PandoraPartyProject

SS詳細

貴方との雨の日

登場人物一覧

藤井 奏(p3n000227)
作家
イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色

 鼠色の空から雨がぽつぽつと落ちている。イズマ・トーティス(p3p009471)は傘を跳ねる雨粒の音を聴きながら、海洋の街──リッツパークをゆっくりと歩いている。歩くたびに色とりどりの傘とすれ違う。雨粒が彼らの傘を元気よく飛び跳ね、水たまりの音が何処からか無邪気な笑い声とともに聞こえている。
(何の音だ?)
 イズマは耳を澄ます。雨は建物をつたい、屋根のトタンを打ち、遠くで鳩の声が聞こえはじめる。
(ああ、賑やかだな)
 イズマは微笑する。湿気で打楽器の音程が狂うのは嫌だが聞こえる音には心が踊るのだ。イズマは軽やかに道を左に曲がれば、「へぇ、紫陽花か。奇麗だ」
 花壇に咲いた真っ青の紫陽花と目が合った。
(時間があれば、一緒に紫陽花を見るのもいいかもな)
 紫陽花に目を細めながら、イズマは待ち合わせの相手を思った。雨の日の今日、イズマは彼に会う。ただ、彼と何をするかはまだ、決めていない。
「お、カエルだ」
 くすりと笑う。紫陽花の葉にカエルが寛いでいる。
「こんなに近いのに逃げないんだな」
 逃げないカエルを見つめ笑う。カエルはイズマをジッと見つめている。

 雨の日に会おう。それだけを伝え、イズマは彼に待ち合わせ場所の地図を手渡した。「どうして?」と彼は不思議がっていたが、イズマは内緒だと笑ったのだ。たちまち、彼は瞳を子供のように輝かせ、「内緒かぁ。イズマ君はロマンティックだね」と微笑んでいた。今日はそんな彼との答え合わせの日だ。どんな表情をするのだろう。彼のことだ。びっくりして笑うのかもしれない。
「こんにちは」
 イズマは振りかえった。犬を散歩している少女がイズマに声を掛けたようだ。華やかでよく通る声だ。
「こんにちは。おや? お揃いなのがいいな」
 イズマは言った。少女とコーギーはイエローのレインコートをぴかぴかと輝かせている。
「そうなの、おばあちゃんに買ってもらったんだ!」
 少女は眩しい笑みを浮かべた。コーギーは耳をピンと立て、イズマと少女の会話を静かに聞いているようだった。賢い子なのだろう。コーギーは茶色の瞳でじっとイズマを見つめながら、健康的な舌を出している。
「それは良かったな。似合っているぞ」
 時折、強い風がイズマの青い髪をさらい、頬に雨粒を飛ばす。イズマは目を細め、頬を濡らす雨を右手で拭う。
「ありがとう、お兄ちゃん」
 少女の声に合わせるようにコーギーがイズマに向かって力強く吠えた。雄々しい声に気が付けばイズマは笑っていた。
「ああ。転ばないようにな」
「うん、お兄ちゃんもね」
 イズマは手を振り、少女とコーギーを見送り、すぐに歩き始める。ぽつぽつと降っていた雨は土砂降りに変わっていく。傘を打つ雨音が激しい。雨の匂いが鼻先に触れる。冷たくて静かな香りがした。梅雨の匂いだ。
「よっと」
 濡れた石畳を滑らないようにしっかりと踏みしめ、イズマはふと、身を震わした。
「寒くなってきた」
 傘から流れた滴がイズマの肩をしっとりと濡らしていた。震える。身体を温めたいと思った。少しだけ、歩く速度を速める。細い道を右に曲がり、今度は真っ直ぐ進む。
「着いた、此処だな」
 安堵する。入り口には看板が置かれ、『雨の日限定のマルシェ』と書いてあった。行ったことは無かったが、イズマはこのマルシェを雑誌で知ったのだ。マルシェは長い一本道で、左右に屋台のような店がずらりと並んでいる。雨をしのぐ屋根があり、中央部には丸いテーブルが縦に並び、人々は食事を楽しんでいるようだった。賑やかで眩しくて、暖かい。豆のスープに野菜スティック、それにサンドイッチを食べている者もいる。老若男女の楽しそうな声と、笑顔が見えた。優しい場所だなとイズマは思った。穏やかな空間。此処は人々の憩いの場なのだ。何だか、もう、この場所を好きになっていた。
「皆、楽しそうだ。ん? カレーか」
 ホッとするよう香りがしたのだ。
「ええ、今日はカレーが人気のようですよ」
 青年が微笑んでいる。見たところ、店員ではなく、イズマの呟きに親切心で答えてくれたようだ。
「それはいい。身体が温まる」
「そうですよね、マルシェは屋根があるけど此処に来るまで濡れてしまうから」
 青年は言いながら、「でも」と笑った。優しい笑みだとイズマは思った。
「僕はこのマルシェが好きなんですよね」
「俺も初めて来たけどこのマルシェから優しい音が聞こえて、いい場所なんだなってすぐに分かった」
「ええ、雨の日が楽しくなる素敵な場所です。寂しい時に行くと元気をもらったりして。あ、カレーは緑のキッチンカーで売っていますので良かったら食べてみてください」
 男はマルシェの奥を指さし、味を思い出しているのだろう。柔和な表情を浮かべる。男の表情からカレーがとても、うまいことが分かった。
「教えてくれてありがとう。それに、楽しかった……君と話せて良かった」
 イズマは目を細める。男は嬉しそうに頷き、「僕もです」と微笑み、イズマから離れていく。マルシェの入口で彼を待っているとぐぅと腹が鳴った。笑いながら腹を擦る。そろそろ、彼が来る頃だろう。イズマは人々を眺める。
(すれ違わないようにしないとな)
 イズマは人の流れを注意深く見つめる。すると。

