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SS詳細

『糸』

登場人物一覧

澄原 水夜子(p3n000214)
恋屍・愛無(p3p007296)
愛を知らぬ者

 命とは細い糸のようなものだ。最初は只の一本であっただろうが人間と関わることにより、それが徐々に太く太く変わって行くのである。
 紡ぎ合せた事によりより強固に変化してしまったそれが人間の生存を高めるのだ。それでも、その糸に死が縒られていたならば、それはどうするべきであろうか。死という概念を好んだものにはそれそのものを縒って糸を作り上げてしまうのだろう。遁れられぬそれは死屁の好奇心にも転じてしまうのだろうか。
 丁度――彼女のように。そんなことを考えながら、愛無は水夜子を一瞥する。自身と水夜この間にあるのは友人と言うラベルを付けることも出来ない曖昧なものだった。『死』を好ましく思う愛無と、『死』にも近しい場所を歩いている水夜子。二人の間にあるのは『死』を縒り繋いだだけの糸のようなものなのだろうか。それは寂しいと思うと同時に愛無にとっても妙な納得感があった。
 つまり、そう。愛無は人間に対して特段、細かな感情を抱くことは無かったのだ。何せ『ばけもの』だと己を認識している。『けもの』である以上、人間との間にそうした相互感情は生まれないというのが愛無の持論ではあるだろう。人が肉牛や豚に対して感慨を抱かぬように、捕食者は捕食者なりの考えを有している。それが言葉を交わせる相手であったとて、喰らう者に大きく入れ込むのは間違いなのだ。一線引いた場所に立っていた愛無にとって水夜子と言う存在がある意味で特別で、ある意味で特異であったに他ならない。他の誰に対しても大切だという認識があれど、一線を引いた場所から見守る事も出来ていた。
(何ぞ、己から全てを動かすというのは難しい話しではあるのだが。少なくとも、表皮の内側まで覗いてみたいと思う人間は中々に少ない。
 生きていたいと望む者の渇望は素晴らしく、同時に僕が入る余地もないが水夜子君は死に急ぐところがあるのだものな。
 ああ、そうだ。僕は彼女が有している死に深く惹かれているのかも知れない)
 恋心と呼ぶべきものを宿した事の無い『けもの』は目の前の水夜子だけを見詰めていた。
 愛無が居ようが居まいが彼女の日常は変わらないのだろう。為すべき事を見据え、その為に他人を利用できる。どうにも、彼女は明るく見えて誰かをその懐に入れる気は無いようにも思えたのだ。
 救われてくれない、救われたくも無さそうな彼女を見詰めながら「何か手伝う事はあるだろうか」と愛無は問うた。
「海にでも行きませんか」
「海か」
「ええ。海に。ただ、歩くだけなのですが如何でしょう」
 散歩の誘いだろうか。そんなことを考えてから愛無は違うだろうと首を振った。
 カレンダーを見れば3月8日だ。水夜子の誕生日でもある。愛無は彼女の誕生日を祝うために此処にやって来て、書類整理が終ったら『好きなところに行かないか』と誘ったのだ。その答えが海なのだ。単純に彼女が海を見に行きたいというわけでもあるまい。何せ、水夜子が先程まで見ていたのは怪異譚が掲載されているものやインターネット上の噂をコピーした書類の束だったのだから。
「その海には何があるのだろうか」
「さあ、分かりません。ですが、ただ歩けば良いというのだから少しだけの肝試しとして付き合ってはくれませんか?」
「構わない。征こうか」
「有り難うございます。何せ、これは一人では出来ないようですから」
 一人では出来ないような事をしに海に行く。それは、まるで儀式のようでは無いかと愛無は彼女の横顔を眺めていた。
 問わずとも辿り着いたのは、彼女が目指していた海であった。
 入り口には鳥居が存在しているがそれも潮の影響か朽ちているようにも見える。だが、傾いだ鳥居の向こうには注連縄と共に洞が広がっていた。
「この穴を通り抜けるのです」
「通り抜けるだけか」
「ええ、単純明快でしょう。この穴をずっと通り抜けて行くだけで今回の私のお出かけは終了……ですが、そう簡単に終るとは思いませんから」
 ――何かある、のだろう。潜り抜けるという行為自体に何らかの意味が付随することは多い。動きを伴うことにより、他の場所に自らが訪れるという意味合いが付随するからである。例えば、怪異は家に入ることは出来ないが、招き入れられれば入ることが出来るというのと同様の意味合いで人間が自ら起こした行動に対して何らかの意味を与えるのである。
 穴を通り抜けて行くだけ、というのもそう言う意味合いを含んでいるに違いない。そして、一人では行けないというのも一人であると危険すぎるという事だろうか。もしくは、ちょっとした肝試し程度に抑えるために敢て『儀礼』を以てその道を通り抜けて見るべきだと言うことなのかも知れない。
「それでは、準備をしましょう。愛無さん、手首を貸して頂けますか?」
「ああ」
