PandoraPartyProject

SS詳細

Lost in Reverie

登場人物一覧

リュカシス・ドーグドーグ・サリーシュガー(p3p000371)
無敵鉄板暴牛

 温かい日は雨が降りやすい。
 リュカシス・ドーグドーグ・サリーシュガーは灰色の寝台で目を覚ました。
「……ゆめ」
 窓を伝う水が涙のように流れていく。
 ノイズのような呟きを鉛色の雨音が飲み込んだ。


 リュカシスには小さな悩みがある。
 漠然とした『負の感情』、焦燥や不安に包まれて目覚めることがあるのだ。
 大怪我を負った後や家族や友人の身に危険が迫った後なら厭な気持ちを引きずっているのだと片づけられたが、悪夢というには胡乱すぎる雑夢は楽しい日にもやってきた。
 例えば闘技場に遊びに行った日であったり、海洋で冒険をした日であったり。そんな日でも脂汗を流しながら目覚めることが幾度となくあった。
 覚醒すると同時に記憶から抜け落ちるため、リュカシスはどんな夢を見ていたのか覚えていない。しかし夢の内容を思い出そうとはしなかった。直感がそれ以上近づいてはいけないと警鐘を鳴らすからだ。
 不安になるならガマンすれば良いだけのこと。
 そうやって今までずっと耐えてきた。
「だから、大丈夫……だいじょうぶ……」
 呪文のように繰り返しながら水で顔を洗い流していく。
 見つめる蒼白い鏡には表情の無いリュカシスが映っていた。
 窪んだ眼。乾いた唇。憔悴した虚ろな表情。
 いつもであれば喝を入れるなり、頬を叩いて気合を入れるなりして気分を切り替えるのだが、今日はタオルごと落ちた腕に力が入らない。
 最近、夢をみる頻度が増えている。
 本当は誰かに相談すべきなのだろう。しかしこの姿を家族や友人に見られるのが、優しさに触れるのが恐ろしくてたまらなかった。
 故にリュカシスは口を噤んだ。
 仄暗い洗面所と冷たいタイルが足裏から熱を奪っていく。消化できない気持ちの悪さが胃の底から悪心としてせりあがり、小さくえずいた。
 緩く波打つ白髪から滴る水滴が床を濡らすのを、色褪せた金眼が無気力に見下す。
「スリッパ、はくのわすれてたや」
 姉が見たら心配するだろう。
 ――昔はだれも心配なんかしてくれなかったのに。
「……え?」
 他人事のように呟く自分の声が鼓膜に届いた瞬間、リュカシスの肌が泡立った。眩暈がする。まるで遠い砂浜に埋めた「何か」が灰色の雨と共に戻って来てしまったかのように。
 止まらない全身の震えは雨のせいだと、服の袖に乱暴に腕を通して玄関へとむかった。
 鞄に林檎を放り込み、雨具のフードを目深にかぶる。
 メモに「いってきます」と書きつけてリュカシスは家を出た。いつも通りを演じるには、そうした方が良いと思ったからだ。

 家から飛び出したものの、行く宛ては無い。
 独りになれる場所を求めて、鉄帝の街をそぞろ歩く。
 シューシューと鳴る蒸気機関の音は酒臭い呼吸音に。ガラガラと鳴る闘技場ラド・バウの鐘の音は崩れる食器に。仲睦まじい親子の笑い声は冷徹な嘲笑に。
 普段は楽しく感じる鉄帝の日常音が反転し、不気味な騒音として四方から襲い来る。
 ……うるさいのは、いやだな。
 思考に霞がかかっていく。透明な傘をさしたかのように自分リュカシスの輪郭が、世界が、曖昧になる。
 夢を視た日のリュカシスは感情が発作のように停止する。
 流れる血に無関心が溶けこんで思考を放棄している間は、頭蓋に流れこむコールタールに似た粘ついた意識を知覚せずに済んだ。 
 機械仕掛けの人形になったリュカシスの見る世界に痛みはない。だから時々、人形に戻って世界を漂う。
 霧雨があっというまに防水布を重くしたが、鈍くなった感覚と感情で触れる世界では何も感じなかった。
 雨霞に包まれた鉄錆の街に背を向けてリュカシスは歩く。


