PandoraPartyProject

SS詳細

雨音が掻き消して

登場人物一覧

ユリーカ・ユリカ(p3n000003)
新米情報屋
囲 飛呂(p3p010030)
きみのために

 さあさあと音を立てる雨にユリーカは憂鬱だと嘆息した。暫く続く長雨は外出の気概を削いだ。雨音も聞き飽きて、何かBGMが欲しくなる頃である。
 手許に重ねられた資料の整理を行ない、依頼書の手配を行なわねばならないがやる気を悉く持ち去ってしまう長雨にユリーカは受付テーブルへと額を擦りつけてから大仰な息を吐く。
「詰らないのです」
 ぶつぶつと呟くユリーカの頭の横にかさりと置かれたのはルミネル広場のベーカリーカフェのものだった。かぐわしい香りを感じ取り勢い良く頭を上げたユリーカの前には飛呂が立っていた。
「ユリーカさん、疲れてる?」
「雨でぐったりなのですよ。飛呂さんは?」
 唇を尖らせたユリーカに飛呂は「差し入れを持ってきた」と微笑みかけた。会話を行なうにも逐一緊張していた飛呂だが、幾度かの逢瀬――デートとは迚もじゃないがまだ言えない――を重ねたことにより日常会話は差し支えもない程になった。
 最近は雨が続き、晴れ間を望むことも多くはない。雨では外出も億劫になるだろうからと飛呂はローレットで共に食べられる食事を選んできたのだとユリーカへと微笑みかけた。ぱちくりと瞬いた彼女は「これをボクに?」と自身と紙袋を指差てから、飛呂の反応を見て「やったあ」と跳ねた。
「わ、サンドウィッチなのです! あそこのベーカリーのは美味しいですよね。卵サンドと……あ、このBLTサンド、ボク好きですよ。飛呂さんは?」
「店員さんのオススメを聞いただけなんだ。ユリーカさんがオススメを教えてよ」
「ふふん、良いですよ。敏腕情報屋ですから!」
 なんでも聞いて下さいと嬉しそうに笑ったユリーカに飛呂は頷いた。二人分だと購入したのはクロワッサンサンドが二つと、オーソドックスなサンドウィッチが二つ。それから、アイスコーヒーだった。茹だるような暑さを少しでも凌げればと考えて購入したものだが、凍らせた珈琲を氷として使用していることで水っぽさもなく飲みやすい。
「あのカフェはキャラメルラテとか、菓子パンも美味しかったのです」
「じゃあ、今度はそうしようかな」
「そうですね。オススメをバッチリレクチャーするのですよ」
 一緒に行くつもりだと言わんばかりの彼女に飛呂はつい、嬉しくなった。にんまりと笑いながらそそくさと広げていた資料を片付けるユリーカが「痛」と小さく声を上げる。
 紙で勢い良く切れてしまったのだろう指の先にはぷくりと血が浮かんでいた。飛呂は「怪我した!?」と慌てて立ち上がり「救急箱」と受付の内側に廻ってから取り出そうとするが――『それ』がどうしようもなく美味しそうに見えたのだ。
 どうしたことかユリーカの指先に浮かんでいる血珠にごくり、と喉が鳴った。首を振ってから、消毒をし絆創膏を貼り付ける。「ありがとうですよ」と朗らかに笑う彼女にぎこちなく頷いてから飛呂は「気をつけけなきゃな」と微笑んだ。
 ユリーカはその笑みに違和感を覚えたのだろう。ぱちくりと瞬いて首を傾げる。その疑問に答えることは出来ないまま、飛呂は「ほら、ランチにしよう」とサンドウィッチへと向き直った。
 嗚呼、屹度そうだ。動揺した。美味しそうに見えたことに、酷く狼狽したのは確かだ。
 けれど――腹が鳴ったのは、空腹だからに違いない。空腹のせいで、最近まで感じていた烙印の後遺症が身を蝕んだだけに過ぎない。多分、屹度。
 手当を終えてから何れを食べようかと選ぶ彼女に「なら、俺はこれ」とサンドウィッチを手に取った。勢い良く流し込んだアイスコーヒーが喉を冷やす。
 かあと熱くなった体を適度に醒ましてくれるそれが衝動の全ても胃の中へもう一度仕舞い込んでくれるかのようだった。パンを囓りながら二個入りのサンドウィッチをそれぞれ分け合う提案をするユリーカに飛呂は何事もなかったように頷いた。
 傷口を覆い隠した絆創膏に僅かな朱色が滲んでいる。ごくり、と喉が鳴った。
 嗚呼、屹度、腹が減っているのだ。此の儘パンを食べていれば問題は無い。なにも、恐ろしいことはない筈なのだ。
「美味しいですね!」
「本当に美味しい。これは菓子パンも期待できそうだな」
「はい。美味しい物なら色々ご紹介しますから、お暇なときにでも誘って欲しいのですよ!」
「そうする」
 彼女の不思議そうな視線も気付けば消えていた。気のせいだと流してくれたのだろう。飛呂も自分自身に『気のせいだ』と言い聞かせる。
 満腹になった頃に、先程まで感じていた焦燥も、血液を見たときに食らい付くしたいと感じた衝動も薄れていることに気付いた。
 後遺症は次第にその片鱗を消すのだろう。屹度、軽いものである筈だ。そうしたものだと耳にしていたのだから、……大丈夫。大丈夫だから。
 自分に言い聞かせるように飛呂は心の中で何度も繰返した。
 さあさあと降り続ける雨は未だ止まない。己の中に芽生えた『衝動』の恐ろしさもこの雨が全て流してくれれば良いのに――


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