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君の傷跡にくちづけて
登場人物一覧
第二次ローレットオンリーイベント、同人誌即売会『パンツパンティープロジェクト』にて委託販売される事となった同人誌を手に取ってゲオルグは奇妙な感覚を覚えた。
総攻めだとか、総受けだとか――とりあえずは、総受け本を確認してみようではないか。
総受け本と付けられているが、カップリングは『×ゲオルグ』が固定されているだけで、様々なカップリングが一冊にまとまったアンソロジーであった。
― そのまなざしに酔い痴れて(●●×ゲオルグ)
― 22時の唇に(●●×ゲオルグ)
他にも様々なタイトルが並んでいるがゲオルグの視界にしっかりと飛び込んだのはその二つである。
このアンソロジーは『傷痕にくちづける』事がテーマとなっているという前置きを確認してから、ゲオルグは恐る恐るページを捲った。
●そのまなざしに酔い痴れて
朝焼けが燃えている。黒曜の瞳に憂いを乗せたゲオルグは時計の針がまだ天を指している頃より同じ姿勢で酒を煽り続けていた。グラスの中でからりと音を立てた氷を見下ろせば、溶けたそれは水と呼ぶに相応しい程に姿を変えている。
バーカウンターに凭れ掛かった男は溜息を交らせて「ゲオルグ」と淡い声音で言った。その甘いまなざしを受け止めてゲオルグは目を伏せる。陽だまりのような笑みを浮かべたゲオルグの想い人は、今日はどこかで仕事をしているのだろうか。
共に、と願いはしたが仕事の都合が付かずにゲオルグはこうしてバーで安酒を煽っていたのだ。それも、男――●●に誘われたことが理由だ。
「寂しそうな顔して」と甘いマスクで囁いたバリトンにゲオルグの背に走った震えを彼は見逃さない。そっと、その腰を捕まえてバーカウンターへと誘えば甘いカクテルを注いだグラスを赤く色づく唇へと押し付ける。
「それで? ダーリンが仕事に行った事がそんなに寂しいのかよ」
「……いや?」
ふい、と顔を逸らしたゲオルグの顎を掴んで●●は「逸らすなよ」と囁いた。指先が頬に柔らかく食い込み、無理矢理其方を向かされた首が痛みを覚えたが、その甘いまなざしを向けられては逸らすことができないとゲオルグの唇が震える。
「強がって――」
アルコールを含んだ唇が押し付けられた。薄く開いた唇の間から喉を焦がす様に液体が滑り込んでくる。どろりと、咥内を満たしたその感覚にゲオルグの指先が震えれば、逃すまいとするりと骨ばった白い指が捕まえる。
カウンターに置かれたグラスにぶつかることも構う事無く、喰らい付く様に合わさったそれにゲオルグは小さな呻きを漏らした。浅くなる息と唇より漏れたその声にゲオルグの頬には赤みが増してゆく。カウンターに背を預ける様にして幾度も幾度も合わさった口づけの深さにゲオルグの体より徐々に力が抜けていく。
「おっと? それでイレギュラーズが務まるのか?」
「……勝手なのはそちら、だろ?」
もう一度、触れ合いそうな唇の距離の儘、●●はゲオルグへと笑みを溢した。ああ、甘いまなざしが見下ろしてきている。その燃えるような瞳に灯された熱は何処までも自身を狂わせるのだとゲオルグは彼の胸を押した。
「酔っているんだ。二人とも……もう、朝が来た」
「だから?」
するりと腰に腕が回される。そのまま首筋に落ちた唇の感覚に肩を跳ねさせたゲオルグへと●●は「これで終わりじゃないだろ」と囁いた。
脳裏に過った愛しい人への想いを拭い去るかのように熱く燃えた双眸がゲオルグが視線を逸らす事を赦さない。指先を絡めた儘、誘われた部屋の中――簡素なベッドが二人分の重みを受けてギシリと苦し気な音を漏らした。
「ゲオルグ」
名を呼んだバリトンに、僅かに腰が疼く。早鐘を打つ胸に指先を這わせて、擽る様に揺れ動かした●●は噛み付く様にゲオルグの唇へと口づけを落とす。
衣服の重みが離れていく。ゲオルグは●●のその熱いまなざしを受け止めてゆっくりと目を閉ざした。
肌を撫でる指先が、ゲオルグの体に刻まれた古傷に這わされた。
「見て居て良い物でもないだろう」
「何言ってんだよ――『ゲオルグ』の証で、『ゲオルグ』を形作ってるものだろ?」
