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骸の夜を逃れて

登場人物一覧

キドー・ルンペルシュティルツ(p3p000244)
社長!
キドー・ルンペルシュティルツの関係者
→ イラスト


「これでうまくやってくれ。頼むぜ」
 キドーは格子の隙間から手を差し入れ、飾り窓の娼婦に金貨を三つ握らせた。
 結構な出費だ。だが、これであのナイフを手に入れられるのなら安いものだろう。
 ヤツが娼婦に気を引かれて油断した瞬間に、腰のナイフを盗む。腕には自信があった。盗みはキドーの生業だ。
(「来た、来た。気取った顔しやがって……女とやることしか考えてねぇくせに。クソが」)
 自ら輝き放つような白金の髪をたなびかせ、街中を颯爽と歩くエルフを見かけたのはいつの日だったか。
 強い風が吹いた。飛んで行く木の葉を追って首を回した先に、彼がいた。
 すべてが約束された者特有の、鷹揚な笑顔。洒落た絹の衣で長い手足を覆い、艶光する黒皮の長靴で大地を踏み歩く。実力に裏打ちされた戦士としての自信を盾に、武器はその腰にたった一振りのナイフをさげるのみ。
 見た瞬間に、キドーは「あのナイフが欲しい」と思った。
 理由は良く分からない。強いてあげればあのナイフが、どんなに望んで手を伸ばしても得られないものすべてを現しているように光って見えたから。
 キドーが生まれ、属するゴブリンの世界は、無気力で殺伐とした、人が石ころのように見捨てられるどん底だ。いつ果てるともしれぬ生を送る人々が一つ屋根の下で溢れ、自分たち以外の世界が狂っているのだと、誰もが思い込みたがっている。
 頂点にごくごく一部のエルフ、その下にヒューマンとその他大勢。ひどいヒエラルキー社会だ。三角形にさえなっていない。
 あのナイフがあれば、そんな世界を変えられるかもしれない――。
(「くだらねぇ。ただ欲しいと思ったから盗るだけの事だ。世界を変える? ハハ……ゴブリンにできるわけねぇだろ」)
 キドーは奥歯を噛みしめた。が、すぐに意識して体から力を抜いた。
 ターゲットに悟られることなく盗み出すには、繊細な指の動きが要求される。必要以上に力むと指の動きが相手に伝わって失敗する。
(「ま、そんなドジを踏む俺さまじゃないがな」)
 手筈通り、飾り窓の娼婦が前を通りがかったエルフの青年に声をかけた。
「聖樹の守護者にして世界の守り手、ラゴルディアさま。どうか――」
 艶やかに開いた花の奥で湧く蜜を求め、エルフの青年が足を止める。
 こいつ、ラゴルディアっていうのか。聖樹の、というと……見かけ通り、良家のお坊ちゃまかよ。けっ!
 キドーは身を潜めていた暗がりを滑るように出た。高鳴る胸をマントの内に封じ、何気ない足取りでエルフの青年に近づく。
 横に並んだ瞬間に伸ばした指が、ナイフの留め具にかかる。
 通り過ぎざま、柄を握った。
 ナイフの刃が鞘の中を滑り、出る。
 よし――。
 出来心で振り返った。
 ラゴルディアと目があった。
 まぬけ、と言い捨てる前に舌が固まる。
(「ちくしょう、なんでバレた!?」)
 その問いかけに応えるように、真赤な火球が飛んできた。キドーは知覚すると同時に横へ飛び、危うく火球をかわす。それは本能的な退避行動だった。
 地面に着弾した火球は鈍い作裂音と共に弾けて消えた。激しい熱波が放射線状に広がり、そばにあった木の立て看板を一瞬で消し炭に変える。店の壁が焦げて崩れ落ち、地面が半円形にえぐれていた。
 殺される。
 尾てい骨が震えた。恐怖が背骨を駆けあがる。
 固まる足。
 なのに、口は勝手に動く。
「ヘタクソ! 何が守護者だ、守り手だ。テメーのモノすらロクに守り切れねぇマヌケが!」
 顔を赤黒く歪ませたラゴルディアが何事かつぶやくと、虚空から燃え盛る火球が無数に出現し、キドー目がけて降り注いだ。
 キドーは次々とあがる人々の悲鳴の中で必死になって火球をかわし、逃げる。
「こいつは俺のモンだ! 取り返せるものなら取り返してみやがれ、クソエルフ!」
 細くじめじめした裏路地を走り抜け、枝と根が複雑に絡み合う森に向かった。


