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地は渇き、海を欲するように
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- リースヒースの関係者
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気を抜けば霞でも食べて生きていそうな幻想に思える。
またたきでもすれば、ふらりと夜空に紛れて消えてしまいそうな影。
『影編み』リースヒースは、そんなところがある。
モールは思っていた。
あれに隙を見せてはいけないのだ。
「さらばだ、友よ」と大仰なしぐさで告げ、舞台袖に歩み去ってしまいそうな――そんな悪夢を、モールは見ることがあった。夢の中で、モール自身もまた、それが永劫の別れであるなどとは思ってはいない。きっとまた先ぶれもなくやってくるだろうと待ち続け、待ち続け、待ち続け、忘れたころ、本棚から落ちてきた本の中に、リースヒースがいる。
そして悟るのだ。ああ、幻想の世界の住人であったのだと。死体すら弔わせてはくれないのだと。死すらないのだと、心の芯から実感して、もう届かぬ存在であると知らしめる、……そういう悪夢に、日々うなされている。
それもこれも、彼が形ばかりの婚姻を承知してくれないせいだ。
――この世界のものさしではかればおそらく「善人」ではあったが、モールの思考回路はややずれている。
彼の忠心たるギズモは舌を出した。
「痛むか?」
ぱちぱち。ぱちぱち。
松明のかすかな明かりが、燃焼の音を奏でていた。夜はすっかり更けたころ。
人通りがなくなってからでないと、どうにもつらいらしいのだった。
「見ての通りだ」リースヒースはかすかに強がりを含んだ笑みを浮かべた。「問題はない、行って、戦い、戻ってきた。それ以上に何がある? 近寄らないほうがいいとは思うが、納得ができないのならばその目で確かめてみるといい」
「……厄介なものを……」
リースヒースは、衣を脱ぎ、モールの前に背をさらしている。
烙印。
砂の国に発生したという『吸血鬼(ヴァンピーア)』なる怪物への誘いである。
おぞましい力をたたえているはずのそれは、けれども、なぜか泣きたくなるほどに美しくもあった。まるでしつらえられたかのようにぴたりと、きちんと敷き詰められた美しいタイルのように、花弁がリースの背を這っている。
――烙印の花は血の乾きを与え、女王を求めて咲き誇る。
花びらのような模様が、腰から背に広がっている。悪いと思いながらも、視線はなめらかなリースの体をなぞってしまった。かすかに骨ばっていた。モールには、役得と飲み込めるほどの非情さはなかった。……痛ましかった。
「……っ」
痛みが疼くのか、リースヒースがうめいた。
いや……。違う、何かをこらえている。
いったい何を?
その横顔に問うてみるが、答えはなかった。左の顔は、赤い水晶に覆われている。その下にある表情を想像して、モールは息をのんだ。
リースヒースは衝動をこらえている。
血を強く求め、望んでいる。
生を。そこにある影がようやく実体に思えた気がして、つくろった欲のはざまにきらきらとした人間がある気がして、痛ましく思う傍らでモールは少し息を呑む。
影を縫い留めるには策謀しかないのだ。いつだって矢を突き立ててやろうと狙っている。心臓に? いや、とんでもない。その影に! 鋲でポートレートを留めるがごとく……。ただ、ただ、……思うだけだ。
そこにあってほしいと。
ありつづけてほしいと。
ずっといてほしいと。
帰ってきてほしいと。
魂の在り方を歪めることを、リースヒースはよしとしない。また、モールの信条からしても、それは許されざることだった。生を全うしてこそ生き物は美しい。
「どうも、機が悪いようだ。会えてよかった。慌ただしいがこれで失礼しよう」
そうやって何事もなく舞台袖に引きはらおうとするリースの手首を、モールはつかんだ。深く押し込めた衝動をかぎ取られたリースヒースの表情にかすかな驚きが見えた。リースヒースは十分に注意深いが、その強い衝動は、隠せるものではなかった。
あたたかい血が、そこにあるのがわかる。
そして、モールもそれを望んでいるのがわかる。
