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店主は嘆く、フォークは踊る
登場人物一覧
その看板を見つけたのは、或いは運命の神様の悪戯だったのかもしれない。
『大食いチャレンジ受付中 高級肉ステーキセット1キログラム、20分以内に完食したら代金無料&賞金3,000ゴールド!』。
「最高じゃないっすか! すみませーん、大食いチャレンジ挑戦しまーす!」
そう元気よく言いながら、『シルクインクルージョン』ジル・チタニイット(p3p000943) は店内に駆け込んだ。
ステーキ店の店主は、そんなジルの病的なくらいに細身な身体を見て、明らかに鼻で笑った。絶対に食べきれやしないと。
しかしジルの熱意に根負けし、挑戦を快諾。二人掛けのテーブルにジルが腰掛けるや、厨房から牛肉が鉄板で焼かれる、ジュワァといういい音と、鮮烈な香りが席までやって来た。
その脂の爆ぜる音、上質な肉が焼かれる香ばしい香りが、ジルの五感を刺激する。
いけない、この音と香りだけでお腹の虫が早く食わせろと悲鳴を上げている。
そうしてジルがお腹を押さえた時に、厨房の扉が開く。そうして店主が持って来たのは、ミディアムレアに焼かれた最高級のステーキ肉、それがカットされて皿の上に山盛りにされている。適度にサシが入って、表面が解け出た脂でてらてらと輝いていた。
それだけではない。付け合わせのライスも大盛り。サラダも山盛り。スープなんて丼に入って持って来られている。
しかし見ただけで分かる、それらも確実に美味しい。米粒が立っているライスも、瑞々しいレタスが輝くサラダも。
それら全てをテーブルの上に置きながら、店主は嗤った。
「言っておくが、ステーキ肉だけ完食してもチャレンジ成功にはならん。ステーキセットだからな。
ライス、サラダ、スープ、それらも全て完食して初めてチャレンジ成功だ。今なら、このセットの代金を払えば、キャンセルを受け付けるぜ?」
「何をバカな! やるっすよ!」
店主の物言いに、ジルは明らかに憤慨した。奮起したと言ってもいい。この店主の鼻をあかしてやりたくてたまらない。
しかして、店主が口角を持ち上げながら練達製の時計を手に取る。
「言ったな? よし……チャレンジ、スタート!」
カチリ、と音がして、時計の針が20から戻り始めた。
それから、十分も経たない頃のことである。
ジルの手にするフォークが、ステーキ肉の最後の一切れ、一番レアな部分と火の通った部分のバランスがいい肉を突き刺した。
まだまだ肉は冷めきっておらず、ほんのりと温かい。それがそのままジルの、あーんと開けられた口の中に吸い込まれて。
食めば食むほど甘みのある脂と旨味の溢れる肉を、ジルはまるで掃除機が埃を吸い込むかのように食べて、噛んで、飲み込んでいった。
サラダもライスも、既にニンジンの一切れ、米の一粒も残っていない。スープは丼の底に僅かばかり残っている程度。もう九割九分、ジルの胃袋に収まっている。
あまりにも圧倒的な、しかし決してがっつかない食べっぷりに、店主も店員も、店内の客も全員、ジルの食事風景に目を奪われていた。
何しろ、十分足らずの間、手も顎もピタリとも休まらないのだ。ステーキ肉なんて噛み続けていたら確実に顎が疲れるだろうに。
そして、肉の最後の一切れを飲み込んだジルの手が、黄金色をして表面に脂の浮かぶ、牛骨を煮込んだスープの丼に伸びて。
その丼を両手で持ち上げ、丼に口を付けるようにして、呷る。
最後の一滴まで飲み干したジルが、輝かんばかりの笑顔を見せて言った。
「あー、美味しかったー!」
その一言に、店主の口元が痙攣しながら持ち上がった。これは、完敗だ。
呆れたような表情で、皮袋に入れた3,000ゴールドをテーブルの上に置く。
「参った参った、チャレンジ成功だ。約束通り、これが賞金の――」
「あ、じゃあこの賞金から700ゴールド、抜いてもらえるっすか?」
「は?」
予想だにしないことを言いだすジルに、店主の表情が消えた。
何を、と問うよりも早く、ジルの指がテーブルの上、デザートメニューに伸びる。
「この、スペシャルチョコレートパフェ! これ持ってきてくださいっす!」
「はぁっ!?」
まだ、食べようというのか。しかもパフェを。スペシャルチョコレートパフェなど、ステーキをたらふく食べた後に食べるものではないというのに。
店主のエプロンの肩紐が、ずるりと落ちた。
結局、ジルは運ばれてきた高級チョコレートアイスが盛り盛りのパフェも瞬く間に完食して、店主に700ゴールドだけを支払って、皮袋片手に店の扉を開けた。
「ご馳走様っす。また食べに来るっすね!」
そう一言言って、笑顔を残して、店を出ていくジルの背中を、呆然と見つめる店主。
「面白い奴がいたもんだ……」
力なく笑いながらも、店主の瞳には確かに炎が宿っているのだった。