PandoraPartyProject

SS詳細

青を散らす

登場人物一覧

寒櫻院・史之(p3p002233)
冬結
冬宮・寒櫻院・睦月(p3p007900)
秋縛

 二人とも休みの日に、睦月と映画館でデートをした。
 苦いようで切ない、胸を刺すような痛みを与えてくる、男女の恋愛を描いた物語だった。史之が仕事の際に貰った映画がこれだったというだけで、史之がこの映画を見たいと言ったわけでも、睦月がこの物語に興味を示したわけでもない。ただ、浮気がちな男に嫌気がさしつつも、彼からほんのわずかに与えられる愛情らしきものを手離せずにいる女の演技には目を見張るものがあった。

 あらすじだけ書きだせば、気分の良い話だとは言えないだろう。話の構成に関してもいくつか疑問に思うところがあり、ストーリーについては人に勧められるのかと聞かれれば、否と答える。しかしその話の粗さも、すっきりとしないあらすじも覆い隠せるくらいには、女優の演技は凄まじかった。

「あの女優さんのための映画だったね」

 映画館を出て、史之が最初に呟いたのはこの一言だった。睦月も同じようなことを感じ取ったようで、こくこくと頷いている。

「もう好かれてないって分かってるけど、見せかけの愛情を本物だと思い込もうとしているところ、魅入っちゃった」

 青い紫陽花の花言葉である移り気や浮気をテーマにした話で、浮気される側の女がそれをどう受け止めていくのかに焦点が当てられていた。作中では恋人が浮気をする時にはよく紫陽花が画面に映っていたため、帰路を歩いているときに紫陽花を見つけると、他の話をしていても映画の話に戻る。

「出張でもないのに何日も家に帰って来なかったら、浮気を疑うよね」
「うん。いつものことだな、で流せないよ」

 映画の主人公に同情と批判を半々に感情移入している睦月は、時折唇を尖らせたり眉を寄せたりと、ころころと表情を変える。その様子が可愛らしくて、少し揶揄ってみたいという気持ちが生まれる。

「カンちゃんは、俺が何日も帰って来なかったらどう思う?」

 睦月は立ち止まって、きょとんとした様子でこちらを見上げてきた。

「何日もかかる依頼じゃなくて、何も言わずに何日も帰って来なかったら、ってことだよね?」

 史之が頷くと、睦月はその時のことを想像したらしい。表情にすっと影が差した。

「しーちゃんに何かあったんじゃないかって、心配になる」

 涙で薄い膜の張られた目が、どうしてそんなことを聞くのかと訴えてくる。睦月はいつも、史之が無事に帰ってきてくれるように、何事もないようにと祈ってくれているのだ。そんな彼女にもしものことを尋ねるのは、冗談だとしても些か酷だったと思い直す。

「ごめん。でも、浮気は疑わないでいてくれるんだね」
「疑う? どうして?」

 史之が苦笑すると、睦月はぷうと頬を膨らませた。少し頬を赤らめて、ふてくされたように見上げてくる睦月は可愛らしくて、こんな表情をさせたのが自分なのだという事実に浸りたくなった。

「しーちゃんも、僕が帰って来なかったら何かあったんじゃないかって心配になるでしょ?」
「なる。探しに行ってしまうよ」

 浮気なんて疑うはずがない。彼女は自分のものであり、自分は彼女のものだ。そこに他人が入り込む余地なんてない。もしそこに誰かが入り込むのであれば、それは二人の仲を引き裂こうと企む誰かであろう。尤も、そんな者が現れることがあれば容赦はしないが。

「もししーちゃんが帰って来なかったら、僕も探しちゃうからね」
「うん。そうならないように、仕事の時には気を付けるよ」

 気を付ける。そう言うのは簡単だが、実際は口で言う程簡単ではない。闘いには当然相手がいるし、毎度一人で戦うわけでもない。引くことのできない闘いもあれば、引き際が読めないまま混乱に陥っていく争いもある。
 紙一重で命が助かるなんて、戦場では珍しいことでもない。それは同時に、紙一重で助からなかった命もあるということだ。無事に帰ってくるなんていう約束は随分と軽薄ではあるが、その誓いがあるからこそ守れる幸せもある。

「きっと帰ってきてね」

 そう真剣に言う睦月に頷きながら、今度の依頼は難しいものだったと思い出す。死が頭にちらつくような内容ではあったが、約束した手前、帰って来なければならない。

「大丈夫。カンちゃんとの約束は守るよ」

 睦月の手を握り、優しく微笑む。睦月の後ろに咲く紫陽花で視界が青く染められながら、自分に約束を守れるだけの力があると信じた。



 戦場は紫陽花が咲き乱れる庭だった。この広々とした洋館の主が好んで育てていたというそれは、戦場には不釣り合いなほどに色鮮やかで、凛とした雰囲気を作り上げている。
 洋館の主が死んだ後、どういうわけかゾンビに似た何かがこの庭に住み着くようになったらしい。それらを討伐するのが今日の史之の仕事だ。敵の脅威も不明な部分がありはしたが、史之は冷静だった。

