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貴女に送るなら薔薇の花

登場人物一覧

スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト

 12月1日――
 エミリアに薔薇の花をプレゼントした。氷の色をした迚も美しい物だった。
 彼女の通り名である『氷の騎士』に合わせたが妙な顔をして居た。

 12月24日――
 エミリアをディナーに誘った。何時もならさっさと断る彼女が少しだけ返答を保留してくれと言って居た。
 だが、その後にアドラステイア大征伐があったことで察した。生きていてくれて良かった。

 2月14日――
 エミリアと出掛けようと声を掛けたが彼女は忙しそうだった。
 最近は姪であるスティア嬢がよく話しかけてくれる。彼女は良い子だ。エミリアと結婚したならば実子のように接しようと思う。

「……なんですか、これは」
 エミリア・ヴァークライトは頭を抱えた。目の前で微笑んでいるのはダヴィット・クレージュローゼ。つまりはエミリアの元婚約者である。
 幼少期に家同士の約束で婚約を結んだ青年は30を疾うに越えたと言うのに未だ独り身だ。姪であるスティアがヴァークライト家を継ぐまでの代理当主であるエミリアが独り身を選んでいるのは理由があってのことだが、ダヴィットは早く結婚しろとクレージュローゼの家門でもせっつかれる立場だ。
 エミリアにしてみれば「さっさと身を固めなさい」と言いたくもなる実情ではあるがダヴィットはことある毎に自らに声を掛けてくるのだ。
「私がエミリアと過ごした日記ですが」
「……何を言って居るのですか」
「貴女に手酷く振られても、記録を残していれば愛が伝わると思ったのですが……違ったかな?」
 テーブルに置かれた手記を眺めて居たエミリアの表情が氷のように冷たくなっていく。背後では後輩兼部下にも当たるイル・フロッタががたがたと震えていたが今は気にする余裕も無かった。
「ストーカーとして通報しましょうか」
「エミリアになら逮捕されたって良い」
 宣ってくるダヴィットにエミリアは頭痛がした。イルはこそこそと自身の先輩――誰がどう見たって、彼女の片思いの相手である――リンツァトルテ・コンフィズリーに「エミリア様は愛されていますね」などと声を掛けている。リンツァトルテもダヴィットには慣れているのかさして表情も変えぬまま「何時ものことだな」などと頷いていた。
「そこのコンフィズリー卿にでも逮捕されては如何ですか」
「手酷いことを言う。何の罪で逮捕されるのだろうか、ねえ、コンフィズリー卿」
「……」
 リンツァトルテがさっと視線を逸らした。彼は自身の事には疎いが斯うしたいざこざを察する能力は高い。巻込まないでくれとその表情が語っていたのは愉快そのものだ。
 イルが慌てた様子でリンツァトルテの背後に隠れたのは……まあ、仕方が無い事だったのあろう。
「折角だから証人の前で話そう」
「証人とは――スティア!?」
 何だそれはと言い掛けたエミリアの視線の先にはイルと出掛ける約束をしていた姪の姿があった。スティア・エイル・ヴァークライト。ヴァークライト家当主の忘れ形見であり、エミリアが丁寧に丁寧に育て上げた可愛い可愛い姪っ子である。
 エミリアは実の姉のように慕っていた(破天荒ではあったが、兄とはお似合いだった)義姉の忘れ形見である淑女として彼女を育ててきたつもりだが、度重なる家門の不祥事や記憶喪失を経てからのスティアは『鮫にも好かれる恐ろしい有様』に落ち着いてしまっている。そんな彼女がにんまりと微笑んで立っていたのだ。
「こんにちは!」
「こんにちは、スティア嬢」
 恭しく膝を付いてその指先に口付けるダヴィット。彼のそうした仕草や育ちの良さは流石は名門聖職者の一族クレージュローゼの当主なのだろう。
「聖職者を志していると聞いてる。未来の姪に教えることがあれば何だって教授しよう。気軽に声を掛けて下さいね」
「はい。有り難うございます! えへへ、叔母様の婚約者さんが聖職者で、名門のクレージュローゼ家だったなんて、ビックリだね!」
 悪気もなくにっこりと微笑んだスティアにエミリアの頭痛が酷くなった。どうしてだろうか。ダヴィットは外堀を埋めるのが得意なようだ。
 騎士であるエミリアは、実の兄でありスティアの父にあたるアシュレイも騎士であったため、彼女も騎士に進むと考えて居た。スティアが選んだ聖職者という道は騎士と別たれてた先にある。故に、前線に立って剣を振るうエミリアでは教えられることが限られていたのだ。
(確かにスティアの将来のためにはダヴィットに教わった方が良いでしょうが――)
 それでも、だ。
「未来の姪ではないでしょう」
「スティア嬢を養子に迎えると? ……新しい父というのはどの様な気持ちでしょうか」
「その様な事を言っているのではなく! 私と貴方の間に今は『何も』ないでしょう」
