PandoraPartyProject

SS詳細

La pensée sauvage

登場人物一覧

ジハール・チャンドラ(p3p010600)
Legal Alien
ヰニイ(p3p010878)
Media Naranja


 今年もニュースから桜の開花予報が流れる季節になった。
 月日は瞬く間に、そして驚くほど緩慢に移ろうものだ。
 あの冥海から生還を果たしてから六年。気が付けばヰニイは二十歳に成ろうとしていた。
 隣で眠る青年は珍しく深い眠りについているのか、身動ぎひとつしなかった。普段は眠りの浅い彼が一時だけ自分だけに見せる無防備な姿。
 愛しさを抱いた指であどけなさの残る頬をひと撫でする。
 思い出すのは、初めて愛して貰えた夜のこと。幸せな記憶。
「いいじゃんアンタ、すげーもん持ってんじゃん」
 子供の様な無垢さで云ってくれた、あなた。
 今まで愛したかった人たちは皆、夜を迎えると一様に「気味が悪い」と云うものだから、呪われた茜色の鱗を見て拒絶に顔を顰めたものだから、愛してもらえないのだと真っ赤な寝台で独り泣いてきた。
 だから隠れた変数理論あいされているのだと理解するまでに時間がかかった。
 動かない躰が白い寝台の上に磔られる。
「へー、いいなーー!」
 自分に覆いかぶさった青年の淡彩の瞳には確かな熱が宿っている。目眩んだ神経系統は触れる彼の指の熱さを確かに脳へと伝えてくれるのに、意識は夢を観ているように芯熱の中で揺蕩っている。
「綺麗じゃん」
 鱗を愛撫されながら耳へと注がれる睦言はヰニイが焦がれた綺羅星。伽藍洞だった裡が初めて満たされていく。
 悦びの嬌声で溺れながら濡れる忘我の縁で、独占欲に染まった奇麗な藍柱石を見あげていた。

 血曇り一つ無いナイフを見たヰニイの両親はひどく喜んだ。
 ヰニイが相手を殺さなかった事に対してではなく、ヰニイの王子様が初めて現れたことに対しての狂喜である。
 潮流よりも早く希望ヶ浜の摩天楼に部屋を一室確保すると、二人の戀を存分に育みなさいと贈ってくれた。
 ジハールは喜んで呉れるかしら。受け取って呉れるかしら。
 如月の十四日、チョコレートと共に差し出した合い鍵をジハールが受け取った時の感動は、ヰニイの戀心のなかに永久の喜びとして美しく花開き続けている。
 そうしてふたり暮らしを初めて、今日で一ヶ月。
 純白の寝台からヰニイはするりと抜け出した。
 朝も早い街は撫子に染まっている。白くけぶる吐息。肌を覆う薄布では春霜の寒さを防げない。けれどもヰニイは街を廻遊する。
 少女から大人の女へと花開いた者を祝福するように、朱鷺色の花弁がひとひら横切った。
 靄のかかった朝焼け色の眸が、軌跡を辿るように遡る。
 いつもの公園に咲いた見事な桜の巨木が、天蓋の如く白の花をつけている。
 春嵐の名残だろうか。風が一際強くなり花の重みで垂れた枝がヰニイを誘うように揺れていた。
 黒を挿したヰニイの銀の髪が翻り、浅い陽射しと花雨のなかを進む。
 華やかな花傘にも人攫いの黒骨の手にも見える手毬桜に指が触れようとした瞬間。
 ――……ッ。
 誰かの聲が、聴こえた。


