰が責められるだろうか。
●墓標の名前
晴れやかな、雲ひとつも無い空がある。
夏の風が、白百合の花を揺らしている。
喪服に身を包んだ百合華は、墓標の前に歩み出ると手にした一輪の花を供えた。白い百合の花だ。結婚式の日には終ぞ渡すことが叶わなかったが、やはり百合子には白百合が似合う。
「美少女領のことは任せてください」
墓標へ向けて、囁くようにそう告げた。
その声が百合子の耳に届いているとは思わない。墓標は所詮、ただの目印だ。“かつて生き、そして死んだ者がいた”ということを、遺された者たちに伝えるためだけに存在している目印。
そこに百合子はいない。
墓標も、葬儀も、結局のところそれらは“遺された者”のために存在する。
死して屍拾う者なし。
“美少女”であれば、誰もが胸に刻む言葉だ。当然、誰よりも“美少女”であり続け、数多の“美少女”の模範であった百合子がその言葉を知らないはずは無いし、百合子とて覚悟の上で戦いに臨んだはずである。
むしろ“美少女”であるならば、百合子の死に様を“誉れ”と称えるのが筋では無いか、とそんな考えも脳裏をよぎる。
けれど葬儀を行うことにも、墓を建てることにも、百合華は反対しなかった。
あまねくすべての人々が“美少女”らしく生きられるわけでは無いと知っているから。或いは、“美少女”であってさえ時には曇ることもある。己の弱さに狂い悩み、闇に堕ちることがある。他ならぬ百合華がそうだったから。
咲花・百合子は眩しかった。
眩しすぎた。
閃光のように生き、駆け抜け、そして死んでしまった。
誰もが彼女の背中を追いかけ、魅了されていた。心の中の大部分を占めていた、とても大きく、眩しい存在が消えてしまった今、きっと誰もの心の中には夜が訪れていることだろう。
闇の深い、寒い夜だ。
けれど、夜はいつか明ける。
「もう、迷いはありません。後のことは任せてください」
そこに百合子がいないと知っていながら、百合華は言葉を紡いだ。百合子に聞かせるため、ではなく、己の心に誓うために。
死した百合子に誓うのだ。
吐いた言葉を、違えることは絶対に出来ない。
「……」
それから百合華は墓石に背を向け、視線をプリンの方へと向けた。
百合子の葬儀は静かに、粛々と進行し、終わった。
喪主であるセレマはその様子を、ただ黙って見守っていた。見たところ、普段通りのようにも思える。少なくとも、セレマと付き合いの短い美少女領の者たちの目にはセレマが悲しんでいるようには見えなかっただろう。
「今日はボクの妻、咲花・百合子の葬儀に足を運んでくれてありがとう。葬儀は終わった。美少女領の今後については追って通達を出すので、しばらくはいつも通りの生活を送ってくれ」
葬儀の締めとなる挨拶は、以上のようなあっさりとしたものだった。
死者のために使う時間はもう終わる。
後は、美少女領を解体し、ゴミは処分し、使えるものは持ち帰る。それで、百合子との関係も終わりだ。
まったく、薄情な奴だ、と自身を省みて自嘲する。
1人、2人と帰っていく弔問者たちを見送りながら、セレマは笑う。
笑うことが許されない場だということは理解しているが、それでも笑った。
だいたい、百合子が悪いのだ。あれほどの脅威に挑んだのだから、命を落とすのも仕方が無い。戦果を考えれば、人の身に余るほどの偉業と呼べるだろう。
それこそ、神話に出てくるような傑物の所業。
あれほどまでに自分のことを“好きだ”とか“幸福を共に”など戯言を宣いながらこの結末、この有様。美味しいところだけを掻っ攫って、後に残る面倒ごとは全てセレマに押し付けた。
言葉は嘘を吐ける。
行動は誤魔化せる。
だが、事実のみはどうにもできない。偽ることは出来ない。
つまり“”百合子はセレマの傍に居る幸福よりも、あの一瞬の勝利を優先した”という結果だけが真実だ。
情による関係は確かにある。だが、それは結局、より強い情に絆され覆される。セレマが過去に何度も見て来た、体験して来た“世界の真理”だ。
百合子とて例外ではない。
「いや……1つの事実として見ても“最強の竜に勝つ”ことが価値ある行為であることは明白だ」
誰にも聞こえないように、セレマはそう呟いた。
それから、そっと真新しい墓石に手を触れる。百合の花のレリーフが刻まれた真白い墓石には、百合子の最後の戦いについてが記されている。
