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刃の啜ったその味は
登場人物一覧
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指先で、触れるのか、触れないのか。それくらいの絶妙な距離で頬を撫でられるような感触に、サイズはぞくりと背を震わせた。
思わず悲鳴にも近い声が漏れそうになるが、喉の奥で懸命に抑え込む。これが必要な行為なのだと自分に言い聞かせながら、唇を強く引き結んで、不規則になる自分の呼吸を聞いていた。
頬を撫でる感触は止まらない。いついつに終えるとも決めていないのだ。まだかまだかと待ち続けるものの、一向に終わる気配はない。いいや、そもそも終わる気配とはなんだろうか。この感触に終わりなどあるのだろうか。終わらないなら、気を緩めることができない。気を緩めることが出来ないから、ずっと、ずうっと身体を強張らせている。強張らせながら、耐えている。
指先で撫でられる感触が動いていく。ゆっくりと、ゆっくりと、その軌跡に余韻を長く残すために。意識が思わず、その跡を辿ってしまうように。
頬から耳、耳の中、耳の裏、首筋、喉、下顎、唇、歯、舌――――。
大きく身体を震わせると、感触が遠くなっていく。思わず相手を睨んだことを、誰が責められよう。
相手は悪びれる様子を見せず、薄っすらと笑っている。小さく出した舌で唇をゆっくりと舐め濡らすと、自分の指先を咥え、口吸いをするような音を立てた。
直接触れられたわけではない。いいや、あるいはこの肌以上のものに触れられていたのだろう。薄く笑う彼女、チェルシーが触れていたのは自分の核たる大鎌なのだから。
強くため息をついた。自分の感覚を取り戻すためだ。それと、先程の感触を忘れるためだ。むずがゆさを感じて頬を掻いた。先程の記憶を呼び戻すかのように、指先で己のそれに触れようとしている事に気づいて、また大きくため息をついた。
なんだろう、匂いが甘ったるい。
脳が軽く、麻痺をしているような感触に囚われている。
何がどうして、この様になったのだろう。
うずくまりたくなる気持ちを抑えながら、サイズは事の経緯を思い返していた。
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「ここがサイズの鍛冶場なのね……鍛冶屋の家なだけあってワクワクするアイテムが揃ってるわね」
チェルシーが頬に手を当て、声音に若干の興奮を混ぜながら感想を述べた。
サイズが今日、彼女を招き入れたのは、その羽根である魔剣について調査を行うためだ。サイズ自身、武器が本体であるということもあって、身体に剣の翼を持つ彼女には親しいものを感じていたのだ。
それに、やはり特異な武器を見れば興味をそそられる。鍛冶屋としての気質がそうさせているのだろう。思い切って調べさせてはくれないものかと相談したところ、チェルシーは快く承諾してくれたのだ。
どうせなら、互いに調べあってみるのはどうか。そのような提案もありがたく、頷くばかりである。これを期に、武器という特殊な構造を持った者同士、繋がりが深まればとも考えたのだ。
「ふふ……今日はゆっくり楽しみましょう、サイズ」
一通り、部屋の中を見回してから、チェルシーは振り向いてそう言った。
なんだか違う意味合いが込められていたような気もしたが、気のせいだろうと頷き返す。
チェルシーは金敷や焼鏝に触れると、頬を上気させながら身を震わせた。
「魔剣としてこんなもので焼かれたり叩かれたりしたらもう……!」
「焼いたり叩いたりは俺のコアでもするが、チェルシーさんでやる場合はしっかり魔剣部分を見てからだぞ、精密な作業になるし……」
その反応に今更ながら不穏なものを感じつつも、調査は開始されたのだ。
始めのうちは真面目にやっていたのだ。始めのうちは。
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「……ふふふ、繋がれて飼いならされちゃうわね?」
チェルシーがサイズの鎖を身体に巻きつけていく。小さな体、柔らかい肌、そこに鎖が食い込むというのは、なんとも背徳的なものを感じさせる。
首に巻き付けてネクタイの様に前に垂らし、両手をブルーブラッドの耳の用に頭部に当てると、ワンとひと鳴き真似てみせた。
垂らせた鎖は首輪から伸びるリードのように見えただろうか。サイズに目をやると、さっと視線をそらせて羽根の確認に集中している素振りを見せた。そんな態度をとられては、ますます昂ぶってしまうではないか。
(今日は感情が豊かなのね)
いつも表情の変化に乏しいサイズが顔を赤くしている。その事実だけで、はしたなくもおどけてみせた価値があるというものだ。
鎖が先程より、少しだけ絞まった気がする。幼く見える柔らかい肌に、微かにぎちりと食い込んだ気がする。まるで強く抱きしめられているかのようだ。そう思うとなんだか愛おしくも思われ、先程刃身にそうしたように、鎖を指先でなであげた。
びくりと震えるサイズの姿が、視界の端に映っている。それに合わせて、鎖もまた少し、ぎちりと動いた。
心臓が早くなる。頬が上気する。心が高ぶる。既に鎖は肉を絞めつけ、痛みを伴い始めている。もっと、もっとと思う。もっと、もっとと願う。可能ならば肉を破り、骨を罅するほどに絞めつけてくれればいい。
がらんと、音がした。見ればサイズの大事な刃身が床に転がっている。どちらかが動いた衝撃で、台座から落としてしまったのだろう。
嗚呼、良い事を思いついた。
舌で唇をなぞり、生唾を飲み込んだ。これを見たら、サイズはどんな反応をするだろう。もっと、これを強めてくれるだろうか。
鎖に巻き付かれたまま、膝を付き、身体を折り曲げ、舌を伸ばす。浅ましくも犬が餌を食うように、床に転がった刃身を付け根から丁寧に。
「女の子がそんなことしちゃ……」
抵抗を見せている。でも止まらない。止まれやしない。刃の部分を舌の腹でなぞっていく。切れるか、切れないか。その瀬戸際により高揚感を覚えながら。
刃先に届こうというあたりで、ぎゅっと鎖の絞めつけが増した。だから、力加減を間違えたのだ。
にいまりと笑う。唇の端から細く血が流れている。痛い。痛い。なんて、気持ちいい。
「――――ッ!!」
サイズが口元を抑えて何やら悶ている。それがどうしてかは、察することが出来た。刃先で自分が舌を傷つけてしまったから。血が刃身に付着して、サイズがそれを飲んでしまったから。
驚いて手元が狂ったのだろう。
サイズの指からも血が流れている。驚いて、チェルシーの羽根で傷つけてしまったのだろう。
顔を赤らめ、口元を抑え、その抑えた手からも、血を流している。無垢を染めたような陶酔に襲われた。同時にそれが、ひどく艶かしく思えた。
サイズの顔が弛緩していく。顔を赤らめたまま、薄っすらと笑い、熱のこもった視線を向けてくる。嗚呼なんとも、良い顔になったものだ。
サイズはそのままチェルシーがやったように舌を伸ばし、己の指先についた血を舐め取っていく。ぴちゃり、ぴちゃり。しばらくその音だけが鍛冶場に響いていた。
何秒、何分、そうしていただろう。サイズの手がチェルシーの羽根に触れる。先程までの遠慮は感じさせず、明確な目的を持って。
触れる指先。自分と同じ様に、微かな感触だけを残してなぞっていく。なぞられていく。背筋が震えた。もっと、もっとと訴えたい。無茶苦茶に、乱暴に、出鱈目に、軽率に――嗚呼。
舌が伸びる。舌が伸ばされる。犬のように呼吸をしながら、ゆっくりと、近づいていく。