SS詳細
寄り添い、助く。その色の名は。
登場人物一覧
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「………………?」
その日。かくん、と膝を落とした自分の身体に、『燈囀の鳥』チック・シュテル(p3p000932)は違和感を覚えた。
「チック君、どうかしたのかい?」
「……あ。ううん、何でも」
馴染みのパン屋の手伝いの最中。灰髪の青年は自身には少し重い荷物を持ったままかぶりを振る。
パン屋の店主は、それに対して首を傾げるも、深く聞くことはしなかった。
「何かあったら、いつでも相談してね」。そう言って自らの仕事に戻る店主を見送った後、チックは自身が抱える荷物を指示された場所に置き、己の手足をじっと見つめていた。
――――――♪
誰ともなく、静かなメロディを口ずさんだ彼は、先ほど下ろしたばかりの荷物をそっと持ち上げようとする。
けれど。
「……どう、して?」
『先ほどと変わらない重さ』である荷物に対して、チックはそれが心の底からの不思議であるかのように呟く。
――ギフトが、使えない。
某日。チックは初めて、自身の変化を自覚した。
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チックのギフトは、端的に説明すれば歌を介した身体能力の微細な向上である。
その能力を使用できる機会は「誰かを手伝う」時に限定され、その際に歌を口ずさむことによって必要とされる能力を一時的に底上げさせることが出来る。
その上昇する度合いも、歌にどの程度注力するかで変化する。些細な鼻歌程度では少々力が強くなる程度だが、明確な詞を込めたメロディーを歌いながらの作業では常人の二倍から三倍程度の能力を発揮することも出来る。
……日頃『ローレット』などで受ける依頼のような「自分のためでもある行い」に対してはその効果を発揮しがたいギフトではあるものの、チックは自らのこの祝福を気に入っていた。
幼い頃、若い頃に蔑まれていた自分。そうした来歴を気にすることなく接してくれる現在の友人や知り合いに対して、こんな自分でも役に立つことが出来ると言う自負を抱かせてくれたために。
「………………」
だが、今それはチックの奏でる音色に対して、何の反応も返すことが無い。
先のパン屋の手伝いを終えた後も、チックは自らのギフトを何度か使おうと試してみた。常日頃から誰かの手伝いをすることを自らのライフワークとしているチックにはそうした機会が少なからずあり、けれどその何れに於いても、彼のギフトがその効果を示すことは無かった。
(それは、けれど)
チックは、自らの手のひらをじっと見つめる。
ギフトが使えないと言う事実に対して、チックの心は自分自身驚く程度には冷静だった。
それは、発揮できる力や、それを使う機会が極めて限定的であるという理由もあるが、何よりも。
(きっと、みんなは。
そんなおれでも、気にしないんだろうな)
……そう。チック・シュテルという人間に関わる人々は、きっと彼のギフトの有無などに拘泥しない。
「自分を手伝ってくれるから」「彼のギフトが自身に役立つものだから」などと言った、利己的な考えで彼に接する者が居ないと言う確信、それ故であった。
それは、きっと喜ぶべきことなのだろう。彼の能力を目的とせず、彼と言う一個の人間そのものを愛し、親しくしてくれる存在が、最早その傍に居続けてくれると言うことは。
――――――けれど同時に。『だから、彼は気づかない』のだ。
「……、あれ?」
知己の手伝いを終え、自宅への帰路を歩んでいた折、チックがすん、と鼻を鳴らす。
風に乗って届いてきたその匂いは、何かが焼ける焦げ臭さと煙たさ。
――それに遅れて、「助けて」と言う、か細い声が。
「………………ッ!!」
それを聞き届けた瞬間、チックは声のした方角に向かい、一目散に駆け出した。
●
燃える家屋があった。
倒れている人々が在った。
「……! だい、じょうぶ?」
「――は、っ!」
チックが現場に到着するまで、時間は然程かからなかった。
火事が起きているのは木造の住宅だった。倒れている者のうち、質素な身なりをした少年が呼吸を必死で整えながらも、しかし手を貸すチックの服を懸命に握って声を上げる。
「母ちゃんが、まだ……子供も……お腹に……!」
「……っ、分かった」
断片的なワードでもその内容を理解したチックが、未だ咳き込む子供を地に横たえて家屋の中へと踏み込む。
せめてもの対策にと、火消し用に持ってこられたのであろう桶の水を被ったチックを、しかし熱と煙は容赦なく喰らおうと襲い掛かってくる。
「……あ、つ」
肌の露出した部分を庇いながら、家の中に入った飛行種の青年。
燃える家屋は元々が大きくなかったが、その分内部の部屋割りなどを複雑にしていた。無論その分、捜索に掛る時間は否応なく増えていく。
「だれか、返事を――!!」
拙い言葉で、それでも必死に。
チックは声を上げ、未だ家の中に居ると言う少年の母親に向けて声を上げる。身に浴びた水が殆ど乾き、最早声はおろか呼吸することさえままならなくなっても。
諦めるしか無いのか、と。
チックが僅かにでも考えた、その時。
「――――――、」
「そこ……!?」
幻聴とすら捉えかねない、か細い声音を聞いた。