「何もお前のために死ぬと言っているわけではないじゃないか」
「……」
「一杯。いや、数口だ。なに、そう簡単に死にはしない」
「必要ない。飲めば飲むほど、乾くだけだ」
「お前の元を去ったりはしない。俺は健康だし、無茶もしないから、満たされたワイン樽のようなものじゃないか」
「いらない」
「なら言ってくれ。もう二度とこんな目には遭わないと! お前は俺の一部を持ち去り、帰ってくる、それだけじゃないか、リースヒース!」
奇妙だった。
強い衝動に抗い続けているのはリースヒースなのに、激情にかられ叫んだのはモールのほうで、リースヒースではない。
リースヒースが強く払いのけた際に、ガラスの杯が地面にぶつかって砕け散った。
「……すまない」
「いいんだ。だが、俺を安心させてほしい。……人の食事はとっていけ」
「生憎だが」
「睡眠もだ。せめて人らしく」
断り切れなかった。
暖かい食事、簡単なパンとワインの聖餐は、それなりにリースヒースの腹を満たしてくれた。厚切りのベーコンは焼かれ、ナイフで切り取られたチーズがかすかに酸味のある、ライ麦のパンにかかる。穀物の粒は大きい。
……結局、歓待を断り切れず、客人用の寝台に転がされたリースヒースは思った。
おいしいはずの食事の味は、あまりしなかった。けれどもずいぶんましだった。スパイスの入ったワインはよく体を温めてくれた。
衝動はいくらか収まってきたようだった。ごまかしに過ぎない。
やはり、まだ足りない。
だから……。
そっと荷物をまとめ、去ろうとするリースヒースの行く手を、モールはやはり阻むのだった。
「夜這いとは不躾だな……」
「冗談を言っている場合じゃない」
モールはいつになく真剣そうな顔をしていた。腕をまくると、差し出してくる。
「……どうしてそちらのほうが泣きそうな顔をしているんだ」
「俺を、黙っておいていくから悪い」
「何の話だ? 酔っているのか?」
モールはナイフを手にもって、親指を押し当てれば、はたはたと鮮血が滴る。
「飲むがいい。固まる前に。俺だっていくつも傷をつけたくはない」
「いらん」
「余ってるんだ。無駄にしていいのか?」
「……いらない。決して。天地がひっくり返ろうとも、御身の血はいただかない」
「それならひっくり返してもらわないとならないな」
意図を図りかね、静かにリースヒースは考えた。
まさか、まさか……。
「少しは飲んだだろう。気がまぎれたはずだ」
「……ワインに混ぜたのか!」
わなわなと震えるリースヒース。
これでは、どちらが
人らしい嫌悪があった。苦い、苦い、けれども渇きを癒す雫は間違いなくしみこんでいく。一流の酒のように思考が研ぎ澄まされていく。
「これは貸しだ、リースヒース。お前は戦場に俺の一部を持っていくんだ。俺と同じように、お前も持っていくんだ」
「何を持って行ったというのか?」
「……。……いずれはギズモを」
モールは理不尽にもかすかに恨みがましい目でリースヒースを見ていた。
知らないだろう。あの悪夢のさなか、お前が別れの際に手を取り口づけたことなど。浅い煩悶など……。
杯を受け取ったリースヒースはえずきながら、モールの血を飲み干した。
「戻ってくるんだ。そう言ってくれ」
友の懇願は、甘かった。
同時に、苦かった。
- 地は渇き、海を欲するように完了
- GM名布川
- 種別SS
- 納品日2023年05月08日
- ・リースヒース(p3p009207)
・リースヒースの関係者
※ おまけSS『ギズモ印』付き
おまけSS『ギズモ印』
「ギズモ、このパン種はちゃんとしたやつだろうな」
「俺を無視しないでくれ」
「このワインは? 大丈夫と。ふむ、たしかに栓の状態を見るに妙なことをされた形跡はない……大丈夫そうだな。信じよう」
ギズモが首をもたげて、リースヒースの信頼に答える。
あの一件があってから、リースヒースはいちいちギズモにメニューの確認をとるようになった。ついでによさそうなワインも二、三引っこ抜いてやったがさすがに無理強いをした自覚があるのか、モールは文句もいわなかった。
「無視しているわけではない。半身たるギズモに問うているのだからいいではないか」
「……ギズモ、どっちの味方をするんだ」
挟まれたギズモは居心地悪そうに平たく地面に寝そべった。