SS詳細
煩悶せし舞台劇
登場人物一覧
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その魔術師は他人の不幸を見るのが好きだった。
正確には他人が悲痛に塗れる姿を見るのが好きだった。
精神を嬲り、慟哭を堪能し、飽きたら次の標的を探しに行く。毎日がその繰り返し。
そんな己の趣味を魔術師は無害なものだと断じている。
ただ他人が苦しんでいる所が見たいだけで、魔種のように真剣に世界を滅ぼそうとしている訳ではない。ただの手段として人を殺し、村を滅ぼしているだけ。
それが仲間内では『ストーク』と呼ばれている変わり者の魔術師だった。
最近のストークにはお気に入りの青年がいる。ひと目見て気に入った、美しい鉄騎種の青年だ。
魂の基礎に淡い粉雪のような弱さや儚さが見える所がたまらなく魅力的。
力強く純粋な彼を虐めてやったら、どんな反応を返してくれるだろう。どんな反抗を見せてくれるのだろう。
――ガタン、と大きく幌馬車が揺れる。
「あの……ボクの顔に何かついていますか?」
黄金の瞳、全てを貫く宝石のような視線。
警戒心の強い相手をようやく連れ出せたと魔術師は高揚しているが表には出さない。代わりに無害な少年の笑顔をみせた。
「リュカシス様が静かだったので、馬車酔いをされたのかと心配いたしました。大丈夫ですか?」
リュカシス・ドーグドーグ・サリーシュガーはカラリとした笑顔をつくると、力こぶを握って見せた。
「これくらい、ヘっちゃらデス。頑丈なのがボクの取りえですから。静かだったのは、その……今から行くのがどんな遺跡か、想像していて」
「ああ、そうだったんですね」
リュカシスの敬語には薄らと緊張がにじんでいる。
少年が再び馬へと向き直るとリュカシスは愛想笑いを止め、再び思考の海へと潜りはじめた。
リュカシスへの指名依頼という形で飛び込んできた今回の依頼。
建前上は鉄帝で見つかった遺跡の調査という名目だがどうにも胡散臭い。
第一にリュカシスへの単独依頼であるという事。
遺跡を巡ることが好きなリュカシスは単身で遺跡に潜ることもある。けれどもそれはある程度資料や情報が揃っている遺跡に限ったことであり、完全に新発見の遺跡調査をする際は救出班も含めて複数名で向かう事が多い。
行先不明。依頼主に不利益を被る可能性があるため全容は秘密。聞き慣れた文言が今日はやけに引っかかる。
そして第二に隣に座るこの少年だ。歳の頃は十ばかりか。会った時から気味の悪い視線をリュカシスに向けているため落ち着かない。
「もうすぐですよ」
突如として切り立った鋭い崖が馬車の前に現れた。その砂鉄色の壁面には巨木のような六角の石柱が刻み込まれている。
「大きな遺跡デスね。なのに今まで見つからなかった?」
「ご覧の通り、ここは行き止まりですからね。普段は人も近寄りません。最近の大雨でこの辺りが崩れたとの報告があり調査の人間が入ったんです」
リュカシスは少年の言葉を確認するように視線を周囲に走らせた。
水を含んだ地盤の緩さや土砂の絡みついた草木。確かに大雨の形跡はあるが、人の訪れた形跡や足跡は見当たらないい。
「飛行種の方が見つけたらしいですよ。何でも鴉の飛行種だそうで」
「凄く目の良い人だったんだね」
朗らかに告げたリュカシスであったが、この少年に対しての警戒が強まるのを感じた。
此処にきて観察するような眼差しや、リュカシスを試すような物の言い方が増している。
これが罠だとしたら目的は? 何のためにボクを呼びだしたの?
