PandoraPartyProject

SS詳細

Obligación

登場人物一覧

イレイサ(p3n000294)
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女

 ヴァークライト邸の中を走るのは二人の少女だった。一方はふんわりとした癖っ毛に赤いリボンを付け、エプロンドレスの裾を少しばかり持ち上げた少女。もう一方は彼女よりも幾分か低い背丈。同じような癖っ毛に青いリボンを付けてエプロンドレスに足を絡ませた少女だった。
「転んでしまうよ、メアリ、ソマリ」
「だって、だって、シュン。スティアお嬢様が!」
「そうよ、そう、シュン。スティアお嬢様が言って居たもの!」
 ふくふくとした頬には朱色が差す。嬉しそうな癖っ毛の姉妹はかんばせも、髪型も良く似ていた。少しばかり背丈が高いのはメアリ、小さいのはソマリ。双子の姉妹だ。
 二人揃って同じ色。春の野原を移したような瑞枝の瞳。髪は蘖のような柔らかなブラウンだ。雲脂を拭い、丁寧に湯で濯いで手入れをすると本来の髪色が美しい物であったとシュンと呼ばれた少年は知った。二人が嬉しそうに名を呼ぶ『スティアお嬢様』は双子の姉妹をミルクティのような優しい色の髪だと褒めていた。
「シュン、行きましょうよ」
「ええ、ええ、行きましょうよ」
 シュンの手を引く双子の姉妹は嬉しそうに廊下を走る。走ると怒られてしまうと唇を尖らせたシュンは肩から提げた鞄がずり落ちてしまわぬように位置を正した。
 しつらえの良い白いシャツと深い緑色のズボン、随分と履き潰して仕舞ったが気に入っている茶色のストラップシューズは彼が両親に買って貰った物と同じものだった。優しげなブラウンの瞳細めたシュンの髪がぴょこりと跳ねる。神学を学ぶために聖堂から帰ってきたばかりの少年は、それでも心を躍らせていたのだろう。
「廊下は走っては駄目ですよ」
 ――ほら、使用人に声を掛けられて叱られてしまっても、三人は心が躍ることを止められずに居たのだから。

