PandoraPartyProject

SS詳細

もう一度その手を取って。

登場人物一覧

エドワード・S・アリゼ(p3p009403)
太陽の少年
エドワード・S・アリゼの関係者
→ イラスト
エア(p3p010085)
白虹の少女

 少女は闇を歩く。
 孤独に、虚ろに。何かに呼ばれるように覚束ない足取りのまま、只管ひたすらに。
 少女が通り過ぎると洞穴の黒曜石が仄かに燐光を放つ。
「……」
 石壁に映し出されたのは異国の景色、今は或る筈も無い在りし日の豊穣の姿。一人の穏やかなる妄執によって紡がれし偽りの極楽浄土、名を常世穢国と謂う。
 洞穴の劇場に稲穂のような黄金色が現れ揺らぐ。
 そこに付き従う艶やかな黒髪は紫煙のなかへと消え、燃える太陽の赤髪は戦火のなかで膝をつく。
 二人の表情は少女から見ることができない。背を向けているせいだ。
(わたしが、あの場所から逃げだしたから)
 残酷な幻覚は過去の現実。
 歩みが止まる。過去の写し身は陽炎の如く消え去り世界は元の暗黒へ戻っていく。
 エアは、光届かぬ地下の世界に留め置かれた少女は、見えぬ太陽を仰ぐように顔を上げた。
「太陽のないたった一人の世界はこんなに色のないものだったんですね」
 自嘲すらも色褪せて、乾ききった笑い声も空しく響くばかり。逃げ出した己がおめおめと、今更どの面をさげて戻れるというのか
「ふふ。自分から手放して、そして今度は恋しくなって」
 頬に流る水滴に温度は無い。友達から逃げて、相方から目を背けて。でも一人になったら寂しくて。
「わたしは本当に都合のいい人間だな……」
 消えたい。消えてしまいたい。でも怖い。
 謝たりたい。謝ったところで何になる。
 どうすれば良いのか、もう分からない。
 別れないと。でも別れたくない。
 心にかかる分厚い雲が太陽を隠し、千々に乱れた精神が涙雨を流し続ける。
「ごめんなさいエドワード君……ごめんなさい、コトちゃん……」

 ――ごめんなさい……

「!!」
 一迅の風が吹き、赤い亜竜の仔は弾かれたように顔をあげた。宝石のような青い目が空を映し、何かを探すようにキョロキョロと左右を見渡す。
「どーした、コトー。またリスでも見つけ……わわっ、本当にどうしたんだよ。何かあったのか」
 拠点まわりの草むしりに精を出していたエドワード・S・アリゼは亜竜の名を呼んだ。どこか焦りを帯びたように喉を鳴らしたコトは嘴でエドワードの袖をつまんで引っ張り続ける。
「クルルル、クルルル……」
「見せたいもんでもあんのか?」
「ぴぴ、ピャーピャピャ、ピャア」
「違うのか。なら、オレをどっかに連れてきたいとか」
「ピィ」
 翼を揺らしながらコトは頷いた。以前から人語を理解している節があったが、遠鳴きの渓谷から帰ってきてからはその兆候が顕著だ。エドワードもコトの表情や態度で言いたいことは大体分かる。
「急ぎ、なんだな?」
 エドワードはじっとコトを見つめ返す。
 このところ、コトはしきりに何かを気にしていた。ぼうっと空を見つめていたり、遠くの方を見ては哀しげに鼻を鳴らしていたり。
「あの谷に行った時とおんなじ、か……」
 以前にも同じことがあった。だから確かめるために心当たりのある場所の名前を告げる。
「遠鳴きの渓谷にオレを連れて行きてーのか、コト?」
 首を上下させた亜竜の目は見たことが無いほど真剣なものだった。 