けれど、それを信じ、未だ焼け残っている一か所へと向かうチックの視界には、終ぞ息も絶え絶えな妊婦の姿が映った。
「こっち、に……!」
迷う暇など無かった。その姿を確認し次第、必死で腕を引っ張り、身重の女性に肩を貸して家屋の出口へと向かう。
先ほども言ったように、元々があまり大きくない家だ。出口に到着するのも早く、チックは母親と共に外へ出ようと突き進む。
……それが、叶うと信じていた。
「――!!」
「……え?」
うえ、と。
小さく、女性が呟いた。その言葉そのままに視線を上に向けたチックには、自分たちの真上より、崩れ落ちる屋根の一部が。
「……!!」
全ては、咄嗟の行動だった。
ほど近く、しかし一、二歩では届かないであろう距離の出口へと、チックは渾身の力で女性を押し出す。
対し、その反動で後ろへとたたらを踏んだ彼は、自らと出口の間が焼け落ちた屋根に因って塞がれる。
(………………嗚呼)
それでも。
転げるように、燃える家の外へ出られた女性を見て、チックは「良かった」と思ったのだ。
●
失うことは、恐ろしいことである筈だった。
それが自身の一部であるならば猶の事。ギフトと言う己のパーツの一つを失ったチックは、しかしそれを恐れなかった。
理由は、ひどく単純なこと。
自らが現在に至るまで。家族を、友人を、己にとって大切なものを次々と失い続けてきた彼は、だから『それ』が自身に向けられた時、最早痛痒を覚えるほどの活力を無くしていたからだ。
――助けたいもの、護りたいものがいた。
――その為ならば、己など容易く犠牲に出来た。
それは、きっと今この時も。
出口を失い、最早熱と煙で立つことも覚束ない身体を自覚しながら、しかしチックの心は穏やかだった。
(……おれ、は)
助けることが、出来た。
それが、自分の命を対価としてでも。
チックとて、完全にその心が死んだわけではない。生きることならば生きたいと当然思ってもいたが、しかし。
(だれかを、たすけるために。
おれのいのちで、それが、かなうなら)
ならば、それも良いかと。本心から彼は思っていた。
けれど、同時に。
「……諦めないでください。チックさん」
『だから、彼は気づかない』のだ。
自身が大切な人を失えば辛いように、自身を想う人もまた、自身が失われることで心を痛めるであろうと言う単純な道理を。
「声を上げましょう。助けが来るまで。自分の居場所を見つけて貰えるように」
「……こ、え」
何処かから聞こえてきた、誰かの声。
それに従おうとするも、この燃え盛る屋敷では息を吸うことすら出来ない。
今ではただ咳き込むばかりの彼に対し、声の主は変わらず、優しげな口調で語りかける。
「なら、歌を唄いましょう。
どんな歌でも構いません。貴方が唄いたい歌を、力尽きる一瞬まで」
「……ぁ」
朦朧とする視界の中。その姿を、チックは幻視した。
黒い髪と、慣れ親しんだ柔和な笑顔。
馴染みのパン屋で働き、自分といろんな場所に出かけた、大切な友人の姿を。
「――――――カノン」
その名と共に、声を上げる。
最早発せないと思っていた声は、しかし音色を奏で始めた時、まるで淀みなく喉から滑り落ちた。
幻視は、その姿のチックを満足そうに見届けた後、ゆっくりと炎の中へと消えていく。
チックは、それを追う力も無く、ただ歌を唄い続けることしか出来なかった。
僅か一、二分後。自らを助けに来た者によって保護されるまで。
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救い出されたチックはその後、あの当時に助けた親子や、自分の友人たちに心配される日々を送ることになった。
尤も、その原因は火事による怪我が原因ではない。救助された後医師や癒術師による手厚い看護を受けた彼の身体は既に全快しているのだから。
――ただ、一つだけ起きた変化を残して。
「……その翼は、もう元には戻らないのかい?」
日課の手伝いのため、馴染みのパン屋を訪れたチックへと頼みごとをする店主は、彼の翼を見てそう呟いた。
元は純白であった翼は、その末端を黒く染め始めていた。火事の一件を聞いた魔術医などは、その翼の変化の原因をあの時唄った歌が原因であるとの所見を示していた。
即ち、歌う場所が困難である状況下に於いても、自らの旋律を発露させると言うギフト。
それこそが、チックの新たな能力であると。
「……うん。たぶん」
店主の言葉に対し、苦笑交じりで言葉を返すチック。
「けれど」と。彼は最後に、そうも続けて。
「大丈夫、きっと」
自らの翼の変色した部位を静かに撫でながら、チックは笑顔で呟いた。
「これは、怖い色じゃないって。そう、思うから」
その脳裏に、親友の姿を思い浮かべながら。
おまけSS
――その変化が、「彼の友人による助力の証」である証左は何処にも無い。
或いは、それは彼の思い込みであるかもしれない。その変化は彼にとって良からぬ結末の前兆を示すものであるかもしれないし、また彼はそうした兆候に対する一種の自己防衛反応の結果として上述のような『善し様』な見方へと傾倒するようになったのかもしれない。
……それでも。
彼がその時見たと言う姿を。彼が主張した自らの変化の理由を。一個人である私は信じたいと願った。
同時に。彼が最後に迎える結末が、どうか彼のみならず、その周囲にとっても心穏やかなものであるように、とも。
――――――『或る患者の診療に於ける備忘録』