SS詳細
気怠げな毒花に爪を立てる
登場人物一覧
少年は、強くなりたかった。
その出自は幻想では珍しくはない。心無い人々によって雑に生かされた一人の少年――貧しいながらもスリやイカサマで生計を立てた裏世界に生きるひとり。
それが特異運命座標になったとて、心は悪事に染まっていたが――放蕩三昧であった幻想国王に言葉を届かせたというその事実だけで特異運命座標とし、世界を破滅から救う事にしたのだ。
それとは関係なくとも少年は強くなりたかった。
彼は男だ。男たるもの『最強』になりたいものだとシラスは力に取りつかれた様にラド・バウへと向かった。
鉄帝闘技場『ラド・バウ』。実力者ぞろいのその場所では愛らしいアイドル闘士パルス・パッションを始めとしたさまざまな闘士たちが揃っている。
ラド・バウで戦いを重ねれば重ねる程に、自身の実力を思い知らされるが――もっと上に行きたいという欲求も同時に膨らみ始めるというもので。
普段通りの動きやすいカジュアルな装いは彼がラド・バウで戦う際に身に着ける運動服の様なものだ。裾がひらひらとする服も良いが、こういう戦闘にはぴったりとした装いである方が『隙』を作りにくい。
腕まくりをし、運動靴で地面を蹴ったシラスが向かうのはラド・バウでの狂乱の戦いが終わった闘士の許であった。
自分の力を試したい。
ランク分けされたラド・バウの中でもSクラスと言えば誰もの憧れだ。
そのSクラスにいる一人の男――いや、女か? 正式にはオカマなのだが――『Sクラスの最も華麗で美しく残酷な番人』と自称する毒花、ビッツ・ビネガーその人が今日のラド・バウには出場していたのだ。
彼のデータは有名は有名。その戦い方は鉄戦士らしからぬというものだ。
卑劣極まりないと言われる彼は戦場に出なければ気のいいオカマなのだそうだが、ひとたび戦い始めたならばその自称する称号に似合う残忍さを見せる。
華麗とは自身に傷つける事無く、相手を甚振る事。
美しくとは相手の命乞いを聴くほどに華麗に舞い踊る自身。
残酷とは――言わずもがな、そのスタンスだ。
それ故に彼は人気闘士ではないが実力は折り紙付きだ。
戦闘中の彼は毒花と呼ぶに相応しい。
彼は負け試合には決して登場することはしないし、パルスに言わせれば『性悪ドS』なのだが、実力は御墨付だ。
Sクラスでは彼は勝てる相手としか戦わないが、その名が通るほどに戦いには慣れている。
――なら。
――ならば。
路地の裏、人気はない。
ラド・バウより帰宅する人々は表通りで皆、口々に戦いの事を口にしていた。
ビッツを付け回す様に歩いたシラスはわざと裏路地へと誘導されていることに気づいていた。
スリの時でもそうだ。『こちらに気づいている』人間ほど、人気ない場所にわざと向かうというものだ。
「なあ」
低く、確かめる様な声音でシラスは言う。
「気づいてるんだろ」
きつく睨み付けるように言えば、目の前のビッツ・ビネガーはしゃらりと髪飾りを揺らすだけだ。
「聞いてんのか」
続ける。僅かな苛立ちを滲ませたシラスはこのS級闘士の心中が分からないとでも言う様に小さく舌打ちを漏らす。
「やあね?」
甘ったるく、それでも男性のものであることが分かる独特の声音が返った。
「ファンの追っかけは禁止よ。戦い終わった後よ? 化粧も崩れてるし美しくないもの」
ひらひらとした外套は色鮮やか。路地裏であれど、それはすぐに見つかった。
長い髪を靡かせ、その体に刻まれた電子回路が僅かな発光を見せる。中性的な美しい横顔がシラスを振り返った。
「ファンの追っかけ――なんかじゃない。
アンタと戦いに来たんだ。それとも、ラド・バウでお疲れでもう戦えないのかよ?」