 ――遠鳴きの渓谷。
 それは覇竜のとある地帯に存在する渓谷の呼び名である。
 この渓谷の周辺では時折、亜竜達の咆哮のような音が聞こえることからこの名がついた。
「……なーんか、懐かしい風が吹いてるなぁ」
 渓谷を吹き抜ける風は、以前訪れた際に苦しめられた谷間風とは違っていた。肌を切り裂くような勢いは成りを潜め、代わりに穏やかな微風がそよいでいる。首を傾げて奈落を見下すエドワードを急かすようにコトが鳴いた。
「お、とと、おい、引っ張るなって!! コト!?」
 そのまま明確な意思をもった足取りでエドワードのマントを咥えたまま歩き出す。テチテチという効果音が鳴りそうな後脚も、今や「のっしのっし」と効果音がつくような堂々たるものだ。
「前に来た時はエアが空中でサポートしてくれたもんなぁ。今日はお前にサポートを任せてもいいか、コト」
「ピャッ」
 誇りをもって鳴いたコトの頭をエドワードは頼むぞとひと撫でしてやる。
 風を纏う白虹の少女のおかげで、コトはこの場所で自分の仲間を看取ることができた。
 この小さな生き物が生死の概念を理解しているかは曖昧だが、あの時、老亜竜の智識や経験が、この幼い亜竜に引き継がれたと感じたのは気のせいでは無かったとエドワードは信じている。
 二度目の降下ともなると順調であった。途中、何度か突風の訪れをコトが見誤ることもあったが、冒険とアクシデントと友人のエドワードにとっては然程焦るほどでもなく、難なく以前と同じ場所へと降り立った。
「……コト。どこまで降りるんだ?」
 しかし小さな亜竜は止まらない。
 今度はこっち、と言わんばかりに尻尾を振ってエドワードを奥底の見えない深い闇へと誘導する。
「前来たとこから、随分下に進んでるよな。こんなに奥があるなんて思わなかったぞ」
 コトの先導を疑っているわけではないが、この亜竜の仔は危機感が薄い。この遠鳴きの渓谷は覇竜でも不可侵の場所。何が起こるか分からない以上は、警戒して進むに越した事はない。
 ――エドワードくんっ。
 歌うように名を呼ぶ少女のことをエドワードが思い出したのは、自分を呼ぶように流れていく風が彼女の大切な竜イルヤンカの魔力に似ていた所為かもしれない。
「今頃あいつ、どうしてんのかな」
 罅割れたように遠くなった空を見上げて呟いた。
 彼女が拠点に帰ってこなくなったのは、いつの日だったか。随分前のようにも、つい最近のようにも感じる。
 幻想の森にはもう春が訪れている。そのことをエアは知っているのだろうか。
 話したいことがたくさんある。
 拠点を囲んでいた森の花々は色鮮やかに開花したこと。
 それを見に精霊たちがやってくること。
 畑に撒いた種が青い実をつけたこと。
 森に新しく生まれた小さな命の面倒をコトがみていること。
「あいつ、寂しがり屋だから……ひとりぼっちで泣いてなきゃいいけど」
 太陽も届かない、こんな冷たく昏い場所で過ごしてなければいい。そう、エドワードは願った。
「この先、暗い、な」
 深い亀裂に向かってエドワードは手にしていたランプを突き出した。すると魔法のように火が萎み、エドワードがランプを手元に戻すと硝子の火は蘇った。
「……ランプも消えちまうみてーだ」
 暗闇は五感を狂わせる。冒険を重ねた経験者にとって避けられない難敵だ。
「コト、気をつけて進むぞ。いざとなったら、灯りを頼むな」
「ピャイ」
不思議なことにコトの炎は鎮火を免れるようであった。
 此処が亜竜の魂の眠る墓所であるためだろうか。彼らの眠りを妨げないようにかけられた魔法が同族の炎を懐かしみ、あえて消さないように気を使っているようにもエドワードは感じられた。
 沈溺するような重苦しい闇のなかを進んでいく。
 視界の問題はすぐに解決した。所々に点在する蒼白い石が燐光を放ち、不思議な光景を石壁に映し出し始めたからだ。
 最初に見えたのは小さな無数の光。
 それが何であるかは、すぐに理解できた。星空だ。
 それから瀟洒な洋館に無数の洞窟。広がる夕焼けの海に病院の窓から見た雨。虹色のイルカにコアクリスタルを探す球状の物体。白い砂丘のエメラルド、竹林の向こうの星杏、森を駆ける黒狼。
 そうして舞台は移り変わる。大樹の根の世界に繋がったかと思えば白い温泉棚が広がり、屋根の上から亜竜の雛が飛び立ったかと思えば赤い卵が焚火を映しこんで揺れている。
「これ、オレの記憶か……」
 それらは静寂の谷底と呼ばれている遠鳴きの渓谷、最深部の一区画にだけ見られる現象だった。
 あまりにも深く辛い疵を負った亜竜たちの魂は竜幽石と呼ばれる鉱石の元に運ばれ癒される。竜幽石はその者に必要な過去の思い出を、傷が癒えるまで再現し続けるのだ。
 森に佇む赤煉瓦の建築物の前ではしゃぐ銀髪。
 買ったばかりの水着で恥ずかしそうに笑う姿。
 素早い手際でピクニックランチを用意する真剣な横顔。
 共にブランケットを羽織りながら眠さに微睡んだ眼で卵を見つめる慈愛の青玉。
「エア……」
 エドワードの思い出の中にはエアがいた。けれど、今はどこを探しても、その姿は見つからない。降り立ったコトが甘えるようにエドワードの足へと尻尾を巻き付けピィと鳴いた。それはついぞ見る事の少なくなった、寂しい時の癖。
「そうだな。早く迎えにいってやろーぜ」
 最近固い手触りになってきた炎色の鱗を撫でてやれば、満足そうな亜竜の鼻息がエドワードの足元をくすぐる。
 一人と一匹は進む。暗闇の奥底に見えた、淡い白虹色の光を目指して。