 応接間には無数の本が積み上げられている。わざわざ書庫から教本を幾つか選んで持ってきたのだ。
 ヴァークライト邸の応接間の中でも一番手狭で居心地の良い南側。注ぐ太陽は冬を少し忘れたような春の気配をひとつまみして居る。
 広げられたノートと、そこに不器用に文字を描く少年は背筋を丸く猫のようにしてから身を捩った。少し離れた場所でクッションに凭れ掛かりながら書物を眺め遣っていたスティアは少年の様子を伺い見遣る。
「何か分からないことがある?」
「言葉が難しい」
「……ふふ、そうだね。イレイサくんにはまだ慣れない言葉ばかりかも」
 まるで幼い弟にそうするようにスティアが笑ってやれば、ノートと向き合っていた少年――イレイサが少し拗ねたように唇を尖らせた。
 背筋、と小さく一つ指摘すれば慌てた様にぴん、と背を伸ばす。猫背になりがちなのはそうした姿勢などに頓着するものが居なかったからなのだろう。
 慌てた様に背を伸ばしてからイレイサは辞書を手繰り寄せた。彼の為にと買い与えて遣った辞書は随分と使い込んだのか少しばかり背表紙が曲がり、頁もばらばらと散らばっている。
「本当に難しいよ。普段話す言葉とは違うだろう? そういうもんなんだと思うけど、さ。
 俺は勉強なんてしてこなかったし、学も無いし……さ。今、文字が読めてるのもアドラステイアの下層で教えてくれた奴が居るからだし……」
「うんうん。付け焼き刃だって行っていたけど十分だよ? ……あ、ここスペルが間違ってるよ」
「ぐう……そうは言っても何時まで掛かるか」
 急ぎ脚で学び、一足飛びで出来る限りの立ち位置に納まりたい。そんな淡い思いを抱いている少年の理想が砕かれる音がする。
 甘くはないのです、とスティアが告げればイレイサは更に悔しそうに唇を噛んでから嘆息した。
 テーブルへと項垂れる少年に「休憩をしようね」とスティアは微笑んだ。使用人にはベルで合図をすると声を掛けてあった。淹れて貰った紅茶は少し冷めてしまっただろうか。翌々考えれば神学を教えて欲しいと乞うたイレイサは本に夢中で水分の補給もおざなりであったではないだろうか。
「イレイサ君、甘い物でも食べよう。お勉強には休憩も必要な事なんだよ」
「その時間も惜しんだ。……俺は、汚れてるから。折角、皆がチャンスをくれたのに……。
 だから、さ、それを消し去るためには学んで学んで、誰よりも一番にならなくっちゃならないんだ」
 スティアは「イレイサ君がそう思うのなら、私は何も言えないかな」と肩を竦めた。無理をしなくったって、彼は十分やって来たとスティアは想う。けれど、その様な事を言ったところで彼は満足しないと知っているからだ。
「それでも、休憩しないと勉強もしっかり頭に入らないよ。それこそ時間の無駄でしょ?」
「……うん、それなら、頂きます」
 使用人が運んできたのは小粒のチョコレートと一口サイズのケーキ。紅茶は角砂糖を二つ程度落としてミルクを注いでやった。
 ミルクと砂糖は紅茶を飲み慣れないイレイサが「ストレートで!」と意地を張った時から先回りして準備してやろうと決めたものだった。
 ストレートティーを飲めずに四苦八苦してた彼に「私が好きなアレンジだよ」と少しの嘘を交えてミルクと砂糖を入れてやったのだ。初めてミルクティを飲んだイレイサは「甘くて牛乳の入ったお茶なんだ」と子供の様に喜んだものだ。カフェテラスに連れていくだけでも新しい経験をしてくれる少年を見ているとスティアは何処か心が擽ったい。
 弟、なんてものは彼女には無いけれど――いいや、『もしかする未来R.O.O』では、あったのかと心の片隅が何処かで言うけれど――それでも、それがあるならば彼のようなものをいうのだろうか。
 ミルクティをちびちびと飲みながらイレイサは聖書を眺めた。その隣にはしっかりと辞書が鎮座している。
 聖句に並んだ言葉はひとつ、ひとつが難解で。それでも、何か大切な言葉を取りこぼしてはならないから、と、分からない物は都度、スティアに問い掛ける。
 意味を通して考えなくてはどうにも読み解くことが出来やしないと彼はよく知っていたのだろう。
 それでも、彼は神学は学び始めたばかりだ。スティアは師事したいという彼へとはじめは子供向けの神話を勧めたがイレイサは「スティアと同じレベルの本をくれ」と無茶を言った。神学を学ぶ姿勢は真面目そのものだった。「スティア先生、教えて欲しい」と呼び掛けた彼に「先生はちょっと恥ずかしいかも? けど、何だろう、なんでも聞いてね」とスティアは自信満々に胸を張ったのだから。そう言いたくなる程に彼は勤勉だった。
「正義の遂行は、難しいな」
「どうして?」
「神が正しいとは限らない、なんて後付で言われたって、俺は何れを信じれば良いのかも分からないよ。
 アドラステイアにだって、そう言う子達は沢山居た。皆、唯一無二を信じていたんだ。救われるためには誰かを蹴落とさなくっちゃならないって」
 そこに悪意なんて無かったから。イレイサはそう言って、俯いた。テーブルの上の菓子はアドラステイアで過ごしていたならば大半の子供達が口にすることも出来ないものだろう。
 甘く、美味しい。恵まれた人々が、恵まれているからこそ食べられるもの。そんな価値観ばかりを植付けられて生きてきた。
「私は、神様は正しいと想うよ。ただ、解釈が沢山あるだけ」
「解釈?」
「そう。神様の御言葉は、ただ一つの意味を表しているはずなの。けれど、それを読み解く人によっては言葉は無数に広がっていくでしょう。
 私の解釈も、イレイサ君の解釈も、それは何方も正しくて、何方も間違いかも知れない。神様の代行者になろうとしたって、私達には難しい事なのかも知れない」
 それでも、彼女は聖職者だ。神官の名に連ねるにふさわしい人だった。イレイサの目から見れば聖女のように清廉で、静謐な貴き人。
 貴族という生まれから見たって、彼女が苦労も無くその道を辿っても良いと思っていたのに。どうしようもなく、彼女は一人で努力を重ねているから、そう言うのだろう。
「私は、だからこそ、正しい事を見定めるためにイレギュラーズとして困難を眼に見てきたよ。
 イレイサ君は? 沢山の苦難も、人々の暮らしも、見てきたでしょう? その目で見た物が神様の御言葉を正しく説くことが出来る力になるはず」
 優しい声音には芯があった。凜とした声音に、柔らかな響きが混ざる。聖女の教導だとイレイサは頷きながら聞いていた。ノートの上に鉛筆でぐるぐると適当な絵を書いていたイレイサは「でも、それを、きちんと自分の意見に持っていくのは難しい」と呟いた。テーブルへと項垂れて埋もれていく少年にスティアは小さく笑う。
 想えば、初めて会ったときの彼はこんなにも穏やかな性質をして居なかった。生きる為なら人を殺したって仕方が無いと考えて居た彼は随分と大人びたものだと感じさせる。

 ――お前等は何が言いたいんだ! 道徳を説くくらいなら昔の聖人が飽きるほどにやってきた!