普段のシラスであればブス、とでも言った所だがビッツから感じられた気配がそれを言う事を躊躇わせた。
美しくにこりとも笑わぬ彼はその様子を眺めているだけ。
シラスはぐ、と脚に力を込めた。
鳶指が周囲に落ちたごみの袋を正確に拾い上げ、そして、ビッツへの目隠しの様にゴミを振り払う。
ヒュ、とその合間を縫うようにして飛び込んだ暗器を弾きながらもシラスの足が僅かに後退する。
拾い上げたごみ箱の蓋で何とかという調子で弾いたが頬には僅かな擦り傷ができていた。
「カワイイ」
くすくすと、ビッツが嗤う。まだ、彼は動いていない、少しだけ暗器を投擲しただけなのか。
壁を蹴り其の儘の調子でその身を振らせるようにビッツの頭上を狙う。
零域――アーリーデイズの維持は約1分。
その間に如何に攻められるか。攻勢に出たシラスが殴りつけるように拳をぶつければ、当たった筈の場所に彼は立ってはいない。ぐるん、と腕に暗器が巻き付き地面へと叩きつけられる。
「ガッ――!」
衝撃に喉奥から漏れた酸素。胎の奥底から衝撃が走り、びりびりとシラスの体を揺らす。
それで終わる訳には行かぬとその儘、足を払う様に地面を滑り飛び込めばビッツが僅かに跳ねた。
「強引なオトコは嫌いじゃァないわ。けど――アタシったら『素敵な殿方』は傷つけない事にしてるのよね」
「――素敵じゃないってか?」
「発展途上のオトコも良いものよ」
そういう子はイジメたくなるもの、と付け加えたビッツ。
苛立つシラスが立ち上がり、ビッツと距離をじりじりと取れば、美しく笑ったビッツが其処に立って居る。
ぐ、と脚に力を込め、距離詰める、ゼロ。
散乱した塵が舞い上がる様にして視界を覆う。その向こうに飛び込む様に走るシラスの髪が僅かに落ちた。
暗器が飛んできていることに気づき、その体を捻る。もう一度はないという様に裂け、目つぶしの様に塵を掴み上げたシラスにひらりとビッツの袖が舞う。
「ちょっとォ、汚れるじゃない!」
非難めいた声に「言ってろ!」とシラスが吼えた。
獲った、とシラスは思った。
――だが、其処にはビッツはいない。
ひら、と僅かに舞う緑が見える。長い髪一本すら触れられぬシラスがその身をぐるりと反転させれば、真後ろに立ったビッツの掌とぶつかる。
靭やかな肢体には闘士としての力を感じさせる。
掌を引くようにして引き寄せられたそれに力での差を感じたシラスが離せと足を上げた。
「だーめ」
足を持ち上げ、そのままその体を塵だまりへと払いのける。
悪臭に身を包まれてもシラスはげほ、と咳き込むだけだ。
からりと我楽多の山から起き上がったシラスが苛立ちを見せてビッツを睨み付ければ、その瞳にぞわりと背筋を走らせたかのように幸福そうにビッツは笑う。
「ふふ、良い瞳だわァ……やぁねェ。
そんなに遊んで欲しいならいくらだって遊んであげるわ。カワイイカワイイ子犬ちゃん」
「子犬だぁ? 莫迦にしてると痛い目見るぜ、おっさん!」
「――『おねえさん』よ」
しゃらりとビッツの髪に飾られた飾りが揺れる。外套が大きく揺れ、路地裏であれど汗一つ滲ませずに戦うビッツの様子は確かに美しい。
それが彼の美学であり、彼の戦い方か。
対するシラスは泥を啜ってでも勝利には貪欲であった。ビッツに噛みつく様に飛び込みその身を捻る、暗器一つ甘く投げられたそれを避けた先に飛び込んだのはまた別の暗器。
それはシラスの腕を切り裂く、が、その暗器に繋がる糸を握りビッツを引き寄せるようにシラスが動いた。
「その可愛い掌、器用なのね?」
「才能って言えよ」
特異運命座標であることをビッツは気付いている。そして、ローレットの戦士であることも。