「イズマ君」
 優しい声が降りた。途端に彼との思い出が蘇った。視線の先に待ち人、藤井 奏 (p3n000227)が立っていた。見つけるより先に見つけられたようだ。奏は傘を閉じ、イズマに笑みを浮かべている。
「奏さん」
 イズマは背の高い彼を見上げる。
「もしかして、待たせちゃった?」
「いいや。来たばかりだ」
「それは良かった。ふふ、イズマ君の内緒は此処だったんだね、驚いたよ」
 奏は傘を閉じ、ニコリとする。
「奏さんの好奇心をくすぐると思ってさ」
「うん、雨の日限定のマルシェは初めてだからワクワクするよ」
「俺もだ。知ってはいたけど、行くのは初めてだから」
「そっか、楽しもうね。わ、人がいっぱいだねぇ! 楽しい雰囲気がする」
 奏はそわそわし、背筋を無意識に伸ばしながらマルシェを眺めている。
「ふふ、そうだな。はぐれないようにしないと」
 奏とともにアクセサリー売り場を通り過ぎる。石のついたピアスやシンプルな細い指輪やアンティーク風のブレスレットが見えた。
「そうだね、イズマ君から離れないようにしないと」
 奏は笑ったかと思えば、顔をしかめるように小さなくしゃみをする。
「失礼。梅雨寒で冷えたのかも。いや、雨のせいかな」
 奏は困惑を含んだ笑みをイズマに向けた。イズマは奏を見上げる。奏の髪は濡れ、ジャケットから雨の匂いと奏の香りがした。
「分かる、寒いもんな。俺も雨で濡れたから何か温かいものが食べたいと思っていたんだ。奏さん、お腹は減ってるか?」
 イズマは目を細める。待ち合わせを昼にしたが、どうだろう。
「勿論! イズマ君とランチが食べたくて朝ごはんを少なめにしてきたんだ」
「今日の奏さん、沢山食べそうだ」
「そうさ、楽しみで早起きもしたしね。さあ、イズマ君。何を食べようか?」
「そうだな……さっき、カレーがあるって聞いたけど」
「え、カレー!?」
 何気なく、口にした言葉に奏が反応する。奏の大声にマルシェを歩く人々がびっくりした顔で振り返り、イズマと奏を眺めた。イズマは笑った。
「はわぁ……」
 奏は慌て、真っ赤な顔をしている。
「カレー、好きなんだな」
 イズマは言いながら、あの時もカムイグラの奇麗で穏やかな海で奏とカレーを食べたことを思い出す。
「あっ、う、うん。そうなんだ」
 恥ずかしいのだろう、奏は途端に小声で話し始める。
「ごめん、声が大きかったね」
「いいや。むしろ、好きなものがマルシェにあって良かった。じゃあさ、カレーにしよう、奏さん」
「いいの?」
「勿論だ!」
 イズマは笑いながら、「奏さん、あっち。緑のキッチンカーだってさ。何だか、心が躍るな」
「うん、どきどきしてきた」
「ふふ。あ、奏さん、あったな」
 イズマは指をさした。そう、緑のキッチンカーを見つけたのだ。イズマは息を深く吸い込んだ。此処だ。さっき、この香りを吸い込んだのだ。本当に良い香りがする。
「いらっしゃいませ。無料でライスの大盛りも出来ますよ」
 柔和な店員が波のような声で言った。
「どうする、奏さん? 大盛りで大丈夫か?」
「うん!」
「分かった。大盛りを二つ」
 財布を取り出し、イズマは料金を支払う。
「ありがとうございます」
 店員がてきぱきとカレーを準備している。深い茶色のカレーが粘り気のある真っ白なごはんにたっぷりとかけられる。こそりと奏が「あとで支払うね」と耳打ちする。イズマは頷く。そんな短いやり取りの間にトレイに山盛りのカレーがのせられていく。
「お待たせしました、席はあちらへどうぞ」
「ありがとう」
 奏とイズマの声が揃った。