 肌寒さに青年は目を覚ます。
 灰色を帯びた薔薇光が朝の訪れをカーテン越しに告げていた。
 毛足の長い絨毯に白磁のキャビネット。銃弾をも防げそうな分厚さのマットレスに海のようなダブルベッド。罅割れた電燈の代わりにクリスタルシャンデリアが己を見下ろしている。
 ジハール・チャンドラにとってこの部屋は「恋人の部屋」と云う意識が強い。
 同棲を始めてから一か月になるが、自分の色を残さない透明な彼の性分のためか。いまだにこの部屋には「彼女」の色ばかりだ。
 彼女で満たされた部屋で眠ることを、彼は善しとしていた。半分開いた美しくも虚ろな薄氷の瞳をゆるりと横に漂わせ、沖を微睡む船のように自分の存在する世界を認識する。
 その静かな動きには睡魔の色が濃く、そして幼子のような不安の翳りも見せていた。
 白い敷布に寄った白波の数は昨晩愛し合った名残り。けれどもジハールの傍らは空っぽだ。一つに溶けあった互いの香りだけが空虚に漂っている。
 身体を起こせば艶めく漆黒を宿した髪が額を覆った。乱雑に髪を掻き乱しながら欠伸を零す。一度閉じた瞼を再び開けると、眦から零れるように落ちた無き黒子が敷布の海から浮かび上がった。
 肌のぬくもりを宿した寝具がジハールの肌から滑り落ちる。
 均整の取れた美しい褐色の肉体。若馬のように研ぎ澄まされた筋肉には所々色素の薄くなった傷と、彩り鮮やかな情交の痕が残っている。
 音が、ない。
 包丁で野菜を刻む音もなければ、シャワーを浴びる音もしない。
 彼女の音が、しない。
 長い睫毛が瞬く音も、素足を重ねた時の吐息の擦れも、桜桃のような瑞々しい唇の微笑みも聞こえない。
 再び睡魔に屈しようとしていたジハールの中に焦燥が生まれる。小さな火種は一瞬のうちに燃え上がり、不安を薪に精神を焦がしていく。
 柔らかな毛足のカーペットを裸足で踏みつけ、ジハールは手近にあった黒のフーディーとダメージジーンズを手早く羽織った。
 ベッドサイドに影のように添えられていたAK47のガンスリングへと手を伸ばす。背中に感じるジハールの相棒は未だ夜と鉄の冷たさを宿したままだ。
 ジハールの恋人のマンションは希望ヶ浜のなかでも治安が良い地域に建っている。そんな場所に、早朝とは言え銃を持った男がうろついていれば不審者として通報される可能性も高い。
 けれどもジハールはAK47を持って行くことを選んだ。嗅ぎなれた争いの匂いを察知した為か。それとも傷だらけの自動小銃が不安に喘ぐジハールにとってのライナスの毛布であったのか。
 識る者はいない。見る者もいない。彼が口を噤めば真実は誰にも分からない。
 擦り切れた黒い銃帯を掌と肩に滑らせながらブーツを履く。鍵のかかっていないマンションの扉は朝靄のように音も無く開いた。

 窮屈で色褪せた街。
 それがジハールの抱く希望ヶ浜という土地の印象だ。
 見慣れた故郷の鮮やかな色彩と比べると、あまりにも弱々しく貧弱。ゴミ一つ落ちていないコンクリートは、清潔で、どこか脅迫めいた蒼白さを病気として宿しているようにも見える。
 特にこの時期はサクラという花が街の至るところで咲いている。
 美しいが得体の知れない不気味さを潜めた白々しいあの花を、この希望ヶ浜の人間は何故か有難がって視たがる。
 ジハールにも美しい花を愛でる心は理解できるが、それは愛しい人を彩る宝飾具と同じ領域での理解だ。あのような狂気的に愛でる気持ちは理解できない。
 隣にヰニイが歩いている時には気づかなかったが、二人のマンションの周囲も随分と鴇色に侵食されていた。
 焦燥が足を動かす。
 無数の花がジハールを監視するように鎌首をもたげ、歩みを邪魔するように朝焼けのなかに花霧を降らす。
 幽玄たる美しい光景を前にしてもジハールは止まらない。愛銃を軽々と構え、警告代わりに明確な敵意を突きつける。
「邪魔すりゃ撃つぜ。短い命を縮めたくねーなら、邪魔すんな」
 声を出したのはジハールを取り囲む「敵」に警告を発する為だ。四方から降り注いでいた花弁が勢いを弱める。
「どーも」
 そうして現れた道をジハールは歩いていく。自分は未だ夢の国を彷徨っているのではないかと云う、少しばかりの疑念と友に。

 誰そ彼に染まった桜の根元にヰニイは佇んでいた。
 儚い彼女の肌の白さが、横顔の美しさが、ちらつく花吹雪のなかに埋もれて行く。まるでそのまま櫻に攫われてしまいそうで。
 思わずジハールは駆け出した。
 来訪者に気が付いたのか、ヰニイが振り返る。
 ジハールがホッとしたのも束の間、彼女の表情を見て蒼褪めた。
 ヰニイはニイヤリと嗤ってゐた。
 宵に見る艶やかな色とも異なる真紅に眸は染まり、妖婦のように弓月を描いている。
 アレ、誰だ?
 サクラに憑かれているのだという思考がジハールの脳裏を過った。普段なら馬鹿げた思考だと一蹴するその考えを、今は吐き捨てることができないでいる。
 見なれているはずの公園はジハールの識らない世界と化していて、今なら何が起こっても不思議ではないと思わせるだけの異質さがあった。
 妖精の勾引かしなど子供の絵物語だと思っていたが、現実に有り得る事象だと理解しなければならなかった。そうしなければ失ってしまう。