 息を止め、右肩を木の幹に預ける。息を吸い込んだ瞬間に、世界がきゅっと縮こまった。激しく打つ心臓の鼓動と荒い息だけの世界にしばし閉じ込められる。
 小柄なこちらが有利なはずなのに、なぜだ。なぜ引き離せない。もう走れない。呼吸が切れている。クソ、クソ、クソッ。
「ち、ちくしょうめ」
 執拗に追いかけてくるラゴルディアから逃げ回っているうちに、キドーは時間感覚を森の薄闇に奪われていた。
「いい加減にあきらめやがれってんだ。た、たかがナイフじゃねぇか……。買えよ。買えばいいじゃねぇか。金がないとは……言わさねぇ、ぞ、クソエルフ」
 季節が変わるほど長い間、逃げ回っているような気がする。今はまだ夜なのだろうか。
 昼なお暗い鬱蒼とした森の中である。枝葉の間に月を見なければ、昼夜の判別すらできない。
 キドーは顔をあげようとして吐き気に襲われ、からえづきをした。目の端に涙がにじむ。盗んだナイフの柄を強く握って堪えた。
「こ、こんなもの……」
 投げ捨てようとして、腕が止まった。
 捨てられない。
 ただのナイフじゃないか。こんなもの一本で命を捨てたくはない。なのに……捨てられない。
「腐れゴブリンめ、『時に燻されし祈』を返せ! それは貴様のような低俗なものが手にしてよいものではない!」
 怒りに満ちた罵声が薄闇の森に響く。
 間髪入れず衝撃波が土を飛ばし、体を揺さぶる。盛大に吹きあがる爆炎が、闇に溶けた大木とその間に通る獣道を炙りだした。
 キドーは走った。
 もう、どこへ向かえばいいのか分からない。
 いっそ捕まって慈悲を請うか。
 いや、駄目だ。クソエルフの許しなんぞいらん。欲望のままに人生、散らかせ。はしゃぎながら欲しいものを手に入れろ。それが俺の生きざまだ。
 いつしか森を出て街に戻ってきていた。
 盗んだナイフを前に突き出し、人気のない夜道を走る。まるでナイフに手を引かれているかのように。
 転がったカラスの頭骨の、眼窩がぽっかりとあいた穴を星の明かりが満たし、影が濡れた石畳の上を長く伸びている。かつて魔道機兵だった鉄板や鉄棒も、くつきりと影をひいている。影は硬いが光は疲れている。
 意識が朦朧としてきた。手にしたナイフが震えだす。肺に空気が欲しい。

 ――キドー。キドーよ、『祈』を託す。彼が『心』と絆を結ぶその日まで。

「は?」
 すぐ目の前に扉を開いた館が見えた。館の奥からあふれでるまばゆい光の中に、迷わず飛び込む。
 気がつけば草花のそよぐ中に寝転がって、キドーは見知らぬ低い空を見上げていた。


 根の間に用心深く隠された急勾配を下る。洞窟に足を踏みいれると、手にしたクリスタルの明かりが役に立たないほどの闇が広がっていた。
 目深にかぶっていたフードを後ろへ跳ね上げる。簒奪者は息を殺し、足音を殺し、吐息が凍る闇の先へ向かった。
「遅かったな。『祈』は我らを導く者とともに渡ったぞ。ゴブリンの勇者とともにな」
 皮の手袋の軋む音が響き、ナメクジのような臭いがする洞窟に殺気が満ちる。
「たわごとを。ゴブリンに勇者などいない。やつらは全員ゴミだ。……『心』はどこだ。まさかカスのようなオークと一緒、というのではないだろうな?」
「心か……。自分の胸に手を当ててみたらどうだ、心亡き者よ。探すべきはおまえの――」
 闇に刃音が踊り、落ちた杯が跳ねる固い音がした。

 夜が来る。
 冷たく長い、長い骸の夜が。
 残された者にできるのはただ待つことのみ。
 朝日を、彼らの帰還を。

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