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旅程
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メイメイが故郷の村を追い出されたとき、彼女はほんの年端もいかぬ娘であった。齢にして15にも満たぬまだ幼い娘は、預言に従うように故郷を追われた。
真実を知らぬ儘、郷愁と自らの存在を忘れ難い物とする為にその姿は村を後にした時で留まってしまっている。成長してしまえば、赤の他人になって終うような不安ばかりが彼女の胸にはあったからだ。
「これでも、レディなのです、よ」と、彼に告げる事が出来ればどれ程に良かったのか。ああ、そうだ。自分の外見について悩んだことはこれまで一度たりとも無かった。寧ろ望んだものであったからだ。外見の変化を恐れていた娘が、年相応になりたいと願ったのは恋と呼ぶ変化なのだと知っている。
幼すぎる外見は想い人にとっては『
――もしも、自身の本来の年齢が18歳なのだと告げれば、彼はどの様な顔をするだろう。知った所で、態度をがらりと変えて仕舞う様な人ではないと思う一方で少しでも女性として見て貰えれば、と思わずには居られなかった。それは淡い淡い小さな羊の恋心なのである。
悶々と悩みながら過ごして、晴明の誕生日を越えて暫くの頃「良ければ共に出掛けないか」と彼から声を掛けて貰ったのは雨の降る日であった。
「今日は生憎の雨だが、もうすぐ誕生日だろう? メイメイの誕生日は晴れるそうだ」
「晴れる、ですか?」
天気予報をしたというのは陰陽頭だろう。卜占の結果、晴れだったとは言うが黄泉津瑞神が乞えば何となく晴れる気がするのは黄泉津という土地特有の文化と彼女が神霊であるが故だ。
「ああ。晴れる。だからその日にでも、出掛けないか」
「ふふ、晴さま、が、仰ると――」
何だかそんな感じがしますねとメイメイは笑みを綻ばせた。晴さまと言う呼び名が彼がメイメイと名を呼び捨てた際に「距離を感じるであろう」と子供染みた我が侭を言った事から妥協点を探ったものだ。未だになれない愛称は晴天の空を思わせて、何となく清々しい。
「良ければだが買い物などはどうだろうか。高天京も夏支度をして居る。初夏の市で風鈴作りなどもできるのだそうだ。折角の機だろう?」
メイメイの誕生日を祝いたいのだと、明るく告げる彼にメイメイはこくりと頷いた。豊穣でも色々と変化はあった。常世穢国の事を思えば、霞帝の膝で転た寝をしているという黄泉津瑞神の事を思い浮かべずには居られない。謁見したくもあったが、晴明が「暫くは」と止めたのだから何か理由があったのだろう。
「あの……瑞さまは、お元気ですか……?」
「彼女は多くを見送っては居るが心優しい神霊だ。母のように、様々な時代の帝達を慈しんできた。……霞帝の膝より離れないのはそういうこと、だろう」
いつかは彼とも別れの時が来ると知っているからこそ、幼子のようにその温もりに浸っているのか。瑞神の加護とはよっぽどのもので、この国を保つ為に歴代の帝に与えられるものなのだそうだ。加護を与えた存在への愛情は一入、晴明は「瑞神に風鈴でも作って捧げないか」とも提案してくれた。メイメイが瑞神を慈しみ親しんでいる事を知っているからだろうか。
当日は占いの通りの晴れであった。やや汗ばむ気候ではあるが、風も心地良く過ごしやすい。待ち合わせに指定されたのは高天京の入り口付近にあった茶屋であった。
メイメイは晴明からの誘いだと少しばかり浮き足だって、夏らしい角飾りや涼しげな色彩の着物を着用していた。折角の高天京で彼と共に歩くのだからと新調した和装は緊張の連続だ。着用方法には慣れたけれど、似合っていると言ってくれるのか――そればかりが気になってしまうのである。恋心とは自覚すれば厄介で、それまでは楽しもうとばかり考えて居た日常も一喜一憂と感情の揺れ動きが激しいのだ。まるで自分ではなくなったかのような感覚を簡単には受け入れる事も出来まい。
茶屋で冷茶を頼んでから外の通りが見える席でソワソワとしていたメイメイに「待たせただろうか」と朗らかに微笑んだ晴明は普段とはまた違った装いであった。曰く、出掛けることを話したら四神(霞帝も含む)に「普段と代わり映えしない格好で行くのは気が利かない」と猛反発を喰らったらしい。
「確かに俺から誘っておいて、普段と代わり映えしないのも悪いかと思ったのだ。だが、着替えてよかった」
「ええと」
「ほら、メイメイは夏らしい装いなのだな、俺もその様な色彩でよかった。共連れに見られるだろう?」
「あ、はい、あの……蒼がお似合いです、ね」
ぽ、と頬を赤らませてからメイメイは微笑んだ。共連れ――と言うからには二人で示し合わせたような装いだと言う事か。