 手首にぐるりと巻かれたのは赤い紐であった。真ん中には鈴が通されており、動きと共にちりちりと鳴る。それを愛無の手首に巻き付けた後、水夜子が端を同じように手首へと巻き付ける。手首を紐で繋いだ状態となり、手を繋いでから水夜子は鳥居の下に立った。
「これからずっと、話していて下さい。会話を途切れさせないように、ずっと話続けるのです」
「ああ、分かった」
 どうして、と問うのは中でも出来る。ゆっくりと踏み込んでく水夜子の背中を追掛けながら愛無は明かりも無い洞の中を進んでいた。
「ところで、どうして会話が必要なのか聞いても?」
「ええ。それはこの中を歩きながらの方が良いでしょう」
 ぴちゃ、と水が落ちる音がする。どうやら、少し湿った空間なのだろう。満潮の際には此処は海中になるのだろうか。そんなことを考えながらも進む。
「じゃあ、お願いしよう」
「はい。会話というのは相手が無くては成り立ちません。詰まりは相手の存在がそこにある事への認識です。
 手首を繋いでみましたが、それはあくまでも保険です。手を繋いでいようとも『繋いだ相手が無事であるか』、『すり替わっていないのか』という保証は暗闇の中ではありませんね」
「ああ、そうだな。手を繋いでいるだけだと相手が其処に居ると言うのが当たり前に感じられて、それが誰であるかという感覚さえ抜け落ちてしまいがちだ」
「はい。ですので、会話です。話を続けることにより誰と話しているのかという事が常に認識の中にありますね。相手によって、会話の内容を変更するという意味合いもありますから」
 愛無は「ああ」と頷いた。会話を止めては鳴らないというのは相手に自分の命を預けているという意味合いもあるのだろう。確かに、手首を繋いだ紐は『先程から鈴を鳴らす気配も無い』。斯うして歩いているのだからちりちりと鈴が鳴り響いても良いだろうに。聞こえていたはずの潮騒も遠のき、相手の声だけが暗闇に響いていた。
「水夜子君を相手に話すならばなんだろうか、と確かに考える。愉快な怪異の話であった方が水夜子君は喜ぶだろうし、この洞についての考察というのも良いだろう。
 最も、好きな『すいーつ』の話しを楽しむくらいの余裕は見せたいのだが、それだけでは相手が誰であるかという以上に『他の誰か』の認識が入ってきてしまう可能性もある」
「ええ。私に対しての話に他の誰かが介在した瞬間に、間に何ぞかが入り込む可能性がありますからね。そうした時にこの紐が必要なのです。
 手首の紐は物理的な要です。コレが途切れてしまったならば私とあなたの間には物理的な緩衝が消え失せてしまうと云う事になります」
「心理的に消え、物理的に消えれば、立ち位置すら分からなくなるのだから危ういだろうな。
 そもそも、だ。暗闇の先ではある。その先に何が広がっているのかというのは誰も判断が付かぬだろうな」
「ええ。穴というのは愉快なものなのです。それを通り抜ければ幸福になるとされる穴もあれば、不幸になるというものもあります。
 もしくは通り抜ける必要は無くとも穴の中には何かが済んでいるという話もあるのですよ。この穴そのものを何かに見立てるという事もありますね」
「逢坂では、母の産道であると言う話が合ったが、コレもそう言う事例なのだろうか」
「どうでしょうね。海蝕甌穴の向こう側には神様が住んでいると言う伝承は結構な数ありますし、穴というだけで得体の知れない存在であるともされることがありますから。
 怪異にとっては打って付けでしょうね。例えば、『穴の向こうは異世界だった』という話もありますね。童話などにも準えられるほどです。穴というのは分かり易く別の場所に通じているという認識が働きやすいのでしょう」
 やけに饒舌な水夜子の語り口調に耳を傾けながら愛無は頷いた。不思議の国の何某か。そんな話も穴の向こうは不思議の国と呼ぶべき異世界だったでは無いか。
 この穴の向こうにファンタジーな世界が広がっているならばそう言う役割を甘んじるしか無いのかも知れないが、易々と首を刎ねられるわけも無く妙な気分の儘「この先が不思議な世界であれば面白いのかも知れないが」と愛無は呟いた。
「面白いかも知れないが、僕と君とでは可愛らしい物語は紡げそうに無いな」
「あら、同感です。私達が辿り着くのはヘンテコな異世界でしょうね」
 少しばかり上り調子になった時、会話が途切れた。まるで蝋燭の火が揺らぎ消えたような奇妙な気配だ。
 背中に何か重石がのし掛かったような感覚があったが愛無は敢て口にしないまま「水夜子君」と彼女の名を呼んだ。
「はい」
「思い出した話があるのだが、聞いて貰っても?」
「ええ」
「これは聞いただけの話ではあるのだが、葬式というものがあるだろう。人が死した時の儀式だ。別れの意味合いがあるともされている」
「ええ」
「棺の中に自分が入っているという話しだ」
「あら、面白いですね。それは、本当に自分が死んだのであればおのれが何者であるかという話にもなりますね。肉体の死と魂の死がイコールでは無いというのも愉快そのもの」