 史之が太刀を振るうと、青や紫の紫陽花に赤い血がかかる。元々赤い色の紫陽花は自然の色の上に新たに絵具をつけられ、降りかかった赤を払うように血を滴らせた。

 敵は人の形をしてこそいるけれど、中身は別の何かにすり替えられているらしかった。斬れば赤で染まるし倒れもするが、相手に人間の意思があるようには見えない。元々殺人にさしたる躊躇いのない史之だ。目の前にいる敵を斬り捨てていく太刀筋に、迷いを持たせることはない。

 一人、二人。途中から数えるのをやめた。赤く染められていく視界に、次第に思考が麻痺していく。
 人の命を手に掛ける罪悪感は、どこかに捨ててしまった。もう過去のどこかで自分の心は擦り切れてしまっているのだろう。しかしそのおかげで成果を残すことができるのなら、睦月を守ることができるのなら、今より壊れても良い。

 最後の一人は首を刎ねて殺した。首が落ちる音を聞いたとき、泥の中から引き上げられるような感覚があった。視界に赤以外の色が戻る。
 切れた息を整えながら、太刀についた血を払う。それを鞘に納めたときに、後ろから別の足音がした。

 気配がしなかった。足音も、間近に迫ってから聞こえた。振り返った先、そこにいたのは先ほどの敵とは全く違ういきもの。獣と呼ぶのが相応しい化け物が、目と鼻の先に迫っていた。

 逃げる間も、太刀を抜く間もなかった。気が付いたときにはその牙が目と鼻の先に迫っていて、視界が暗闇に覆われた。


 しばらくの間続く痛みを、どうやって耐えたのかは覚えていない。どこかで気を失っていたかもしれない。ぼんやりと目を開けた時は視界が青色に覆われていて、紫陽花の上に投げされているのだと気が付く。
 なんとか首は身体に繋がっているようだったが、左腕が動かない。どうにか立ち上がれないかと足に力を入れるも、靴は地面を滑るばかりだ。助かろうとして藻掻く度に自身の身体からは血が流れ、その命をすり減らしていくようだった。

 助からない、か。そう気が付けば恐怖と虚しさ、それから悲しさをない交ぜにした感情がこみ上げてきて、ああ、と小さな声が零れた。
 死を受け入れるのには時間が足りなかった。しかし睦月との約束を果たせないのだということは理解できて、彼女への申し訳なさが募る。

「睦月」

 こんなことになるのなら、愛していると何回も伝えてから家を出てくればよかった。

「ごめん」

 朦朧としてくる意識の中、彼女との思い出を手繰り寄せる。視界が暗くなる度に彼女の笑顔を思い浮かべて、命を手離すまいと足掻く。しかし史之の意思とは裏腹に視界を包む闇は広がっていき、とうとう瞼が開かなくなった。

 最後に脳裏に映し出したのは、映画デートをした日のこと。睦月が自分のことを信じていてくれるのは分かっているが、「浮気じゃないよ」と呟きたくなった。しかしもう、唇が動かない。

 いつだってこの心は睦月のものだよ。

 あいしているよ。この想いがせめて、彼女に届けばいいと願った。



 あいしているよ。そんな史之の声が聞こえたのは、睦月が一人で昼食を食べているときだった。
 史之は依頼で遠くに出かけているはずだ。帰ってくるには早すぎる。近くにいるはずがない。それなのに彼の声は静かに、しかしはっきりと睦月の耳に届いた。

 気のせいだと思い込むには、その声は鮮明だった。しかしその音は虚しさややるせなさ、悲しみが込められた弱々しさがあって、気のせいであってほしいとも思う。

 胸騒ぎが収まらないまま、夕方になった。史之が帰るのは明日の朝の予定ではあったが、外の様子を何度も確かめて、夜まで待った。
 翌朝。玄関の扉は開かない。
 昼過ぎ。庭には足音一つ響かない。
 夜。史之はまだ、帰って来ない。

 何かあったのか。依頼が長引いているだけならまだいいのだが、胸騒ぎは「そうではない」と伝えてくる。あの声は無事を知らせるようなものではなかった。今後の死を意識したような、別れを告げるような響きすらあった。
 ここまで考えて首を振る。彼は帰ってくると約束したのだ。信じて待つのが、妻である自分にできることだろう。