晴明は実の所、誰ぞの衣服の変化などには無頓着な方ではある。双子巫女などが可愛らしく髪飾りを変えたとて、気付かないそうだが四神などには「そうした変化には逐一気を配ってやらねばならない」と叱られてきたのだろうか。そんな部分が透けて見えるだけでついつい可笑しく思えた。
「改めて、誕生日おめでとう。幾つになったのか……は、分からないが、ひとつ歳を重ねたメイメイのこの一年が幸いあるものとなることを願っている」
「はい。……ありがとう、ございます」
――幾つになったのか、と問い掛けた彼はメイメイの年齢を知らないことを察して居るのだろう。どこかぎこちなく誤魔化した事に気付いてからメイメイも何となく微笑んだ。
『これでも、レディなのです、よ』とは言い出せやしなかったが、手を差し出してくれる彼の隣は心地良い。
「さ、買い物に行こうか。折角なのだからメイメイが気に入る物を選びたい」
夏準備を始めた街並みで晴明がメイメイを連れ歩いたのは細工物が多数に並んだ店舗であった。贈り物を先に選ぶ事も考えたらしいが、その際には矢張り横槍が入ったらしく、メイメイを連れて選んだ方が良いと判断したようだ。
「メイメイは何か欲しい物はあるだろうか?」
「いえ……晴さまが、選んで下さったものは、何でも嬉しいかと」
本心からの言葉だが晴明はますますと悩み込んでしまった。そんな彼の横顔を眺めながらメイメイは「沢山、頂いて……中々、難しいです」と指先を擦り合わせる。
「ふむ、ならば……身に着けるものでもよいだろうか」
「はい」
こくりと頷いたメイメイの首元へとそっと差し出されたのは首飾りだった。雫型のガラス石の中には桔梗の花が咲いている。
宛がわれてから彼はまじまじと見詰めてから頷く。戸惑うメイメイの事はさておいて、妙に納得したような表情をしているのだ。
「これにしよう」
「え、え」
即決した晴明はすっと顔を上げてから「良く似合う」とだけ告げてさっさと購入しに行ってしまう。桔梗の花は彼を思わせる。どうにも気恥ずかしさを浮かべてからメイメイは贈り物を選ぶ晴明の背を見て居た。
風鈴の絵付けに行くという彼に連れられ、店舗に到着してからどうしてネックレスを選んだのかとそれとなく問うた。「これがメイメイを護ってくれればと思ったのだ」と彼は笑う。朗らかな彼は思えば、人からの贈り物であれば何でも細工をし武器飾りにする所がある。今、彼が手にしている武器にはこっそりと小さな根付が着いていたが、それは霞帝が幼い頃に買ってきた菓子が入っていた箱を態々削ったものなのだという。
「俺が身に着ける物は個人的に造った物が多いのだが……今度は俺が何か作ろうか。実は工作は得意なのだ。賀澄様に色々と教えて貰った」
「そうしたものも、お得意なのですか?」
「ああ。あの人は、DIY? と言って居たか。嬉しそうに御用邸の椅子などを作っていたよ。
それを真似てかなり努力した。それなりに見栄えの良い物が作れるようになった」
それを真似て色々と作るようになったのだと晴明は告げながらも手許の風鈴に涼やかな模様を描いていた。瑞神に送るものにしては、風靡な絵柄だとメイメイは「そちらは、瑞さまに?」とそれとなく問うた。晴明は「賀澄殿に渡して、偲雪殿へ送って貰おうかとおもったのだ」と目を伏せてからそう答えた。曰く――其方の方が瑞神も喜ぶだろう徒のことである。
買い物や絵付けを終え、さてどうしようかと晴明はメイメイを振り返る。今日はメイメイの誕生日だ。だからこそ、晴明も意向を逐一確認してくれるのだろう。
「晴明さまの、お気に入りの場所へ連れて行っていただけます、か」
「……俺の、でよいのか? 何処が良いだろうか。以前案内した庭園はどうか。あそこならば人気も無い。何か食事でも購入して行かないか」
のんびりと何か食べながら他愛もない話をしても良いだろうと晴明はメイメイを誘った。日中は晴れていた天気も、今は厚い雲が被さり始めている。
後暫くすれば一雨来るだろうか。晴明の言う通り、彼が以前案内してくれた霞帝の御用邸へと向かう。あれだけフランクな帝ではあるが、日頃の忙しさ故にそうは簡単にこの庭には訪れられないらしい。故に晴明は帰りに何時も一輪摘んで帰るのだ。彼が花を愛でるときの表情が好きだという。
「晴さまは、帝さまを迚も大事に、なさっていますね」
「……ああ、あの人がいなければ今の俺もいなかっただろうから」
だからこそ、特別お気に入りだと言われればあの御用邸ばかりが浮かぶのだと晴明はそう言った。忙しない日々を送ってきた霞帝と幼少期を過ごした御用邸がかけがえのないものであった、とも。
買い物を終えて御用邸に辿り着いた頃、丁度、ぽつぽつと雨が降り始めた。雨を避けることが出来て良かったと顔を見合わせた。
