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身体冷えて愛固まる/Love on the rock
登場人物一覧
・背景に裏打ちされた関係性とは斯く美しき
カラン。
黒い海が傾けられ、浮かぶ透明の島が切子の縁に打ち寄せる。燦々照らされし青を眺める影の横に、もう一つの影が並ぶ。
「僕も横に行っても、いいよね?」
「構いませんよ」
「……ありがとう」
ここは海洋の辺境。寒櫻院・史之の"領地"であるアノマ諸島。その本拠地たる秋ノ宮──の縁側。だから二人が寄り添うのは当然だろう。
「美味しそう……」
「カンちゃんに飲めるかな……?」
こうも日の長い今日は暑くて堪らない。だから昼も過ぎた今もぼうっと史之は外を眺めていた。漣の鳴るのに合わせてゆらり、ゆらり、手を傾けて。
「飲める。飲む。しーちゃん、早く入れて」
「わかったから急かさないでよ」
ならばその横に冬宮・寒櫻院・睦月が並ぶのは必然。それは聞くまでもなく読めばわかるように。彼、彼女らは同じ名を契った者──夫婦なのだから。お揃いで買い揃えた冬柄のギヤマンに、これまた同じ
「はい、どうぞ」
「ありがと、いただきまーす。んくっ──」
器に満たされた
「──苦ぅっ!?」
「だと思った」
くすり。笑い一つ。外では礼儀正しく仰々しい態度を崩さない彼女が、可愛らしく顔を歪ませて足をパタつかせていると史之の肩の力もふっと抜けてしまう。もしも僕があの世界に居たままだったならこんな幸せは得られなかっただろうからと。それがどこか嬉しくて、或いは哀しくて。"恋"の末に、史之は"奪ってしまった"のだから。
「にがぁぃぃ……うぇ〜……」
「だから言ったのに。コーヒーは苦いものだよ」
代わって睦月の子供舌は成長しないまま。それは想いの長さに比例して。産まれより数えて半分よりも長い時も貫いたこの"恋"の末の"結果"が、『こう』であって良かった。睦月にとっては"得られた”ことが、なによりも幸せで、嬉しくて、というか離れないでほしい。ずっと横にいてほしい。ねぇ。ぎゅー。
「もっと甘くしてよ〜……」
まずはコーヒーの味。そしていつもの態度とか、口調とか、とにかく色々を。僕を『
「え、えぇ〜……僕はこのままがいいんだけど」
少し想いに耽っていた所に突然の猛アプローチをぶつけられて史之はタジタジ。コトリとギヤマンが横に置かれ、唐突な暴走を宥めるための手が頭に伸びる。睦月はちょっと嬉しい。いや割と。見えないように頬を緩めながらぐいぐいを袖を引っ張ってわがままにおねだり。いつまで経っても治らない。
「僕は一緒のものが飲みたい。だから早くしーちゃんっ」
「今は砂糖持ってないよカンちゃん。取りに行ってこようか?」
「やだ」
行かないで。ぎゅむぅーーっ。というか僕という美少女を置いて別の女に現を抜かしているのにはやっぱりわからせが必要だと思う。そんなわけで私刑執行、罪状は浮気。懲役は死ぬまで。妻を幸せにし続ける刑。手始めに膝枕を睦月はせがむ。
「ん」
頭を太腿に乗せ、手首を掴んで幸せサンドウィッチの完成。具は睦月自身。撫でを継続されると目元まで蕩けてしまう。
「青い海、綺麗だね」
それを誤魔化すように溢れ出る言葉。史之と同じ方向を向いて、同じ景色を見て。親に挨拶はできていないけれど、もし出来ていたとしたらこの幸せは打首獄門で終わっていただろう。
「そうだね、睦月」
だからこれでいい。この二人っきりの屋敷で、二人だけで海を見て。二人でずぅっと、過ごし続ける。それが望み。それが願い。永遠に、この愛の巣が続きますように。
「んくっ……ふぅ。折角淹れたのに飲まないの?」
これが夢な気がして史之はコーヒーをもう一口。冷ややかな苦味が舌を撫でて、この幸せは今僕が手にしているものだと実感させてくる。
「砂糖がないならシロップを入れて」
「仕方ないなぁ、ほらどうぞ」
とくとくとくと黒い海に透明な雨が降り。
「しーちゃんのにも」
「はいはい」
もう一つの黒海にもそれは降る。口に含めば甘ったるくて、夢心地な感覚が喉を通って。幸せ以外の感情が押し流されていく。変わって清らかな白い髪を撫でる指も、幾らか優しくなる。
「甘い方が美味しい」
甘々な時間を過ごしている方がいい。これまで手に入れられなかったこの時間を一分一秒さえも無駄にしたくない。なのにいつもいつもちょっと畏っちゃって。たまには亭主関白みたいに振る舞っても私は嬉しいのに。その澄まし顔が崩れて欲しい。
「そうなの?」
大切だから、触れられない。手を伸ばせない。今は夫だとしても。僕は従者だったのだから、『
「そうなの!」
好きなら好きって言って欲しい。僕がやってるみたいに。ツンなしーちゃんもカッコいいのはカッコいいけど。二人っきりの時はもっとデレて。デレデレになって。甘々に甘やかしてこその『従者《旦那様》』、でしょ?