 ――幻想。青薔薇が治める領地の南東に、巨大な赤煉瓦の建物が存在している。
 人里離れた場所に突如として現れる天文台に似た円形のドームは、元は歴史資料館として建設されたものらしい。
 そして幾たびにも渡る小競り合いで破壊と修繕と増築を繰り返した結果、広大な敷地のなかに図書館や戦争博物館のある、要塞のような場所へ変化していったのだと言う。
 建物の受付に座っているのは来訪者に無関心な職員だった。
 外は晴れているのに雨合羽を纏った少年が全身ずぶ濡れで入口に立っていても、チラリと一瞥しただけで手元の本に視線を戻すレベルの無関心さだった。
 だからリュカシスはこの場所へ来た。
 カチリ。
 時計の秒針に似た硬質な音が鳴る。来館者の人数がカウントされた音だ。この音が、入館許可証の代わりである。
 この歴史資料館をリュカシスが見つけたのはちょっとした幸運と偶然が重なった結果だ。
 遺跡や歴史を愛好する少年にとって、この歴史資料館全体が価値のある遊び場のようなものだった。
 なにより此処で出会う人間は他人に興味が無い。
 はっきり言えば自分の世界に閉じこもりがちな人種ばかりである。亡霊のようにすれ違うだけの存在。誰の顔も見えないし、見ようともしない。それが今のリュカシスには心地が良い。
 いつ頃増設されたのか不明な図書館には、年季の入った枯葉のような本がずらりと並んでいる。
 幻想は勿論のこと流れ着いた鉄帝の蔵書も保管されており、ニ国の本がテーマごとに配置された書架は、来訪者が少ないからこそ許される自由気ままな並び方だ。
 同じ主題について書かれた本でも鉄帝と幻想では見解や視点がまったく異なっている。
 それは戦乱や事件であっても同じことだ。そういった二つの国の見解を見比べるのがリュカシスは好きだった。
 アーチ状の廊下を通り抜けると楽譜立てのように斜めになった机と本以外には何も無い空間へと至る。
 沈黙と埃が落ち続けるこの静謐な空間はリュカシスのお気に入りの場所だった。
 身の丈半ほどもある巨大な図鑑の背表紙には、どれも盗難防止用の頑丈な鎖が付いているがリュカシスは手慣れたように本を引き抜き巨大な革表紙を捲った。
 この書棚に収められている本は皆鎖がついた巨大なものだ。幻想に存在すると言うのに、まるで力の強い鉄帝の人間が読むことを前提とした本たちは、通常の力では棚から取り出す事もできない。
 奇妙な等高線が刻まれた地図に石碑に刻まれた奇妙な紋様。
 錆とつる植物に埋もれた巨大な地下遺跡の模型もあれば、伝説の空中都市の絵画も存在している。
 幻想、鉄帝問わず、混沌中の遺跡に関連する資料が集められているのだ。
 重量を気にしなければ気軽に見られる書物たちは良い資料で、良い友人であった。
 リュカシスは良い読者で優秀な考古学者の卵でもある。
 本で見た遺跡を訪れて調査を行うこともあれば、歴史を紐解くために貪欲に文字を探すこともある。
 魔法や魔導力に関しては勉強中だが機械仕掛けメカニカルの仕組みについてはかなりの理解が進んでいると自負している。
 いつか未知なる遺跡を発見するかもしれない。いつか伝説上の城を探索するかもしれない。
 奇跡は気軽に起こらないけれど想像するだけでも気分が上を向く。

 そうやって本を読んでいるとリュカシスは少しだけ、自分の核を取り戻せる気がした。
 想像で語られる、見た事も無い冒険の世界はシャボン玉のように優しくリュカシスを包んでくれる。
 ここにはリュカシスを害するものなんて何も無い。
 だから、現実から目をそむけているなんて。空想に逃げてるなんて。
 どうか、どうか、言わないで。 

  • Lost in Reverie完了
  • NM名駒米
  • 種別SS
  • 納品日2023年03月15日
  • ・リュカシス・ドーグドーグ・サリーシュガー(p3p000371
    ※ おまけSS『Träumerei』付き

おまけSS『Träumerei』

 ほら見て、また来てるわよ。あの包帯を巻いた子。
 知ってる。例の、アイツのところのガキだろ?
 あんなことになっちまうなんてなぁ。
 本当に。あんなことになってしまうなんて。
 可哀そうにねぇ。可哀そうに。
(だからと言って「助けて」なんて言われたら困るけど)

 あの子、いつでも怪我してるね。
 あの包帯が一度でも外れたところを見たことある?
 ないよ。どうしていつも怪我してるんだろう。
 あなた知らないの? あの噂。
 噂って何の?
 シッ、静かに。もしアレに聞こえてたら大変なんだから……。
(私たちまで殺されちゃったらどうしよう)

 もう放っておけばいいだろう。
 アレが死んだとしても俺達/私達には関係のないことだ。
 あの子はどうなるのよ。
 別に。放っておけばいいだろう。
 表情も変わらないし喋らない。泣きもしなければ笑いもしない。
 そんな不気味な子供を傍に置いておけるかよ。
(いっそ一緒に消えちまったら良いのに)

 ああ怖いなあ。
 ああ近寄りたくないなあ――……。

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