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這いずる蛇の理
登場人物一覧
有柄から無事の帰還を果たした、と言えども無事とは何を以てそう称するべきであろうか。
例えば弟子になりたいと手を挙げたイレギュラーズが相当に『引き摺られ』易いことに気付いてから、どの様にすれば生き残れるかを都度レクチャーしてきた心算だった。
例えばそんな彼女と生き残ると宣言した彼女の恋人に弟子を任せたと必ず共に生きて帰ってくると言うものだから信用した。
そう――生きては帰ってきた。何時も通りの「パイセンやっほー」などと笑って帰ってきたのだ。
「ひ、ひよの……」
紫電は出迎えたひよのの表情を見てから引き攣ったように声を漏した。巫女服姿、音呂木神社の境内で堂々と待っていた女の表情は引き攣っている。
その表情に見覚えがあったのは秋奈の側だ。巫女修行やら神社の手伝いとして提案されたタイミングで良く『おサボり』をする度に見ることがある般若面。
憤怒のひよのを前にして秋奈は「パイセン、そう怒らないでよ~」と様子をうかがうように声を掛けた。
「……怒ってませんよ?」
声音は冷静だ。にんまりと笑っているようにも見えたが明らかに起っている。
本人は極めて冷静なつもりなのだろう。冷静だからこそ肌を刺すような冷たさを感じずには要られない。思わず竦んだ二人は身を寄せ合ってから「ひい」と呟いた。
逢坂地区に存在する有柄島。土着信仰や再現性東京らしい理由をルーツにして産み出された風土病。そして添より展示て土地に存在する
封印のために二人は共にアリエに臨んだ。その術式は水夜子がレクチャーしていた。希望ヶ浜怪異譚の問題解決に関して水夜子はしっかりと澄原病院と音呂木神社に行って居た。
当初、報告にひよのは一時的に安堵した。そして、水夜子が言い淀んでいた続く言葉に思わず「はあ?」と声を漏したのだ。
――実は秋奈さんと紫電さんなのですが真性怪異の影響を濃く受けてしまったようですのでお祓いをお願いしたいのです。紫電さんから後ほど連絡が来るかと。
事前報告を行なった水夜子の言葉の通り、紫電から直ぐにメッセージが入った。
真性怪異に関わったことでその影響を色濃く受けた二人は代償として大きな怪我を得た。それは舌に蛇のような二割れになりかねない大怪我、そして紐を握っていた腕に蛇の鱗を思わす模様が浮き出たことだ。
模様とは称したが正しく触れば鱗そのものだと認識できた。正しく、沖の浮島の『蛇』を思わせる鱗である。蛇の怪異と呼ぶべきか、それは這いずるように二人の腕に穢れを残したのだ。
最初に気付いたのは紫電であった。露出していた秋奈の左腕を見詰めて紫電が声を荒げれば「それも紫電ちんと一緒だぜ」と秋奈はその右腕を指差したそうだ。
秋奈自身はその影響を受けようとも『それが怪異を受け入れた証である』以上は構わないと決めていた。
だが、後顧の憂いを断つことを優先し自身の怪我や鱗に関しては祓い除けて欲しいと紫電は説明したのだ。
フランクに、そして怒ってなど居ないと明るい声音で了承したひよのは神社に訪れた二人を冷めた瞳で見詰め、出迎えてくれたわけである。
「さあ、こちらへ」
すたすたと歩くひよのは普段は人を入れぬ本殿へと向かう。亀頭の準備をしながらもひよのは「秋奈さん」と呼んだ。
「は、はぁい」
焦りを滲ませながら秋奈の眸が右往左往とする。にんまりと笑うひよの、その笑顔の恐ろしさに紫電と秋奈は両方がすくみ上がった。
「い、いや、パイセン、今日も可愛いなあ。ほら、笑顔がチャーミングだぜ? にこってしてよ、ほら、Say、にこー」
「にこお……」
「……いや、笑ってねーし? 怖い怖い、パイセン! ああ、待って、タンマ! 其の儘近付いて来る!? 怖い怖いって。
ちょ、落ち着いて。パイセン! ひよのさん! ひよの先輩! ひよの様! あ、やめて。凄い勢いで頬を掴まにゃ――」
慌てる秋奈にずいずいと近付いていくひよのはその唇に親指を差し入れて一気にびょんと伸ばした。
「で、良いですか?」
「ひゃい」
「コレは? なんですかね? この舌。人間と言っても良いんですかねえ?」