 ――ただでさえ今まで沢山失ってきたのに

 乾燥した土地で育てられた。
 強い感情も自我も仕事の邪魔だと蓋をしてきた。
 そんな彼の目の前で彼女が桜に触れようとしている。
 鼓動が一際強く、血潮を押し出した。
 押し込めてきた感情が目覚めようとしている。
 風が吹く。一面に桜の花弁が舞い踊り、ヰニイの姿を完全に覆い隠そうとしていた。

 ――アンタまで俺を置いて行くな!!
 
 手を伸ばした瞬間、今迄殺してきた愛の言葉たちが一斉に蘇る。歓喜を叫びながら脳と感情のなかで融解していく。
 黒々と沈溺していく心は「愛」と呼称するにはあまりにも歪んでいる。
 眩暈がするのは、埋もれるほどの桜のせいか。それとも開かれた感情の重さのせいか。
 花の吹雪ホワイトアウトへと伸ばした手は紛れもない愛であり禁忌の発露。
 アンタを放さない。離さない。渡さない。
 絶対に。

 花を掻き分け伸びて来た浅黒い肌色の掌をヰニイは握り返した。
 誰の掌かだなんて聞かなくても分かっていたから、花嵐に揺らぎながら無垢な少女の様に微笑む。
 みずから一歩、花の嵐へと踏み込んだ。その壁の向こう側に彼がいると信じていたから、迷いもなく其の腕の中に飛び込んだ。

 此れが真実なのだと思った。
 互いこそが虚ろな自分を埋めてくれる確かな存在。
 此れがそうだと軀ではなく心が告げている。
 はらはらと死んでいく桜の花のなかで、二人は一つに成る。
 
