PandoraPartyProject

SS詳細

青褪めた果実

登場人物一覧

アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
大樹の精霊

 不誠実な真実を記した聖書を読んだような、奇妙な気分になった。それは言うまでも無くアレクシア・アトリー・アバークロンビーという娘の記憶にもない記載であったからだ。
 日々を記したノートには見慣れた筆跡で一方的な視点での感想が並んでいる。それがアレクシアという少女の過ごしてきた日常であることを本人アレクシアは理解していた。
 理解していたからこそ、奇妙な気分になったのだ。独白モノローグは、不誠実な語り部の行なったミステリー小説めいていた。大切な思い出だと書き記したそれは断片的に消え失せて、アレクシアの中には欠片ずつしか残っては居なかった。
 指先で文字をなぞる。あの日、あの時、あの瞬間まで、確かに存在していたはずのアレクシアは今はない。
 アレクシアは思い返す。あれはひとときでも、と願ったエゴイズムの象徴だった。大義のためだとは決して言い切れない、自分の欲求だ。万人を救うという夢を笑う者だって多いだろう。当たり前の様に信じていた未来を求めて喪ったのはにとっては小さすぎる代償で、アレクシアにとっては大きすぎるものだった。
 いつかの日にアンテローゼ大聖堂の司祭に聞いた記憶の保管。ヘクセンハウスという魔女は、記憶守なのだそうだ。彼女の忠告が、今はアレクシアの背中にぺたりと張り付いている。
 影のようにそれはアレクシアの痩せた体を抱き締めて囁いてくる。記した記憶の欠片が自らのものだと認識出来なくなったとき、魔女はどう考えるのか――そう、己の存在に疑問を覚えるのだろう。永きを生きる幻想種であるアレクシアにとってこれから等しく喪われていくであろう記憶の欠片。それらを疑えば、自らをも疑うことになる。
 ――果たして、自分は誰なのだろう?

 アルティオ=エルムでの戦いを経て、アレクシアはひとりで立っていることに不安を覚えた。
 自らをアレクシアとたらしめたのは培った経験と抱え続けた信念、それから――記憶だった。
 その一部の欠落に気付いたのは友人と話したときだ。他愛もない、思い出。肩を寄せ合い見た景色を思い出す何てことのない日常にアレクシアは違和感を覚えた。
 語られる全てが他人事のようだった。下手な三文芝居で誤魔化したとて、いつかは露見する。実感のこもらない空の色、共に歩いたという道の進み方すら知らぬ不慣れさ。
 アレクシアとは何か。自らの記憶に問い掛ける事さえ出来ない理不尽で恐ろしい現実はその細い肢体を蝕む病の如く。
 寝台の上にごろりと転がって見た天井は何時もと変わることがなかった。久方振りに実家の寝台を借りれば、外を羨んだ頃と比べれば伸びた背丈で窮屈にも感じられる。
 窓の外から覗き込み笑いかけてくれた兄はアレクシアの棲まうファルカウにて微睡んでいる。優しいおしまいは穏やかな奇跡の一端であった――筈なのに。
「アレクシア」
 呼び掛けられてからアレクシアはかんばせに青い色を貼り付けていることに気付いた。疲れているのだと眠るようにと幼子に言い聞かせるように叱られたとて碌に瞼を降ろすことも出来やしない。
 今、眠ってしまえば次に起きた場所は果たして幸せなのだろうか。
 夢を見て居られたならば幸せか。もしくは、今が夢なのか。

 ――夢を見た。当たり前の様な、日常だ。ツリーハウスの外にはプランターが置いてある。種を植えて、大きくなるようにと声を掛けて育てたのだ。
 花だけではなく、野菜なども育てようかと提案したのは幾人かの友人が訪れるようになってからだ。育てた野菜を使って食事をするのは、嘸や美味しいだろうと思ったのだ。
 水を遣りながらそんな未来を夢想した。忙しない日々でも欠かさず水を遣ってきた。それが育っていくことが嬉しかったからだ。

 ――夢を見た。当たり前だった、日常だ。ツリーハウスに帰ったとき、プランターで萎びたトマトが困ったように頭を垂れていることに気付いた。
 どうしたのだろうかと眺めて見遣れば幾重にも戦いを重ねてきた最中に、その存在をすっかりと忘れていたことに気付く。まだリカバリーは出来るだろうか。
 ごめんねと謝りながら支柱を立ててやった。実がついたばかりのトマトの悲しげな様子にしっかりしなくてはと頬を張った。

