PandoraPartyProject

SS詳細

sacrIFicial love

登場人物一覧

アレン・ローゼンバーグ(p3p010096)
茨の棘
アレン・ローゼンバーグの関係者
→ イラスト

 たとえ夜闇の最中だろうと、降りしきる雨に打たれようと、薔薇は変わらず咲き誇っている。鮮血色の薔薇咲く庭先を、一つの影が横切っていった。
 影を纏いし蝙蝠は屋根の下で動きを止める。その影が揺らめくと、蝙蝠は突如として人間の姿に転じた。銀髪の青年、アレンは無表情で扉の前に立つ。
 ――荘厳な扉は独りでに開き、主人の帰還を出迎えた。洋館のホールは暗く、まさしく『吸血鬼』の住む屋敷にふさわしい。アレンが最初に戻る場所はいつも決まっている。来客をもてなす貴賓室。とはいえ、闖入者を厭う館の主にとっては、ただ一人の貴賓の為の部屋だ。
 雨音以外は何も聞こえない、誰もいない、館の中。ブーツの踵が床を叩く音だけがしばし反響して、そしてアレンはドアノブに手を掛けた。
 貴賓室は黒を基調としたロココ調で統一されている。一人の女性がベルベットのソファに身を沈めていた。きめ細やかなシャンデリアの光を浴びて、月光の如く銀髪が煌めく。アレンと同じ髪の色。彼女はアレンの姉――リリアだった。リリアはふと顔を上げ、アレンの姿を認めると、ぱあっと笑顔を咲かせた。その笑顔の華やかさに、アレンの冷たい美貌もふっと柔らぐ。
「おかえりなさい、アレン」
「ただいま、姉さん。……大丈夫? 何も起こらなかった?」
「うん。私ならいつも通りよ」
 リリアの傍らにある暖炉では、ぱちぱちと火花が爆ぜていた。彼女が腰を浮かせ、暖炉に近い席を空けてくれたから、アレンはそこに座った。人ならざる躰は炎の温もりを必要としないが、心の奥が暖まる感覚がした。
「アレンの方こそ、何もなかった? 雨……は、冷たくて恐ろしいものだったでしょう?」
 語り口調が朧気なのは、彼女にとって雨とは遠い思い出の中に記憶されるものだからだ。
 リリアは絹のハンカチを取り出し、アレンの銀髪に滴る雨雫を拭い取る。まるで『普通』に姉が弟を可愛がる仕草のようで、アレンは一抹の苦味を含んだ笑みを浮かべた。傍目には、ただの苦笑に見えた。
「大丈夫だよ。僕のことは心配しないで。吸血鬼なんだから、ね?」
「そう……かしら」
「本当に、大丈夫だから。ねえ、お土産を買ってきたんだ。見てくれるかな?」
 アレンが黒赤の外套の陰から紙袋を取り出すと、彼女の不安げな表情に明るさが戻った。
 今日のお土産はティーカップだ。白磁に茨の紋様が、流麗に走っている。
「わぁ、素敵! 早速お茶を淹れてきてもいい?」
「もちろん」
 アレンが頷くや否や。リリアはティーカップを手に、ぱたぱたと部屋を出ていった。彼女は淑女然とした容姿の割りには、案外自由奔放な気質を備えている。
 ……彼女が居なくなると、雨音がやけに大きく聞こえた。アレンはソファの前のローテーブルに目を向ける。
 黒壇のテーブルの端には数冊の本が積んであった。どれもアレンがリリアのために贈った品々だ。独りで過ごすしかない彼女の孤独が満たされるようにという、純粋な願いを込めて。それでいて外界への不必要な憧れは抑制できるよう、入念な精査を経た上で。
 中央には毛糸に針といった裁縫用具が広げられている。つい先程まで裁縫に取り組んでいたようだった。彼女は一人で暇をしているときには、しばしば手芸に興じていて、アレンのために何かを作ってくれることもあった。雨音と共に、彼は追憶に沈んだ。

