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夢の随
登場人物一覧
●胡蝶の夢
僕は夢。
僕は幻。
僕は蝶。
夢から夢へと渡り歩き、現実にはない奇跡を見せる。
それが胡蝶、
それが奇術、夜乃 幻が見せる贈り物。
さあさ皆様、ご覧あれ。
今宵語るは蝶の夢。
胡蝶が見せる夢でなく、胡蝶が見る夢に御座います。
●灰色子どもの夢
どうして貴方様は、泣くのでしょう。
どうして僕を、呼ぶのでしょう。
青い蝶を導いたのは、灰色狼の子の啜り泣きで御座いました。
ですがそれは狼の子ではなく人の子でもないもの。
ブルーブラッドと呼ばれる獣と人、両方の性を持つ種族で御座います。
「貴方様はどうして泣いているのでしょう?」
「だってみんなには暖かな毛があるけれど、俺には頭にしか無いんだ……」
「みんなと違ってはいけませんか?」
「だってみんなが俺を狼じゃない、可哀想だから暖めてやるって言うんだ……」
灰色子どもは言いました。
頭に生えた毛を髪と呼ぶことも、労りから出た言葉であろうことも分からないようです。
「皆と同じでなくても、貴方様にしか出来ないことがありましょう?」
僕は灰色子どもの口唇に指を一本押し当てると、「だって」と続く言葉を封じました。
「青い蝶はたくさんいるけれど、僕にしか出来ないことも御座います。それが奇術」
シルクハットを脱いで見せると、中から青い蝶が現れ、灰色子どもの周りを飛び交いました。
次に手にしたステッキを振るうと、青い蝶は忽ち弾けて、青い薔薇の花びらとなって散ります。
「それに僕は蝶の翅を持っていても姿は人。人の身でありながら狼の牙と爪を持つ貴方様と同じで御座いましょう?」
灰色子どもが瞬くと、僕は微笑んで口唇に当てた指を離します。
「こうやってみんな誰かと違って、少しだけ同じ。だから泣かないで……僕が素敵な夢を見せて差し上げますよ」
夢から目覚めたならもう自分だけ違うと泣くことはないでしょう。
これが胡蝶の夢、僕の奇術で御座います。
●灰色男の夢
どうして貴方様は、泣くのでしょう。
どうして僕を、見つめるのでしょう。
青い蝶を求めたのは、灰色狼の男の咽び泣きで御座いました。
その殿方は僕を見るなり『ゆめ』と呼びました。
僕は顔も名前も覚えておりませんが、渡り歩いた夢の何処かで出会ったのでしょう。
「貴方様はどうして泣いているのですか?」
「
灰色男は言いました。
頭には灰色狼の毛皮を被り、頬へと伸ばす掌は大きく逞しい大人ものです。
「夢ではないと嬉しいのですか?」
「あれは俺の願望が見せた夢じゃねえ、
灰色男は手を伸ばし、真珠の黒髪に、白磁の肌にと触れて僕がいることを確かめます。
「驚きました。僕は貴方様の前に物質として存在しているのですね」
子どもの彼に触れた時には何も感じなかったのに、僕は今、彼の掌を感じています。
幻想体の僕が物質体となって現実の世界に留まるなんて、それこそ夢のようで御座います。
「貴方様が僕をこの《無辜なる混沌》に呼んだのですか?」
「きっとそうだ。ずっともう一度
灰色男は僕の言葉を支えに、もう一度会いたいという願いを胸に生きてきたと言いました。
夜毎に夢を渡るうち、記憶はいつも夢の
僕が忘れても彼はいつまでも僕を覚えていてくれていたのです。
灰色男の被る狼の毛皮は死んだ仲間のもの。
狼の群から離れた後は牙ではなく銃を手に取り生きてきたと、彼は孤独な身の上を語ります。
「僕は貴方様が淋しくないよう呼ばれたのかもしれません。此処はみんなと違って少し同じ者同士が呼ばれる場所のようですから」
「
「さあ、どうで御座いましょう? 胡蝶は夢を渡るものですから」
灰色男の顔が曇ると、僕はいつぞやのように憂さを晴らそうとトランプを取り出し奇術を見せます。
宙を舞うカードは青い蝶となって、あの日のように儚く消えました。
●青い蝶の恋
どうして貴方様は、好きと言うのでしょう。
どうして貴方様は、愛していると言うのでしょう。
青い蝶を目覚めさせたのは、灰色男の大きな掌で御座いました。
いつしか僕達は互いに名前で呼び合うようになり、同じ旅の一座で共に舞台に上がるようになりました。
だけど物質化して間もない僕は、この手で触れたり感じたりすることに夢中。
目には見えず触れられもせぬ彼の想いには気づかなかったので御座います。
「最近引き金を引くのに躊躇いが御座いますね」
「どうしたら
「心臓を? ああ、殺すふりで御座いますね」
「そうじゃねぇよ」