 身体が軽くなった気配がした。愛無は「ああ、その通りだ。棺の中に入っている自分を見て、酷く驚くだろうが、同時に安心するのだそうだよ。自分は斯うして弔って貰えるのだと」と、続けて見せた。水夜子がくすくすと笑う声がする。
「骸というものは容れ物でしかないという話がありますが、私もそうだと思います。そもそも、今だって会話をして居るだけで安全無事に帰れるというのも奇妙な話しだとは思いませんか?」
「と、言うと?」
「私達の肉体は手を繋ぎ、紐で結ばれているのだから離れることは無い。で、あるというのに『手を繋いで無くては逸れてしまう可能性がある』としている。
 可笑しな話ではありませんか 紐でこんなにも確り結んでいるのに逸れてしまうのです。それは肉体という容れ物を何処かに置き去りにしてきているのかもしれませんよ」
「ああ、それはそうだ。容れ物に適する他の何かが入り込んでしまう可能性はある。僕と君の身体が所詮は容れ物だというならば、似合いの魂の一つでも入れ込んでしまえばお終いだろうな」
 腹の中に何かを抱え込んでしまえば見えやしない。魂というものに対して容れ物が一つだというならば、抜け出してしまった魂の行き場が無くなるだけではないか。
 魂を容れ物に結びつけ置くために他者が存在しているとするならば、それはどうしたって『此処で会話を続けて居なくてはならない』という理由に近い。
「穴に入り込んでしまって辿り着いたのは死後の世界だったとすると、肉体というのは何処に置いてくることになるのでしょうね」
「ああ、きっと海の底だろう」
「波に攫われるのですか?」
「そうだ。波に攫われて、全てが溶けて消えて無くなってしまったならば、容れ物をなくした魂だけが自由自在になる。
 そうした時にその魂は知らず知らずのうちに怪異に混ざり合っていくのだろうな」
「死したことに気付かない幽霊という者は他の人間を呼び寄せると云いますしね。私達が話すことなく黙ったまま進んで来てしまっていたとするならば、気付いた頃には死んでいて、何も気付かなかった――何てこともあったのかも知れませんが」
 生憎会話はスムーズに続いて、話しながら『肝試し』を終りそうなのだ。愛無は水夜子が『遊んでいる』だけとは気付いて居たが、同時に、会話が途切れて彼女が死して仕舞っても構わないと考えて居たのだろうと気付いて嫌な気配だけを感じていた。
 彼女は話しをし続けようとだけ告げて居たが後ろから何かが着いてくる気配には敢て触れていなかった。斯うした儀式の際には降霊を伴うのだろう。背後から突いてきた何かが『容れ物』を探しており、それを引連れて海の洞を歩き続けるだけの簡単な肝試し。だが、簡単であるが故に『直ぐに死んでしまう』のだとも分かって居た。
「私と愛無さんはこの紐で繋がっていましたから」
「ああ、どうやら生き残れそうだ」
 そんな戯言を口にする。その糸を織っている内容をきちんと分けてみれば半分くらい死を寄せる気配で紡いでいるような、そんな恐ろしさばかりがあったというのに。
 どうにも楽しそうに命のやりとりをするものだ。戦いの外で、怪異の傍で命を擲つように遊びに来ている。ただ、そこに海尉がいることを当たり前に認識しているだけで簡単に引き寄せることを知っているくせに。
「……さてさて、どうやら楽しいお話もそろそろ終了のようですね」
 明かりが差してきたことに気付いて愛無は「こんな風に明かりがあるというのは不思議だな」と呟いた。
「蝋燭でしょうか。この周辺は濡れていませんし、水場からは遠離っているのでしょうね。
 ……と、なると知らず知らずのうちにどうやら穴を登ってきてしまったようですね。もしも、黙っていれば身体は何処かに消えてしまったのでしょうか」
 ぽつぽつと周辺に灯された灯りを追掛けてから水夜子と愛無の手首の間に繋がれていた紐が鈴をちりんと鳴らした。
 少しの振動で鳴り響く鈴が、よく考えれば暫くの間は鳴っていなかった。洞穴を抜けてくる間、流れていた静寂はまるで何かに包まれているかのようだったからだ。
「外ですね」
 水夜子は囁いてから、一歩踏み出した。生温い風が通り抜け、波の音が聞こえ始めた。漸く『外』に出たのだと愛無は直感した。
「ああ、外だ」
「少し寒いですね」
「ああ、そうだな。何ぞさっきまでは暖かかったから」
「ええ」
 手首の間に繋がれていた鈴がちりちりと音を立てた。水夜子は見下ろしてからそれを解く。白い砂の上に落ちていった鈴は簡単に埋もれて見えなくなってしまうことだろう。
 最期に、水夜子は振り向いてから笑った。
「知っていますか? 怪異で一番危険なのは、此方のことをちゃんと理解してくる存在なのですよ」
 それは人間と同じなのだろうと愛無は考えた。前を進む水夜子の背中は相変わらず独りぼっちだったからだ。
 懐に入り込んでしまえば、すべておしまい。

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