PandoraPartyProject

SS詳細

大切な想い

登場人物一覧

天香・遮那(p3n000179)
琥珀薫風
鹿ノ子(p3p007279)
琥珀のとなり

 燦々と照りつける太陽が少しずつ傾く昼下がり。目の前には美しい碧海が広がり波の音が聞こえてくる。
 遮那はパラソルの下で、まだ波が自分の身体を揺らす感覚に呆けていた。
「鹿ノ子も感じるか? この波の揺れのようなもの」
 隣に座る鹿ノ子へ顔を向ける遮那。きょとんとした顔がすぐに笑みに変わる。
「はい。僕も同じように揺れてます」
 海から上がったというのに、身体が波にさらわれるような奇妙な感覚を共有するのは何だか楽しかった。
 夏の暑さが砂浜から上がってくるようで、鹿ノ子は冷たいジュースを飲みながら思考の波を揺蕩う。

 あの日出会った少年は、お屋敷を抜け出し好奇心に目を輝かせていた。
 年頃が近いと感じた鹿ノ子は、友達になれたらいいなと純粋に思ったのだ。
 まだ恋心など抱いていない柔らかな親愛を持っていたように思う。
 重ねた言葉は沢山あって、そのたびに好きになっていった。
 悪い夢を見るという遮那と自分の共通点を知り、力になりたいと思ったのだ。
 ――離れていても心は傍に居る。
 そう約束したあの日から、ずっと恋い焦がれている。

「遮那さんは随分と大人っぽくなりしたねぇ。これでは僕の方が年下に見えてしまいますね」
「確かに、背は伸びたかの……」
 手を伸ばした遮那は鹿ノ子が飲んでいたジュースに口をつけた。
 いつもなら「飲んでいいか?」と聞いてくる遮那が、何も言わず鹿ノ子と同じストローを使っている。
 鹿ノ子は何だかその行為が独占欲のように見えて頬を赤くした。
 遮那はそんなつもりなど無いはずなのに。期待してしまうのだ。
「ああ、このジュースは美味いな」
「えと……パインなどのフルーツを何種類か入れて氷と一緒に砕いているんです」
 なるほどと頷いた遮那は鹿ノ子へとジュースを戻す。
 見上げれば、視線がどこか泳いでいるような気がした。
 琥珀色の瞳は不自然に鹿ノ子の背後へと向けられている。
 しかもじっと見る訳では無い。見たいけど見てはいけない、けれど気になるといった感じだ。
 こういった所は、まだまだ子供なのだと鹿ノ子は目を細める。
「遮那さん……さっきから視線が泳いでいませんか?」
「えっ……そ、そうか?」
 びっくりした顔で鹿ノ子を見つめる遮那。
「ひょっとして……尻尾、気になってます?」
「いやいやいや、そんなことはない。鹿ノ子は可愛いなと思ってただけで、その……」
 鹿ノ子はトナカイのブルーブラットだ。小さな角と短い尻尾が生えている。
 普段は服に隠れて分からないが、水着になるとそれがよく見えた。
 初めて見たときは鹿ノ子の背に毛虫がついていると勘違いし、慌てて取り払おうとしたものだ。
 そのときから、遮那は鹿ノ子の尻尾が気になっている。

「ぼ、僕は遮那さんをお慕いしています!」
 鹿ノ子は顔を真っ赤にして遮那の手を取った。恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
「だから、その、触れたいと思いますし、触れてほしいと、思うことだってあります!」
「な、鹿ノ子……」
 鹿ノ子の言葉に遮那もつられて頬を染める。
 記憶を失う前も、記憶を取り戻した後だって寝床を共にしたこともあるのだ。
 何を今更と鹿ノ子は心の中で羞恥を否定する。それでも、あの時と今とでは心構えが違うのだ。
 ――女として見て欲しい。そう言っているのだ。恥ずかしくないわけがない。
「だ、だから……遮那さんになら、嫌じゃないです。
 むしろ、そう思ってくださっているなら……嬉しい、です」
 好きだからこそ触れて欲しい。大好きだからその熱を感じたい。
 遮那は紳士であるから、無闇に触れてくることはしないだろうと鹿ノ子は瞳を上げる。
 鹿ノ子とて無理に触れて欲しいわけでは無いのだ。
 けれど、遮那に触れたいという気持ちが少しでもあるなら、嬉しいと思ってしまうのだ。

「遮那さんだけです。遮那さんにだけ、なんですからね」
「…………」
「……あっでも、僕の思い違いだったらすみません! だとしたらなんて破廉恥なことを!」
 じっと見つめるばかりで触れてこない遮那に、鹿ノ子は耐えきれず目を瞑る。
 触れて欲しいだなんて、恥ずかしいことを言ってしまった。
 そもそも遮那はまだ恋愛の自覚もあやふやな少年の心を持っているのではなかったか。
 本来なら遊び呆けても許されるような時期を、学びや訓練や政に費やしているのだ。
 無理をしていないだろうかと心配していたはずなのに。
「わ、忘れてください……! あ、で、でも、嘘じゃないんです! 嘘じゃないですけど」
「忘れていいのか?」
 そっと鹿ノ子の手を握り返した遮那は、琥珀の瞳で問いかける。
「鹿ノ子が触れていいと、言ってくれたから。私は触りたいと思った。でも、忘れてほしいと言う」
 悪戯な笑みが鹿ノ子の顔を覗き込んだ。鹿ノ子は耳まで真っ赤になり瞳を伏せる。
「…………恥ずかしいので、忘れてください……」
「ふふ、其方は可愛いのう」
 伸ばされた手が鹿ノ子の背後に回り込んだ。尻尾の先に、ちょんと触れた遮那の指。
「しゃ、遮那さん!」
「私は尻尾を持って無いからな、どんな感じなのかは気になる。私の翼を触った時と同じなのかの?」
 遮那は鹿ノ子を覆い隠すように翼を広げる。
 背が高くなったように、遮那の黒艶の翼も大きくなっていた。小さな鹿ノ子など逃がさぬほどに。
 遮那は鹿ノ子を覆い隠したまま、自分の膝の上に乗せる。

