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【新道風牙の食ノ道】再現された現代は即席で最強の味
登場人物一覧
「……あー……つっかれたぁ……」
宿に着いて早々に『よをつむぐもの』新道 風牙(p3p005012)は持っていた荷物をどさりと床に下ろし、部屋に完備されている椅子の背もたれにアウターコートをかけると、そのまま椅子に座り、机に突っ伏した。イレギュラーズとしてはもちろん、『新道 風牙』個人としての名声が高まっている以上、依頼が重なる事もある。そういう日は疲労が溜まり、こうして休憩できる場所に来るとくたくたになって、まるで身体が解けてしまったかのようについ身を預けてしまう。
「風呂は絶対入らないとな……でも……あー……夕食もセットで予約しておけばよかった。このあと外食する気にはなれない……もう座っちゃったし。ろくに歩けやしない……」
幸い、以来の最終地点がアデプトだったこともあり、再現性東京で宿を取れたおかげで、風呂を沸かすのに手間はない。呼びかけるだけで風呂を沸かしてくれるまでの時間はのんびりできる。それまでの間に、風呂場に行くまでの体力を溜めておこう……と身じろぎした風牙の腕が、カチリと何かに触れた。顔を上げると、モニターからCMが流れ始めたのを察するに、テレビのリモコンだったのだろう。せっかくだが、今はあまり気分じゃないしなぁとテレビを消そうとした風雅だったが、その直前、流れ出したコマーシャルに目が釘付けになった。
『電子レンジで温め5分! あっという間においしいディナー! チルドディナーのイツツボシを当ホテルで先行体験してみませんか?』
(……これだ!)
外食すら躊躇するこの疲れ切った身体には栄養が必要だ。明日にも依頼が確かあったはず。しかし、カップヌードルでは少々物足りないと思っていた風雅にとって、これ以上ない提案だった。コマーシャルで見る限り、いくつか種類もあるようで、様々なおかずが取り揃えられているというのもありがたい。早速、風雅はaPhone10を手にして、コードを入力し、ホテル内サービス発注のアプリをダウンロードすると、ルームサービスでチルドディナーのイツツボシを発注しようとする。
「えーっと……チーズインハンバーグのセット、鉄板風ナポリタンのセット、ロコモコ丼のセット……カレーライスのセット……あとは……、えっ!? デミグラスソースとホワイトソースのハーフ&ハーフオムライス……なんだその最強に欲張りなセットは……これに決めた!」
指先が液晶に触れれば、あっというまに発注は完了し、『ご注文ありがとうございました』という文章が浮かんだのを見届ける。これで準備は整った。湯船の状態を確認してみれば、しっかりと準備は整ったようで、食事よりも先に、ひとまず風呂に入る事にした。
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「いやー、たのしみだー! ホワイトソースとデミグラスソースのオムライス、食べ比べるの夢だったし、ちょうどよかったな……」
さっぱりとした後、髪をタオルで乾かしつつも、明日の依頼で使う道具の到着を確認する。しかしこちらは今日中とはいえまだ時間がかかりそうだ。それまでどうしていようかと思考するよりも先に、夕食がはやくも届いたらしく、メールにその旨が記載されていた。
「んー……と。『注文された商品は部屋内の受け取り口にて保管されます』……っていうのはこれかな?」
冷蔵庫の上、謎の引き出しにも似た取っ手が壁に備え付けられているのを見て首を傾げる。風雅はそのまま引っ張ってみれば、カパリと上部から倒れるようにして扉が開き、中には袋が入っていた。取り出して見てみれば、ドライアイス入りの袋と、四角い箱、そして簡易的な先割れスプーンのセットだ。
……箱には『上下を逆さまにしないでください』という表記があることからも察するに、おそらくこれがチルドディナーのイツツボシなる商品なのだろう。表記を読む限り、接合部のフィルムは剥がさず、そのまま電子レンジに入れればいいようだ。風雅は商品を電子レンジに入れて、5分間温める。
「あー……すごい、いい匂いしてきた……」
温めている間にも部屋中に漂う美味しそうな香りに期待が高まっていく。チン、という音と共にフィルムを剥がし、熱い器をなんとかタオル越しに持ちながらテーブルに並べる。
「あちち……よし、じゃあいただきまーす!」
袋から先割れスプーンを取り出し、箱を開ける。もわりと湯気が漂う中から現れたのはシンプルなプレーン状態のオムライスだ。横にはホウレンソウとベーコンの炒め物や、ニンジンのソテーなどの副菜も添えられているほか、ソースを好きに変えられるらしい小さな容器を手にした。
せっかくのハーフ&ハーフだ。ぜひとも綺麗にかけたいところだが、どうしようかと観察しているうちに、気がついた。
「……あれ? よく見ると、このオムレット左右で色が違う?」
少し逡巡したものの、中身がわからないなら仕方ない、とためしに先割れスプーンで割ってみる。すると、驚くことに、半分はチキンライス、半分はエビピラフになっているではないか。危うく、逆の組み合わせでソースをかけるところだった。気がついてよかった、と風雅は笑った後、半分にしたオムライスそれぞれにソースをかけていく。
「よーし……改めて、いただきます! まずはホワイトソースから……」
一口ぶんを噛み締めた途端、バターの香りと、ホワイトソースの濃厚な味わいが口の中に広がる。マッシュルームのコクや、珍しくタケノコが入っているらしく食感も楽しい。どうやら下処理でレモンが使われているらしく、こってりとしたソースにもかかわらず後味はさっぱりしていて、飽きがこない。
「美味しい……! これ本当に冷凍食なの? 信じられない……。レストランで作ったやつそのまま食べてるみたいだ。お次はデミグラス……!」
ホワイトソースとは違う味わいが今度は口内に広がった。ワインと牛肉から溢れ出る旨みがデミグラスソースへぎゅっと閉じ込められている。トマトの甘味と優しい酸味も王道の味には欠かせない。そして、いちばんの驚きはチキンライスの中にあったグリーンピースだ。冷凍食とは思えないほどみずみずしかった。
「ホワイトソースもデミグラスソースも美味しい……宗派が分かれるのは仕方ないかもしれないけど、選ぶのめちゃくちゃ大変だなぁ……」
脳内に浮かぶのは、某チョコレート菓子の戦争と同等のレベルで争いが始まるオムライスの戦争だ。デミグラスvsケチャップvsホワイトソース。酒の席で口にすれば、殴り合いにもなりかねないと噂である。政治とオムライスとチョコレート菓子の話はするなと誰かが忠告したのも頷ける。
「……ひとまず、保留かな」
疲れを言い訳に風雅はひとまず、この宗派争いでどこに身を置くかの結論を先に伸ばし、すっかり食べ終えると、短時間で身も心も充分に活力を取り戻すことに専念することにした。