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お酒の話『修道院リキュール』

登場人物一覧

アーリア・スピリッツ(p3p004400)
キールで乾杯

 会社の帰り。電車から自宅最寄り駅のホームに降りる。
 都心とはうってかわって、しんと冷えた夜の空気が心地よかった。二秒か、三秒ぐらいは。
 あまりの寒さに、普久原 靖はコートのボタンを全て閉じた。

 季節は十二月の半ば。金曜の二十二時半頃で、身も心もくたくただった。
 さきほど、ソフトウェアの納品書を稟議に回した直後、逃げるようにオフィスを出たのだ。
 今週は終電やタクシーが多かったから、むしろ早く帰れた気さえしてくる。
 怒濤の連勤も今日で終わり。このクソみたいな炎上プロジェクトともおさらばのはずだ。
 明日の朝に、メールで呼び出されなければの話だが――それはさておき。

 とにかくしんどい。ここしばらく寝付きだって悪かった。だから今日も晩酌しようと思う。
 普段の靖なら棚にモルトの一、二本は用意しているが、しばらく買うことが出来ていなかった。
 いくらか手前の大きな駅で降りさえすれば、いくらでも購入出来るのだが、そうはしていなかった。とにかく一分でも一秒でも早く家に帰りたかったからだ。
 いつものコンビニか、いやまだぎりぎり酒屋が開いているはずだ。今日はそっちにしよう。
 心に言い訳をしながら、とぼとぼと帰路を歩く。
 そして寒々しい蛍光灯の光を湛えた、小さな店に足を踏み入れた。

 棚にあった酒の名は、なんだか猫の種類みたいだなと思う。
 靖は折りたたみ式の携帯電話――まだガラケーとは呼ばれていなかった――を開き、早速検索する。
 便利な時代になった。ブロードバンド通信のパケットが使い放題。パケ死なんてごめんだ。
 黄と緑があり、とても苦いらしい。リキュールの女王などと呼ばれているようだ。
 猫と女王。なんだか親近感がある(!?)。
 ボーナスも近いし、二本とも買ってしまおう。ついでに切らしていたウィスキーと、それと氷。
 会計を済ませると、少し後悔しながらアパートへと帰宅した。
 やたらと重い二つのビニール袋を、狭い玄関へそっと置く頃には、指先の感覚がないほどだった。

 パソコンの電源を入れて、シャワーを浴びたら、やっと人生が始まる。
 しょうもない記事を読みながら、瓶を手に取ってみた。
 黄色は四十度、緑が五十五度、なかなかにエグいアルコール度数だ。
 零時なんてとっくに回っているから、間違いなくだろうが、もう我慢出来なかった。
 それに万が一、行くとすれば午後からだから。

 けれどその前に、靖はモニタが乗ったローテーブルにグラスを置き、着る毛布にくるまった、
 座椅子からもこもこ靴下の足を投げ出し、電気ブランケットのスイッチをオン。
 パソコンにヘッドフォンを挿し、CDから取り込んだMP3の音楽を流す。
 こうなるともう、一歩だって動きたくなんかない。
 それからブラウザで、ネットゲーム仲間が設置したCGIチャットを開いた。
 一通りログを眺める。そこでは十人ほどがキャラクターになりきり、半ばロールプレイまじりの雑談をしていた。ギルドのみんなは、宵っ張りだな。
 Cookieに記録された設定のまま、入室。「こん~」などと、挨拶を交し合う。
 キャラクターのアイコンは、猫耳の少女。今のあだ名は女王陛下であった。