 エミリアは底まで勢い任せに口にしてから言ってしまったと口を塞いだ。ぽかんと口を開いているのはスティアとイルだ。リンツァトルテも驚いた様子ではある。
 ああ、勢いだと言えども大人同士の会話ではない。酷い事を言ってしまったとエミリアは頭を抱えたくもなった――が。
「ふふ。今は、か。過去を肯定してくれるなんて思っても居なかったな。
 あれはエミリアと初めて会った頃だろうか。レディ、と手を差し出した私に対してエミリアは酷く蔑んだような目をしていた気がするよ」
 それはそうだとエミリアは口を開きかけた。何を思ったのか目の前の男は婚約の顔合わせの段階でエミリアのことを『黄金の薔薇』と呼んだのだ。
 10歳のエミリアも流石に何だこの男は、と考えた。物語で勉強をし続けたからこそ、今のこの気障な男が出来上がったとも思えるが――
「……確かに教えるのはお上手でしたね」
「そういえば、貴女に聖騎士団の入団試験の学術分野をレクチャーしたのは私でしたね」
 エミリアは懐かしいと目を細めた。ダヴィットはそんなエミリアを見下ろして愛おしそうに微笑んでいる。イルとスティアは勿論、甘酸っぱい空気を察知してきゃあきゃあと声を上げていた。
 スティアは知らないが、エミリアはダヴィットとの婚姻を『スティアが産まれたら』と定めていた。しかし、エイル――スティアの母親だ――が産後の肥立ちが悪く命を落とした際に、その話しは白紙になっている。もしも、エイルが生きていたら今のエミリアは『エミリア・ヴァークライト』ではなく『エミリア・クーレジュローゼ』であったあろう。
「スティア嬢。実は私はエミリアと約束した事があったのですよ」
「え? 何? 私が聞いて良いことなのかな?」
「勿論。他ならぬ貴女の事に関してでしたからね」
 ダヴィットは胸に手を当てて、思い出すように語った。スティアが大きくなったならば婚姻を結ぼう、と。騎士になるまで、姪が産まれるまで、姪が大きくなるまで、そんな事情を付けて先延ばしにした二人の婚姻はアシュレイの不正義によって『白紙』になった。
 それを愛おしい思い出のように語ったダヴィットは「しかし、今は不正義ではなくこの天義という国に認められた家門になったでしょう」とスティアに近寄りそう言った。
「え、あ、う、うん……」
 確かにそうだ。リンツァトルテとスティアは同じ立場にある。不正義として断罪された家門。しかし、国家転覆の危機より救った英雄の一角でもある。
 故に、コンフィズリーもヴァークライトもこれよりの国の未来を担う者として名を連ねることが許されて居た。
「ならば、我々の婚約も、復活させてもよいのでは」
「そもそも、婚姻に復活、という言葉が似合わない事象でしかないのですが」
 エミリアは嘆息した。婚約を解消しては下さいませんか、と。そう申し入れたのはエミリアの側だった。
 スティアを思い、表向きの婚約を解消すると告げたダヴィットに『一生来ない未来』を見てからエミリアは深く頭を下げたのだ。
 勿論、好き合っていたのは確かだ。スティアとイルが「え?」「どうなる?」と女子らしく囁き合っているのは少しばかり鬱陶しいが……だからといってもう一度はない。
「イル嬢」
「あ、はい」
「前に私が訪れたときに『私が騎士となり聖騎士団に所属すれば顔を合せられるのでは』と言いましたね。
 神の国という未曾有の事態を経て聖職者も黒衣を纏うことが許された今、騎士団に所属せずともエミリアと共に過ごす時間が与えられたのです。
 これか天義というこの国が私とエミリアの婚姻を祝福してくれていると言っても過言ではないでしょう」
 何を言って居るのだとエミリアは叫びかけた。イルは「あ、確かに」などと頷いている。何が確かに、だ。スティアも頷いている場合ではない。
 にんまり笑顔の少女達。片方は姪ではあるが、恋に恋するお年頃とはよく言ったもので、人の恋路に首を突っ込みたくて堪らないのだ。
 エミリアから見ればイルは自分の恋路をどうにかしろとも言いたいが、大人だ。野暮なことは言うまい。此処でイルを突けばリンツァトルテにまで波及して大騒ぎになってしまうだろう。
(リンツァトルテも気付いてやれば良いものを……他の女性に誘われてホイホイと着いていきそうな気がするが、それはイルの敗北という事で納得してやるしかないのだろう)
 エミリアは何となく現実逃避でその様な事を考えて居た。スティアの方はと言えば色恋の沙汰には特段疎い。
 鮫と戯れ、料理を大量に作り、命の危機をも及ぶような場所に捨て身で乗り込んでいくような娘だ。そうしたところが義姉に似ていて好ましいと思ってしまう辺りエミリアも『姪馬鹿』なのだろう。義姉――エイルは竜に会いたいのだと言いながら覇竜領域に乗り込もうとして止められるような娘だった。そんな破天荒っぷりが遺伝したスティアも混沌各地を堂々と闊歩している最中だ。
(……スティアが相手を連れて来たら私はどんな顔をするべきか……少なくとも、ダヴィットのような男でなければなあ……)
