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Liar Game ~偽りの輝き~
登場人物一覧
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「出たぞ! 怪盗リンネだ、捕まえろー!」
複数の足音と喧騒が遠くに響く。今宵の獲物の警備を任された警備員たちは、怪盗の術中に見事にはまり、見当違いの場所を探し回っているようだ。
(素直な人は嫌いじゃないけど、惑わされやすいのは考え物だね)
変装を解き、鼻歌さえ歌う余裕のある侵入者。彼女の背後から、ふいに落ち着いた声がかかる。
「貴方が『怪盗リンネ』さんですか?」
夜の帳を挟んだ先、屋敷の天窓から月明りを受けてトール=アシェンプテルの姿が露わになった。
引き抜いた輝剣『プリンセス・シンデレラ』はオーロラ色の輝きを放ち、その切っ先で真っ直ぐ闇へ紛れる者を捉える。
傍らには、今しがた空になったばかりのガラスケース。飾り立てるべき主役を失ったそれは、無機疎通があれば『寂しい』と呟くかもしれない。
ひりつく様な緊張感が支配する今に至っては、確かめる余裕すら在りはしないが。
「大人しく捕まってください。出来れば貴方を傷つけたくない」
トールは本当の事を言っている。ここで大人しく投降すれば、手荒な真似はしないだろう。
それは怪盗リンネの勘ではなく、
「いやぁ、そう言われて『はい分かりました』なんて答えるようなら、怪盗なんてやってないって」
くだけた口調で飄々としたまま、怪盗は暗がりの中で笑ってみせた。
今宵の得物は『女神の涙』の異名を持つ、大粒のアレキサンドライト。昼のエメラルド・夜のルビーと謳われるその宝石は、太陽の光の元では深い青緑色に眩く輝き、月光の下で血の様に赤く妖しい光を湛える。
(宝石言葉は『二面性』…まるで
少女は、融解していく
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「お願いします、沙耶さん! 頼れる先はどこだろう、と思ったら真っ先に顔が思い浮かんで……」
その日、ローレットでの二人の会話はトールが手を合わせたところから始まった。再現性東京でゾンビうごめく遊園地でのデート(?)を満喫してからしばらく後の事。
互いに距離が縮まり遠慮も少なくなりはじめたところで改まっての相談とは、よほどの事だろう。確認していた依頼書の束をテーブルに置いた後、沙耶は手元に紅茶を手繰り寄せた。
「それで、何を頼みたいんだ?」
「聞いてくれるんですか?! ありがとうございます!」
「聞くだけ、だ。まだ引き受けるとは言ってない」
きらきら輝くトールの笑顔が眩しくて、沙耶は気を紛らわそうと紅茶を口に含みーー
「私、怪盗リンネさんの情報を追ってるんです!」
「ぅごフッ!?」
盛大に咽せそうになったところをギリギリ耐えた。
(まさか正体がバレたのか? いや、それは無い。怪盗の姿でトールと会った記憶もないし)
「? どうしたんですか、沙耶さん」
「ま、まぁ……怪盗リンネと言えば、
きょとんとした顔は本当に何も知らないようで、高鳴る心臓を落ち着けようと沙耶は視線だけで「何故」と問う。
「舞い込んできた護衛の依頼がきっかけで、私にパトロンがついたんです。そのお方がリンネさんのファンらしくて」
ーーファン。
その響きに紗夜はさっそく違和感を覚えた。ローレットの仲介なしにトールを雇う様な財力の持ち主が、義賊とはいえ金持ちを狙う怪盗を好きになるだろうか?