 ――夢を見た。当たり前でもない、日常だ。昏い戦場の中を駆けて行く。何時も通りの武装に身を包んで走って行く。
 幼い子供が項垂れていた。傍らには動く事の無くなった躯が転がっている。母親だろうか。唇を食んだ。
 縋り付いたその幼い命を守らなくてはならなかった。光が、溢れる。
 花咲くように魔力が踊った。花片の一枚一枚に、記憶を見た。細かな、アレクシアがアレクシアであったかたち。喪って行く

「――――っ、」
 吐出した息は重苦しく。ここは戦場ではなかった。嗅ぎ慣れた薫りに、慣れ親しんだ天井が存在している。
 ふらりと訪れたアルティオ=エルムの自室であった事に気付いたのは幾許かの時間が経ってからのことだった。
 白い指先がシーツを掻いた。榛の色の髪が広がって目を伏せる。爪先に乗せる色彩もなく無闇矢鱈と着飾る事も無く、ただシーツに埋もれていた。
 嗅ぎ慣れた薫りは心を落ち着かせる。世界が可能性を与えていなかったならば、ずっとこの窓から外を見詰めていたのだろうか。籠の鳥、だなんて言葉にすれば笑ってしまう。
 此処に居たならば読んだ物語の一字一句を間違えることなく読み上げることが出来たのに、外に行ってから双眸が写した世界の鮮やかさで、物語の内容も遠離ってしまった気がした。あれだけ好んで何度も捲ったページさえ、今は挿絵の美しさだけを覚えて風化していくのだ。まるで、朽ちて行く花のように。
 捨て去ったわけではないけれど、溢れるときは一瞬だった。首を擡げて落ちていく花のような、ぐずぐずに崩れていく果実のような。
 記憶もそうしたものだったのかもしれない。アレクシアの記憶は失われて行く。パルズのピースを零したように、ぽろぽろと。
 落ち始めてからは気付くのは早かった。それが紐付いていることに気付いたのは握る杖に灯った魔力の鮮やかさに、四季の美しさを見たからだ。
 全部が全部、そうではなかった。けれど、魔女の残した呪い不治の病は意地悪で。
 手から離してしまった魔法道具達を見る。アレクシアの魔力を籠めれば美しく咲き誇る霊樹の杖。大切な思い出として握り締めた蒼穹の色。
 その全てが、光の粒子を伴って、アレクシアの記憶を奪い去っていた。
 ――魔女は、意地悪だ。

 一頻りの奇跡に頼ってから、万人を救うための英雄願望ヒーロー志願者は雪深き国へと向かった。
 命を落とす人々の餓え苦しみ泣き叫ぶ声を聞く。必ずしや、雪解けの春をと求め戦った。
 我武者羅だった。休眠するペロフスキアを励まして、凍り付いて行くナナカマドをの下で生きていてと叫んだ。
 持ち込んだ食器は直ぐにボロボロになってしまったが、腹を満たす事が出来たと泣いて感謝を伝えた母親の、傍でまろい掌を差し出す幼子の笑顔だけは忘れようもないものだった。
「天使様」
 そう呼ばれた時にどきりと胸が跳ねた。
「大丈夫だよ」
 抱き締めた温もりは、冬の寒さの中では穏やかな灯火のようだった。愛おしい、ぬくもりを護る事が出来た事への充実感は何物にも代えられない。
「天使様の、おめめは綺麗だね」
 そっとまろい掌が頬に触れた。柔らかで、暖かなその感触に「そうかなあ」と笑いかけた。眸を合わせ、笑い合える事だけが全ての救いであった悍ましき底。
 隘路から抜け出したような、仄明かりが差し込んだ。
「お空の色だね」
 ――ああ、そうだ。アレクシアの空色の瞳は、吹雪く鉄帝国では遠離ってしまったものだった。
 雪色の空は、全てを覆い隠してしまうから。子供は、アレクシアの眸に希望を見た。
 洋灯の中で揺らいだ微かな光を求める程に、細く頼りない希望だったのかも知れない。小さな糸を縒って作ったよすがは、蒼穹の魔女が与えたものだった。
 もしも、アレクシアが船頭であったならば、子供達を安全な岸へと船へと降ろし、自らはまた恐ろしき場所に向かっていくだろう。それがアレクシアの存在意義で、自らに定義した在り方であった。
 けれど――
 全て裏腹に奪い去っていく。
 苦しみ喘いだ冬を越え、春が訪れたときに、忘れてしまったのだ。
 幼子の笑顔も、その時見付けた花の名前も。ぐずぐずに崩れ落ちた果実は元には戻らない。
 ただの燼のようだった。燃え盛った、出来損ないの灰。崩れ落ちてしまえば一瞬で形さえ分からなくなるなけなしの記憶。
 魔力を使えば、使うほど。戦えば、戦うほど。記憶は失われ、世界が色彩を変えて行く。
 見えていたものは見えなくなっていく。形を変えていく。全てが変化して行ってしまう。
 ――アレクシア。
 呼ぶ声さえも、いつかは忘れてしまうのだろうか。