「……みゃーこちゃんの代わりに儀式をしまひた」
「ほう……この『明らかに有柄でアリエにでも触れてきました』と言わんばかりの舌は水夜子さんを救ったからだと言いたいのですね」
「ひゃい……」
半分泪を浮かべながらも秋奈はしどろもどろの儘説明を続ける。怒り心頭のひよのを目の前に茶化す余裕も無さそうだ。秋奈の舌を真っ向から眺めていたひよのは「よし」とだけ呟いて、彼女の腕を掴み上げる。ぎゃあと叫んだ秋奈のことなど気にせずにじろじろと眺めてから「よし」ともう一度言った。
「秋奈さんの現状は把握致しました。
で、祓わなくって良いんですか。勿論、アリエにとっては良いことでしょう。ですが秋奈さんはほぼ夜妖憑きのようなものになります。
此の儘、アリエの欠片が……いえ『逢坂の怪異』と呼ばれた存在が貴女を蝕み、他の何者かに転じれば音呂木で巫女として活動する事も難しくなります」
「えっ、まじ? 巫女止めなきゃならないって事?」
「夜妖憑きになるという事ですからね。勿論、ウチの神様は独占欲が強いですから。
その怪異が表に出て来てしまったときは音呂木の加護は剥がれてしまうでしょうし、巫女見習いも続けにくいかも知れませんね。
でも大丈夫ですよ。素鳴った場合でもちゃんとアフターケアはしますし、敷居を跨ぐなとも言いません。後輩は後輩ですからね」
そうなるまで暫くは猶予もある筈だとひよのは告げた。音呂木の巫女見習いという加護がまだそれを押し止めているのだろうが――秋奈が加護を捨て、その怪異を受け入れたとき実を結び夜妖が憑く事は十分に有り得た。
「私は生きていてくれるなら何方でも構いませんよ。秋奈さんが秋奈さんとして未来を選べば良いのです。
これから先、やっぱり『怪異を祓って欲しい』と願うならいくらでもしてやりましょう」
「マジ? パイセンやーさしー……」
「ですが、説教は必要です。分かりますか? 何れだけそれが大変なことであるか。
貴女は巫女見習い。巫女の見習いだからこそ、様々な場所で怪異に誘われようが生きて帰って来ることが出来ているわけです。音呂木の神様が加護をお与えになっていたからこそ(以下激しい説教)」
正座をして項垂れた秋奈を見詰めながら紫電は「あんなに焦った秋奈は初めて見た、ひよのこわい」と狼狽えることしか出来なかった。
「で?」
「……残すよ。パイセンがさっき然り気無く言ったけどアリエにとっては良いことなんでしょ?」
「そうですね。私が無理に祓うよりより強固な封印となりますし、秋奈さんに憑いている何かが形を結び『夜妖』となれば二度とはあの様なことは起こりませんでしょう」
水夜子やひよのが『そう』なれば自身達も残すことを選択するのは明らかだ。だからこそ、秋奈には話すつもりはなかったとひよのは呟いた。バツの悪そうな彼女に秋奈は首を振る。
「残すけど、紫電ちゃんのは治してやってよ」
「……紫電さんはそれでいいのですか?」
紫電は顔を上げた。秋奈は「いーのいーの」と紫電の肩をぽんと叩いた。触れられた左腕には鱗が存在している。その鱗に紫電はどうしようもなく既視感を感じていたのだ。
シュテル・ライフェス・ブリーゼ。ノーブルホースの閃雷士であったシュテルは馬にも思える身に竜の特徴をも有していた。その竜の特徴こそが、左腕の『鱗』だった。蛇とは言えども、似通った鱗の形に秋奈の腕を這うように
心優しく、誰に対しても平等であったシュテルに起った『あの日』の事件。どうしようもなくそれが脳裏へと過って堪らないのだ。彼女の姿が――紫電が討った嘗ての友の姿がチラついて仕方が無い。だからこそ、『どうするか』と問われたときに何とも言葉に出来なかった。
「紫電ちゃんにはさ、爬虫類は似合わないじゃん? だから、いーんだって」
「紫電さんに聞いているのですけれど」
「いーって、パイセン。大丈夫。ね、紫電ちゃんも私ちゃんの意見に賛成っしょ?」
首を振った秋奈に紫電は押し切られつつも、「秋奈がそう言うなら」と紫電は決意を固めた。お祓いはそれなりの手順が必要だという。神社の裏手に小さな瀧が存在する。その血で水垢離をし、改めて戻ってきて欲しいと言う。