「さあ、いきましょう」
「キミも入るの」
「ええ。報告しないといけませんから」
虎穴に入らずんば虎児を得ず。
問題があれば問題ごと打ち砕けば良いだけのこと。
リュカシスは覚悟を決めて遺跡の段差を登った。
「そういえばキミの名前を聞いてなかった」
社交的であると同時に警戒心の強いリュカシスが相手の名前を聞き忘れることなどあるだろうか。
リュカシスを知る者が此処にいれば疑問に思うだろう。本人ですら「どうして今まで聞かなかったんだろう」と僅かに混乱している。
「ストーク」
少年の手を握った瞬間、リュカシスは頭の中にカチリと鍵のかかる音を聞いた。
自分が此処へ何をしに来たのか。霞がかったように何も考えられない。
「そんな事はどうでもいいじゃない。それよりも中に入ろうよ、リュカシス」
足が勝手に動く。止まれという焦りも歩む毎に頭のなかから消えていく。
「どんなに強い人間でも、どんなに高潔な人間でも、精神が壊れたら別人のようになるんだ」
知ってるよとリュカシスは応えた。
「無意識でも喋れるんだね。精神が頑強なのか。それとも、それほど触れて欲しくない話題だったのか。どちらにせよ歓迎だ」
遺跡の奥から波の音が聞こえる。
これ以上は行きたくないとリュカシスは足を止めた。
「ダメダメ。あそこへ行って君の地獄を知らないと」
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リュカシスにとって海洋は特別な国だ。
目に痛いほどの太陽の光も蕩けるほど鮮やかな色彩も、雪降る夜の静けさに慣れた金色の瞳には眩しいばかり。
べたべたとした磯の香りが甘い南国の芳香と混じりあい、いつまでも肺から離れようとしない。
リュカシスが海洋を訪れることは極めて少ない。
その数多の理由を凝縮している場所こそ、この治療院だ。
青空に輪郭を残した漆喰の白壁はどこか天義の教会に似ている。優しいが潔癖で排他的だ。
開け放たれた窓からは白いカーテンが霞草のように揺れ、芝生では親子が愉し気なはしゃぎ声をあげている。
人里離れた場所に建つこの建物のことを、リュカシスは中身のない鳥かごのようだと思っている。
立派なのは見た目だけで、本当はとっくに臨終を迎えている。そんな淡い虚無が、薄布のように辺りに満ちていた。
リュカシスが実際に治療院を訪れたことはない。今までずっと避けてきた。
では、何故自分はこの場所にいるのだろうか。
子供と遊んでいた大柄な影が立ち上がりリュカシスの方を向いた。
遠目から見えた其の姿に、リュカシスの鼓動が歪な音を立てる。
「そんな筈ない」
怯える心の臓に手を当てながらリュカシスは自分に言い聞かせる。まるで優しい殻を張り巡らせるように言葉を全身の血液に溶かしていく。
けれども人影は消えない。
歩みを止めず近づいてくる其れ。
リュカシスは荒いだ息のまま逃げる事もしなかった。
「ちがう」
出来る事と言えば、繰り返し否定を口にする事だけ。
自分が今いる場所を否定し、自分に向かって歩みよる人影を否定し、怯える感情を否定した。
己を否定し視覚を否定しても、其れが消える事はなかった。
『……』
其れはリュカシスを見下ろしていた。月食のような影がリュカシスを塗潰す。
常人なら見上げるほどの巨躯。ラド・バウで名を馳せた闘士たちと遜色がないほどに屈強だ。
目の前の存在にリュカシスの戦闘的感覚が判断を下す。
勝てる。
力、体力、速度。どれを取ってもリュカシスの方が上だ。
リュカシスが本気で殴りかかれば目の前の人物を倒せる。
『……』
なのにリュカシスは目の前の人物に自分の名前を呼んで欲しいと願っていた。
怒声ではなく優しい声で呼んでほしいと祈っていた。
そして、そんな期待を捨てきれていなかった自分に幻滅していた。