 大きく切られたじゃがいもに人参、カレーに溶けた玉ねぎがきらきらと輝き、濃い赤茶の福神漬けが添えられている。カレーは熱々だ。
「美味しそうだな、奏さん」
 口元が綻ぶ。テーブルのカレーが湯気を放っている。食べる前から、美味しい。
「うん、幸せだよ」
 奏は笑い、ふぅと息を吸い込んだ。
「よし、食べよう、イズマ君!」
「ああ!」
 カレーを前に気合を入れる。イズマと奏は向かい合い、手を合わせた。「いただきます」と。
「んっ!? 美味しい! 奏さん、じゃがいもと人参がごろごろで食べ応えがある」
 イズマは目を見開きながら、大きな口で何度もカレーを口に運ぶ。豚肉もたっぷり入っている。
「はぁ〜、染みる……!」
 空腹が満たされていく。カレーの美味しさと熱さに身体がどんどん、元気になっていく。スパイスにショウガとにんにくの味を感じる。
「うん。辛さも丁度よくて美味しい。久しぶりのカレー、美味しいなぁ! 豚肉も柔らかいよ」
 奏はにこにこと笑いながら、カレーを咀嚼している。ふと、奏が「そういえばさ」と口を開いた。奏の声に雨音とマルシェの活気が静かに混じり合っている。心地よい音だ。
「うん?」
「イズマ君と前もカレーを食べたよね」
 奏は照れた顔をする。イズマとのキスを思い出しているのかもしれない。
「そうだな。あの時のカレーも美味しかった」
 イズマはふっと笑う。初対面の奏を依頼としてだけど、口説いた懐かしさと可笑しさが蘇ってくる。
「そうそう、美味しかった! それにね……あの時のイズマ君、かっこよくて情熱的でああ、これが恋なんだ……!って物語の主人公になったみたいで至極、どきどきしたなぁ~!」
「そんな風に映っていたんだな。良かった、参考書を読んでおいて」
 イズマは微笑する。
「え? 参考書?」
 奏はどういうことだろうと不思議そうな、好奇心を孕んだ瞳をイズマに向けながら、カレーを口に含んだ。
「そうそう。奏さん、気になるだろ?」
 神漬けをぽりぽりと咀嚼する。妙味を感じる。
「うん、聞きたい!」
「はは、即答だな。おじさん総受けの漫画や小説が何処からか届いてさ、読み耽ったんだ。ジャンルは知ってたけど読むのは初めてだったな。だから、何だか新鮮だった」
 イズマはにっと笑い、カレーを口に含んだ。食べながら額に汗が浮かんでいく。大盛りだが、あっという間に食べ終わりそうだ。むしろ、おかわりも出来そうなくらい美味しい。
「媚薬の話もあったり酔っ払いのおじさんを拾った話もあって当時、びっくりした記憶がある」
 イズマが言うとうんうんと奏が頷き、楽しそうに目を細めた。
「展開が何でもありだけど、面白くて引き込まれるよね」
「ああ、気が付いたら夜中だったり朝だったり、夢中だったな」
「ふふ、あの時の話が出来て楽しいな。裏話というかイズマ君の努力の話が聞けて嬉しい。君はいつも、全力投球なんだね、凄いなぁ」
 奏はにこりと微笑み、カレーをぱくぱくと口に含んでいく。奏の食べっぷりが気持ちよい。
「褒められるのも悪くないな。ありがとう、奏さん。こんな風にゆっくり、話をするのもいいな。カレーも美味しいし」
「ね、時間が穏やかに流れてるね」
「ああ、楽しくて穏やかで……身体もぽかぽかになってきた」
 イズマはジッと奏を見つめながら笑う。耳に触れる優しい雨音。それにマルシェを楽しむ人々の声が聞こえる。
「そうだね。ああ、楽しいな……」
 奏の声にイズマは頷き、カレーをまた頬張るのだ。今日の穏やかな日を、ずっと覚えていたいと思った。

おまけSS『イズマ・トーティス様』

 白色の小包の中には、真っ青な封筒と円柱型の紅茶缶が入っていた。封筒を開ける。そこには青い便箋が一枚。丁寧に文字が書かれている。

『イズマ君へ

 こんにちは。先日、幻想の町を散歩していたら美味しそうな紅茶のお店を見つけたんだ。良かったら、飲んでみてね。

  君の友人 藤井 奏より』

 ブリキ製の紅茶缶を開ければ、黒みを帯びた褐色の茶葉と静かな香りを感じる。息を深く吸い込む。この香りは、キャンディだろうか。


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