ひよのは周囲の入り口を封鎖するように縄を張り、扉を開けては鳴らないと告げた。蝋が灯り、後方に秋奈が正座するように進められる。部屋の中央で胡座を書くようにと指示された紫電は彼女の言葉に則りその通りにして見せた。
目の前のひよのは何事かを呟き乍らも鈴をしゃん、と鳴らす。神楽巫女でもある彼女は一人で清め祓いをするのだろう。手順はここから先は説明しないという。だが、言われたとおりに動いて欲しいとひよのは言った。告ぐように「秋奈さんは絶対に動いてはなりません」と念押しする。
紫電の周囲にはぐるりと縄が張られていた。俯いた紫電の背中を秋奈は縄を手にしたまま見守っている。その縄の先がひよのの側へと繋がっているようだ。
「良いですね」
静かな声音が振った。彼女の普段の溌剌とした態度とは大きく違った声音。紫電は引き攣ったように息を吐いてから小さく頷いた。
儀式にはそれなりの時間が必要なのだそうだ。秋奈はあくまでも『助手』ではあるが、今回の儀式での鍵でもある。
紫電を清め祓い、その結果として湧き出す怪異の気配を『元から肉体にそれを宿す秋奈』の側に移すのだという。その為に秋奈は動いてはならず縄を手に座っているようにと指示されたのだ。
「秋奈に影響は?」
「大きくは特にありません。大丈夫です。後輩の命には決して危険が無いように配慮していますし。
……先程言った通り、その体には元から夜妖の欠片が居るような状態です。寧ろ、夜妖憑きとなって共存してしまった方がお二人にとっては安全かも知れません。
今回はその可能性を大きく向上させるだけに過ぎませんし、難しい儀式となるわけもないですから」
安心して下さいと笑ってからひよのは紫電に御神酒を含ませた。秋奈には真水に浸した布を加えるようにと指示をする。
一方は神による穢れ祓いをその肉体の内より行なう。もう一方は穢れ無き状態で全てを受け入れるのだ。
巫女の儀式は淡々と進んでいく。その様子を身動ぎ一つしないまま秋奈は見詰めていた。流石に音呂木の巫女見習いだ。それを邪魔することは無い。
紫電は初めて見た巫女としてのひよのの姿を眺めていた。祝詞を口にし、滞ること無く淀みなく進む穢れ祓い。音呂木の巫女は『
音呂木の巫女見習い。秋奈が自身の体を護る為の加護を音呂木の神様が与えているのだとすればそれは感謝せねばならないか。大きく影響が生まれていないのであれば、神の加護ほど強固な結界は無い筈だからだ。体がやけに重いと紫電は俯いた。どうしようもなく頭を垂れさせなばらないと感じたからだ。
ひたり、とひよのが手にしていた何かが頸筋に当てられる。這いずるように何かが抜けていき、ひよのの方へと迫ったが――直ぐに縄を伝った。後方は紫電には見えない。フリム此処とも出来ないが秋奈の元に『それ』が向かっていくことに気付く。
「秋奈さん、それを『受け入れて』ください」
「はい」
「いいですね。拒絶してはなりませんよ。逃げてしまわぬようにしっかりと――」
秋奈に指示を送るひよのは目を伏せてその通りにする弟子を眺めていた。彼女は受け入れるための器に向いている。怪異に好かれやすいのはその存在を受け入れてしまうからだ。
故に、容れ物として怪異を飲み込むことが出来るからこその穢れ祓いの方法だった。秋奈が全てを受け入れれば紫電には何も残ることは無い筈だ。だが、相手が真性怪異である以上『副作用』や僅かな残穢がある事はひよのも織り込んでいた。願わくば何事もないように――
息を呑んだひよのの前で秋奈はゆっくりと顔を上げてから「大丈夫だよ、先輩」と笑った。
「口を開いて貰えますか」
あんぐりを口を開いた紫電にひよのは頷いた。舌の傷は治っている。秋奈の舌は蛇を思わせるが紫電は大丈夫そうだ。
傷である以上はいつかは癒える筈だと秋奈にも言うが秋奈は「体の中に何か居るなら癒えないっしょ」と肩を竦めた。
「右肩から下を」
言葉に従い身に纏っていた白衣を脱いだ紫電にひよのは「少し残ってしまいましたね」とため息を吐いた。ひよのがそっと持ち上げた紫電の腕には確かに蛇を思わすうろこ状の黒い痣痕が残っている。それは一部のみではあるが、縄のように腕にその存在を残してしまっていた。
「マジか」
「……余程強い封印なのでしょうね」
