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雨音の縁側で
登場人物一覧
僅かな風が雨戸を通り抜ければカタカタと音が鳴る。
地面に降り注ぐ小さな雨音と、灰色の曇天、庭に咲いた紫陽花の花。
雨を吸った家の湿気た匂いとい草の香り。
縁側に座る明煌はぼうっと中庭の紫陽花を見つめていた。
「雨……降ってるね」
「そうだね」
明煌の独り言のような声に返事をするのはジェックだ。
「じめじめしてて、暑い……梅雨はこれがあるからなぁ」
面倒くさそうに着物の胸元へぱたぱたと風を入れる明煌を横目で見遣り、どうして『建物の中』にわざわざ快適ではない環境を作るのかとジェックは首を傾げる。
練達国の技術であれば、常に一定の温度と湿度を保つ事が出来るだろうに。
梅雨という、住民ですら不快に思う環境を作り出す意味はあるのだろうか。
されど、この場所に住む人々は、其処までして『再現性』が必要なのだろう。
郷愁という過去に囚われているのかもしれない。
「あ、ジェックちゃん紫陽花の上にカタツムリおる」
明煌が縁側の傍に咲いている紫陽花を指差す。
「……カタツムリって知ってる?」
「え?」
きょとんと明煌を見上げるジェック。紫陽花の上に乗っている渦巻きの殻を持った生き物の事を指しているのではないのかと数度、瞳を瞬かせる。
「えっとな、あの渦巻きの殻のやつ。あれがカタツムリって言うねん」
「うん、知ってる」
「……」
数秒の無言のあと「そうか」と返した明煌は、考え込むように再び黙り込んだ。
この沈黙の時間が、ジェックは嫌いではなかった。
おそらく、何かを言おうとしてくれているのだ。それを待ってみる。
「紫陽花ってな、色々花言葉があるねん。土壌が酸性やと青になるし、中性とかアルカリ性だとピンク色とかになるから移り気とかついてんねんけど……俺が好きなんは一家団らんとか仲良しの方。小さい花がいっぱい集まってるように見えるやろ? 仲良しの花やねん」
見上げた明煌は僅かに微笑んでいるように見えた。幼い日の家族団らんを思い出しているのだろうか。
「明煌は紫陽花が好きなの?」
「……うん、しとしと雨が降ってて、静かな部屋から紫陽花を眺めるの好き。蒸し暑いのは勘弁やけど」
クーラーを付けるにはまだ早いけれど、湿気の高さに負けてしまいそうだ。
扇風機の風に、風鈴がちりんと揺れる。
「あ、ごめんお茶忘れてたわ……淹れてくる」
「手伝おうか?」
「ううん、ジェックちゃんはお客様やからな……ゆっくりしとって」
立ち上がった明煌は襖を開けて居間から出て行く。
目の前をひらりと白灯の蝶が通り過ぎた。
明煌の周りをいつも飛んでいるこの夜妖は真珠という名前らしい。
他人にはあまり懐かないと聞いていたけれど、ジェックには以前からくっついて来ていた。
「君はアオの兄弟なのかな?」
指先に止まった真珠に問いかけるけれど、返事は無い。
遠くで湯を沸かす音が聞こえて来た。
「あ、ジェックちゃんコーヒーもあるけど、あと紅茶も」
茶葉を探している最中にコーヒーと紅茶も見つけたらしい。
思わず手に持って聞きに来た明煌を見て、ジェックの顔に笑みが浮かぶ。
「どれも好きだよ」
「……」
一瞬戸惑う表情を見せた明煌に、ジェックは即座に気付いた。
おそらく明煌はいま、とてつもなく迷っているだろう。そんな顔をしている。
この前は緑茶だったから今度はコーヒーが良いだろうか、でも紅茶も好きと言っていた。どれだ。
みたいな事を考えているに違いない。
「じゃあ、お茶で……この前の美味しかったから」
「そ、そうか。京都やもんなお茶やんな。美味しい淹れ方で淹れるわ」
運ばれてきたお茶は、深い香りを感じる緑茶だった。
湯飲みを覗き込めば青々とした緑色のお茶が揺れる。
「これは、玉露いうて……美味しいやつ」
「へえそうなんだ。確かに香りが良いね……あ、少し甘い? 何か入れたの?」
少しぬるめの緑茶を一口飲んで、ジェックは目を瞠った。
「ううん、砂糖は入れてないよ。お茶の甘さ。美味しいやろ?」
「すごい……美味しいね! この前のも美味しかったけど」
顔を綻ばせるジェックに明煌は満足そうに目を細める。
この前の誕生日のサプライズでは、いつも飲んでいるお茶しか用意できなかった。
今後も友人を迎えるのならば、良いお茶を飲んでほしいと明煌は考えたのだ。
何より、煌浄殿に『人間の』友人が訪ねてきてくれるなんてこと、滅多に無いのだから。
「ジェックちゃんに美味しい言うてもろて良かった」
お茶の専門店まで行って、探した甲斐があったというもの。
誇らしげな明煌を見つめジェックは、意外と表情豊かなのだと嬉しくなった。
――――
――
「明煌ってさ、割とロマンチックだよね」
「……そうか?」
予想外の事を言われ怪訝そうな顔をする明煌。困惑している表情が照れているように見える。
