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また、もういちど
登場人物一覧
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ここ最近、あの辺りに貴婦人が現れるという。
その言葉だけ聞けばそう違和感のあるものでもないだろう。けれど"あの辺り"と指し示した先が――戦乱の鉄帝でなければ、の話である。
完全に安全な場所など存在しまい。力と金のある高位貴族であれば早々に国外へ逃げているか、そうでなくても今のところ被害の少ない場所へ身を寄せるか。少なくとも、貴婦人の現れるような場所ではない。
幽霊か? 幻か?
けれど聞けば、その貴婦人は民と会話し、時に自分も民の作業に加わるのだとか。孤児たちにも大層慕われていると言う。
その貴婦人とやらは、一体どのような人物なのか――話を聞いた者たちは、身の安全に怯えながらも考えずにはいられなかった。
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「今日もよろしくお願いしますね」
マグタレーナ・マトカ・マハロヴァ(p3p009452]の言葉に領民たちがはい、と元気よく答える。目を閉じた貴婦人は、その返事に小さく微笑みを浮かべた。
鉄帝の戦乱の最中、マグタレーナが領地を得ることができたのは幸運なことだっただろう。新皇帝がそれを覆すような――今後、イレギュラーズに領地を持たせないとか――勅令を出していたら、今頃マグタレーナは領主になっていなかっただろう。
まだ領主になって日は浅く、この地も領主を得て日は浅い。お互いに手探りの状態だが、マグタレーナは領民たちとともに土地の整備を進めることで、少しずつ信頼をものにしていた。
「領主様、少し休憩してくださいな」
「倒れちゃ元も子もありませんよ、さあさ!」
室内で話し合うことも多いが、外へ出ることも少なくない。そうすると領民がこの細い肢体を持つ領主が倒れてしまわないかと気に揉んで、休憩を促してくるくらいには気にされている。マグタレーナは小さく苦笑いを浮かべて、わかりましたと日陰に入った。
(襲撃もほとんどないからか、皆さんの表情が生き生きしていますね)
元々は古戦場であったらしく、どこまでも殺風景で荒れた土地が続いている。戦いにはもってこいの場所なのだが、何かしらの理由で襲撃はそれなりに抑えられているようだ。整備が一通り落ち着いたなら、その理由を探りに行っても良いだろう。
「おかあさま!」
「ままー!」
つらつらと考えていたマグタレーナの耳へ、そんな声が突然飛び込んできて。閉じられた瞼越しを見るように顔を向けると、軽い駆け足の音と共にお腹へ何かが飛び込んでくる。ひとつではない。ふたつ、みっつ。それから「うぎゃ!」なんて小さな声が上がって。
「リィが足ふんだー!」
「先にいるのがわるいんだ!」
「2人ともうるさい!」
びえぇ、と泣き始める声に怒った声、それからイライラしている甲高い声。程なくして彼らが来たのと同じ方向から女性の怒声が響いてくる。
「やっべ!」
「うえぇぇ……う?」
「あっ、引っ張らないでよ!」
その怒声に泣いていた子供も泣き止み、どうも逃亡しようとしたらしい子供を――腕か服か、また別のものかわからないが――掴んだらしい。わちゃわちゃとまた口喧嘩を始めた頃には女性が追いついて、3人へ等しくゲンコツを見舞った音がした。
「領主様、この子たちが申し訳ありません」
いいえ、とマグタレーナは首を振る。
彼女に駆け寄ってきた子たちは皆、孤児院に身を寄せる子供だ。他にも小さな子は沢山いて、大きくなった子は早速領地の整備を手伝っている。とはいえ、まだ子供の体ではあるのだから簡単な仕事ばかりだろうが。
と、そこへ折良く整備を手伝っていた孤児と領民の会話が聞こえて。
「おうボウズ! 休憩なら剣を教えてやろう!」
「休ませろよジジイ!! こっちはヘトヘトだよ!!!」
……簡単な仕事ばかりだろう、か?
確かガラクタの撤去などもあったはず。もしかしてアレを手伝ったのだろうか。しかし――何はともあれ、孤児と領民が仲良さそうで何より、としておこう。場所によっては、孤児が迫害に遭うところもあるというから。
抱っこをせがまれたマグタレーナが少女の体を抱え上げると、ずっしり重い。良いことだと思いながら、マグタレーナの意識はふと遠い、とても遠い過去に飛ぶ。
あれはどのくらい前だっただろうか。伴侶である不死王が輪廻に入ったあと。出てくるまでを待つ、途方もない時間。待ち続けることは覚悟の上、だけれども。
――待ち続けるだけというのは、ひどく時間を持て余すのだ。
だからマグタレーナは戦乱で荒れ果てた地で――そう、この古戦場だった場所に少し似ていた。こんな場所で、次代を担える子供たちを育て始めたのだ。
とはいえ、今の方があの時よりも楽をしているとは思う。孤児院は元々あったし、人手も少なくない。外敵に警戒しなければならない状況ではあるものの、イレギュラーズという頼もしい仲間の縁もある。
(次に作ったのは……学校でしたか)
この領地でも作る価値はあるだろう。孤児や一般家庭の子供が共に過ごす場であり、世界を知るための場であり、未来の選択肢を増やしていく場なのだから。
ふと、抱き上げた子がもぞもぞ動いていることに気づいてマグタレーナは現実へ戻ってくる。なんだか懐かしくなってしまったみたい。
孤児院を訪れたマグタレーナが『母と呼んで良いのですよ』と教えたことで、すっかり孤児たちはマグタレーナを母と呼び慕っていた。そんなところも昔を思い出してしまう要因なのかもしれない。
「おかあさん、"ひみつのばしょ"に連れて行ってあげる!」
「リゥーシュ、領主様を危ないところへ連れて行っちゃいけないよ!」
「あぶなくないよ!」
「でもシスターはだめ!」
「「ねーっ」」
少年を庇ったちびっ子たち、先ほどまでケンカしていたはずなのだが異口同音に顔を見合わせる。おやおやと顔を見合わせたシスターとマグタレーナだったが、マグタレーナは小さく微笑んだ。
「大丈夫です」
「そうですか?」
「ええ」
頷いたマグタレーナの手を引くちびっ子たち。リゥーシュと呼ばれた少年がこっちだよ、と声で示す。
自らの手を引くそれは、やがて自分のものより大きくなってしまうのかもしれない。
下から聞こえてくる声も、やがて上から聞こえるようになるのかもしれない。
走るその足は、成長して――いつしか老いて、自分をおいていく。
マグタレーナはそれらを知っている。また知ることになる。けれど、そのための"今"を後悔などしないだろう。
「こっち、こっち!」
はしゃぐ姿は見えないけれど、その声はキラキラと煌めいている。早く来てほしいのだと急かす気持ちと、見えないマグタレーナを気遣う気持ちがよく見えて、マグタレーナはくすりと笑った。
「はい、今行きますよ」
どうか、彼らの日々が輝きに包まれていますように。どうか――再びこの場所が、戦場となりませんように。