いつものように僕の手を引いて舞台袖に捌けると、彼は僕に向き合い真剣な眼差しで告げました。
「
「ええ、僕も好きですよ」
「違う。俺はおめえを愛してるんだ」
「僕と生殖したいと言う事で御座いますか? いいですよ、興味が御座いますから」
「俺が欲しいのはおめえの体じゃねぇ……おめえの愛だ」
僕も雄と雌とが番となり子を成す事くらい知っています。
ですが彼は首を振り、繋いだ手をそっと離しました。
どうして貴方様はそんな悲しげな顔をするのですか。
どうして貴方様はそんな淋しげに僕を見るのですか。
僕が貴方様を苦しませているのでしょうか。
奇術があれば誰でも慰められると思っていたのに……。
それは目には見えぬ小さな棘。
僕はそれからこの胸の痛みを時々感じるようになりました。
例えば僕の手を握る逞しい掌が他の女性に触れる時にも。
だけど彼は変わらず僕の手を取り舞台へと導いてくれます。
そんな時感じるのは安堵と、鳴り止まぬ胸の早鐘で御座いました。
僕はどんな奇術を見せれば貴方様をもっと喜ばせることが出来るのでしょう。
僕はどんな奇術を使えば貴方様の手をもっと感じることが出来るのでしょう。
この胸を満たす、さんざめく波のような止め処ないこの感情を、何と呼べばいいのでしょう──
「これが好きと言うことで御座いますか?」
僕は誰もいない楽屋で、彼の掌の感触が残る手を握りしめて呟きます。
貴方様に触れたい、触れられたい。
貴方様を導きたい、導かれたい。
僕はいつしか夢から夢へと渡るより、貴方様の側に居続けることを願っていたので御座います。
●青い蝶の夢
どうして僕は、奮えるのでしょう。
どうして心は、ざわめくのでしょう。
青い蝶を悶えさせたのは、灰色狼の男の腕の檻で御座いました。
あれ以来僕は、彼と手を繋ぐ瞬間を心待ちにするようになりました。
舞台を上がるとき、それから舞台袖へ捌けるとき、彼は相方として僕の手を取り導きます。
その手が大きく逞しく、熱を持ち力強いことを、僕は絶えず意識するので御座います。
観客の歓声、熱気、拍手……それらを目で見て耳で聞くことは、奇術師である僕にとって喜びでありました。
ですが彼のこの掌によって感じるものに、僕は奇術師ではない別の自分の存在を認めざるを得ないのです。
「貴方様と手を繋いでいると、心が弾みます。そして同時に離さないで欲しいとも願ってしまうので御座います」
ある日舞台袖で出番を待つとき、僕は彼に心を打ち明けました。
すると彼はあの日のあの言葉を、もう一度僕へ告げたのです。
「
僕は今ならその言葉の意味が少し分かる気がするのです。
もっと感じさせてということ。
もっと触れていたいということ。
ずっと離さないでということ。
ずっと側にいたいということ。
いっそ身も心も溶け合いたいということ。
いっそ何処までも一つでありたいと願うこと──。
手を繋いだまま片手でステッキを振るうと、青い蝶は弾けて雪となり、二人の上に降り注ぎます。
ギフトと呼ばれる異世界の住人だけが使える不思議な力は、僕の心を表して雪を猪目に象りました。
彼が撃ち抜けないと言っていた僕のハート……『好き』と言う気持ちで御座います。
「勿体なくて撃ち抜けねぇな、これ」
「ギフトで作られたものですからすぐに消えてしまいます。だから僕をしっかり捕まえておいてくださいね。想いが夢の随に消えぬように」
彼は眼を細めて笑うと、腕の中に僕を閉じ込め、口唇で吐息を殺しにかかりました。
僕はその力の強さに悶えながら、夢中になって舌を結んで溶け合い、一人の女に生まれ変わります。
まるで蛹が蝶へと孵るように。
奥が疼き、芯が奮えます。
熱さに焦がれ、飢えて求めます。
僕は瞼の帷を下ろして夢を見ます。
「一体、どんな奇術を使ったので御座いますか?」
「奇術じゃねぇ。これが愛ってもんだ」
貴方様を慰めたのは奇術ではありませんでした。
僕を蕩けさせたのも奇術では御座いません。
「行こう、
一幕が終わり、仲間が舞台袖へ捌けてきます。
僕達は仲間と入れ違いで手を取り合いながら舞台へと上がり、拍手に迎えられながらスポットライトを浴びます。
それはまるで花嫁花婿を迎える祝福のように眩い、二人の夢の始まりだったので御座います。
●夢の随
「どんな夢見てたんだ?」
目覚めた僕を掻き抱き、額に口唇を寄せながら彼が尋ねます。
僕は今なお夢の随を漂いながら、彼に囚われていつもこう答えるので御座います。
「胡蝶の夢を。でも夢の随に消えてしまいました」
僕は夢。
僕は幻。
僕は蝶。
夢から夢へと渡り歩き、胡蝶は愛する人の元へ辿り着いたので御座います。