幻想でも天義でも彼の名前は耳にする――『閃翼』。その通り名で呼ばれる一人の少年だ。
只、それをビッツは口にすることはなかった。此処は天義ではあるが『ラド・バウ』だ。
場外戦であれど仕掛けられたのならば『可愛い子犬の相手』位は戯れ事の様にして見せる。
くすくすと笑いながらひらりひらりと攻撃を避けるビッツの最低限の戦闘行為はその能力の高さから来ているものか。
追い縋る様にしたシラスが『遊ばれている』と気付き、僅かにクソと吐き出した。
「そろそろ、降参したら? アタシが本気出すとアナタ――死ぬわよ」
ぞろりと、その身を包む様な不快感にシラスが唇を噛み締めた。
暗器遣いというラド・バウでも珍しい戦闘スタイルはある意味ではラド・バウ愛好者の中でも研究され尽くしたものだった。
そう言った資料を見て攻略法を考える闘士たちでさえも歯が立たぬビッツ・ビネガーというその人。
「……誰がするかよ」
「そう」
穏やかな声音だった。頬から流れた血を拭い、塵を吹くから払うシラスが拳を固め足に力を込める。
僅かな時間、さりとてそれは長い時間のように感じられた。
ケリをつけることはできないがせめて傷をつけられたならば――独特な格闘術式はビッツの興味をそそるものなのか、彼も「面白いじゃない」とまるで稚戯に耽るかのような態度で対応してくる。
くそ――!
くそ野郎――!
負けて堪るかよ――!
ぐ、と奥歯に力を込める。こんなことでは届かない、S級の遠さが身に染みるようだとシラスが吼えて飛び込んだ。
命知らずだわ、とビッツの声がかかる。
飛ぶ暗器が、次は『狙ってはならない場所』に飛んでくる。
胸の真ん中を穿つように狙う。痛めつけるようにして掠めていた暗器とは違う明確な殺意。
ラド・バウで命の取り合いをする事はそうそうないが――彼に限ってはあり得ることだとシラスは明確に認識した。
『自分が勝つならそれでいい』というビッツのスタンスが確かに感じられる。
彼は云っていたではないか。死ぬわよ、と。ラド・バウで二度と戦えないようにとでもしようというのか。
悪辣な毒花は『戦闘では卑劣極まりない』事をよく知っている。
普段の彼であれば「やぁだ」と笑って終わりだったのかもしれないが――本気を一撃お見舞いってか? とシラスは笑った。
「ビッツー? もう! こんなとこに居た! 探したのにッ!」
遠く、よく通る非難めいた声がする。それが桃色のアイドル闘士の声であった事にシラスはぼんやりと気付いた。
ぴた、と暗器が止まり、目の前で落ちた。からん、と音を立てたそれにシラスの中の緊張が解される。
はあと肺一杯の空気を吐き出して膝をつかぬようにと力を込めれば、その奥から見知った桃色の少女がビッツへと駆け寄ってきた。
「やだ、パルスじゃない」
「何してるの? ラド・バウ終わったら一緒に新しいクレープや行く約束だったでしょ?」
「あらァ、ごめんなさいね。ついつい、カワイイ子犬ちゃんと遊んでたのよォ」
ええー? と愛らしい声音の彼女がちら、とシラスを見てバツが悪そうに目を逸らす。
彼女の中ではビッツに挑み今まさにコテンパにされたという印象だったのだろう。
「お待たせしたけど行きましょ? ホイップクリームの追加くらいなら奢ってあげるワ」
「え、それだけ? ケチー」
何も見なかった振りをする桃色のアイドル闘士の背を追い掛けるようにしてビッツが歩き出す。
お前、とシラスが声を張ろうとしたが――その声も飛び出しては来ない。
ちら、と振り返る機械的な瞳が、僅かに笑う。シラスという少年を見て、細めて。
またね、と。
その形の良い唇は確かに動いた。