 愛して、愛して、ずっとずっと俺/わたしを愛していて。



「どうして何も言わずにどっかいっちまうんだよ」
 探したんだぜと唇を尖らせるジハールを可愛いと思うと同時に、ヰニイは申し訳ない気持ちを募らせていた。
 寝台でジハールの寝顔を眺めてからの記憶が途切れている。
 ヰニイが一時記憶を失うことは珍しくも無いが、それは戀が叶わなかった時の方が多い。
 それなのに、今回は死体もなければ怖いことも起こっていない。桜の中でジハールに呼ばれたかと思えば、こうして彼の腕のなかで幸せな時間を過ごしている。
 如何してと思うが、事情を把握していそうな人物たちからの返答は期待できそうもなかった。故に必死に頭を動かすも、理由を推理するよりも冷え切った身体を抱きしめるジハールについて思考リソースを割きたいと考え直す。
「ええと、如何してかしら。屹度、わたし、寝惚けていたのね……?」
 寝惚けていなくなってしまったヰニイをジハールは探しにきてくれた。明らかに朝早すぎる、普段のジハールなら目覚めるはずの時間に目覚めて、二度寝よりもヰニイを優先させてくれた。狂おしいほどの熱に包まれ朝の肌寒さも気にならない。
「なんだよ、それ。さっきだって目が会ったのに何も言わねーし、サクラに攫われそうだってのに抵抗もしねーし。あぶなっかしーなぁ、アンタ」
 あらあら、とヰニイは瞬いた。
 又、攫われかけたのねとは言わないでおく。
 ジハールは心配するだろう。ヰニイはジハールに心配してほしいが、決して心労をかけ続けたいわけではない。
 すっぽりとヰニイを覆い隠すように抱きしめているのは、桜が再びヰニイを連れて行かないようにする為。それから薄着のヰニイを桜の視界から隠す為だ。
 ジハールから与えらえる独占欲に心が温かくなる。
「桜の樹の下には、死体が埋まっているそうよ」
 ジハールの鼓動に耳をすませながら、うっそりとヰニイは呟いた。
「その血を吸って、あんなにも綺麗に咲くのですって。あんな大木なのですもの。咲くためには、たくさんの養分したいが必要なんだわ」
「で、アンタが選ばれたわけか。確かにアンタ、キレーだもんな。そりゃサクラも欲しがるか」
 話を逸らす為の話題は、或る意味では成功した。そしてある意味では失敗とも云えた。
「なるほどな。死体埋めたトコってやけに花が生えると思ったら、そーゆーコト」
 熱情と恐怖を孕んだ薄暗い視線をヰニイへと向けていることにジハールは気づいていないのだろうか。本人の自覚の外で執着心が顔を覗かせている。
「鎖と首輪をつけて、ベッドにつながっておく?」
 嫌味ではなくヰニイは本気でそう聞いたが、ジハールは少し笑顔を浮かべただけで真っすぐな大きな目でヰニイを見つめ返した。 
「いいや。物理的な拘束とか、アンタにはあんまり意味なさそーだし」
「そんなことは無いわ。少なくとも四肢への拘束は効果的よ」
 何か思い出すように視線を上へ向けたヰニイに向かって、少しだけ、呆れたような視線をジハールは投げかけた。
「おー、おー、まあ縛ったり拘束したりってのにまったく興味がないわけじゃねーさ。けど、……ずっとアンタを部屋の中に囲っとくってのは、違うだろ?」
 ヰニイは微笑んだ。ジハールは違うと思っていない。本当はそうしたいと思っている。
「お互いに発信機埋め込んどいて、ケータイに位置共有アプリいれとこうぜって言ってンの。俺もアンタがどこにいるのか把握しときたいし。アンタも俺がどこにいるのか知っておきたい。そう思わねーか?」
「エゝ、そうね。そうだわ。心から賛成よ」
「じゃ、決まりな」
 実際にヰニイが部屋の外に出られるのは数日後のことになるだろう。その間はジハールと共にいられるのだ。
 ずっとずっと一緒。
「とても素敵なホワイトデーになりそうね」
「ホワイトデーの贈り物は別にあるんだ。本当は部屋で渡すつもりだったんだけどさ」
 ヰニイの其の言葉に、ジハールはポケットに手を入れた。
 神聖な儀式の一環のように渡されたのはヰニイの掌に納まるほどの、けれどもずしりとした重みを伝えてくれるネックレス。
 花や永遠の結び目に彩られた見事な彫金の中心には佇む死母の姿は、一目で技のある職人の作だと分かる品だ。
「魔除けだ。普通、ホワイトデーったら花を贈るんだろうけどさ。ってか、こんなことになるならもっと早くに渡せば良かった」
 そこには母へと捧げられた無言のちかいが刻まれている。
 天使の風切羽を抜いて地上に縛り付ける愛の証を、真白で無防備な首へとかける。
「花を贈るのは、また今度」
 歓びに流れるヰニイの涙を指で拭い、壊れたように己の名前を繰り返す唇を愛しさを込めて塞いだ。
 貴女にサンタ・ムエルテの加護が降り注ぎますようにと願った、三月十四日の朝。
 

おまけSS『夜桜を見に』

「どこ行くんだ?」
 すっぽりと包まれた背中にジハールの胸の体温を感じながらヰニイは月光花のように静かに笑う。
「ねえ、ジハール。一緒に外をお散歩してみない?」
「ダメだ」
 即答したジハールの腕に力がこもる。
 ぎゅうと肌が擦れる音がする。ヰニイの肩に顔を埋め、甘い声が厭だと小さく告げる。
「また攫われそうになったらどーすんだよ」
 桜が見ごろを迎えてしまった。
 どこもかしこも、薄桃色の花盛り。
 けれどもマンション周辺の桜の花は、公園の桜も含めて一晩で散ってしまった。
 近所の人は「不思議なこともあるものだ」と首を傾げたが、それだけだった。
 かわいいこわがりやさんは以前よりも素直に言葉を渡してくれるようになった。
 ヰニイが外に出る事を嫌がるようになったし、ヰニイはそんな独占欲をむけられるのが厭ではなかった。
 そんなジハールの姿がもっと見たくて、ヰニイはもうすこしだけ意地悪を続ける。
「夜桜も綺麗よ?」
 秘密を打ち明けるように言えば、太い眉をそうっと細めたジハールはぽつりと呟いた。
「……其れは良いな」
 普段よりも耳の血色がよくなっている。ヰニイが意味するところは正確に伝わったようだ。
「靴はどれにしようかしら」
「アンタなら、なんでも似合うよ」
 
 
 


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