 ●

 アレンとリリアは双子の姉弟として生まれてきた。
 弟は吸血鬼で、姉は人間。
 二人が何時から古びた洋館に暮らしているのかを知る者はいない。それどころか館に誰かが住んでいるという事実さえも、彼ら以外には知られていなかった。アレンが館の周りに結界を巡らせているためだ。
 片や特異な魔術を操り、血を欲する吸血鬼、片や何の変哲もない只人。彼らは異なる宿命を背負いながらも、寄り添い合い、生きてきた。
 運命の分岐点は、アレンが他の有象無象の人間の血なんて、リリアの血と比べると泥水に等しいと気付いてしまった瞬間だった。あんな美味しい血、他の吸血鬼が知ったら放っておく訳がない。すぐにでも拐かされてしまうに違いない。それで済めばまだいい。最悪の未来を想像しただけで、背筋に怖気が走った。幾多もの結末が頭に纏わりついて離れなかった。
 ……もしも彼が、人間として生まれてきていたら。
 人間染みた苦悩と躊躇の果てに、決断を強いられたのだろうか?
 けれども、彼は生まれながらの捕食者で、人造の道理は眼下のもの。最も大事な存在は、姉一人だけ。それが答えだった。
 大切なものを守り抜くための、一番確実な方法。他の誰にも見出されないよう、奥へ奥へと隠してしまえばいい!

 ――アレンは知らない。吸血鬼にとって、■をしている相手の血は、特別に美味しく感じることを。
 知っていたところで、最後の結論は変わらなかったかもしれないけれど。

「姉さん。外は危険な場所で……人間の姉さんが家から出たら、食べられてしまうんだ」
 リリアの表情に怯えが走る。彼が言葉を重なれば重ねるほど、姉は唇を引き結び、恐怖を露わにした。疑われて、ない。彼女の無垢にすかさず甘言を滑り込ませる。

「姉さん。僕が姉さんを守ってみせるよ」
 だから、この家から出ないでね。ずっと僕に守られていてね。ずっと、ずっと。

 こくりと、リリアは頷いた。
 その日から、この屋敷はリリアを――否、アレンとリリアを囚える、巨大な鳥籠であった。

 ●

「アレン?」
 彼ははっと意識を戻した。己と同じ色彩の瞳が、間近で見つめてきている。
「やっぱり調子が悪いのよ。ぼーっとしてるもの」
「……かもね。姉さんは鋭いや」
 アレンは肩を竦めた。本当はもう少し我慢できると予測していたのだが。
「血、貰ってもいい?」
 こんな状況下でも、彼女の意思を無視して血を吸い取ることはしたくなかった。控えめな問い掛けに、リリアは慈母のように微笑む。
「ええ、もちろん」
 日に焼けていない雪色の指先が、ゆるりと自らの髪を掻き上げ、首筋を晒す。
「ありがとう」
 敢えて感謝を口に出したのは、込み上がる渇望を誤魔化すためかもしれなかった。決して吸い過ぎないように。深く咬みつかないように。
 自分に言い聞かせながら、アレンはリリアの首元に唇を寄せる。尖った犬歯が薄く皮膚を裂く。少量の鮮血が彼の舌に染み渡る。それだけでも堪らなく美味しかった。
 ……まだ足りない。
 もう少しだけ歯を突き立てる。血が口腔内に広がり、多幸感が満ちていく。夢に溺れていく、堕ちていくような……幸せな酩酊感。
 この時間が永遠に続けばいいのに。切に願うけれど、叶えたくない夢想だとも理解していた。血の欲求に囚われ切ってしまう前に、アレンは唇を離した。
 思わず吸い過ぎてしまっていないかと、すぐさまリリアの顔色を確かめるが、普段通りだ。いや、なぜか不思議そうな表情をしていた。
「もっと吸ってもいいのよ?」
「……」
 リリアの首筋を、つぅと血の雫が伝った。薔薇の花弁が散り落ちるように、蠱惑的なものにアレンには見えた。
 彼は首を振ると、もう一度、吸血の跡に口付ける。癒やしの魔力を注ぎ込むと、即座に噛み跡は癒えていった。これもいつも行うことだ。本来なら吸血鬼が獲物に気を遣う必要はないものの、彼女の身体に痛ましい跡を残したくなかった。元の通りの柔肌は酷く魅力的で、再び欲が疼く前に彼は目を逸らした。
「姉さんの申し出は嬉しいけど、……前に血を吸い過ぎちゃったことがあるよね?」
 苦い記憶がアレンの頭を過ぎる。昔、つい血の美味に抗えなかった経験があった。自らの腕の中に倒れ落ちる姉を見下ろして、アレンはリリアよりも顔を蒼くしていた。
 きっと優しいリリアのことだから、我慢している弟を見ていて堪えられなくなったのだろう。だが、どんなに彼女の気遣いが嬉しくとも、受け入れるわけには――。

