SS詳細
君が呼ぶたびに俺は。
登場人物一覧
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「わぁ、見てよしーちゃん!」
『しろがねのほむら』冬宮・寒櫻院・睦月(p3p007900)が漁港市場で嬉しそうな声をあげる。
樽いっぱいに詰められたアロマノカリスがびらびらと身体をくねらせる様はなかなか奇妙な光景だったが、アノマ諸島の初漁を"領主の妻"として手伝った睦月にとっては早くも見慣れた光景だ。
「コイツが気になるたぁお目が高い! アノマ諸島産、今朝水揚げされたばかりの新鮮なアロマノカリス!なんと一匹600Gだよ!!」
「600G!? すごいよしーちゃん、結構な高値で取引されてる! ……しーちゃん、聞いてる?」
「あぁ、そうだね」
対して『若木』寒櫻院・史之(p3p002233)はというと、素っ気ない返事である。
冬物のロングコートに中折れ帽、マフラーで口元を隠すという徹底ぶりだ。有名人が変装してお忍びデートをする時の格好そのものだが、なにせ史之は海洋において名声1200を超える特異運命座標。かのイザベラ女王に領地として島を与えられるほど国に貢献しているがゆえに、一度でも正体がばれてしまうと――
「なんでぃ! そっちにいるのは史之の旦那じゃあねぇか!? 水臭ぇな、名乗ってくれりゃ樽ごと魚をプレゼントしてやるのに!」
「ありがとう、魚屋のおじさん。気持ちは嬉しいけど唐突に樽レベルの荷物が増えるのは困るし、あんまり大きな声で名前を言われると周りが……」
「史之様が市場にいらっしゃるですって? しかも今日はお仕事じゃない!?」
「大変だ、サイン色紙を持って来なきゃ!」
「うちの店も見に来てくれよ!」
「どわーっ! お前ら、うちの店の前にたかるな!」
ざわざわ。一瞬にして人の波が集まり魚屋のおじさんがもみくちゃにされるのを遠目に見て、睦月だけとは別れるまいと史之は彼女を抱き寄せる。
「相変わらず凄い人気だね。新手の宗教でも始められるんじゃない?」
「悪夢みたいな事いわないでよカンちゃん……。俺にはもう、全てお捧げしてる相手がいるんだからさ」
しっかり捕まってて、と耳打ちされて睦月がくすぐったそうに笑う。男らしい両の腕が彼女を包んで抱え上げる。眼鏡ごしに周囲を見渡す真っ直ぐな瞳。
助走をつけて野次馬を飛び越え壁を蹴り、露店の屋根やベランダの柵を伝って建物の屋上へと登っていく。軽業に「おぉ」と観衆たちから驚きの声があがった。
「寒い中つっ立ってたら風邪ひきますよ」
「ごめんなさい皆さん、今日のしーちゃんは先約済みでーす!」
よい新年をー、と眼下にとり残された人々へ手を振り挨拶を済ませた二人は、屋根を渡って移動しはじめた。
普段から歩く街並みも、高い場所から見下ろせば普段とは違う顔をのぞかせる。冬のきりりとした風が頬に当たると心地いい。
「しーちゃん、ごめんね?」
「何が?」
「海洋の市場でデートしたいって、僕が我儘いったから」
「カンちゃんの我儘は今にはじまった事じゃないでしょう。……それに」
なにそれ、と頬を膨らませた睦月の頬を史之の両手が包む。近づく顔と、頬に感じる白い息。しーちゃんのぬくもり。
――体温がほんの少し、上がった気がした。
「俺はカンちゃんと一緒にいられるなら、場所なんてどこだっていいよ」
主人と従者より先へ進めなかった頃は、我儘を言い合える中でもどこか遠慮――いや、うしろめたさがあった。
結婚して一年。早かったなと睦月の目元が緩む。嬉しい時間は本当にあっという間。
大黒柱として頑張るしーちゃんは、家を空ける時が多いけど、こうしてちゃんと二人きりの時間をくれる。
「ねぇ、カンちゃん頬が真っ赤」
「……っ、だ、だってしーちゃん、最近いきなり、すごい事いってくれるから……」
「カンちゃんが無防備すぎるからだよ。他の人に見せたらダメだからね? そういうの」
唇を触れ合わせるだけの優しいキスをして、寒い日だって互いの温もりを分かち合う。
新しい年。冠位魔種の動きは厳しく破滅の未来は近づいている。けれどこの絆だけは、誰にも絶やせやしない。
((……幸せだな))
「言われなくても、こんなふにゃふにゃした顔……恥ずかしすぎて、しーちゃんにしか見せられないよ」
「はいはい。それで、わざわざ海洋デートにしたのは意味があるんでしょ。カンちゃんはこれから何がしたいの?」
