PandoraPartyProject

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赤と黒と正義の国のお姫さま

登場人物一覧

アーリア・スピリッツ(p3p004400)
キールで乾杯

 潮騒の子守歌に抗い、少女は背を伸ばし両手のひらをまっすぐに突き出した。
 指の間に見えるのは大好きな義父、ボトル――底の厚い小さなグラス。
 ボトルには赤いラベルと同じ色のジャケットを着た紳士が大股で歩いている。
 紳士は日によって赤であったり黒であったりして、今日は赤の日だ。けれど理由なんて知る由もなく。

 優しい義父がアリアの前で険しい表情を見せることはほとんどなかった。
 けれど十四になるアリアは、大人が内心抱えた苦みに気付かぬほど幼い訳でもない。
「そんなに美味しいの?」
 だから聞いてみた。
 何かからた感想が知りたいなどと、そんな言葉は思いつかなかったけれど。

「まあ――」
 曖昧に言葉を途切れさせた義父は、ゆっくりとグラスを傾ける。
「――うん、そうだね。美味しいよ」
 琥珀色の液体の向こうに、好奇心に満ちたアリアの瞳がきらめいていたから、そう答えた。
「飲んでみたいなあ」
 少女は顔を近づける。
「まだアリアには早い」
「じゃあ、大人になったら!」
「そうだね、大人になったら飲もうね」
 琥珀色の液体を舐めるように味わう義父は苦笑一つ、目元を緩ませた。

 優しい家族。
 穏やかな時間。
 ほんのかすかな胸の奥に広がる苦み――


 幼い頃に父を病で失ったアリアは、リモティアメディカと暮らしていた。
 そんな一家の元にある日、行商人の男が現れる。
 アリアは男から沢山のものをもらった。
 白ではない綺麗な色の服。厳格な正義の国ネメシスとは全く違う異郷の話。
 行商人の男にアリアは惹かれ――そして母は恋に落ちた。

 この国では再婚が望ましくないと説く聖職者も多い。
 時に生活の隅々にまで適用される聖なる法理は、多分に恣意的に振るわれる断罪の刃となりがちだ。その恐怖は国の生活を諦めさせるには十分だった。
 かくして行商人の男を加えた新たな一家は海洋王国に逃れたのである。

 全て世は事もなし。
 めでたし。めでたし。
 物語はおしまい。そうあれかし。

 けれど妹は、そんな物語つみを決して赦さなかった。


 ――呻く。
 下敷きにした右手が痺れる。
 ひどく丸まって寝ていたらしい。
 窓の外はとっくに暗くなっていて、彼女は手をふる気力もなく半身を起こした。
 微かに差し込む淡い光は、彼女に辛うじて動くことの出来る時間がようやく到来したことを告げている。
 ひどく喉がかわいていた。何をする気も起きないのに、身体という代物はどうしてこう融通が利かないのであろうか。
 くしゃりと乱れた髪のまま、彼女は夢遊病のような面持ちで床へと降りた。
 軋む音が胸に響き、理由もなく背筋が冷える。

 ここは義父の知人である老夫婦がオーナーであるアパルトマンだ。
 祖国天義への密告――実の妹による冷厳なる断罪は母と義父の命を奪ったのである。
 彼女は義父の命がけの計らいにより、一人幻想このくにへと逃されていた。
 アリアは、名をアーリアと改めた。彼女は二十歳になっていた。
 一人だけ生き延びた失意と罪悪感、自責の念に打ちのめされた少女に老夫婦は何も言わず、ただ倉庫に寝床を用意してくれた。
 その優しさは辛うじて彼女の身体を生かし続け、けれど心に突き刺さった氷柱を溶かすことは出来なかったのだろう。

 何かが光っている。
 顔を歪めへたり込んだ彼女は、月光に照らされた金属質の何かを見つけた。
 埃っぽい床を這い、膝に食い込んだ棘の痛みすら気に留めず、ただ誘われるように近づいていく。
 木箱から見えたのは蓋だ。それはボトルにはまっている。ボトルには液体がなみなみと満たされている。

