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登場人物一覧
日の光が帳を閉ざし、月の光すらも届かぬ、あまねく闇を集めたような宵闇。真闇の下、森は昏い。鳥の群れは不気味に眼を光らせ、空高く鳴く声が夜空に響く。
その傍らは、幻想でも中流階級の家々が立ち並ぶ。街灯は消え、窓から漏れる灯りも少なく、人の姿は疎らだ。
それもそうだろう、今は深夜。子供も大人も夢の中。徘徊するのは賊ばかり。
片目を髪で隠し、バイオリンケースを大事そうに抱えた男が足早に家路を急いでいる。日の光の下なら、その美麗な顔もつまびらかにしてくれただろうが、今はただ夜に溶けるばかりだ。
男の名はヨタカ・アストラルノヴァ。旅一座というサーカス団を率いる団長だ。またやってしまった、とヨタカは一人ごちる。次の公演のための練習に夢中になり過ぎて、気がつけば、こんな深夜になってしまったのだ。
家に入ろうとするヨタカは、その前に癖で郵便受けの中を覗く。そこには綺麗にラッピングされた箱が一つ。時折あるのだ。ファンからのプレゼントが。
嬉しい気持ちを抑え付けながら、慎重に家に入る。もし同居人に気付かれたなら、お小言がたっぷり待っているだろうから。
そろりそろりと自室へ向かう。ようよう辿り着いた部屋でベッドに疲れた身体をそのまま横たえる。寝転がったまま、靴を脱ぎ捨て、ランタンに灯りをつける。
灯りを元に、プレゼントの箱をしげしげと眺める。贈り主の名前はない。だが、ラメが入った綺麗な蒼色のリボンが華のように結ばれていて、凝ったプレゼントであるのは間違いない。
贈り主の名前がないことなど、時折あることだ。気にせずに箱を開ける。そこに入っていたのは、リボンとお揃いのラメの入った蒼色が綺麗な手鏡だった。自分の顔が醜いと思っているヨタカにとっては、まるで呪いの贈り物だ。
ヨタカは鏡を手にとって、己の顔を見てみる。そこには冴えない表情をした目つきの悪い男が映っている。うんざりした。
手鏡を仕舞おうとしたとき、鏡面が少し見えた。そこには醜い鳥の姿があった。目を疑う。黒でもない、白でもない、醜い灰色が目に焼きつく。
嘘だ。胸が痛いほど、早鐘を打つ。そんな、俺の本来の姿になっている訳がない。鏡を投げ捨て、手足を確認する。大丈夫。俺は、俺の姿は、本来の姿になど、なってない……。
目を疑った。鏡からまるで飛び出すように、徐々に徐々に本来の俺の姿が現れてくる。
「……やめてくれ……。……やめてくれ……! ……やめてくれーーーーー!!!!!」
茶色の翼。灰色の羽。金色の尖った瞳。白と黒の鶏冠。灰色の嘴。俺が最も見たくない本来の俺の姿。醜い、醜い、本当の俺の姿。
嗚呼、その姿だけで思い出す。俺の本来の姿を見る度に、メイドや執事がご主人様にも奥様にも似てない『醜い子』だと指差し、嘲笑っていたことを。その度に僕は本当に両親の子か不安になり傷ついたことを。
思わず何もかも捨てて逃げ出す。けれど、現れたそれは何処までも執拗に叫びながら追いかけてくる。廊下は何処までも何処までも終わらない。
『……俺が醜いから……醜いから……愛してくれないのか……?!』
どうしようもなく醜い心根だ。愛したくて愛されたくて愛されなくて、自分を卑下し続ける心根を誰が愛してくれようか。
『……お前が……俺を見捨てるのか……!』
どうしようもなく醜い性格だ。俺が本来の自分を見捨てたくても、どう足掻いても捨てられないことを知っていて、こんなことを云うのだ。
——誰がこんな醜い鳥を愛してくれようか。誰も、誰も、愛してくれない。誰も、誰も。
絶望の淵に一気に落ちるような心地だった。俺の姿一つで誰も愛してくれやしないのだ、そう思えば思うほどに。
逃げてどうなるというのだ。逃げたところで、俺は常に本来の姿に怯えているというのに。
足を止めれば、醜い俺は泣き喚き、俺へ翼を毟って投げつけてくる。毒でもついているのか、羽根が刺さったところから、ぷくぷくと紫色の泡が湧いてきて、肌の一部が紫に染まる。
だが、それがなんだというのだ。誰にも愛してもらえない俺など死んでしまった方がいいじゃないか。
醜い俺が錯乱した様子のまま俺の方へぶつかってきて、俺と醜い俺は一階へと落ちる。肺が潰れて、呼吸ができない。胸が冷たい。死が頭に過ぎる。かといって、今、誰に助けを求めれるものだろうか。ただ嫌われるだけだ。
そんなとき、同居人と撮った写真が、旅一座の仲間と撮った写真が、共に誓いを交わした人と撮った写真が、目の前にばら撒かれる。
同居人の事が脳裏を過ぎる。あいつは俺が本来の姿であろうとなかろうと嫌いなどしなかった。
同居人だけじゃない。俺には旅一座で慕ってくれる団員やファンがいるじゃないか。共に誓いを交わし、俺を愛してくれる人がいるじゃないか。醜い俺の姿を可愛いと言って愛でてくれる人がいるじゃないか。
——俺を愛してくれる人がいる。醜い俺でも愛してくれる人がいる!