「それは……」
睦月は昨年末の記憶を手繰り寄せる。境界案内人の神郷 蒼矢が腕を怪我したとかで、心配になり様子を見に行った時のこと。
『睦月、僕はもう駄目かもしれない……暇すぎて!』
『利き手が使えないなら、治るまで外出禁止なのは仕方ないですよ。ライブノベルの世界は危険がいっぱいですし』
『退屈は人を殺せるんだよぉ! あまりにもやる事なさすぎて、睦月と史之の年始デート企画書を考えちゃった』
「待って」
回想シーンに思わず史之がストップをかける。
「これがその企画書だよ」
「うわ、海洋の観光名所が綺麗にまとまってる。境界案内人って無辜なる混沌に来れないんじゃないの? どうやってこんなの作ったわけ?」
「暇すぎて死ぬ死ぬって駄々を捏ねたら、図書館に来た特異運命座標の皆が憐れんで、色々教えてくれたんだって」
大人げなくロビーの床でジタバタ駄々をこねる蒼矢の姿が目に浮かぶ。相変わらずだなと半眼になった史之へ、睦月は困った様に笑ってみせた。
「デート先が海洋なのは、しーちゃんが女王様から領地を拝領したって聞いたからなんだ。
忙しくて僕も海洋から離れられない時もある、って話してたら一生懸命かんがえてくれたみたい」
「それで、カンちゃんのお眼鏡にかなったデート先はあった?」
「えーとね、この先なんだけど……」
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海岸沿いの小高い丘にある青い屋根の白い家。仕立屋『
「ご予約の寒櫻院様ですね? ようこそお越しくださいました。私はこの店のオーナー、キリヤと申します」
(大人のおねーさんだ)
「しーちゃん色目は許さないからね」
「まだ何も言ってないのに……」
蒼矢の企画書いわくオーナーのキリヤは旅人で、お客さんの新たな一面を見出すコーディネートが話題となり、リッツパーク内に口コミで人気の輪が広がり始めているのだいう。
「このワンピース、可愛いですね! 僕にはちょっと背伸びしてる様に見えるかな」
「そんな事はございませんよ、奥様」
「お、おくっ!?」
不意討ちをくらったような顔で、身体に当てていたワンピースを持ったまま硬直する睦月。
「身体にあてるだけでは勿体ない。小物を揃えてトータルコーディネートさせて戴きますので、ご試着などいかがでしょう?」
「……はっ! あ、りがとうございます」
どうぞどうぞと促され、フッティングルームへ服を抱えて歩く睦月。その横で様子を見ていた史之が、笑いをかみ殺すのに必死でぶるぶるしている。
「もー、他人事じゃないでしょ
カーテンを閉めた後、顔だけ覗かせぷっくりと頬を膨らませる睦月。不意討ちのように返された呼び名に、今度は史之の方が驚く番で。
「『旦那様』はやめて……」
「えっ、なんで?」
「カンちゃんは俺のご主人さまだからね? そう呼ばれると脳がバグる」
「ふふふ、旦那様旦那様、だんなさま~」
「……」
嬉しさと同時に気恥ずかしさがこみ上げる。それでも顔に出すものかと、ポーカーフェイスで史之は黙った。
(落ち着こう。ここで恥ずかしがったらカンちゃんは、事あるごとに旦那様って呼ぶようになるから。反応がつまらなければ、きっと暫くは忘れて――)
「ね、しーちゃん」
「なに?」
「旦那様って呼ぶの、僕も恥ずかしくない訳じゃないよ……?」
耳まで赤くなり、ふにゃっとした困り顔を見せる睦月。
「~~ッ!?」
これには史之も完敗だ。負けないぐらい真っ赤になった頬を隠しきれず、口元を押さえて慌てた様に顔を逸らす。
「ほ、他にない? 恥ずかしくない呼び方っ……」
「じゃあ『夫さん』ってどう?」
「夫さん、夫さんか」
(オットセイみたいでまぬけだな。今の俺にはちょうどいいや)
「それなら俺も、妻さんって呼んでみていい?」
――さらり。
逸らしていた視線を睦月へ戻すと、目の前で冬の夜空のような深い青のスカートが揺れた。
瞬く星を金の刺繍で散りばめたクラシカルなワンピースに、銀のパンプスと月のポシェット。普段よりも大人びた印象のよそ行きコーデが、彼女の新たな魅力を引き立てる。
「好きに呼んでいいよ、
「な、ぇ、……っ、と!?」
(いつものボーイッシュなカンちゃんも可愛いけど、お嬢様ファッションも似合いすぎる……!)
(しーちゃん、固まっちゃった。やっぱり少し背伸びしちゃったかな? うぅ、何か感想言ってよ!)