 彼が帰ってきたときに温かく迎えられるように。そう思って家のことにせっせと取り組もうとしたが手につかず、部屋は散らかっていくばかりだった。

 二日経っても、史之はまだ帰って来なかった。探しにいこうと決め込んで、荷物を鞄に詰めているときに、その知らせは届いた。

「亡くなったの、ですか」

 彼の訃報を知らせてくれたのは誰だったか。イレギュラーズの誰かだったような気もするし、領民の誰かだったような気もする。その人が彼の死を嘆き、睦月を憐れむような態度をとってきたことはぼんやりと覚えているのだが、伝えられた事実は睦月の胸を深く刺し、それ以外のことを忘れさせてしまった。

 床に座り込んだまま、動けなかった。受け入れたくない、認めたくないと胸の中で自分が叫んでいる。しかし粉々に砕けた心は、彼が二度と帰って来ないという事実を理解しはじめていた。

「しーちゃん」

 帰ってきてよ。

「待ってて。迎えに行くから」

 約束守るって言ったでしょ。

 この身体のどこに立ち上がる力が残っていたというのだろう。しかし玄関の扉まではすぐに手が届いて、睦月は靴もろくに履かないまま外に飛び出していた。

 外は雨が降っていた。ざあざあと降り注ぐ水滴は睦月の服をすぐに重たくさせ、履きかけの靴を捉える。気が付けば地面に投げ出されていて、打ち付けた膝を抱えるように身体を丸める羽目になった。

 雨が頬を打ち、水滴を地面に流していく。涙を混ぜ込んだそれは地面を濡らし、泥は髪を汚した。叫ぶ声も嗚咽も雨に吸い込まれ、睦月を空にしていく。

 当たり散らすように庭を転がると、青色の塊が視界に飛び込んでくる。紫陽花だと気が付いたとき、睦月はその花をむしり取っていた。

 史之が次の戦場は紫陽花が咲く場所だと言っていた。史之が死んだのは、殺されたのはそこなのだ。

「こんなもの、こんなもの」

 一緒に出掛けた日、あんな話をしたからだろうか。もし帰って来なかったらなんて、そんな話をしたからだろうか。
 揶揄うための彼の言葉を、睦月は違う意味で捉えた。彼の死を恐れて、彼の死を連想したから、本当に死を連れてきてしまったのだろうか。

 むしり取られた紫陽花が、地面に青い涙を零していく。

「死んじゃうくらいなら、浮気のほうがマシだよ」

 人の死は曲げられない。いつか命は尽きる。だけど、いくらなんでも、こんな若くして命を落とすことはないではないか。別れの挨拶くらいさせてほしい。愛していると、言わせてほしかった。

 あの時囁かれた声は、睦月に別れを告げるための言葉だった。史之の声は聞こえても、顔は見えない。睦月だって何も伝えられていない。
 嫌だ。こんな別れ、嫌だ。

「しーちゃん、帰ってきてよ」

 会いたいと願う度、彼はもう戻ってこないのだと突き付けられる。それでも帰ってきてと叫び続ける。

 涙が枯れても、声が枯れても。身体が冷え切っても、紫陽花をむしり続ける。時が戻るわけでも、彼が帰ってくるわけでもないのに、青色を散らすのをやめられなかった。

  • 青を散らす完了
  • NM名花籠しずく
  • 種別SS/IF
  • 納品日2023年06月07日
  • ・寒櫻院・史之(p3p002233
    ・冬宮・寒櫻院・睦月(p3p007900
    ※ おまけSS『赤に変わる』付き

おまけSS『赤に変わる』

 史之の葬式が終わり、しばらく経った頃。庭の紫陽花が赤く変わった。

 紫陽花をむしり取った後、その花たちに一抹の罪悪感を覚えて、新しく肥料を与えたのだ。紫陽花は土壌の状態によって花の色を変える。肥料に含まれていた成分がどうやら土壌を変えてしまったらしく、青かった花が赤く変化した。

 血の色みたいだと、睦月は思う。彼が命を散らした場所も、紫陽花の色は赤く染められたというから、彼がここでまだその生を燃やしているような錯覚を覚える。だけど同時に、破滅的なようで情熱的なその色は、彼が最後に向けてくれた愛情を思い起こすのだ。

 彼と一緒に生きることができないのなら、一緒に死にたかった。だけどそれは彼を悲しませる。彼の愛を抱えて生きていくしかないと自分に言い聞かせて、赤い紫陽花に触れる日々を過ごしている。
 いつか再び出会える日に、胸を張れるように。会いたかったと言って抱きしめられるように。生きて生きて、生き抜いていくと誓うのだった。

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