 失礼なことだが心の底からエミリアはそんな事を思って居た。思わずには居られなかった。此処は騎士団の詰め所で、エミリアにとっては執務室、詰まりは職場だ。
 そんな場所で自身の部下と、姪を前にして突如として公開プロポーズを仕掛けてくるのだ。己が何れだけエミリアを愛しているのかを堂々と語る姿には本当に、本当に、心の底から苦悩してしまう。
「……ダヴィット」
「心は固まりましたか」
「結婚しません」
「何故……」
 悲痛な表情をしたダヴィットにエミリアはぐうと息を呑んだ。会いたかった、押し掛けて済まない、そんなことを言う彼にエミリアとて、心が揺れ動いたのは確かだ。
 騎士という職位に立てぬのならば、それだけの力を身に付けると異邦の旅人から剣術を習い、聖職者であるのに前線にまで着いてくることを許された彼。黒衣を身に纏う姿は正直――エミリアも惚れた弱みという物がある――格好良いとさえ感じていた。
「……婚約は破棄したではありませんか」
「今、結び直そうと改めてアプローチをしているのですが」
「結構です。私と貴方の間にその様な甘酸っぱさは必要ありません。元より、家同士の約束であったではないですか。
 ヴァークライト家は不正義だと一度は断罪された家門。クレージュローゼであれば、もっと良い令嬢との婚姻も結べます。況してや貴方は――」
 其れなりに見目も良い、と言い掛けてから褒めるのが何となく癪だった。エミリアは唇を引き結んでから「ああ、もう」と呻いた。
「兎に角、だめです」
「え、どうして?」
「どうしてですか?」
 何故か追求してくるスティアとイルに「どうしても」とエミリアは唇を尖らせた。なんたって、相手とは10歳の頃からの仲なのだ。一度は婚儀を結ぶと約束までしている。
 情がある。何よりも、正直今でも彼を好ましく思っている。其れは確かなことなのだ。其れが確かなことであるからこそ――どうしても受け入れられない。
「私から破談を申し入れたのですよ。だと、言うのに今更どの様な顔をして貴方からの欲求を受け入れましょうか」
「破談だと思っていなかったのでね。表向きだと、そう認識していた。
 じゃあ、こういうのはどうだろうか。スティア嬢――此度、国を騒がせるイザコザが全て終ったならば私とエミリアの婚姻を認めて欲しい」
「えっ、私は別に今でも認めてないわけでは……?」
 きょとんとしたスティアにダヴィットはそれはそれは良い笑顔を浮かべていた。イルは「あ、この人、案外怖い人だ」と呟いてからリンツァトルテの背中に隠れる。
「イル……?」
「先輩は、何時までも其の儘で居て下さいね……」
 リンツァトルテは首を傾いだ。イルから見ればダヴィットは『作戦』をしっかりと組み立てた上でスティアに話しかけていることが分かる。
 エミリアは姪をそれはそれは大切にしている。目に入れても痛くはないだろう。何せ、彼女にヴァークライト家を譲り渡すが為に自らが強く在らねばと鍛錬できる女性だ。
 そんな彼女に『姪を証人』として婚姻を迫っている男が策士以外のなんであろうか。
「えーと、分かったよ。じゃあ、冠位傲慢の事が済んだら叔母様はダヴィットさんと結婚するんだね?」
「しませんよ、スティア」
「え? どうして。だって、叔母様って……うふふ、叔母様も素直じゃないなあ」
「スティア!」
 エミリアの悲痛な声が聞こえてからイルは更にリンツァトルテの背中にしがみ付く勢いで身を隠した。スティアも強い。純真無垢で、明るいというのはある意味で武器だ。
(私には無理だなあ……)
 エミリアから感じる冷ややかな気配も。スティアの陽だまりのような暖かさも、そのどちらもがぶつかり合って場の空気を混沌とさせている。
 表情を変えないままのダヴィットは「エミリアは素直じゃないところも愛らしいと理解していますよ」などととのんきなことばかり口にしている。
「ううん、でも、良いと思うな! 目標がある方が頑張れるよね!」
「ええ。エミリア、全てが終わったら黄金の薔薇を送らせて下さい。その時は必ず、承諾をして下さいますように」
「……ですから」
「え、叔母様、この期に及んで!?」
 驚いた様子のスティアがくるんと振り返ってから「ねえ、イルちゃん」と声を掛けた。巻込まないで欲しいと言いたげなイルの表情に気付いてからエミリアは不憫に思う。
 スティアはこういう所が本当に強い。何だっておおらかに受け入れてくれる姪っ子の強さにイルが恐れ戦いてリンツァトルテに引っ付いているが、困惑しているリンツァトルテもある意味で強いのだろう。
「……その答えも保留にさせて下さい。今は何も考えられません」
「保留ではいけませんよ。必ず。必ず答えて頂きます。エミリアは私を愛している。それだけは確かですからね」
 ダヴィットはそっとエミリアに手を伸ばしてから微笑んだ。
「ほら。振り払わないのですから、それは私を好いているという証拠です」
 ――この男には勝てないのだと、エミリアは頭を抱えて項垂れたのであった。

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