お互いに照れが収まらず、何も言えなくなった二人。見かねたキリヤは史之へ感想を促す。
「ご来店いただいた時から、冬色コーデが似合いそうな美人さんだと思っておりました。ねぇ、お似合いですよね?」
「はい!? そ、そうですね。……本当に驚いた。よく似合うから」
「わぁ! しーちゃんにストレートに褒められた!」
明日は雨が降るかななんて、冗談めかして笑いながら睦月がその場でターンする。流れゆく星々。愛しい輝き。
「この店の名前、『Bon voyage』は異世界の言葉で"よい旅を"という意味なのです。
新しい旅先で素敵な発見をした時のように、パートナーの素敵な魅力に気づける……そんな服を作るのが私のポリシーなのです」
「素敵なコンセプトですね。なら次はしーちゃんの服を身立てて貰えませんか?」
「えっ、俺はいいよ」
ぴっ、と人差し指を立てて史之の唇に押し当てる。鈴のようにころころと弾む笑顔で睦月は告げる。
「だーめ。逃げないでよ、
――嗚呼、もう。君が呼ぶたびに俺は。
おまけSS『諸行は常に流れゆく』
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「輝かんばかりに新年明けましてハッピ〜バースデ〜〜!!」
「多い多い、要素が多すぎるよ」
異世界のCafe&Bar『Intersection』。その入口をくぐるなり、クラッカーの紙吹雪とテープの洗礼が史之の視界をカラフルに染めた。
「そもそも今回は蒼矢の怪我の完治祝いで呼ばれたんだよね。何で年末年始の行事ごた混ぜ挨拶だった訳?」
「だって利き手が使えなかったせいで、全然楽しめなかったんだもん」
「俺と同じ顔で『もん』とか言うんじゃねぇ蒼矢ぁ、手が使えないなら使えないなりに、皆にちやほやされてたじゃねーか」
「ここぞとばかりに甘えやがって」と眉間に皺を刻む赤斗は、バーカウンターでパーティーのウェルカムドリンクを準備中だ。
ノンアルコールのジュースを手際よくメジャーカップで計り、シェイカーの中へ注いでいく。その滑らかな動きを間近で見ようと目の前の席についた睦月は、カシャカシャと音を立てて振られるそれを、興味深そうに見つめていた。
「シェイカーを目の前で振ってもらうと、大人になった様な気分ですね」
「来年の今頃には、ちゃんとしたアルコールカクテルを出してやるよ。いっそ史之に作って貰うか?」
「バーテンダーのしーちゃん! 凄くいい!!」
「いやいや、そんなの一朝一夕で真似できる物じゃないからね?」
髪にひっついた紙吹雪を取り除いているうちに、突然白羽の矢がたって戸惑う史之。いいじゃねぇかと赤斗が身を乗り出し、おもむろに彼の手を掴む。
「安心しな、俺が手取り足取り教えてやるよ。まずはシェイカー探しだな」
「ちょっと赤斗さん、くすぐったいよ」
「手のサイズ計ってんだよ。お前さんに合ったのを探さねぇと」
「シェイカーって、皆おなじ物を使ってると思ってました。サイズがあるんですね」
「利き手の親指と小指でボトルを挟まなきゃいけねぇからなァ。掌よりでけぇシェイカー使っても安定しねぇんだ」
手に触れる赤斗の顔は、見てるとこっちが恥ずかしくなるぐらい真剣そのものだ。
どうしたものかと史之が視線を流した先では、黄沙羅がテーブル席でうたた寝している。
「黄沙羅さん、風邪ひきますよ」
「ん、……史之? 睦月も、いつの間に来ていたんだい?」
「さっきですよ。ドアベル鳴ったしクラッカーの音もうるさかったのに、全く気づいてなかったんですか? って、ちょっと待って!?」
近づいてきた睦月をがばっと抱き込み、二度寝を決め込もうとする黄沙羅。未だかつて、こんなに気の緩んだ彼女の姿を見た事があっただろうか?