「うん、だって花言葉覚えるぐらいお花が好きだし。甘いお菓子も好きだし、廻の可愛い服は明煌が選んでるってミアンから聞いた」
「いや、ちゃうねん……それは、その……」
思わず言い訳をしようとして、憚られるかと明煌は言い淀んだ。
「うん?」
ジェックは深く追求しない。明煌が言いたいことがあれば伝えてくれればいいと思っているからだ。
だからこそ、そんなジェックに嘘を吐きたくはなかったのだ。
「中学入学ぐらいの、暁月に背格好似てるからで……ロマンチックとかちゃうし」
そっぽを向いた明煌の頬が染まっている。つまり其れは。
「暁月にしてほしい恰好なの?」
「ち、違う……逆や。暁月がしとったような恰好させたら後ろ姿とか似てて……」
今、とんでもない事を口走ったと明煌は我に返る。
「いや、今の忘れて!」
「明煌……」
「何も言うな。何も……分かっとる、から」
手で顔を覆い真っ赤にしている明煌を、これ以上揶揄うのは可哀想なのでこの辺で切り上げておく。
ロマンチックな明煌は、その後ろ姿にかつての暁月を見て、今度は『罪悪感』を覚えたのだろう。
暁月にも廻にも。だから、あえて廻に可愛い恰好をさせているのだ。
「せ、せや……カステラあったから。持って来る」
勢い良く立ち上がった明煌は逃げるように居間から出て行く。
しばらくして戻って来た彼の手にはお皿が二つ乗せられていた。
「どうやって襖開けたの? 両手塞がってたでしょ?」
「え? シルベの縄で開けたけど」
「そんな事も出来るんだ? 結構器用なんだね」
明煌に憑いている三蛇のうち赤い縄に変幻するシルベを手足のように使っているようだ。
「割と何でも出来る。敵を縛ったり、防御張ったり。まあ捕縛用が一番使うか……?」
「捕縛? ああ、呪物を捕まえるんだっけ」
ジェックの言葉に明煌は「そう」と頷く。
「具体的に何をして捕まえるの?」
「え、あー……呪物回収? 弱いやつは他の深道の奴らが捕まえるけど、俺に回ってくるのはそういう奴らが手に負えんものやから。基本、相手と戦って従わせる。これがまた、殺さんように戦うのが割と難しい」
相手との力の差を絶対的なものとし、その上で『生かす』ために連れて帰る。
誰にも理解されず暴れ狂うだけの獣に、居場所を与えてやるのが明煌の役目なのだ。
明煌は自ら傷を負うことを厭わず、身体中が傷だらけであるらしい。
「そういえば、ジェックちゃん大事な話があるんやけど」
明煌が深刻そうな顔でジェックの前にカステラを置く。
「どうしたの?」
何かあるのだろうかと身構えるジェック。
いよいよ廻の容態が悪いのだろうか。
それともまた別に明煌が被害を受けるような事があったのだろうか。
もうこれ以上、煌浄殿には近づかないでほしいと言われてしまう可能性だってあり得る。
ジェックの心臓が嫌な想像にぎゅうと締め付けられた。
「このカステラいうお菓子は、実はここに紙がついてんねん」
「……え?」
明煌はカステラの底を指差してみせた。目を凝らせば確かに薄い紙があるような気がする。
大事な話は何処へ行ったのだろう。まさか、この紙のことなのだろうか。
「何の為についてるか、俺には分からんねやけど、紙ついてるから食べんようにな」
「え、うん……」
やはりこの紙の話なのだ。よかった。深刻な話しでは無かった。
ジェックは真顔で明煌を見上げる。
「アタシは紙食べないよ?」
首を傾げるジェックに、明煌は「うん、そうやけど」と複雑そうに視線を落した。
「小さい頃暁月と一緒にカステラ食べたことあるんやけど。俺は紙食べんと残したんやけど、隣の暁月の皿見たら何も残って無かってん」
「え、食べたの?」
「そう……どこやったん? って聞いたら食べたってけろっとしてて、慌てて『ぺっしなさい』言うてんけど暁月、口開けて何も無いって言いよった。俺慌てて、母さんのとこ連れて行ったんやけど。一応、食べても害は無いらしいわ。でも、ジェックちゃんは食べんといてな」
フォークで小さく切り分けたカステラを明煌は一口食べて顔を綻ばせる。
「ここのザラメのとこうまいで」
紙の手前についているザラメの甘さはどうしても笑顔になってしまうのだろう。
美味しそうにカステラを食べる明煌を見つめ、ジェックも一口頬張る。
柔らかな生地は口に入れた瞬間、溶けていくように広がって、後からザラメの甘さが舌を転がった。
二つの異なる食感が、素朴なお菓子でありながら、ケーキのように口の中を豊かにする。
縁側のガラス戸の外では雨がしとしとと降り注ぎ、ほんのりと薄暗い。
梅雨特有の湿気の多い空気を扇風機が静かに押し流した。
友人とお菓子を食べてお茶を飲んで。ただぽつりぽつりと会話を重ねる。
そんな静かでゆったりとしたひとときは、ジェックにも明煌にとっても癒やしとなるのだ。
- 雨音の縁側で完了
- GM名もみじ
- 種別SS
- 納品日2023年07月11日
- テーマ『『イチリンソウの雫』』
・ジェック・アーロン(p3p004755)
・深道 明煌(p3n000277)