胸から蝋燭がぽっと灯るように温かいものが伝っていく。愛してくれる人がいると思っただけで、動かないと思った身体が動くのだから不思議なモノだ。
死ぬ気だったが、気が変わった。愛し信じてくれる人の為にも死ねない。
現れた俺は確かに俺だったモノだ。醜いと思い込んでいた俺そのものだ。こんな俺を愛してくれる人がいるのだと、愛されていいのだと伝えたい。例え、本来の姿の俺がどんな存在であろうと伝えなければいけない!
俺は胸を抑えながら、本来の姿の俺へと一歩一歩近づいていく。本来の姿の俺は泣き喚きながら、羽根を投げつけてくる。肌の色が斑な紫に染まっていく。きっと今の俺の姿も醜いに違いない。なら、お揃いだ。
「……怖がらなくて……いいんだ……」
『……キェェェェェ……! ……嘘だ……! ……そんなこと言って……騙す気だろう……!? ……俺が……醜い……から……!』
どうしようもなく臆病だ。愛されたことがない故に。
一歩一歩怯えさせないよう、ゆっくりと近づいていく。本来の姿の俺はじりじりと後退していく。
「……俺もそう思っていた……。……だけど……決して醜くなどない……。……そう言って……愛してくれる人が……いるんだ……」
『……そんなまやかしに……騙されて……哀れな……やつだ……。……キヒヒヒ……!』
どうしようもなく疑心暗鬼だ。愛は裏切られることを知っているが故に。
本来の姿の俺は角に追いやられている。今がチャンスだ。思い切って飛びかかって抱きしめる。
『……キェェェェェ! ……何をする! ……離せ……! ……離せ……! ……キェェェェェ!』
「……愛している……!……こんな俺の姿も今は……!……愛しているんだ……!」
どうしようもなく愛されたことがない。愛に飢えながら、愛に焦がれながら、愛されたいと願っているというのに。
抱きしめられること自体が初めてなのだろう。もがきながらも、抵抗する力は徐々に弱くなっていく。
『……本当に……愛しているのか……』
「……愛しているとも……。……誰に醜いと言われようとも……今ではこの姿も愛している……」
証明する為に、姿を変える。醜いと呼ばれた本来の姿に。
『……本当に……信じて……いいのか……』
「……ヨタカ・アストラルノヴァは……本来のこの姿を……愛していると……誓う……」
騎士のように片膝をついて指にキスをする。
『……俺は……誰にも……愛されなかった……。……お前は……愛されているんだな……。……ならば……この世界に要らないのは……俺の方だ……!』
もう片方の俺が自分の羽根を心臓に差そうとする。それにヨタカは気付くと同時に、身体が勝手に動いていた。
『……なんで……お前が……』
羽根はヨタカの胸に刺さり、灰色が紫色に染まっていく。嗚呼、目が霞んでいく。
「……無事で……よかっ……た……。……醜いと言われる鳥が……この世に……二羽……生きていたって……いいじゃないか……! ……俺は……誰に……醜いと……呼ばれようとも……本当の姿のお前を……愛している……!」
『……お前……死ぬかも……しれないんだぞ……』
もう片方の俺の涙を拭おうと、精一杯手を伸ばす。
「……命を賭けても……俺が……本来の俺の姿を……大切に思い……愛している……ことを……示せるなら……それで……いい……」
『……馬鹿な奴だ……。……だけど……その言葉を……決して忘れないでくれ……』
もう片方の俺が仄かに光りだし、光の粒子へとなっていく。
『……俺はお前で……お前は俺なんだ……。……信じてもらえるか……分からないけど……俺は……お前の心の中に生きる精霊……。……俺は……お前の中に……帰るよ……』
光の粒子が強烈な光となり、ヨタカの中に入ってくる。心の中を照らすような温かな光をヨタカは感じていた。
「……おかえり……」
——
————
チュンチュンと小鳥が囀る音がして、ヨタカはバッと目が覚める。
(……え……もう片方の俺は……? ……精霊って……どういうことだ……? ……俺は……生きているのか……?)
俺の姿は、本来の俺の姿ではなく人型の姿をとっているし、あれだけ紫だった身体も青白いままだ。そして、もう片方の俺の姿は影も形もない。
ふとベッドの傍にあの手鏡があるのに気付く。覗き込んでも、それはただ俺の人型の顔を映すだけ。
今日も太陽の光が降り注ぎ、同居人の作る朝ごはんの匂いがふわっと薫ってきて、お腹が空いたのに気がつく。手鏡は光を反射して、部屋を明るく照らす。何もなかったのか。でも、本来の俺の姿を本当の意味で愛せるようになった気がする。
同居人に呼ばれ、一階へ降りていくヨタカの影が一瞬変化する——本来の姿で笑うように。
本来の己に向き合ったヨタカならば、これからの困難な道もきっと乗り越えてゆけるだろう——悪戯な精霊と共に。それが俺から俺へのプレゼント。