 叫んだ彼は、自身の罪をも背負って前を向くことを決めたのだろう。人を殺したことは消えやしない、それが生き残る為であったとしたって、苦しみのすべてを拭うことはできないから。背負う荷物を軽くするのは自分自身でもあるのだろうと彼を見ていて想わされる。
「スティアは、人を殺したことはある?」
「私、は――」
 唇を擦らせるように言葉を紡いだ刹那、こん、こんとノックの音が響いた。
「スティアお嬢様、よろしいですか?」
 使用人が連れて遣ってきたのは申し訳なさそうな顔をしたシュンであった。その背後には二つ程度の影がもごもごと動いている。
「シュン、どうしたの?」
「……実は、メアリとソマリが聞き分けが無くて……」
 申し訳なさそうに肩を竦めたシュンを見てイレイサは目を瞠った。あの日、夜を転げ落ちるかのように人生の流転が起きたその時にスティアに託した三人が目の前に居る。
 人一倍優しく、落ち着いていたシュンに手を握られているメアリとソマリは「イレイサ!」と手を振って笑っているのだ。
「おまえ達……」
「ごめんね、イレイサ。勉強してるのに」
 申し訳なさそうに肩を竦めたシュンに双子の姉妹が不服そうに唇を尖らせた。陶器のようにつるりとした肌に少しばかり散った雀斑が可愛らしい。
 ふんわりとした癖っ毛を揺らがせる双子の仕草一つにイレイサはぐっと込み上げる物を堪えるようにティーカップの中身を飲み干した。
「イレイサ君」
「……一緒に勉強しよう、シュン。ソマリとメアリも」
 わあいと手を上げて喜んだ双子を見詰めていたイレイサは「あの二人の髪はあんな風にふわふわしていたんだな」と呟いた。スティアは彼が言わんとしていることを直ぐに気付いてから小さく頷いた。
 ふわふわとした蘖のような髪は、スティアが保護したとき雲脂と垢にまみれぎとぎととして重苦しかった。伸ばしきってしまっていた事もあり、髪の毛は傷み手入れするのも一悶着あったほど。それがあれだけ可愛らしく揺らぐのだから、元の二人を知っている者が見れば驚かずにはいられないだろう。
「イレイサ、勉強しているの?」
「うん、そうだよ。スティアみたいに神学をちゃんと学んでおこうかと思って」
 ノートを覗き込んだソマリが「字が読めるのっていいなあ」と呟いた。スティアはメアリとソマリが望むならば家庭教師の手配をしてやろうかと微笑ましそうに眺めている。
「僕が教えようか」
「シュンは聖職者の家系だっけか。でも、シュンに教わる前に俺の方が勉強できているかも」
「ええ」
 不服そうなシュンの頭を撫で付けてからイレイサは「だって、俺の先生はスティアだからさ」と指を差す。
 先生と呼ばれた事は少しばかり擽ったくて。スティアは「もうひと頑張りしようか」と椅子を引いて本を広げた。
 聖句は無数に世界を広げてくれる。見えなかった世界を彩る神の言葉はひとつ、ふたつと羽根のように降り注ぐ。
 君の未来に、どうかさちあれ――そんな言葉を飾り立てた神の御言葉に彼等は包まれるようにしてこれから先を生きてゆくのだろう。
「俺がシュンに教えるよ、世界の在り方や神様の言葉の正しさを。
 メアリとソマリが勉強して、苦労せずに生きていけるような未来を作るよ。その為に俺はスティアに教わっているんだから」
 あの夜に、彼が諦めかけた未来が此処にある。
 ひとつひとつの縁を縒って作った未来が開けたことが何よりも愛おしくてスティアは「じゃあ勉強頑張ろうね」と微笑んだ。

  • Obligación完了
  • GM名日下部あやめ
  • 種別SS
  • 納品日2023年02月28日
  • ・スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034
    ・イレイサ(p3n000294

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