「沙耶さんはご同業、もとい義賊の怪盗さんなんですよね?」
「まあな。ただ、同業でも怪盗リンネは尻尾を掴ませない。界隈で噂されているのは、魔法のように鮮やかな手際と犯行前に予告状を出すという事。それから……盗みを働く先は、悪徳な者達へと決まっている」
「悪徳、ですか?」
「そうだ。例えば、後ろ暗い取引で私腹を肥やした奴だとか、誰かの大切な宝物を騙しとったとか」
沙耶の言葉を受けて、トールは少し考えるような素振りを見せた。やはり何か、雇われ主は後ろ暗い事があるのだろう。
(トールは私を信じるか、依頼主を信じるか……)
天秤にかけてどちらが傾くか。慎重に様子を観察していると、トールの背中にきらきらと――幻想的な『虹の欠片』めいた輝きが現れた事に気付いて、沙耶は目を見開いた。
「沙耶さん、凄いです。そんな情報までご存じだなんて!」
「え、いや。逆に言えばそれぐらいしか知らないのだが」
「私が調べた時は、いろんな情報が溢れていて、話の真贋が分からなかったんです」
(もしかして、奪われた悪徳貴族が私の悪評を広めているのか? 義賊としての噂が広まれば、多少は悪事の抑止力になると思ったのだが)
トールを通して見えてきた真実に、沙耶はそれなら在り得ると考え込んだ。すぐに思考しはじめた彼女の動きに、トールは感謝すら覚えた様子で手を取る。
「……っ!?」
「お願いです、沙耶さん。僕の
「さ、探してどうするつもりだっ」
「わかりません。パトロンさんは単純にリンネさんに会いたいそうなので。仮に出会えた時、私が何をしたいのか。…それは、もっと調べれば決まっていく事だと思うんです」
驚くほど無垢な瞳が覗き込んでくる。この瞳に訴えられると沙耶は弱いのだ。
「沙耶さん……」
「あぁもう、分かった! 時々であれば、手伝ってやらなくもない」
自分の情報を正体を隠して小出しにしていくなんて、我ながらどうかしている。
沙耶は最初こそ悩みはしたものの、調査と称して街へ聞き込み調査を行ったり、怪盗の出てくる小説を読みあって感想を言い合ったり――二人の時間を作るうち、違う感情が心を占めるようになった。トールと一緒に重ねてきた思い出は、どんなお宝よりも胸の中で輝いて、心を温めてくれる。
義賊として孤独に戦う沙耶の心を、何よりも癒してくれたのだ。
「いいのか? こんなに綺麗な髪飾りを、私なんかに…」
「沙耶さんだから、持っていて欲しいんです」
そんなある日、トールから沙耶へ、親交の証にと髪飾りが贈られた。オーロラエネルギーを注ぎ込み、不思議な輝きを帯びた白いリボンの髪飾り。
誰もを魅了する光彩は、見た目こそ幻想的で美しいが、身に着けているとトールが傍にいてくれる気がして、それが何より沙耶にとっては嬉しかった。
幸せを知った少女は、肌身離さずその髪飾りを身に着けるようになる。
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「一応、聞いておこうかな。どうして貴方は私のトリックを見破れたの? 偽装は完璧だったはずだけど」
思い出の走馬灯を振り払い、リンネはトールへ問いかける。本来であれば、この部屋には誰も残らない算段だった。
宝石の展示室がほんの一瞬、照明が消えて暗転し、次に灯りがつく頃にはショーケースがもぬけの殻。天窓から見上げられる方向へグライダーまで飛ばし、あたかも『すでに盗んで逃げた』かの様に見せかける。
後の作業は簡単だ。警備員に扮して混乱に紛れ、「ここは私が調査するので、皆さんは怪盗を追ってください!」とひと芝居うつだけ。
我先にと警備員がリンネを追おうと外に向かったのを確認してから、"空のショーケースの偽装"を解いて宝石を奪うーー簡単な仕事だと、思っていたのに。
「いくらリンネさんでも、あんなに大勢の監視がついてる中、たった数秒で盗み切るのは不可能だと思ったからです」
「あっはぁ、つまりナメられた訳だ?」
「いいえ。リンネさん
言葉が途切れたのは、リンネが放ったカードを避けるためだ。鮮やかすぎて攻撃と気づけぬほどの札裁き。トールは輝剣を振って次々と打ち払い続けるが、防戦一方で得意な間合いへ踏み込めない。
(この人、私より一回り強い! でも、こんな芸当ができるのなんてハイランクの特異運命座標ぐらいしか…)
「君が優秀なのは認めてあげるけど、一人じゃまだ役不足だね!」
「だからって、諦める訳にはいかないんです!!」
トールの闘志が沸き立ち、オーロラエネルギーが拡散する! 闇を照らす虹色の輝き。その力に共鳴し、
「――っ!?」
「そこですッ!!」
動揺するリンネ。彼女の一瞬の隙をつき、トールが鋭く突きを繰り出す。反射的に身を引くリンネ。その掌から零れ落ちた宝石が地面に叩きつけられる前に、スライディングしたトールがしっかりと掴み取る。
「よかった、宝石は無事みたいですね」
自分の身よりも宝石の無事を優先するトールにリンネは何か言いかけたが、すぐに踵を返して走り出した。遠くから複数の足音が近づいて来る事に気づいたからだ。恐らく警備員達が、騙された事に気づいたのだろう。多勢に無勢、囲まれてしまっては流石のリンネも逃げ延びるのは至難の業だ。
「待ってください、貴女は…!!」
背後でトールが叫ぶ声が聞こえる。聞こえない。今は何も、聞きたくない。目頭が熱くなり視界がぼやける。それでも足を止められない。
(どうしよう、どうしよう! トールは私の事、気づいたかもしれない。リンネの調査を手伝うなんて、本当の事から目を逸らして……私、最悪だ!)