 鹿ノ子は遮那の翼の隙間から夕焼けの色彩が差しているのを見つけた。
 もうそんなに時間が経ってしまったのか。
 間近にある遮那の顔が楽しげで、時々触れられる尻尾が擽ったい。
 鹿ノ子は遮那と離れている時間の方が長い。イレギュラーズとして各国を飛び回っているのだ。
 だからこそ、月に一度は必ず彼を外に連れ出す。
 せめて、その一日だけでも仕事のことを忘れられるように。
 天香の当主ではなく、遮那という一人の男性として過ごしてくれたらいいと鹿ノ子は思い、欠かさず彼を誘い続けていたし、これからも続けていくつもりだ。
「どんなに姿や立場が変わっても、僕は遮那さんがすきです。そして豊穣がすきです。いつかは此処に移り住みたいですし、骨を埋めるならこの国がいいです。……まだまだ先の話ですが」
 鹿ノ子は遮那の瞳を真っ直ぐに見つめ、言葉を紡ぐ。
「僕はずっとお傍におります。夏が来るたび想いは募るけれど……あなたが答えをくださるまで、ずっとお傍でお待ちしています。ずっと、ずっとです。お婆さんになっても、ずっとです!」
 真剣な言葉に、遮那は琥珀の瞳を細める。

 ――――
 ――

 鹿ノ子と出会ったのはまだ何も背負っていない子供だった頃だ。
 海の向こうの世界を教えてくれたのが鹿ノ子だ。
 興味深い話と相まって花火のように鮮烈で美しい彼女に、幼心は憧れたのだろう。
 まだその時は、楽しい話しをしてくれる『お姉さん』だったように思う。
 それが、愛おしく思うようになったのは、いつからだっただろう。
 はじめは他国の知識をくれる鹿ノ子に、ただ驚くばかりだった。
 知りたいという欲求が勝っていたし、高揚感や多幸感に溢れ、ただ楽しい日々だった。

 けれど、この地で起った大戦で自分の周囲の環境は激変した。
 沢山の人を傷つけてしまったし、失ったものも多かった。
 気丈に振る舞わねばならないと己に課した自分が、涙をこぼしたのは鹿ノ子の前だけだった。
 鹿ノ子の弱さを知っていたし、許して貰えると思ってしまったのだ。
 それは甘えであり、信頼でもあっただろう。

 だから、置いて行かれるとなったとき。
 悲しみと怒りが勝ってしまった。期待していたのだ。
 鹿ノ子はずっと隣に居ると信じていた。
 けれど、この手を離して鹿ノ子は姿を消した。
 生活に支障が出なかったといえば嘘になる。
 寝るのが怖くなったし、食事もままならなくなった。物思いに更け心配されることもあった。
 それだけ鹿ノ子は自分の中で大きな存在になっていたのだ。

 隣に居てくれることが幸せであると、心にじんと染み渡る。
「鹿ノ子……私は其方の事が好きだ。愛しておるぞ」
 言葉にすることで鹿ノ子が安心できるというのなら、いくらだって伝えよう。
 今までも幾度となく、大切であると伝えた気がするのだが。どうも伝わっている気がしなかった。
 これは鹿ノ子の自信のなさから来るものなのかもしれない。
 自分なんかと、諦める言葉を耳にしたことがある。
 言葉が足りなかったかと、悩んでしまうが。そういう性分も全部ひっくるめて好きなのだ。
「私は鹿ノ子が好きなのだ。だから、鹿ノ子はもっと私を信じてはくれぬか?」
「遮那さん……」
 火照る彼女の頬に指を這わす。
 言葉で足らぬのなら行動で示せば分かってくれるだろうか。
「其方が思うほど、私ももう子供ではないよ」

 本当の意味で恋焦がれるという感情は分からないのかもしれない。
 けれど、好きで大切だと思う気持ちに偽りは無い。
 単純で純粋な感情だけではない。自分のものだという独占欲もある。
 この気持ちを簡単に形容できるのなら、きっともっと子供でいられた。
 順当に登って行く階段を飛ばしてしまったが故の不器用さでもある。
 子供と大人の境界線で、曖昧なまま進んできた。
 それでも、一つだけ変わらないものがある。
 鹿ノ子が好きだという気持ちは本当だから。

 夕焼けの明りさえ遮るように、深く翼の中に閉じ込める。
 誰にも見えない暗い黒翼に覆われて鹿ノ子は瞳を伏せた。
 初めて唇に触れる鹿ノ子の熱は柔らかくて、少しだけ甘かった。

 この先も共に歩み、生きて行く。
 隣に鹿ノ子が居てくれる。それが一つの幸せの形であると思うのだ。



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