どうにも振り払いにくく、睦月が困り顔で史之を見る。
(しーちゃん、助けて。黄沙羅さんの抱き枕にされちゃうよぉ)
(見ての通り俺も身動き取れないから、少しだけ我慢しててカンちゃん)
夫婦の間でそんな視線のやり取りがあるとはつゆ知らず、蒼矢がニヤニヤしながら黄沙羅と睦月を見下ろす。
「なるほど黄×睦か……今年の春の新刊はこれでいこうかな」
「本人を前に何言ってるんですか蒼矢さん。そろそろデリカシーのないところ直さないと、いつか誰かにしばかれますよ」
「史之も言う様になったねぇ。もしかして嫉妬? 大丈夫だよちゃんと史×睦本も用意があガッ」
言い終わる前にお盆が頭に飛んできた。いい感じに直撃だった。くらくらと頭を揺らす蒼矢の頭をがっしと掴み、史之が店の控室の方に引きずっていく。
「本人の検品は制作工程に入ってますよね? カンちゃんを変に描いたら怒るんで」
「もう大分おこってない!? あ、赤斗~、たすけて~!」
「自業自得だ。史之にキッチリ監修してもらえ」
「そんなー! パーティーの主催で忙しいのに~!!」
蒼矢が控室に引きずられて見えなくなったのとほぼ同時、ぱちりと黄沙羅が目を覚ます。不自然な覚醒に睦月はカクンと首を傾げた。
「黄沙羅さん、もしかして狸寝入りだったんですか?」
「蒼矢のあのノリに慣れないんだよ。僕はギャグに身体を張れないからね」
そう話す黄沙羅の表情は、どこか毒気が抜けていた。はじめて境界図書館で出会った時は、誰に対しても噛みつきそうな危うさがあったというのに、今では牙を抜かれた獣のようだ。何かあったのかと心配し、睦月は黄沙羅の胸に背中を預けて彼女を見上つめる。
「そういえば、蒼矢さんのパーティーだなんて言ったら、黄沙羅さんはまず参加しませんよね。今回はどうして参加を?」
「……ずっと勘違いしていたんだ。蒼矢は僕の敵じゃなかった。けれど、どう接したらいいか」
睦月と史之が関係性を変えたように、黄沙羅もまた変わろうとしている時期なのだ。一年前の今頃ではあり得なかった変化に、睦月の口元が小さく緩む。
「大丈夫ですよ。蒼矢さんはああ見えて、都合の悪い事を見なかった事にできるくらい大人ですから。真っ直ぐ、黄沙羅さんの気持ちを伝えてみたらいいと思います」
「睦月が史之に告白した時みたいにか?」
「そうそう。……え、えぇ!? あの時って確か、黄沙羅さんは現場にいなかった筈じゃ……!」
「特異運命座標の依頼ログは、シュペルとかいう奴のおかげで動画で見れるようになっただろう?」
「見たの!? いや、ちょっとそんなのログに残ってるなんて聞いてな――」
どかーーーん!!
「とばっちりだーー!!」
控室の方から巨大な蔦が勢い良く飛び出し、史之と蒼矢の身体が投げ飛ばされる。すかさず赤斗が史之をキャッチして、睦月の方へと無事に降ろす。
「私が着替えてる最中に控室に入って来るなんて、史之も蒼矢も男の子ね。でもぉ、浮気厳禁、慈悲はなしよ?」
「知らなかっただけなんだけどなぁ」
蔦の間から現れたロベリアは怒るどころかニヤニヤと殺意の高い笑みを浮かべている。これは落ち着けるまでに時間がかかりそうだ。
パーティーが始まる前からとんだ災難だとばかりに史之が頭を振る。
「……で、見たのしーちゃん」
「見てる訳ないでしょ。蒼矢さんでちゃんとブロックしたから」
「ねぇ、今日の主役が誰だか皆おぼえてる???」
不時着して花瓶に頭を突っ込んだままの蒼矢の声が、虚しく店内に響く。応答よりも応戦をと、返事をする者はいなかった。
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「それで結局のところ、蒼矢さんが怪我をした理由って何だったんです?」
「むぐ?」
お祝のケーキをつつきながら史之が問うと、蒼矢はケーキで頬をもっふり膨らませたまま、もぐもぐ数度咀嚼した。
「いやぁ、図書館にある備品で手をざっくり切っちゃって。僕とした事がうっかりだったよ」
「カンちゃんはそれで納得しても、俺はわかりますよ。それ刀傷ですよね、しかも蛇腹とか特殊なタイプの」
思い当たる事はゼロではない。黄沙羅がグリム打倒に燃えながら、『異説・人魚姫』へ特異運命座標を連れて行った依頼。
睦月は「仲間がグリムらしき人に一発入れたみたいで」と教えてくれていた。負傷の時期もなんとなくタイミングが合うのだから、疑わずにはいられない。
「何を考えてるか知らないけど、カンちゃんを悲しませる事だけはしないでくださいね。一応、元恋敵としての忠告です」
「くぅ、勝ち逃げしたライバルに言われると傷に染みるなぁ~!」
「おちゃらけてる場合じゃないでしょ、そのグリムっていうの、実は蒼矢さんだった……とかじゃないですよね?」
「とんでもない! 全盛期の僕ならグリムとまだ対等に戦えたかもしれないけど、今の僕は見てくれ通りのスペックしかないからね。
……ただ、彼に少しだけ同情はしてるんだ。僕達は史之や睦月みたいに支えになってくれる友達を見つけられたけど、彼はずっと孤独だから」
そう話す蒼矢はどこか遠くを見るような目をしていた。
年始を祝えば新たな年がはじまる。
――新たな運命が動き出す。
「ま、何はともあれ今年もよろしくね」