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想いの結晶

登場人物一覧

ジル・チタニイット(p3p000943)
薬の魔女の後継者

 ベルガモットの甘く、それでいて落ち着きと爽やかさを備えた香りがふわり漂う。持ち帰った報告書の写しの傍にはティーカップ。ソーサーの端には茶菓子を添えて、お気に入りの椅子に腰掛ける。
 リラックスできる体勢になって紅茶をひと口、広がる香りを味わってからゆっくりと嚥下する。熱がじわりと体に広がる。水面が揺蕩うように、穏やかに、気持ちが和らいでゆく。露店で提供している紅茶の品質チェックと息抜きを兼ねて、時折お茶の時間を楽しむことがある。そして大抵、傍には何らかの紙束があった。
 あの時は精神を落ち着かせるよい薬になったと、ふと、懐かしむように思い起こした。ほんの少し、胸の奥がざわめいたが無理に押し殺しはしなかった。何も忘れはしない。なかったことにはしない。だって――……。


 最初は街角で一言二言話すだけだったと思う。『彼』とは知人として、他と比べて特別な感情も抱くことなく言葉を交わしていた。
 それから、とある報告書に何気なく目を通した。それは『彼』が関わった依頼について述べたものだった。綴られた『彼』の技術や活躍に胸躍らせ、夢中になって読み進めた。錬金術を齧るものとして、薬師として、『彼』に興味を抱いたのはその時だった。
 それから交流を重ねて、やがて常に知識を求める『彼』は心良く研究室を提供してくれた。それだけでも飛び上がるほど嬉しくて、嬉しくて。
 研究室は出来る限り最高の状態にした。有用な材料のサンプルを採集し、栽培した。故郷には無い混沌特有の材料も少なくなく、時に失敗も行き詰まりもした。けれど決して手は抜かず、諦めもしなかった。知識を集め、理解し、様々な試行錯誤を重ねて、研究に没頭した。
 そうして研鑽を積むうちに、胸の内に生じ、日に日に増してゆくものがあった。それは『彼に認められたい』という欲求。

 そんな心境に変化を及ぼしたのもまた報告書に綴られた文字列だった。
 紙とインクの色がじわりと滲んで混ざりゆく。手の甲に熱いものが落ちてやっと、自分は泣いているのだと気がついた。未知の感情が心の中で膨れ上がり、それに押し出されるように涙が溢れて落ちる。

 『彼』には『愛する人』がいた。

 紙に綴られたインクの幾筋。報告書で『彼』が端々に口にする『愛する人』の存在。止まらぬ涙で滲んで不鮮明になるそれはしかし、『彼』の中に根を張り存在するものであり。
 すっかり冷めてしまった紅茶をなんとか飲み干し、痛む胸に手を添える。しばらく前からサラシの下に抑えたものが少々キツくなってきて多少の息苦しさに近い違和感があった。けれども当然、この胸が痛む理由はそれではない。
 正直、自分の性別に頓着はなかった。けれども、この痛みを、感情を抱いた時に「ああ、そうだったんだ」と実感してしまう。
 自分は、女性として恋をしたのだと。
 そして、破れてしまったのだと。
 紙の束が押しのけられて床に落ちる音がした。ひろわなきゃ。そう思ったが、もう何も見えなかった。体が、心が思うようにならなかった。机に突っ伏して腕で囲った小さなくらやみの中、溢れる涙と感情を嗚咽と共に吐き出した。
 一日の内数時間、換気の為に窓を開けておく。報告書を読み始める前に横着せずきちんと閉めておいてよかったと、感情に飲み込まれる間際にふと、思った。

 いつの間にベッドに潜り込んだのだろう。ただ、一晩中泣き通したのは覚えている。
 薄明かりの中目覚め、布団を抜け出して紅茶を入れる。その間も、少しずつ明るくなってゆくいつもの景色を窓越しに見つめている時も、目覚めたその時から想うのは『彼』のこと。
 カップを両手で包んで、少しずつ、やわく湯気が立ち上る紅茶を体に取り込んでゆく。香りと熱が体に染み渡り、心をなだめて和らげる。それでも胸の奥にじんわりと広がる感情を、そこに確かにある感情は変わらなかった。変えようとは思わなかった。
 『彼』を今でも愛していることに、なんら変わりはなかった。
 ならばどうするか?答えは決まっている。
 心の中に秘め、想い続けるだけ。
 報われなくても良い、笑われたって良い。
 ただ、機会があれば『彼』の役に立ちたい。
 それだけだった。


 目に見える変化。鏡に映る細い体。けれどその胸部には、それまではなかった緩やかな膨らみが確かに存在していた。
 それから数日後、違和感があったサラシを少しだけ緩めることにした。何か変わりたかったのかもしれないし、『彼』がその切っ掛けだったのかもしれない
 ただ、これから新しい日々が始まるのだと思うと、少しだけ心の蟠りが取れた気がした。
 心に生じた感情も、体に現れた変化も、下してきた決断も、何もかもすべて。何も忘れない。なかったことにはしない。
 だって、これも僕の、ジル・チタニイットの一部っすから。

 これは、出来る筈のないインクルージョンが『彼女』の心の中に出来た話。

  • 想いの結晶完了
  • NM名ゴブリン
  • 種別SS
  • 納品日2020年01月08日
  • ・ジル・チタニイット(p3p000943

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