 パチリと空気を含んだ薪が弾ける。
 暗く冷えた洞窟のなかで、そこだけ色づいたように暖かい。
 焚火の前にぽつりと一人座る少女は、四方の壁面へと映し出される幻燈影絵を見つめていた。
 痩せ扱けた幽鬼のような表情からは感情というものがごっそりと抜け落ち、美しかった髪は霧のように乱れている。
 まるで彼女自身が此の幻想風景の銀幕であるかのように動かない。
 焚火が消え暗闇が戻ってくると、骨のような指から灯った光が再び薪に炎を灯す。
 機械のように繰り返し、繰り返し、灯し続ける。
 どれほど長い間、彼女はこの暗い世界の一部になっていたのだろうか
 全身は土と煤に塗れ、蝋人形のような手足の爪には鉱石の黒が深くこびりついている。
 毀れたように涙をこぼし続ける虚ろな瞳は風竜の加護も届かぬ、どこか遠くを見ていた。
「………エア?」
 声に導かれるように少女の亡霊がゆっくり振り返った。
 意識したものではなく刻み込まれた無意識が体躯を動かしたかのような緩慢な反応であった。
 久方ぶりにエドワードが見たエアの姿は、温かな思い出の海に染まった其の姿は、まるで世界に取り残されたかのように――孤独だった。
 生気の失われたエアの眼がエドワードを視界に捉えた。
「……っ!?」
 零れだしたのは拒絶を現す嗚咽。
 見開かれた瞳が次第に焦点を結び、絶望の色へと変化していく。
 どうして、と。無声の絶叫が冷え切った喉を震わせた。
 必死に立ち上がった少女の足が、石礫を踏みしめ血を流す。洞窟の奥へと逃げようと、がむしゃらに足を動かそうとするも弱った筋肉では縺れるばかりだった。
 このまま逃してしまえば目の前の少女は消えてしまう。
 そして二度と会えなくなる。
 だから、エドワードは手を伸ばした。もう二度と見失わないように、細い腕をつかむと、手放さないように引き寄せた。
「……ばか」
 抱き寄せた身体は冷たく、エドワードの胸に閉じ込められるほど華奢だった。強く抱きしめる。胸の奥へ仕舞いこむように強く、強く。此処に自分がいるんだと存在を伝えるように抱き寄せる。
「お前のこと。沢山心配したんだぞ」
「し、んぱい……?」
 エアの思考は真白に塗りつぶされたまま。けれども懐かしい声が渇いた精神に染みこんだ。
 何度も求めて止まなかった、彼の聲。いつもの幻聴で済ませるには、自分を包み込む温もりがリアル過ぎた。
 エドワードくんって、こんなに大きかったんですね。
 震える指が己を抱きしめる少年の背へと回される。けれども触れる前に静止した。
 彼の隣に立つ資格なんて、わたしにはない。
 だって――……。
 まるで己が穢わしいものの一部になったかのように、エアは己からエドワードに触れてしまわないように拳を握って腕を下す。
「……もう。離さないからな。もう、離すなよ」
「なぜ怒らないんですか」
 摩耗しきった声でエアは尋ねた。
 心配というコトバの意味を忘れてしまったかのような虚ろな聲だった。思い出さないように堰き止める唇が蒼褪め震える。
「なぜ貴方が泣いているんですか」
 服越しに伝わるエドワードの体温が熱くて、雨のように頭上から注がれる雫に気づかないふりをして。もう動かないと思っていたさみしいを押さえつけながら問いかけた。
 炎の暖かさを求める自分を嫌悪しながら、けれども目の前で綺麗な涙を流し続ける少年を案ずるようにオーラクォーツの瞳を揺らす。
「なぜわたしの事を暖かく迎えてくれるんですか」
 エアの表情がくしゃりと歪んだ。
 疑問と恐怖、そして歓び。
 空色へ戻り始めた瞳が水膜で濡れる。寂しい。嬉しい。怖い。安堵。浮かび上がる感情は親を見つけた迷子のようで。
「なぜわたしを見つけてしまったんですかぁ……」
 幽かな、けれども膨大な感情の決壊は目前だった。
 壊れた映写機から流れるモノローグのように、楽しかった二人の思い出が上映される。
「オレの見つける景色の中に、エアの笑顔がないとさ。落ち着かねーっていうか。……わりい、うまくいえねーけど」
 巣から落ちてしまった雛鳥を掬いあげるように、だらりと下がったままのエアの腕を拾い上げるとエドワードは己の掌で包み込んだ。いつものように、指で抱きしめるように――手をつなぐ。
「……帰ろうぜ。オレたちの家に」
 何かが割れる音がした。帰りたいという本音の雫が、地面へと吸い込まれていく。
「ッ……う、うぅ」
 それはいつか、幼い亜竜の仔が殻を破った音に似ていた。
 エドワードが握ったエアの手は酷く冷たい。まるで洞穴の一部に成りかけていたように。
 驚きはしたもののエドワードはエアの手を離さなかった。怯えてしまったエアが自分で歩みだせるように、春の陽射しのように、ゆっくりと灯火をかざしたまま待ち続ける。
「これからはちゃんと居てくれよな」
「う、うえ、うぇぇ……ッ!!」
 嗚咽と共に大粒の涙が痩せた頬の上を流れていく。
 言葉と成る前に昂った感情は魔力となり、こぼれる虹色の雫が炎に照らされ宝石のように輝いた。
「ほら、そんなに泣いたら目が溶けちまうぞ~?」
 子供のように泣きじゃくるエアの頬に温かな太陽の熱が触れる。昏い洞穴の底で何度も求めて夢見た熱が、傍にある。
 ――わたしは、独りじゃないんですね。
 エドワードの掌を、弱々しく握る指があった。
 太陽が花開くように笑い、つられるようにして春風も久しぶりの微笑みを浮かべる。
 二人の出した答えを祝福するように暖かな風が吹く。
 一歩。また一歩。地上へ向けて歩き出す。
 過去に別れを告げ、彼らは新たなる旅立ちを迎える。

