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<蒼穹のハルモニア>Brillante

蒼穹のハルモニア

登場人物一覧

アベリア・クォーツ・バルツァーレク(p3p004937)
願いの先

 行列の喧噪は、夥しいほどの旋律になった。
 近付いてくる、この薔薇の園へ。
 焦がれた蒼穹は未だ遠く、美しい庭園の花は未だ蕾の儘だった。

 ――リアはどんな花が好き? 私はねえ。

 甘えたような柔らかな声音で、何時だって手を握ってくれていた親友は防衛ラインを越え、此処までやってくるのだろう。
 彼女の隣には彼が居れば良い。それだけで、安心してこの場所に立っていられる。

 ――リア、いつも無茶ばっかして。アニキに任せろよな。

 少し困ったような声音で、彼は笑う。共に空を見上げようと願った蒼い瞳は柔らかな風の気配を纏っていたから。
 呆れているだろうか、困っているだろうか、それとも、怒っているだろうか。
 そんなことばかりを考える自分に呆れてしまった。
 時間なんて、戻る訳がないのだ。一度振り払った手を握り締めることが出来ない事くらい良く分かっていた。

 世界の中にたった二人きりであれば良かったのに。
 あなたとあたしだけならば、怖れることも怯えることも苦しいことも悲しい事だってなかった。
 あなたとあたしだけならば、血塗られた道を走り抜けることもなく幸福だと笑っていられた。
 五線譜の上になぞらえた、登場人物音階だけが存在しているだけならばこんな運命を辿らなくとも良かったのだろうか?

「リア」
「……大丈夫です。あたしが御守りしますから」
 背後に立っていた青年にリアは静かにそう言った。
「あたしには、あなたしか居ない。あなたにだって、もうあたししか居ないのでしょう?」
 リアが振り向けば、ガブリエルは困ったような笑みを浮かべていた。
 ああ、伯爵様――あたしの愛しい人。
 あなたは優しいから、屹度、後悔しているでしょう。
 今から、あたしはローレットの敵となる。剣を交え、最期には命をも落とすでしょう。
「今なら」
「いいえ」
 それ以上の言葉は紡がせやしなかった。男の唇に指先を当ててからリアは首を振る。
「いいえ……ほら、此処は任せて下さい」
 背を押してからリアはぎこちない笑みを浮かべた。
 自ら口づけの一つや交わせやしない純情は、いつまで経っても燻った女の弱い部分だったのだろうか。
 愛しているとは簡単に紡げるのに、それを確かめる事が怖い儘、幼い子供の様に駄々を捏ねて此処までやってきた。
 癇癪だというならば、そう笑えば良い。
 奪われるばかりであった人生に飽きが来たとでも言おう。
 母は、父は、天より与えられた幸福など、決して求めては居なかっただろう。求めて居てくれたのならば、あたし達は共に在る事が出来たのだろうか。
 押しつけがましい母の愛情に、終ぞ得る事の無かった父のぬくもりに。憧憬とは心を殺す。歪みきった憧れに、理解出来なかった旋律が混ざり合う。
 そう、口にすれば可哀想な女として、屹度最期を与えてくれるでしょう――?

 ガブリエル。
 神の言葉を伝える遣いの名を持った美しい人の進む道がどれ程に血塗られていようとも構わなかった。
 薔薇が綻ぶのはもう少し先立っただろうか。あの人は開花の時を待つ時間も好きだと告げて居た。
 庭園に咲くその花を彼に、彼女に見せてやりたかった。

 ――。

 名を呼ぶ、呼んだつもりだった。音になりやしなかった。名を呼ぶことさえも烏滸がましい事だと感じていたからだ。
 裏切りなんて易い言葉では言い表せない。

 愚かな女の懺悔を聞いて下さい。
 莫迦みたいな事だけれど、どうしても、そう思ってしまったのだから。
 ただ、あなた達が笑っている未来が欲しかった。
 それだけだったのに、あの人を一人に出来なかったから。

「これで、お別れね。……綺麗な旋律、けれど、もう、その音色もあたしには聞こえないの」

 たった一つだけ、叶えてくれるのならば。
 どうか、どうか――あの、美しい人が一人で寂しく死んでしまわないように。
 あたしという愚かしい女が、あの人を愛した旋律の一つでも、残させてくれやしないかと。
 そんな愚かなことばかりを、蒼穹に願った。
「もう、遅いのよ」
 唇が戦慄いた。リア・クォーツ。その名を捨ててどれ位立っただろうか。
 リア・バルツァーレクと名乗るように求められたのは、彼の手を取った時だった。
 底に存在したのは甘いチョコレートのような蕩ける恋情でも、粘り気のある情欲の形でもなかった。
 悪に咲くあの人を一人にはしておけなかったのだ。美しい、あなた。その、恐ろしい程に淀んで歪んでしまった旋律。
「……もう、遅いの」
 繰返す。繰返す度に、どうしようもなく頭痛がした。
 リアと呼ぶ蒼い瞳から逃れるように、その手を払い除けた事を間違いだとは思ってはならない。足元が崩れてしまわぬように、耐えなくてはならなかったから。
 人は皆、誰かに祝福されるために、生まれてくるのだから。
 だから――今位はさ、あたしに微笑んでよ。神様。


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