縁側に腰掛けて購入した握り飯を食べながら朗らかな時を過ごす。以前聞いた彼の家族のことを思い出してからメイメイは「わたしのことを、話しても、よいですか」と問うた。
「……聞いても?」
「はい」
メイメイの事は余り知らない――それが、彼がメイメイに告げた言葉だった。だからこそ、伝えたいことは山ほど合ったのかもしれない。
「わたしは、故郷を、追われました……何故かは、分かりません。何か、理由があったのかも、しれません」
「……故郷を」
「はい。その時、偶然ですがイレギュラーズとして、召喚されました。……それ以降は、ローレットに所属しています」
「では、故郷には戻っていないのか?」
「はい」
突然、故郷から追い出され家族と離れることになった。季節事に転々とする村。夏の村や冬の村の位置はそれとなく理解しており、何処にあるのかは分かって居ても、どうしようもなく恐ろしくて立ち寄ることが出来なかった。
さあさあと降り始めた雨を眺めながらメイメイは目を伏せる。屹度、彼にとっては『故郷を喪う』というのは想像も出来ないことだろう。
彼にはメイメイと違って大切な家族はないがこの故郷があった。メイメイには家族という心強い存在が村にはいるが、故郷に変えることは叶わない。
「……その……故郷に戻ることは、できないのだろうか」
「……でき、る、と思います。けれど……」
どうして、追い出されたのかを知る勇気を持たねばならない。メイメイはぽつぽつと故郷の美しさを、村の産業を、朗らかな家族達について、語り続ける。
その外見が時を止めた当時の記憶。今だ、幼い姿の間まで居るのは少女が大人になることを恐れたからだった。
姿が変わってしまえば、忘れられてしまうかも知れない恐ろしさ。それ以上に、『大人になれば故郷など捨て去ることが出来る』かもしれない可能性がどうしようもなく彼女を子供の儘にした。
変わりたいと願って仕舞った心が、何時までも恐れている事を否定する。
彼に本来の自分を曝け出すならば、向き合わねばならない事があるのだと、心が告げて居るようだったから。
「……いつか、晴さまを、お連れしても?」
――その為には、メイメイは知らなくてはならない。どうして『故郷から追い出された』のか。その真実と向き合う覚悟が必要だ。
一人胸の中で決意をしたメイメイの横顔に晴明は頷いた。
「俺で、よいのだろうか」
「……はい。晴さまが、良いです。……わたしの、故郷は、とても美しいのですよ。夏草のかおりも、ほがらかな人も、そうした場所を、お見せしたいです」
「ならば、共に。……きっと、戻るのは容易ではないのだろう。
それでも、だ。メイメイが望んでくれるのであれば共に、連れて言って欲しい」
ざあざあと降る雨の下で、彼の笑顔だけは妙に晴れているような気がした。心地良い雨音の中で、メイメイはゆっくりと手を上げた。
晴明はまじまじと彼女を見詰めている。少しだけ、戸惑ったような指先。ゆっくりと小指だけがそっと立てられた。
「故郷の……わたしの、たいせつなことを、乗り越えられたなら……。
来年も、わたしの誕生日、お祝いして下さいね」
約束だと、差し出した小指の先。メイメイの小さな小指を絡めるように晴明の小指が重なった。
きゅ、と小指を掛け合って約束を行なった後、メイメイはそっと絡めた指を離してから屈んだ。まだ小指を立てたままの彼の手をそっと両手で包み込む。
小指の先へと唇を寄せれば小指の爪先の感触ばかりが感じられた。
ふいの行動だった。メイメイだってそうしようと考えたのではない。衝動だ。はっと息を呑んでから勢い良く身を離す。
沸騰しそうな程に感情が爆発している。頬が熱い。躯も熱い。どうしようもなくなって視線を右往左往とさせながら「あ、あの」と無理に言葉を紡いでからふと、気付く。
「晴さ――」
「あ、いや……」
驚いたのか晴明は小指の先を凝視している。ゆっくりと手を下ろしてから視線を逸らし晴明は普段よりも幼い表情をしながら「約束だ」と肩を竦めた。
寄せられた唇の先、小指の爪。唇を寄せたその場所から緊張が奔った。熱がさざなみのように引いていく。頬に昇りかけたそれを何とか堪えたのは自身と彼女の間にはまだ秘密があるからだ――屹度、彼女には大きな大きな秘密がある。幼い少女だと思ってはいけないような――『本来の自分は違うのだ』と告げられたかのような衝撃があったのだ。
(……本来の彼女を識る事が出来たならば、その本心にも触れることは出来るだろうか)
自惚れてはいけない。彼女から向けられる情の意味合いが何なのか、まだ何も知らないのだから。
「……来年は何をしようか。いや、それまでももっと出掛ける機会があるだろうから、積み重ねていくのも楽しいであろうな」
夏だってくる。秋も、冬も。神威神楽の四季は美しく巡るのだから。そう告げてから晴明は「そこまで送ろう」とメイメイへとそっと手を差し伸べた。