おまけSS『温かな背中』

「え、エドワードくんっ。大丈夫ですよ。自分で歩けますから、下ろしてくださいっ」
 とことこ。歩みを止めないままエドワードは不思議そうに後ろを向いた。
 顔の赤いエアを不思議そうに見てから、前を向き直る。
「でもさ、さっきふらついてたじゃねーか」
「うっ。そ、それはですね」
 長い地下生活はエアに極度の栄養失調をもたらしていた。
「いいから、いいから。こういう時は素直に甘えとけって」
「それじゃあ、あの、お言葉に甘えて……」
 揺れるエドワードの背中でエアは小さくなる。
「コトちゃんも迎えに来てくれてありがとうね」
「ピャーイ」
 自らの頭に手が載るように調整をして、少しだけ大きくなった赤い亜竜は雛のように鳴いた。
「エアがここにいるって教えてくれたの、実はコトなんだぜ」
「そうなんですか。コトちゃん」
「ピャイ」
「ふふ、不思議ですね。どうしてわたしが此処に居るって分かったんです」
「もしかしたら、ここで眠ってる亜竜たちがコトに伝えてくれたのかもな」
「わわ、わたし、亜竜さんたちが眠るお邪魔になっていたのでしょうか……!?」
「ぴゃぴゃ、ピャピャピャ、ピャッピャーイピャイ、ぴゃっ、ぴーー」
「え。そうじゃない。邪魔ではなくて心配していた、ですか? きれいな白い竜が教えて……そうなんですね」
「ははっ」
「どうしたんですか、エドワードくん」
「いや、なんかさ。エアがいる、いつもの日常が返ってきたなーって思ってさ」
「ふふっ、なんですか。それ」
 石壁が蒼く光る。まるでピアノの鍵盤を叩くように、順番に彼らの足元を照らしていく。
 ここに無音の洞窟はもう存在しない。
 穏やかな笑い声の響く、穏やかな墓所が遺るだけだった。


  


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