 ――まずは、こっちにしよう。
 美しいリキュールボトルの金属フタを、きりきりと開けてやった。
 ボトルが少し古いのか、フタの所で砂糖か何かが結晶になり、ちょっとざらついた感触がする。
 まずはオールドファッションドグラスに、ワンフィンガーの半分だけ注いでみた。
 ネットでは苦いと評判だった、鮮やかな黄色のお酒だ。
 薬草系というやつらしい。なんとなくポーランドのウォッカが頭に浮かんでくる。ひょろっと長いバイソングラスが入っている。桜餅みたいな香りのお酒だ。
 たまーーに買って、冷凍庫でとろとろになるまで冷やして飲むことがある。
 それと比べると、これは、どんなお酒なんだろう。
 口をつけると――
「……甘っま!」
 え、待って。めちゃくちゃ甘い。
 不意打ちだ。苦いんじゃなかったっけ。なに、すごい甘いんだけど。
 とろりとした蜂蜜のような甘みと、ハーブらしき爽やかな香りを感じる。
 蜂蜜と思うと、甘さもちょうど、そのぐらいだと思えてきた。蜂蜜をなめている感じ。
 アンゼリカなど、多数のハーブを使用しているらしいが、具体的には分からない。アンゼリカといえば、薄く切ってクッキーなどの飾りにする、砂糖まみれになった緑色のスティックだった気がする。
 けど、嫌いじゃなかった。むしろ美味しい。好きかも。
 今度は緑だ。グラスをもう一つ出してきて、ほんの少量を注いでみる。
 香りはさっきより、ずっとなんというか、こう『草』っぽい。
 それから今度は一気に行かず、恐る恐る舐めてみたら。
「え、からっ!?」
 ぴりりと来た。
 どうして。嘘でしょ。なんでからいんだ。
 唐辛子というよりは胡椒のような刺激だが、胡椒の香りは感じない気がする。強いて言えば、シナモンの辛味に似ているだろうか。これもいかにもシナモンといった印象は受けないが。
 そしてこちらも黄色と同じく、ものすごく甘みがある。
 甘いが、たしかに結構な苦みも感じる。苦みが先に来る人も多いかもしれない。
 全体的な風味は黄色よりもずっと青々しく、ラベル通りのまさに『緑』といった味。
 キックが強い。
 いいぞ、いいぞ。
 靖は少し迷ってから、意を決したように換気扇の下へ移動した。
 フレーバー煙草に火を付ける。やたらと甘い香りがするから、会社では普通のやつしか吸えない。
 しかし薬草系なんて、いままでほとんど飲んだこともなかったけれど。これはかなり好みだ。
 緑色の味のほうが更に好みだが、黄色の優しい蜂蜜っぽさも捨てがたい。
 甘くて苦くて、ドスが効いてる。最高じゃないか。
 リピート確定。常備酒に加えよう。
 まずは緑が入っていたグラスに氷をいれて、今度はダブル以上に注いでやった。

 ブラウザの別タブで、この酒に関する情報を検索する。
 好きになると、色々な情報が知りたくなってくるから。
 修道院で作られているとか、レシピは門外不出だとか。
 あとはエリクサーなんて言葉が出てきた。
 ああきっと、エリクサーって確かにこんな味をしているんだろう。
 カクテルにも使えるらしいが、生憎とどれもないや。

 つまみを買っていないことも、明日のことも、開かれたままのチャットも。すっかり忘れて飲み明かした。
 氷をいれ、水をいれ、ソーダをいれ。何度も楽しんでやる。
 気付けばチャットには誰もおらず、遮光カーテンの外から光が差し込んでいた。
 これはもう、午後も無理なやつではないか。
 まずい。があったら、どうしよう。
 その時、ベッドの上で閉じた携帯電話のシグナルランプが、赤く点滅していることに気付いた。
 気付いてしまった。
 気付きたくなんてなかった。
 瞬間――完全に血の気が引いている。
 会社からのメールは、赤色に設定しているから、すぐに分かるのだ。
 小さなサブスクリーンを往来するのは、メール着信のお知らせと上司の名だった。
 靖は祈るような気持ちで、携帯を開く。
 心臓がばくばくしているのは、酒のせいばかりではないだろう。
 手紙のマークを押して、確認したメールの内容は――

『今日、来れない、ので、月曜に、よろしく、ゆっくり、休んでください(^_^)ノ』

 ――原文まま。
 会社から昨晩に送っておいた終了報告のメールを見て、休出する気がなくなったんだろう。
 謎の顔文字から機嫌の良さがにじみ出ている。
 てか、この人って、いつも、やたらと、読点が、多いよな。

 稟議については来週に持ち越しだ。
 内容はー。うんまあ大丈夫だろう。たぶん。
 なんだかアホらしい気分になってきたが、良い酒に出会えたから、まあいいか。
 今日一日死んでいても日曜日がある。ひゅー、最高だぜ。
 靖はパソコンの電源を落とすと、着る毛布のままベッドへ潜り込んだ。
 カラスの鳴き声がうるさいけれど、おやすみなさい。

  • お酒の話『修道院リキュール』完了
  • GM名pipi
  • 種別SS
  • 納品日2022年12月13日
  • ・アーリア・スピリッツ(p3p004400
    ※ おまけSS『カクテル『アラスカ』』付き

おまけSS『カクテル『アラスカ』』

 バーでこれを使ったカクテルを何か頼むと、たいていこれが出てきます。
 香りも味わいも強いから、甘みのない酒が合うのでしょう。
 度数はともかく、飲みやすくはなると思います。
 これ自体が、かなり人を選ぶとは思うのですが……

 レシピはドライ・ジンと黄色いほう。
 フランスのリキュールと、イギリスのスピリッツを合わせて、アラスカ。うーん多国籍。
 アメリカ産まれのカクテルらしいから、アラスカなのかな。
 緑を使うと『グリーン・アラスカ』。なんとも分かりやすい変化。
 ジンは種類を選ばないので、いっそ北欧のフィンランド産あたりを使ってみるとすると――

 ――PPPオリジナルカクテル。
 名前は『統王シグバルド』なんて、いかがでしょう。
 試したことは、ないけれど。

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