嘆息するひよのは「力及ばず」と頭を下げる。紫電は首を振った。寧ろ若い身形の女が一人でここまで清め祓いを行えるのだ。それを以てしても力及ばず、等とは言葉に出来まい。
「申し訳ないです。肌に残ってしまって……」
「いや、まあ、そうだけど」
大丈夫だと言い掛けた紫電に秋奈は「え、マジ?」と驚いたように走り寄った。
「紫電ちゃん残った系?! パイセン、これはもう消えないんだよね?」
「ええ。これは……残ってしまったならば難しいでしょうね。何か化粧で覆う事や服で隠す事はできるでしょうが……」
「いいじゃん! 薄いけどお揃いだね? ほらほら、見て見て」
秋奈が『じゃーん』と口にして見せたのは彼女の腕に残されている蛇の鱗だ。確かに形状はそっくりで、秋奈は鱗そのものが左腕に残っているが紫電は右腕に少しだけ跡が残っただけではある。それを持ってお揃いだと笑った秋奈に紫電はぽかんと口を開いた。
「いいじゃん。お揃いなら嬉しいぜ?」
「……そう、か?」
「そうそう。それにパイセンパワーまで入ってるんだからサイキョーじゃん。あ、真逆私ちゃんとお揃いいやだった!?」
「そんな事、あるわけないだろ!」
拗ねた様子の秋奈に――その拗ね方が演技だと分かって居ても――紫電は居ても立っても居られない様子で叫んだ。
秋奈とお揃いだというならばそれも悪くは無い。そう安心するように腕を撫でてから「秋奈と一緒なら、素晴らしい物に思えてきた」と笑った。
「だしょ?」
「ああ。秋奈の腕の方が確かに確りと残っているけれど、形はそっくりだからこれでいい」
「思う思う。これは縄なんでしょ。封印の縄。だったら、私ちゃんと紫電ちゃんのことも『蛇』が結んでくれた……みたいな感じなのでは?」
素晴らしいと言わんばかりの『超解釈』に二人は顔を見合わせてへらりと笑った。
心配そうにして居たひよのが真顔になる。スンッと表情を消え去ってから紫電と秋奈をまじまじと眺めていた。その表情の冷たさは「あ、それでいいんだ」とでも言いたげだ。
――実際の所、アリエの封印の余波であるのだから、それを消し去れば封印が緩む可能性はあった。真性怪異を封じることはそれだけ肉体にも影響が大きいという事だ。だが、二人で分け合ったお陰で『体にそれぞれ現れた』だけで済んでいた。ひよのが縄を秋奈に持たせたのは彼女を包んでいた音呂木の加護を頼りにして、紫電の中の穢れを払除けようとしただけである。
つまり、今の紫電に残った痣は秋奈の体に入りきらなかった怪異の残穢ということである。そう聞かされれば何とも二人で一つがより強固になった気さえした。
二人は顔を見合わせて幸せそうに笑う。勿論、ひよのに言わせれば当人達が幸せならばそれでいい。それでいいのだが――
「紫電ちゃん」
「……絶対に、次は護ってみせる」
……突然の『ラブラブ』を目の前に先輩は何とも言えない心地になった。
その指が離れないようにと固く結ぶ。絆のように腕に残った痣痕。蛇の這うような鱗そのもの。より二人の絆が深まったと解釈するべきか、それとも『怪異の影響が何時出るかを怯えながら待つ』事を考えれば良いのか。ひよのは何とも言葉に出来ないままで幸せそうな二人を眺めていた。
左手と右手が繋がれば、それは一つの夜妖を封じる為の『縄』となった。秋奈の内部に燻った夜妖が目覚めようとも二人が揃っていればその身の内に封じていられる。
ひよのはそう告げてから何となく呆れたように肩を竦めた。ああ、きっと、二人は無茶をする。無茶をして何かが起ってから自分の元に返ってくるのだ。
だが、二人が『一緒に居てくれる』のならばそれでいい。秋奈と紫電が互いを見ていられる内は個を失わず怪異に呑まれる可能性もうんと低くなるはずだからだ。
「紫電さん」
「……どうした?」
呼びかけられて秋奈と手をぎゅうと繋いでいた紫電は不思議そうにひよのを振り返った。立っていたのは音呂木の巫女では無い。皆の先輩である『ひよの』だ。そうとしか言えない表情の変化に紫電はぱちりと瞬いた。
「秋奈さんを頼みましたよ。後輩は本当に無茶をしますので」
「……ああ」
必ず守ってみせると誓って、繋いだ手が離れぬようにきつくきつく結んだ。それは封ずる縄のように。這いずる蛇は強固に結び、別たれることを許さない。