まるで英雄譚の一幕だ。
彼女は、歴史に刻まれるような伝説の存在に成ったのだ。
それを良しとするか否かは……百合子にしか決められない。決める権利は百合子以外に持っていない。
「するとここにいる馬鹿全員、お前の戯言に騙された形になる訳か?」
そうだとすれば大したものだ。
武力は言うに及ばず、頭のなかなか回るらしい。過去にセレマをこれほどまでに躍らせた者など、数えるほどにしかいないのだから。
「大した詐欺師だな」
最後の1人が花畑を後にした。
これで、百合子の葬式も終わりだ。
終わらせなければ、新しく何も始められない。
自問自答の迷宮は終わらない。
繰り返し思い出すのは、ここ3年間の記憶ばかりだ。
ぐるぐると、頭の中を記憶が巡る。それでいて、考えが纏まらない。百合子の戦う姿を、その背中を、その笑顔を思い出せる。
忘れられるはずもない。百合子は友達だ。初めて出来た、そして唯一の友達だ。
百合子と肩を並べて戦ったこともあるし、百合子の背中を追いかけたこともある。百合子を庇うように、この大きな身体を盾としたこともある。
戦いばかりの大変な日々だった。
けれど、辛かった記憶はあまりない。百合子が引っ張ってくれたから、支えてくれたから。その存在の大きさは、失って初めて実感できる。
そうだ、失ったのだ。
目の前にあるのは、真新しい墓標だけ。
百合子はいない。笑いかけてもくれない。手を差し伸べてもくれない。
彼女はいない。どこにもいない。
死んでしまった。
死ぬ……とは、何だ。否、死ぬという概念は理解している。人はいずれ死ぬものだというのも知っている。
だが、百合子がいなくなってしまうなんて、ちっとも思っていなかった。
瞬きをすれば、百合子が死んだなんてのは嘘で、皆で自分を揶揄っているだけで、そのことを知った自分は「ヨクモ騙シタナ!」なんて言って、皆を追いかけ回すのだ。
そうであったら、どんなに良かっただろうか。
暗い部屋で1人、何度も何度も、そんなことを考えた。妄想の海に身を浸し、現実を直視しないで済むよう、必死に目を逸らし続けた。
百合子の訃報を耳にしてから、どれだけの日数が過ぎただろうか。
覚えていない。数えていない。
時間が止まっているようだ。
百合子の訃報を聞いた時から、今まで、ずっと……。
百合華が部屋を訪れて、百合子の葬式に連れて来られた時は「なんて惨いことをするのだ」と思ったものだ。怒りに任せて暴れ回ってやろうか、なんてらしくない考えが脳裏をよぎった。
惨いのは、果たして百合華か、自分か。
命を賭けて戦い抜いて、命を散らし戦果を挙げた友人に、何の言葉も投げかけてやれない。そんな惨い真似をしているのは誰だ?
「これを」
短い言葉が投げかけられた。
手渡されたのは一輪の白百合。手渡したのは百合華だ。
百合華は笑っている。
悲しそうに、笑っている。
「ドウシテ笑エル?」
辛くは無いのか……そんな言葉が喉元まで出かかって、飲み込んだ。
辛くないわけがない。
セレマと百合子の結婚式の日、プリンと百合華は拳を交えた。プリンの鋼の肉体を殴打し、裂けた拳で、血塗れの拳で、それでも百合華は戦うことを止めなかった。
百合華が、彼女のことを大切に思っていたことは確実だ。その想いに嘘偽りはない。百合華が百合子に向ける大きな想いを否定することは、嘲笑うことは、拳を交えたマッチョ☆プリンが許さない。
百合華だって、辛いのだ。
悲しいのだ。泣きたいのだ。喚きたいのだ。世界を呪い、己の無力さを嘆き、慟哭する権利が彼女にはある。
だが、百合華はそれをしなかった。
セレマも同じだ。
じっと墓標の傍に立ち、こちらの様子を窺っているセレマの顔を一瞥する。悲しんでいる風には見えない。セレマ……百合子の夫となった者。吹けば消える蝋燭の火のように弱く、けれど弱くない不可思議な存在。
「百合子はもういない」
そんなセレマが、そう言った。
淡々とした声で、口調で。
プリンには、セレマが自分の感情を必死に押し殺しているように思えた。
「自分の妄想に耽溺するのはさぞ気持ちいいだろうな。死者に取り憑かれて、自分で立って進むことも辞めるか……それもいい。その脚は飾りだったのだな」
「セレマさん……そんな言い草は無いでしょう」
怒りの滲む声音で、百合華がセレマの言葉を遮る。セレマは鼻を小さく鳴らして視線を逸らした。