ずっと会いたかった/会いたくなかったヒト。
ずっと憎んでた/愛してほしかったヒト。
「お、 」
自分が笑っているのか、泣いているのか。恐れているのか、怒っているのか。頭の中が、リュカシスの持つ全ての感情で塗りつぶされている。
意を決して、震える声で呼びかけた。
その答えは懐かしいものだった。
今でもリュカシスは鮮明に覚えている。
愉し気な家族の肖像。その中に一人だけいない自分。
殴られるよりも痛い、幼かった自分の心を殺した一言。
『……お前、誰だ?』
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「君だけ、忘れられた」
少年の愛らしい笑顔の中には外見の年齢には見合わぬ、腐った精神が滲んでいた。
訪れた者の恐怖を喰らい成長する遺跡は夢騒がしの遺跡と呼ばれている。
心を惑わす幻影に向かって魔術師は蝉のように嗤い、力なく横たわるリュカシスの額に触れた。鋼鉄の床に触れた歯車が、重く金属質な音を立てて軋む。
「でもさ、君のことを覚えてないのも仕方ないよね。だって『彼』って」
魔術師はリュカシスの耳元で囁く。
「屑じゃないか」
跳ね上がるように漆黒の拳が飛んだ。
風を切る鋭い音と共に破砕音が遺跡に響きリュカシスの拳が少年の顔面に突き刺さる。
「幻影から抜け出せたの? どういう理論か、聞いてもいい? 今まで途中で起きる奴なんていなかったのに」
まるで紙細工のような皮膚の裏には何も無い。掌に纏わりつく飴細工のような外殻をリュカシスは払い除けた。
「酷いじゃないか。死んでしまうよ」
「死なないでしょう。それ、キミの本体じゃないんですから」
腰を落として丹田へと力をこめる。
「これ以上、ボクの前であの人のことを貶めるのは許しません」
戦闘態勢を取るリュカシスに、魔術師は崩れた顔で笑った。
「へえ。純粋な君でも、そんな顔ができるんだ? 彼のことを憎んでるのに庇うなんて可笑しいけど、その精神活動は興味深いな。おっと、もしかしてコッチが本物の地雷だったのかな?」
凍てつく夜に似た静かな怒気が遺跡の空気を震わせる。
肉体自体が重火器と同じ武力を持つ究められた鉄騎種の威嚇を受け、魔術師の輪郭が揺らいだ。
「まあ面白いものは見られたし、この辺りでもういいか。遺跡の幻影を自力で破った君に敬意を評して、今日のところは帰るよ。またねリュカシス」
「もうお会いしたくはありませんけどね」
「そう冷たくしないで。仲良くいこうよ」
そう言い残して消えた魔術師をリュカシスは追いかけようとはしなかった。
ただ、消えた空間を睨みつける鋭い眼光は己の敵にむけるものであった
おまけSS『明確にして単純な』
「あー、愉しかった。リュカシスの弱点は家族か。いいねいいね、そういうの大好き」
蝋燭の灯りが一つ灯る部屋で黒いローブを纏った魔術師が狂った笑い声をあげる。
「振るわれる暴力。気まぐれの優しさ。偽りの光を希望と信じて縋りつく子。さて全部を壊すのは大変そうだけど」
今しがた見てきた光景を咀嚼するように部屋のなかを歩き回っては羊皮紙に書きつけ、また時計周りに歩き回る。
魔術師が歩く度に地面に落ちた人間の残骸が踏み潰され、蹴とばされた。
「次はどの骨を着て行こうかな。可愛い子がいいかな。いっそのこと元凶を殺してみる? いや、でもそれって単純すぎてつまんない」
服や装飾を選ぶように、壁にかけられた皮に目をやる。
「抉りがいがあるなあ。精神を化膿させてもいい。でも家族に危害を加えるのは直球すぎるよなあ。リュカシスの知り合いを殺しちゃおうか」
山と積まれた鉄帝の学校についての書類。それらを無造作に崩しながら鼻歌混じりに机の下から一冊の本を取り出す。
「ふふーん、一番難易度が高くて一番楽しそうなのは」
その手にあるのは貴族年鑑。
「今ある