可笑しい事を言うと茶化す様に傷痕に唇が何度も落とされる。音立つように、ちゅ、と吸われ――
――そこまで読んでからゲオルグは一度その本を閉じた。深呼吸をする。
何を読まされているのだろうか。そして、何を売らされているのだろうか。
いや、内容が内容だ。よく考えてみれば『R-18』と書いていたのだ。そう言うことだってある……そうだ……。そう言うことだってあるだろうとゲオルグは意を決した様にちょっぴりだけ後ろの方の頁を開いた。ビジネスマンパロディ、と書かれた表紙頁にゲオルグは「ん?」と首を傾げる。あまり聞かない言葉ではあるが成程、そういうシチュエーションも存在しているのだろう。
●22時の唇に
ビルの明かりが視界に眩しい。早足で帰路を急ぐサラリーマンたちを見下ろしている電子看板では流行の女優が美しい笑みを浮かべていた。相変わらず煌々と照らしてくるフロアの明かりにゲオルグは溜息を漏らして、手元の書類を見下ろした。
急ぎの仕事として舞い込んだそれは明日までに提出を終えなければならないものであったらしい。後輩社員の机の上に積み上げられたそれを拾うの滲む彼より奪い去ったはいいが、まばらなデータではどうにも時間がかかって仕方がなかった。溜息を交らせてキーボードを叩き続けるゲオルグの頬にぺたり、と近づけられたのは温かな缶。
「ッ、!」
びくり、と肩を揺らして顔を上げたゲオルグの背後で●●は「よぉ」と何時もの通り万人を虜にする笑みを浮かべた。
「何かミスったのかよ? 『センパイ』」
「……知っていてそうやって茶化すのは止めないか」
溜息を交らせ、プリントアウトした書類のチェックをするために文字を追い掛ける。目頭がちくりと痛む気がしてゲオルグは天を仰いで目を伏せた。瞼越しに感じるフロアの明かりが目に刺激を与えてくる。
「遅くまでお疲れ」と耳朶を擽る様に降ってきたバリトンと共に手にしていた書類が攫われていく。こっそりと指先をなぞったその気配にゲオルグははっと目を開けた。
「休んでろよ、『センパイ』?」
ぽん、と頭を撫でる指先にゲオルグは有難うという小さく囁いた。
時計の針が音を立てる。紙の擦れる音と共に聞こえる息遣いにゲオルグは傍らに立つ男の顔を見た。その端整な横顔を見遣れば、彼は「なんだよ」と揶揄う様にゲオルグの至近距離へと近寄る。
「……何だよ。見惚れた?」
「いや、見惚れてない」
首を振ったゲオルグに小さく笑った●●は書類は大丈夫だとゲオルグの白い髪を撫でた。その見た目よりも柔らかい髪を撫でる指先がそっと、耳朶へと下がっていく。擽る様なそれに「遊ぶんじゃない」とゲオルグが●●の胸を押せば、揶揄う様に笑い声が降ってくる。
「労わってるんだよ」
眉を吊り上げたゲオルグの耳元でバリトンは囁く様に――「もう誰も居ないよ」と欲に濡れた声音が降ってくる。
「おい、……ここは職場だぞ」
叱る様なその声音に●●はくすくすと笑った。厳しい言葉をかけながらも近寄る自信を拒否することはないのだろう。
視線が交錯し合ったその刹那、唇が重なる。赤い舌がゲオルグの唇をなぞるその感覚に、彼の背後に見えたフロアの明かりがやけに眩しい。至近距離で離れた唇が濡れて色付いている――捕食者の笑みが降り注いでくる感覚にゲオルドは本能的に食われると感じた。
先ほどまで仕事で使用していたデスクへと押し付ける様に背が倒される。
「……止めろ」
そう言ったゲオルグの双眸には●●の濡れた瞳が映り込んだ。紅い。紅い唇に舌が這わされる。
「止められないだろ……?」
耳朶を喰らう様に白い歯が痛みを覚えさせた。フロアの鮮やかなランプの下でワイシャツのボタンが外されていく。ゲオルグは●●を見上げた――見上げた儘、その指先がゲオルグの肌へと刻まれた傷痕を擽っていく。
「綺麗」
囁くその声は、ゆっくりと、下へと下りて、その傷口へと唇を落とした――
――そこまで読んでからゲオルグはとんでもないものを見たと頭を抱えた。勿論、その後の頁は所謂、濡れ場であった。口付けた後、何がどうなるかなんて言葉にするのも憚られるではないか。
口にはでいないが、それを販売しているのがこの本で総受けである自分自身なのだ。
さて、どうしたものかと虚ろな目で本を見下ろしたゲオルグへと淑女が『総受け本、一冊お願いします』と囁いたのだった。