「うん、覚えてる。覚えてるけれど、それ以上に……私が生まれた意味は、アレンに血をあげるためじゃないかって、そう考えているのよ」
 ――――。
 彼はいつの間にか置かれていたティーカップを手に取ると、口を付ける振りをして、うつむいた。
「アレンに比べて、私が出来ることは限られてるわ。だから、きっと私が生きる意味は――ごめんね、変なこと言っちゃってるかしら」
 顔を上げたアレンは辛うじて無表情を繕えていた。
「ううん。変じゃないよ」
 短く、慎重な言葉選びだった。彼女の思考を否定せず、かといって本意を晒すまでもなく。
「変じゃないよ。絶対に。でも、姉さんがしてくれる他のことだって、僕はとても嬉しいよ」
 ほら、前に貰ったマフラーだって、僕のお気に入りなんだよ。今は何を作っているの?
 これ以上リリアの言葉を聞いていたら、我慢ができなくなってしまう。直感したアレンは別の話題に誘導した。些か常よりぎこちなかったが、リリアは無垢な微笑みを浮かべ、彼の称賛を受け入れた。

 我慢。我慢を、しなければならない。
 このままリリアが平穏に生きてくれれば、それでいい筈なのだ。現状を保ち続けるために、血への渇望は我慢しなくてはならない。同じように、彼女に■している事実も、誰にも知られてはならない。
 微かな熱を帯びる■心を、切り捨てられはしなかった。けれど、一番は彼女の心身がずっとずっと健やかに保たれることなのだ。
 そのためにこの狭き世界を創り出そうと決意したのだから。
 彼女の想いへの歓喜も、■心と共にそっと心の奥へと。ぎゅっと胸が締め付けられる気分になって、アレンは瞼を伏せた。心の内で一滴の涙が零れる。
 今度は本当に紅茶に口を付ける。その味が血の余韻を押し流してくれるのが、今ばかりは有り難かった。


 ――雨は絶え間なく降り続ける。屋敷と世界を隔てるように、彼の真意を覆い隠すように。
 このまま雨が止まないで、二人以外の全てが水底に沈んでしまったとしても、彼は構いやしなかっただろう……。

おまけSS『雲の奥の月』

 洋館の窓には全てカーテンが掛かっている。
 「太陽の光が苦しいから」と、アレンが口にしていたのを、リリアは覚えている。それが外の世界を黒で覆う理由の『半分』でしかないことまでは、知る由もなかったけれど。
 もっとも、その分厚い黒天鵞絨のカーテンは、外界の光こそ遮断するものの、音までは覆い隠せなかった。
 今日は雨音だ。絶え間ないノイズのようなその音を聞きながら、リリアは物思いに耽っていた。

 もしも、外の世界が危険ではなかったら――なんて、そんな夢想をしてしまうときがある。
 自由に薔薇咲く庭先を歩けて、自由に誰かと挨拶を交わせて。
 そして、そのすぐ傍で、アレンもきっと曇りない笑顔を浮かべているのだ。

 別に、現状の狭い世界に不満を抱いているのではない。危険で出られないというのなら、それは致し方ないことだから。自分を守ってくれる弟に感謝もしていた。
 でも、『せっかく生きている人間で在れるのだから』、少しぐらいは想像を膨らませても――。
 ……??
 自分の思考に奇妙な違和感が走り、リリアは小首を傾げた。だが、その感覚もまたすぐに形を失い、リリアはますます首を傾げる。
 こんな雨音を独りでずっと聞いていると、不可思議な考えに沈んでしまうものなのかもしれない。最終的にはそう結論付けた。
「早く、帰ってこないかしら」
 アレン。私の大切な弟。私の生きる意味。
 彼女は雨音を掻き消すように鼻歌を唄いながら、裁縫を再開した。


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