PandoraPartyProject

SS詳細

初対面の男にマウントを取るつもりは無かった話

登場人物一覧

松元 聖霊(p3p008208)
それでも前へ
嘉六の関係者
→ イラスト
嘉六(p3p010174)
のんべんだらり

「聖霊、相談に乗ってもらえないか」

 柄にもなく真面目な顔で嘉六が聖霊に言ったので、聖霊は午後の予定をキャンセルし練達にある喫茶店へ嘉六を連れてきた。いらっしゃいませと笑顔を見せるウェイトレスに人数を告げて、奥の席へと案内してもらう。彼女は慣れた様子でグラスを運んできて机の上に置いた。店内には少し離れた席に青年が一人座っているだけで静かだ。相談に乗るにはうってつけの環境である。
「珈琲でいいか?」
「ああ」
 短い返事だったがその声はどこか落ち込んでいて、聖霊は重症だなと思いつつ嘉六の言葉を待った。悩みを持つ友人患者に接する時は焦らせてはいけない。
「自分でもアホらしい悩みだとは思うんだが」
「悩みにアホとかあるかよ。絶対に馬鹿にしねぇから話してみな」
 その言葉に安堵したのか、聖霊を一瞬見た後、短く溜息をついた嘉六は置かれたグラスに手を伸ばし、口をつける。程よく冷やされた水が喉を潤し、痞えがとれたように嘉六は本題を切り出した。

「実はよ、ちょっと……とある奴になんつーのかな、執着? されててな」
「執着?」
 頷いた嘉六に聖霊は思い返していた。そういや先日こいつ腹に包丁刺さった状態でやってきたなと。何回目だこれと説教しながら手術をしたばかりである。
 パニックになって泣きながら彼を運んできたのは黒い髪に紅い口紅が良く似合っているプライドの高そうな女性だったと記憶している。
 警察を呼んでくれと懇願する彼女に嘉六は気にするなと笑って返していたのだが。

「あの時の女性か?」
「違う違う、その娘じゃない」
 違ったらしい。女絡みでないとなると、やはり嘉六の大好きなアレ··だろうか。
「……あれ程賭けは程々にって」
「違うっての! 聖霊、お前俺のことなんだと思ってんだ」
「酒と女と賭博が好きな狐」
「……否定できねぇ、できねぇが今回は違う」
 極めて正確な評価に若干目を逸らしながらも、嘉六は続けた。

「そいつは俺が数年前に偶々。本当に偶々、助けたガキなんだけどな。まぁ、ガキと言ってもニ十歳はたちなんだが。
 それ以来俺を慕ってるんだろうが、そいつがしてくる行動の意味がよく分からなくてな」
 もう何度目かわからない溜息を嘉六はついた。ウエイトレスがお待たせしましたと持ってきた珈琲を受け取り、片手でありがとよと返す程度の元気はあったが、やはりその顔は暗い。
 角砂糖を黒い液体に落としてぐるぐる回せば真白の無垢な塊はあっという間に染められて溶けてカップの底へと沈んでいった。嘉六の気分の様だった。
 それをぼんやり見届けて嘉六は聖霊に問う。
「なあ、どうすりゃいいと思う?」
「どうすりゃいいって、お前はそいつのことどうしたいんだよ。それによって答えは変わるが」
「……意味のわからねぇことをやめてほしいとは思う」
「じゃあそのまま言えば良いじゃねえか」
「素直にそれでやめてりゃお前に相談してねぇよ」
 今日一番の大きな溜息をついた嘉六は賭けに大負けしたときくらいどんより曇っていて、流石に聖霊も可哀想になってきた。
 さて、この哀れな友人になんと助言をしてやればよいのか。
 とりあえず労いの意味も込めてぽんぽんと頭を撫でてやった時だった。

 ガタンっっ。

 大きな音がしたと思ったら別の席に座っていた一人の青年が勢いよく立ち上がっていた。
 ズカズカと迷いなく一直線に嘉六と聖霊の席へ歩いてきた彼は断りもなしに嘉六の隣の椅子へとドカリと腰を下ろし、ウエイトレスに乱暴に声を掛けた青年は水を要求した。
「随分楽しそうに俺の話してるじゃないですか」
「げぇっ!」
 その青年の顔を確認し、ぶわりと尻尾を逆立てた嘉六は、慌ててテーブルの下を潜って聖霊の隣に逃げた。
『彼が?』
 聖霊が目線で嘉六に問えば、コクコクと子供の様に頷いた。
 身長は聖霊と同じくらい、年齢は二十歳と聞いていた通りその面影はまだ少年のあどけなさを残している。詰まらなさそうに、むっすりと一文字に結ばれた口を見るに割と感情が表に出るタイプなのだろう。聖霊が冷静に分析していると、頑なに結ばれていた形の良い唇が漸く開かれた。
「大体あんた誰ですか。嘉六さんのなんなんですか」
「お前、初対面の人間に向かってそんな口の利き方するから喧嘩に巻き込まれんだよ」
「まぁまぁ、いいじゃねぇか嘉六。松元聖霊、医者をやってる魔法使いだ。嘉六とは友達。お前は?」
 睨み付けてくる黄水晶シトリンの瞳をものともせず、聖霊は青年に名を尋ねた。
「……暮石・仄」
「仄か、よろしくな」
「馴れ馴れしくしないでもらっていいですか?」
「お前なあ……」
 太々しい仄の態度に嘉六は頭を抱えた。嘉六を悩ませている要因の一つがこれである。
 こんな男の何処がいいのかさっぱり判らないが、仄は自分に親しくする者に当たりが強い。今はまだマシだが、何を口走るかわかったもんじゃない。
「悪りぃな聖霊。悪い奴じゃねぇんだが……」
「気にしてねぇよ、嘉六」
 ひそ、と嘉六が聖霊の長い耳に口元を寄せる。
「友達にしては距離近くないですか?」
「気の所為だっての」
 聖霊と嘉六がやり取りするたびに、仄は眉間にどんどん深い皺を刻み込む。成る程、嘉六が苦手そうなタイプである。
 女性経験は豊富な嘉六だが、歳下とはいえ同性に恋慕なんだか執着なんだかわからない感情を向けられて、対処方法がわからない、と言ったところだろう。

