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SS詳細

夕焼け色の簪

登場人物一覧

焔心(p3n000304)
九皐会


 茜に染まる空を横切る黒は、塒へと帰るカラスたち。
 顎に伝う汗を手の甲で拭って夕焼け空を見上げた少女は、早く帰らねばと歩を進めた。
 早く、帰らねば。――帰る家からは追い出されたが、廓が今の澄恋(p3p009412)の『塒』だ。
 早く帰らねば、打たれる。こんな簡単なお遣いも出来ないのかと、姐さんたちに詰る理由を与えてしまう。客の前では媚びた顔ばかりをする女たちは澄恋の前では般若のようで、どちらが『鬼』なのか解らない。
「なァ、嬢ちゃん」
 早く早くと急ぐ澄恋に声が掛かった。知らない低い声だったから、つい澄恋は足を止めた。止めないと――まるで首に刃を当てられたような気がした。
「嬢ちゃん、簪はいらねェか?」
 遊里には性病で命を落とした遊女や水子供養の為の寺がある。この女の地獄で生きるために、神や仏を心の頼りとする遊女も多い。
 そこへ通じる石段へ、男が腰掛けていた。癖の強い髪に、二本角は片角が折れ、片目には眼帯。黒い浴衣を纏う柄の悪そうな男だ。
 記憶にない男が薄ら笑いを浮かべ、澄恋を見ていた。
「なァ、いらねェ? 女に断られてよォ、行き場を失ってンだ」
 そのまま持っていても困るのだと、男は言った。
(貰って売れば……)
 家を追い出されてからずっと、澄恋は常に空腹感を覚えている。廓で身を売っても使えない子だと罵られ、少しでも食べさせてもらえるだけありがたいと思えと、腹いっぱい食べさせては貰えないからだ。
 故に簪を売れば、食べ物が買える。
 そう思ったが、澄恋は男へ首を振った。売るまでに姐さんたちに見つからない訳がない。見つかれば、何処から盗んできたのだと折檻されることだろう。
「まァ嬢ちゃんにはまだ早ェか。んじゃァ、これやるよ」
 ぽいと投げられるのは、赤い赤い、丸いもの。棒の刺さったそれはクルクルと綺麗に回って、すっぽりと澄恋の手に収まった。
 そこで初めて、空が赤く染まっているのは夕焼けだけではないことに気がついた。焦るあまり、提灯の灯りも太鼓の音も聞こえてはいなかったのだ。
 お礼を言おうと顔を上げた。その時にはもう男の姿はなく、狐につままれた気持ちで帰路へとついた。――男が居た側の藪の中から覗く真っ赤な爪紅に気付かない振りをして。
 廓に着く前に食べ切らねばならない、赤い林檎飴に齧り付く。
 硬い飴に覆われた林檎を易易と噛み砕く鋭い牙。劣等感の塊のそれに、今だけは少し、感謝した。


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