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「トールさん、その宝石はもしや!?」
「……はい。『女神の涙』です」
一方、展示室では警備員達が、トールの活躍に大いに沸き立っていた。次々に賛辞を贈られるが、返答をするトールは心ここに在らずといった様子だ。
(私のオーロラエネルギーが拡散した時、リンネさんの髪飾りが共鳴した……? 彼女は私の故郷と同じ異世界から来た旅人なのかな。それとも……)
疑いたくない。祈るような思いに反して、頭の中に沙耶の笑顔がよぎる。渦巻く疑念にトールは俯き、掌を開く。
青緑色から赤色へ、思い出さえも染め上げる様に、宝石は妖しく輝いた。
おまけSS『女貴族ジネット・マールブランシュの独白』
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欲しいものはどんな手を尽くしても手に入れる。
こぶし大の宝石に、豪奢なフリルを散りばめたドレス。
私は生まれながらにそれら全てを得るため力をもっていた。だからこれは、当然の権利。
(つまらないわ。これもまた簡単に手に入ってしまった)
差し向けた悪漢達は意のままに目的の物を手に入れる。気付けば私は、簡単に手に入らない物に執着していた。
――確執。
私の財産を奪おうという盗人達と、私が雇った護衛の攻防。
そこに生み出される関係性。互いに相手を思い、対立していく様のなんと美しい事でしょう!
互いに切磋琢磨して、敵対しながらも互いを信じる関係性が、たまらなく愛おしい!
もっと新たな感動を、もっと新たな激情を。
それらを求めるうち、私はいつしか裏社会で、こう呼ばれる様になった。
『怪盗コレクター』ジネット・マールブランシュ。
恫喝、強盗……悪辣なる手段で財を成した貴族令嬢。
その屋敷へ盗みに入った者は最期、彼女は地の果てまで"獲物"を追いかけ欲望のままに収奪する。
追跡の過程で、どれだけ赤字を吐いてでも。彼女はまるで、"盗人殺しに憑りつかれている"ようだ。
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「――以上が今回の報告となります。リンネさんを逃してしまい、申し訳ありません」
新たに手にいれた可愛い
「頭を上げてください、トール様。それでも宝石は立派に守りきってくださったではありませんか。
褒めるこそすれ、責める道理はございませんわ」
許せどトールの表情は晴れぬまま。
「リンネ様がなぜ、私の
だって彼女は誇り高き義賊ですもの。私、トール様が語ってくださるリンネ様のお話、大好きですもの」
「ジネットさん……」
「けれど盗みは盗みですし、義賊というのはーー身を亡ぼす善意ですわ。
欲深い人間と、貧困に喘ぐ市民。どちらも耐える事がない。つまるところ、リンネ様は終わりなき無限の闘争に身を置いているようなもの」
どんなに周囲を助けても、捕まえられれば罪人として裁かれる。
「リンネ様がやっている事は
「……ッ」
トールの顔に苦悩の色が浮かぶ。
「トール様、これからも護衛として、お力をお貸しくださいませ。
私とトール様、二人でリンネ様を捕まえて、怪盗をやめさせましょう?」
トールとリンネ。二人の駆け引きは素晴らしい。この
ーーさぁ、極上の舞台を用意しましょう。究極の絶望。その果実が実りきるまで、あと少し。