あかつく

登場人物一覧

　魔術師は死んだ――年月が魂を蝕み、混沌が終を得て元世界に『帰った』幾つか。屍に還ったのだ。赤色の羽は捥ぎ取られ、朽ち果て、最も強烈な恐怖に屈し、愈々世界には大地が残った。ぺらり。ぺらり。頁を捲ればアッと吐く間に十を越える。ホンノムシは瞳の色も髪の色も、落ちて、抜けて――されど首の傷は『死』を湛えている。図書の匂いに包まれている。その願いは今現在も健在で、一個滅んでも変わりはない。つまり。亜屍、赤羽は無い。在るのは大地だけだ。寂し気な風が鳴き叫んでいる。魂と肉が繋がれて、ああ、平穏が実に擽ったい。騒がしさのケイオスは未だ脳髄を『底に知れて』在る――ばたん。読み終えた本を閉じる。立ち上がる。棚の上から順番だ。何から思い出す――飛び跳ねる兎の真っ赤。罪と罰の果実。喜劇的だった時間。奏でた連中の体液。カーニバルに耐えきり、掠れ果てた心の艶――遺志。魔術。此れを継ぐのは己の『存在』だと認識している。そう。【俺】は赤羽大『智』――集ったものを手放す事は無い。残ったものを失う事も無い。此れを活かして【不老不死】を完成させる。求め、探し、本物を掴むのが『生きる』条件なのだ。適当な漫画本を息抜きに読もう。蝕んだ文字列の数は忘れない。
　食事は摂らなくなった。睡眠も不要に成った。深夜、足を運んでも灯りは無いが。探究の為の時には成る。金は要らないが時は有限だ。寿命は刻一刻と平等に迫っている――しかし。【俺】は人間だ。人との関りを断ち、愉しみを自ら破棄する事は有り得ない。得るべきは少量の稼ぎで、視るべきは人の在り方だ。路地裏――混沌にも似たような場所が在った――に座して占い紛いの戯れだ。よう、アンタ。見ていかないか。通りがかった男に声を掛ける。顔色が悪いソイツは首を振っていた。決まり文句を吐いてやろう――「まだ、死にたくないだろう？」
　自分に言い聞かせるように。自分だった者に聞かせるように。ソイツよりも自分達に聞かせるように。説いた内容は記録しているが記憶してはいない。記憶したのは見込みの有る『者』だけだ。所有する魔導書の写本を渡すのだ。譲った相手が成功するのか破滅するのか。其処までの道は教えないが、関係ないだろう。魔術とは自己で積み重ねる『智』だ。護符と術式を編み続ける程度では『視』得られない――物静かな青年は、表をぶらりと歩んでいる。

　隠者は現、裏を這っていた。こどくに死んだ人間が埃を被っている。獣の死骸が蠅に塗れて、腐った水槽が泡を吐く――施すべきは死霊への使役。混沌の規則が懐かしく思える。此処での規則は如何にも『おかたい』。地の底から肉が涌き、天蓋から魂が沸いてうたう。のたうつと記すのが正しいだろうか。此処では死が活きている。実験は半分成功していた。死が言葉を垂らしている。死が思いを融かしている。ころしてくれ。ころしてくれ。ころしたあいつをのろって――そういうのは。戻した。魂諸共『腐り果てて』使い物にならない。やはり鮮度は必要だろう。死の淵に瀕した存在の『もの』は魔術を施すのに適している。ぶらり。糸を絡ませるように扱えば立派な眷属兼弟子に成せるのだ――赤羽・大智の存在に陶酔させるのだ。それは『亜屍』『赤羽』から得たもの。偉大なる魔術師が知り、伝え、欲していた永遠の夢。世界に広めるべきだろう。死が無くなれば、幸せが満ちていく――ぼつ。ぼつ。碑が愉悦に歪んでいる。此れが鏡ならば【俺】は貌を整えただろうか。首筋が痛むのは気の所為だ。本屋に寄って帰ろう。還らない者に相応しい径よ――胡散臭い占い師は今日も「死にたくないだろう」と――そうして精神は保証されない。神にも人にも獣にも死にも生にも、正気は常々嘲笑していた。誰にも赦されない人間が、けらけらと君を暴けない。その目玉に特異・ひかりはない。ザァ……ザァ――ざぁ……魂が擦り切れず、維持出来る感覚は、グロテスク。
　足がもつれた。理由はわからない。手が歪んでみえた。理由はわからない。脳髄が浸っていた。理由はわかっている。笛吹き男のように生死の境を連れ出せば、遂には深淵へと至るのだ。吐き気がするほどに甘ったるい、現実に膝を落とせば。諦めという心が死んでいた。本屋の戸口がガラガラ鳴った。お気に入りの作者の題名。勇気を抱いた少年が、巨大な『滅亡』に挑んだおはなし――「実は、昔々は偉大な英雄だったんだぞ」――店主が首を傾げている。ぺら、ぺら、ぺら。暗澹に立ち向かった主人公は、飲まれても呑まれても剣を掴む。おもしろい。ああ。アァ。おもしろいのに。この頁は滲んでいる。くもっている。喉が渇いてきた。イキタカッタ――はずだ。不老不死が成せたなら、階段を登らねばならない。俺もオレも【在って】こその。大丈夫。まだ、隣に魂のノイズだけは――先程も聞こえた。ざぁ。ザァ。ざあ――ぐちゃ。壊してはいけない、証明。

　魔術師は生きている。