 酷く、歪な現実が、酷く恐ろしかった。
 怖くなど無いなどとは言えなかった。嘘では無い。嘘を吐いて良いことなど、何処にもないからだ。
 いつか記憶が朧気に喪われていくことは、覚悟をしていた。片鱗を見出してから、毀れ落ちていくそれを眺めて居ることしか出来なかった。
 それでも、記した日記がみちしるべだった。残しておきたい記憶を魔導書に記載すれば鮮やかに思い出させてくれた。
 けれど、眺めた文字列はまるで他人事だった。
 空で笑った太陽の美しささえ、覚えてやいない。雨に踊った雫の軽やかささえ、霞んでしまっている。
 モノクロームの世界は思ったよりも青空を莫迦らしく見せていた。キャンバスに
 どうしよう――と。口をついて出た言葉は酷く実感の伴わぬものだった。自覚してしまった以上、首を擡げた不安を受け止めきることはできやしない。
 己がただの女の子であったならば取り乱して泣いただろうか。晴れ晴れとした空の下、熟れきってしまった果実のように世界の全てを知った振りをして泣いてしまえただろうか。
 生れ落ちてからと言うものの、望んだ世界を与えられることはなかった。悪戯めいた不幸はアレクシアの肉体を蝕んで、体内を巡った魔力を貪った。体内に奇妙な生き物を飼っていたかのように。
 宿主患者になってしまったからには一生をベッドの上で終るのだと両親が涙ながらに話していたことは覚えて居る。アレクシアにとって、それ程に鮮烈な記憶は無かったからだ。タチの悪い大衆小説のような不幸は絵に描いたようにアレクシアへと訪れたのだ。
 その時に構築された世界は悉く姿を消した。数多の未来を夢想した、まるで夢の世界に踏み入れることが出来たのだから。
 地に着いた爪先も、走り出したって崩れ落ちることのない両の足も、誰かを抱き留めることの出来た腕も。その全てがアレクシアが望んだものだった。
 恵まれていた。恵まれてしまった。報われていた。報われてしまった。
 アレクシアにとって外の世界とは、有り得ざる場所だった。箱庭の主が、気紛れに人形を外へと放り出しただけであったとしても。
 到底届かぬ高みに手が届いてしまったかのような。疾うの昔に夢が叶って仕舞ったから。
 ――天使様。ありがとう。
 ――あなたが居てくれたから。
 それが救いのしらせだった。自らに受けた恩を返すというのは、アレクシアが勝手に抱いた気持ちしかないけれど、他者を救うことなど、自己満足なのだ。
 エゴイズムだと笑われたって止ることが無かったのは、それが誰かのためになると思い描いた理想像があったからだった。

 理想の姿になること――自己犠牲をも厭わぬこと――は、それでもアレクシアの根幹だった。
 一人、不安を抱いて前を向く。誰にも悟られぬように丁重に抱きかかえて蓋をして。鍵をかけてしまったならば何時も通りのになれる。
 物語に語られるならば、挫折をするヒーローでは夢を与えられなかった。挫折とは、物語のスパイスだけれど、恐れを抱き無く人の不安にはなりたくはない。
 だからこそ、前だけを見据えている一人で進むことの出来る存在にならなくてはいけない。
 溢れていく。
 毀れていく。
 それでも、止ってしまえば挫けてしまうから。

 空に手が届くまで。
 ――喪うものが多くったって、構いやしない。けれど、理想だけは喪いたくはなかった。

  • 青褪めた果実完了
  • GM名日下部あやめ
  • 種別SS
  • 納品日2023年05月23日
  • ・アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630

PAGETOPPAGEBOTTOM