 ――じゃあ、大人になったら!
 ――そうだね、大人になったら飲もうね。

 アーリアはいつの間にかボトルの首を掴んでいた。
 指先が震えている。だってこのラベルに書かれているのは、あのだったから。
 月光に青ざめた、けれど美しく整った肢体に尻餅を付かせるように、アーリアは床へ腰を下ろした。
 金蓋を迷わずきりきりと開けて。
 果たして。これを口にすれば、何かからるのだろうか。

 一気に煽り――むせた。
 口腔内を刺す焼け付くような痛みに耐え、けれどアーリアはその液体をひと息に飲み込んだ。
 耐えていた咳が一気にあふれ出す。毒物に対する正常な生体反応は、いくら病んでも――それはさながら罰のように――機能するらしい。
 ひとしきりむせた後、身体の中心を駆けおりる熱に頬が上気するのを感じた。それからやや遅れて、強烈な目眩が脳髄をかき乱す。
 吐き出す息が熱い。それはかつて海洋を目指した旅の中、義父の腕に抱かれて大空を舞った日に感じた、あの胸を焦がすような熱にも似て――

 思えば義父は、これを舐めるように飲んでいた。
 今度はほんの少しだけ口に含んでみる。
 初めに感じた刺すような香りは息を潜め、喉の奥に揺蕩う木のような香りが吐息と共に鼻腔をくすぐった。

 もう一口。今度も同じだけ。身体が温かくなってくる。
 もう一口。今度は少しだけ多く。視線を動かすと、景色が傾いでいる。
 もう一口。今度は最初と同じだけ。今度はむせずに一気に飲み込む。

 もう一口。
 もう一口。もう一口。

 溺れるように。
 心の中を苛み続けた物に、ヴェールがかかっているのを感じる。
 アーリアはこのコミュニケーションツールアルコールを、薬物おくすりとして摂取する事に決め込んだ。

 ――

 ――――

「珍しいですね」
 バーテンダーが微笑む
「あらぁ、そうかしらぁ……あの頃はよく頼んでいたと思うけど?」
 初めて訪れてから、もう六年にはなるだろうか。
 だった彼女はあちらこちらのバーを歩き、いつしか様々な店の常連になっていた。

 アーリアは目の前のチョコレートチャージに口吻一つ。ころんと口に放り込む。
 程よく照明の落ちたバーはオーセンティックな雰囲気を漂わせているが、実のところ然程肩肘を張らない店であった。
 どこにでもあるバーだ。
 店には常連が多く静かだが和やかな空気は、ある程度気合いを入れた夜のみならず、軽く一杯引っかけるにも、たらふく飲み散らかすにも向いている。
 ともあれショットグラスにジガーを注いでくれる、酒飲みにおあつらえ向きのバーではあるのだ。

「飲み方はいかがなさいましょう?」
「ストレートで頂けるかしらぁ?」
「かしこまりました」
 カウンターにボトルを置いたバーテンダーに彼女は艶やかな笑みを返して。ショットグラスに満たされた琥珀を、すいと口に含んだ。
 鼻腔に抜ける樽の香りと泥炭香。転げる舌先から立ち上るバニラの甘み。柑橘と干し葡萄のフルーティなニュアンス。
 ラベルに特徴的な黒服の紳士が描かれたこのウィスキーはブレンデッドの傑作とも称される。
 この高くもなく安くもない――少しだけ高い――極めて均整のとれたウィスキーは、ともすれば酒飲みにとってはにすぎる味わいでもある。
 赤いラベルは、より廉価なものであり、と。そんなことを知ったのは、どのバーでの出来事だったろうか。

「次は赤がいいかしら」
「これまた珍しい。ラスティーネイルでも?」
「ストレートで頂くわぁ」
 髪の先を僅か琥珀色に染め、アーリアは艶やかに。
「何か特別な想い出が?」
「うふふ、それは秘密よぉ」

 グラス越しに見えたバーテンダーの顔は義父はつこいのひとになんて、まるで似てやしなくって。

 喉を滑る琥珀色の液体は、ひどく若い味がした。

  • 赤と黒と正義の国のお姫さま完了
  • GM名pipi
  • 種別SS
  • 納品日2020年01月20日
  • ・アーリア・スピリッツ(p3p004400

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