PandoraPartyProject

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勿忘草と雨の夜。或いは、密やかな約束の話…。

登場人物一覧

トキノエ(p3p009181)
恨み辛みも肴にかえて
トキノエの関係者
→ イラスト

●雨の降る夜に
 静かに雨の降る夜だ。
 泥だらけの夜道を歩く、傘を差した男が1人。
 盗賊、山賊の類にとってその男は絶好の獲物だっただろう。
 雨が臭いと足音、犯行の痕跡を消してくれるし、遺体の発見も遅らせてくれる。
 その男が大した金を持っている風には見えないが、身に付けた衣服や傘などを奪って売り飛ばせば、酒の1本程度は買える値になるはずだ。
 だが、男の歩みを止める者は1人もいない。
 男の纏う陰気な気配が、ならず者たちの足を竦ませたのだ。
 こういう輩はたまにいる。一見すれば、そこらの旅人か博徒のようにしか見えないものの、その在り様が“人”とは致命的にズレた者である。盗賊、山賊たちの間では“厄ネタ”と称される類の存在……トキノエ (p3p009181)はまさにそれである。

 既に数日、雨が降り続けている。
 季節はそろそろ初夏だというのに、肌寒い日が続いているし、空気はじめっと湿気っているし、太陽の光もしばらくの間、見ていない。
 そんな毎日が続いたからか。
 それとも、大量の毒を取り込んだ身体がそろそろ限界に近いのか。
 病葉 樒は、一昨日から床に伏したまま起き上がれないでいる。呼吸は浅く、時々、咳き込む度に喉の奥へ血の味が広がる。
「……ぁぁ」
 か細い声が零れた。
 暗い部屋に1人。いつもなら、窓から覗く空には月と星の光が見えているのだが、ここ数日は黒一色の暗澹たる空模様。さすがに少し気が滅入る。
 樒の居室は、とある小さな診療所の離れだ。入院患者や、流行り病に侵された患者を隔離しておくために設けられた家屋であるそうだが、ここ数ヵ月はすっかり樒の自室のような扱いになっている。
 樒のもとを訪れるのは、十薬という医師とトキノエばかり。
 2人は努めて平常を装ってはいるが、内心がそうでないことを樒は本能的に理解していた。もちろん、十薬のおかげでここ暫くは体の調子も良い日が多い。少なくとも、社に閉じ込められていた頃に比べれば、指に力も入るようになったし、意識だって鮮明だ。
 けれど、それは十薬の処方してくれる薬のおかげだ。自分の身体が、治ったわけではない。
 薬の量は増えているし、薬効の方も強くなっている。
 きっと、そう長くは持たない。
 今の平穏は一時的なもので、何かの拍子に崩れ去る砂上の楼閣に他ならない。何かの拍子……つまり、例えば今のような長雨などがそれに当たる。明日、死んでしまうかもしれない。今日、眠りに就いて、そのまま二度と目が覚めないかもしれない。
 それでいい、とも思う。
 それは嫌だ、とも思う。
「死神なら、去っておくれや」
 だから、樒は暗い外へとそう言った。微かな気配を木戸の向こうに感じたからだ。

「まだ起きてたか。早く寝ないと身体に障るぞ」
 そう言って部屋へ入って来たのはトキノエだ。
 傘を閉じて、部屋へと立ち入るトキノエの肩は濡れていた。泥に塗れた履物を見れば、彼がこの雨の中、長い距離を歩いてきたことが分かる。
「白粉の香りじゃ……どこぞで遊んだ帰りかの?」
 くすりと笑んで樒は問うた。
 トキノエは誤魔化すように視線を伏せて、上がり框に腰を降ろした。それから、樒の方を見ないまま、枕元へ花束を1つ、無造作に置いた。
 青く、愛らしい小さな花。
 勿忘草の花束だ。
 トキノエからの贈り物だが、何とも彼らしくない。
 そう思うと、笑えて来る。
「明日は雪じゃな」
 からかうように樒は言った。
 トキノエは、まるで拗ねたみたいな口調で言葉を返す。
「うるせえよ。明日も雨だ……明後日もな」
「どうせ雨で散るからと、花を摘んで来てくれたのか。まぁ、そう言うことにしておこうか」
 なんて、樒は言った。
 それから、彼女は問いかける。
「仕事の方は、どんな調子じゃ」
 言葉を交わしていなければ、トキノエがすぐにでも立ち去ってしまうかもしれないと思ったからだ。1人が寂しいなどと感じる性質では無いが、雨で気が滅入っているようだ。

 小一時間ほど、トキノエの話を聞いていただろうか。
 話がひと段落した折、何となく、と言った様子でトキノエは問う。
「雨が止んだらどこに行きたい?」
 少しだけ、樒は思案した。
 思案し、そして答えを返した。
「……海」
 青く、広い、海に行きたい。
「冬の海は見たが、夏の海はまだじゃ。海で泳いでみたい」
 叶わない願いだ。
 夏の日差しも、潮風も、樒の身体にひどく障る。泳げるだけの筋力だって無い。
 トキノエは、呆れたように溜め息を零した。
「勝手に溺れられても困るから、その時は俺が連れていってやるよ」
 その願いが叶うことはあるのだろうか。
 分からない。
 分からないが、そう言った未来を思えば少し嬉しくなった。
「約束じゃぞ」
「あぁ、約束は違えない主義なんだ」
 なんて、トキノエは言った。
 だから、樒は笑って言った。
「そうか。では……雨が止むまでに、元気にならなくてはな」 
 雨が上がれば、夏が来る。


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