百合華がセレマの方へと向かう。
固く握り絞められた百合華の拳を、マッチョ☆プリンがそっと掴んだ。
百合子は死んだ。
もういない。
それが現実だ。変えようもない現実だ。
だから、セレマの言うことは正しい。百合華が怒ってくれたことには感謝するが、それでもセレマの言い分は正しい。
「不器用ナ奴ダ」
少しだけ、セレマのことを“理解”できた気がする。
百合子がよく言っていた。「あいつは面倒くさい奴なんだ」と、呆れたように、少しだけ楽しそうに笑っていた理由が理解った気がする。
受けとった白百合を握り絞め、プリンは脚を踏み出した。
脚が震える。
前へ進むのが怖かった。
1歩ずつ踏み締めるように前へと進み、やっとのことで百合子の墓標の前に立った。
墓標には、百合子の名前が刻まれている。
この時、初めて、プリンは分かった。
百合子の死を、正しく、本当に理解した。
マッチョ☆プリンが泣いている。
まるで幼い子供のように、百合子の墓標に縋りついて泣いている。
これは儀式だ。
マッチョ☆プリンという存在が、1人で立ち上がり、歩き始めるための儀式だ。
神性な儀式であるならば、余人が汚すわけにはいかない。そう考えて、セレマは少しの間だけ、墓標の傍から離れることにした。
「何か用事か?」
だというのに、後から百合華がついて来る。気に入らない女だ。百合華の方もきっと同じ思いを抱いているだろう。
「少し、話を……美少女領をどうするつもりでしょうか?」
「どうって、決まっているだろう。ボクには必要のないものだ。解体して、売れるものは売って、使えるものは回収して、それで終わりだ」
文句があるか、とそう言った。まっすぐに百合華の目を見つめながら断言した。
百合華は、セレマの答えをまるで分かっていたかのような顔をして、言葉を返す。
「でしたら、私に売ってはもらえませんか? 相応のお代はお支払いしますし、今後の面倒な手続きなどもすべて私の方へ受け持ちます」
悪い話ではないでしょう?
なんて、悪い顔をして百合華は言う。
演技だ。悪い顔は造り物だ。策士を気取るにはまだまだ甘いとセレマは評価する。
「いいだろう。4対6……領地の収入の話だが、ボクが4でそっちが6だ」
「5対5でも、構いませんが?」
美少女領は百合子の遺した物である。
セレマの予想では、百合華はその全てか、8割以上を自分で管理したいと考えているものと思っていた。だが、あろうことか百合華は“半分ずつ”を提案したのだ。
思わず、セレマは目を見開いた。
目を見開いて、己の未熟さを恥じた。百合華の目に“してやったり”と言う感情が滲んでいたからだ。動揺を悟られた。忘れていたが、百合華も彼女と同じ“美少女”だ。常人とは比べものにならない、比べるのもおこがましいほどに動体視力に優れている。
思わず、舌打ちを零した。
「4対6でいい。だが、この花畑は共同管理だ。それだけは譲れない」
一体、どれだけの間、マッチョ☆プリンは泣いていただろうか。
蹲って、泣いて、喚いて、吠えて、地面を拳で叩きつけて、まるで子供の癇癪だ。母を失い、嘆く幼子の有様だ。
けれど、今だけは許してほしい。
亡き友を想い、涙を流すことを許してほしい。
「何ガマッチョダ……何ガプリンダ」
己の無知と妄信を悟った。
大切な人が死んではじめて、プリンは自分の現状を直視した。これまで、自分は強いと思っていた。何者にも負けるはずは無いと思っていた。
だが、それは間違いだ。
自分は決して、強くなかった。
ともすると、百合子はそれを知っていながら、プリンを支えてくれていたのではないか。今になってそう思う。
当の本人はもういないから、直接、問うことは出来ないが。
「だったらボクは“美少年”だな」
「……私も“美少女”ですよ」
背後で、優しい声がする。
「オレハ……オレ達ハ無力ダ」
やっとのことで、その一言を絞りだす。
だったらどうする? と、誰かが問うた。
その声は百合子のものに似ていた気がする。
「強クナルシカ無イダロウ」
他に選択肢があるか?
否、あるはずがない。
彼女がそうであったように、強く無ければ己の意思の1つさえも貫けない。
その日、咲花・百合子が死んだ。
英雄でも、“美少女”でも無い咲花・百合子がこの世を去った。
誰よりも鮮烈に、誰よりも眩しく、誰よりも真っすぐに生きた1人の少女は、こうしてこの世を去ったのだ。