「ならお代わりは……」
「甘いコーヒー!」
しーちゃんみたいに黒くて綺麗で、苦かったけど。甘い味になったら好きになれた。だからしーちゃんにもどんどん、いや少しずつでもいいから。私には甘くなって欲しい。私だけには甘くなって欲しい。
「ほらギヤマンこっちに向けて」
今日のカンちゃんはすごく甘えてくる。せがまれて撫でる手が止まらないし止められない。手を離そうとしたらんっと言われて逃げられなかった。流石に入れる時には許してもらえたけど。
「はーい」
「注ぐからジッとしててね」
こういう時には素直に言うことを聞く睦月。今の幸せを噛み締め……れはしないが。コクコク飲み干してこの甘さに酔いしれる。
「ずーっとこうしていたいな」
紛うことなき本心が溢れる。呆れ返るほどに平和な今に脱力して、ただ寄り添ったまま惰眠を貪りたい。
「僕もだよ」
熱い熱い日差しを避けてここに居るのに二人は側からみれば熱々のお似合い夫婦。日差しを避けている筈なのに、ぽぉっと熱くなる頬と身体。
「今日も暑いね」
誤魔化すように甘い珈琲が二人の口に入り込んで、芯の底から冷やしてくれる。だけど愛の熱は冷め止まず、深まるばかり。色ボケした思考回路だけはどうにか戻して。
「うん、熱いね。だって夏だもん」
こんな海のど真ん中でもミーンミンミン蝉は鳴る。煩いけれど今の時節を知らせるメッセンジャー。青空に輝く太陽もそうだと頷く。
「ここは『秋之宮』なのに」
それを知らしめるように庭には豊かな花畑を持ち、海洋にありながら豊穣の作りをも取り入れた意匠作たるこの場所の名は『秋之宮』。紅葉に染まる季節の名を冠し。
「僕らの名前は"冬"だよ?」
"冬"宮・
「なら、春は──」
と、そこまで言って史之は気がついた。夏、秋、冬。残る季節は春一つ。春を感じた今の僕らに似合う言葉は……。
「……ほらしーちゃん。春は、なぁに?」
先に思い至った睦月は、悪戯っぽく笑いながら敢えてそれを口にしない。何故ならあの二文字を言って欲しいから。そう考えついたのだと自分が認めて欲しいから。
「──青春」
未だ若い二人の事を示すに、これ以上の言葉は見つからなかった。この夏の真っ只中、『秋ノ宮』で、"冬"の名を持つ二人は、青春を謳歌している。他ならぬ史之が
「青春、青春かぁ……いい響きだね」
ライブノベルを読み漁って渡り歩いて。混沌を楽しむうちに知った言葉。若々しき人生の春を指すこの言葉。その俗称的意味を知った時から、いつか自分から言わせてやろうと画策していたけれど。やっと言ってくれた。嬉しくて何度も何度も呟いちゃう。
「復唱しないでよ」
「しーちゃんが先に言ったもん」
「それはカンちゃんが…」
「しらなーい」
くすくすっ。照れて慌てふためくしーちゃんは本当に可愛い。今でこそいつもは夫として、カッコつけようと頑張っているけど。昔のしーちゃんはどこか危うかった。ふと見せる悲しげな表情は、もう見たくないもん。
「そんな事を言うカンちゃんには仕返しだ──!」
ああ、これは不敬罪だ。もしも同じ世界の人たちに見られたらその人は腰を抜かして肝が潰れて塞がらない口で泡を食べる羽目になる。そんな頭を乱暴に掻き回す行為を白昼堂々誰にも咎められずに出来ているのが、どれだけ嬉しい事か。燻っていた初恋は、今もこうして実り続けている。だからやめられない。止まらない。嬉しそうにやめてと叫ぶ声が、顔が、僕を誘っているから。
「やぁぁめぇぇ〜〜!!」
「うりゃりゃりゃ〜!」
さぁ、避暑は十分。涼むためのアイスコーヒーはすっかり温く。甘々になった黒の海からは島は殆ど消えた。その最後の一つを、口に流し込んで。
「ねぇ、旦那様。僕のこと、好き?」
「愛してる。睦月」
「そっか。えへへぇ……♪」
一番長い夏の昼の夢は、こうして幕を閉じ。二人の寄り添いは、日を跨ぎ朝になっても終わらなかったという。
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おまけSS『夫婦ギヤマン/Pair glasses』
今回は甘々な空間だったので思い出の品、発注文にも書かれていたギヤマンの事でも書きます
漸く互いの本心を曝け出し、一月睦月の寒空の中、幻想の通りを二人で歩いている時。ふととあるショウケースが目に入った。この店に並べられた商品は一つ一つが職人の手作りであり、こだわりの品。その中で所謂ペアグラスと銘出されて売られていた二つのギヤマンに惹かれ、そのまま購入。組み合わせは白と黒の二色だったのでお互い相手の髪色のギヤマンを使っている。
つまるところこのギヤマンを相手に見立てて飲んでいるわけです。高度な
多分やってます、これくらい。私は書いていてそう思いました。