「俺らはいつもこんな感じだよ」
 聖霊からすれば、なんてことない一言だった。
「……いつも?」
(あっ、これヤベェ奴)
 この流れはマズイ、具体的にどうマズイのかと言われれば返答に困るがとにかくマズイ。答えは三秒後にわかる。
「いつもってどういうことですか?!」
 仄が再度勢いよく立ち上がった為、テーブルが大きく揺れガチャンと派手な音が鳴った。
「さっきも嘉六さんの頭撫でてましたよね? 俺なんか触ろうとしたら嫌がられるのに!!」
「だってお前鼻血出すわ、目が血走ってるわで怖いんだよ」
「まぁまぁ、落ち着いてくれよ。別に他意はねぇよ、手癖みてぇなもんだ」
「手癖なんかで嘉六さんの頭撫でないでくださいよ遊びじゃないんですよこっちは」
 噺家も舌を巻くほどの活舌の良さで、大真面目に彼は言っている。
 今にも聖霊に掴みかかりそうな仄を嘉六が頭痛を覚えながらも宥めると、仄は渋々といった様子で椅子に座り直し氷が半分ほど溶けかかっているグラスを一気に煽った。
 冷たい水で頭が冷えたのか、仄は改めて聖霊を不満げに睨みつけた。
「……本当にただの友達なんですね?」
「ああ、本当にただの友達だよ。まぁ、時々薬の治験に付き合ってもらったりするけどな」
「薬の治験?」
 首を傾げた仄は脳内でどういうことだろうかとシミュレーションし始めた。
『身体が、熱い……』
『仄、助けて、くれ……ッ』
 (脳内の)嘉六は着物を乱れさせ、紅潮した頬と潤んだ瞳で切なげに此方を呼んでいる。
 途端に形の良い鼻からボタボタ垂れ始めた真っ赤な血――。
「おい、鼻血! 鼻血出てんぞ!」
 慌てて聖霊がティッシュを取り出し仄の鼻の穴に詰め込んで止血する。鼻を摘まんで下を向いていろという指示に意外にも仄は素直に従った。
(なんだ、ちゃんと俺以外の言うことも聞くんじゃねぇか)
「すみません。さすがに鼻血垂れ流して嘉六さん怖がらせたくないんで」
 いや、俺は既にお前が怖いが。
 すこし見直し掛けたというのに、仄はブレていなかった。結局彼の世界は仄と嘉六中心に廻っているのだ。
「まぁ、机も服も汚れちまうしな。そういや、嘉六。お前本当にこないだの薬利いてたんだろうな?」
「だーかーら、利いてたってんだろ! 大体お前惚れ薬なんざ依頼でも作んなよな」
「……惚れ薬?」
 地を這うような低い声だった。その声の温度から嘉六は、まさに『藪をつついて蛇を出す』とはこういうことを言うのだなあ、と自分の失言を憂いた。
 そして友人の失言を失言と思っていない聖霊が事細かに当時の事を語りだす。
「そうそう。なのに、飲んだ後から急にこっちの顔見ようとしねぇし、なんかいつもと違って小学生みたいな悪口言うし……かといって遠くの方で俺のことずっと見てるしよ」
 普段余裕綽々で女性を口説いている癖に、本命には目も合わせられなくなるくらい純情な青年。
 それが嘉六という男なのだが、恋愛経験の無い聖霊にはそれがわからなかった。そして仄はそんな嘉六を当たり前だが見た事が無い。
 自分の知らない嘉六の一面が、今日初めて会った男の口からつらつら暴露されていく。折角落ち着いていた嫉妬の炎が再び燃え上がった。
 虎の尾を踏んだのは狐だが、青ざめた狐を他所に蛇がどんどん(煽りと思わずに)煽っていく。
「お前もあのゲームしたかったのか?」
「違うっての! あんな変態じみたことできるか!」
「嘉六さんに変態みたいなことされかけたんですか!?」
「してねぇつってんだろダァホ!!!」
 顔に羨ましいとデカデカ書いてある仄に自分の名誉を守るために小学生じみた語彙の無さで嘉六は反論した。
 大体あれは不可抗力なのであって、決して自分が変態なわけでは無い。そもそもあのゲームをすぐにOK出した聖霊もどうかしていると思うんだ。
 思わず吐き出し掛けた言葉は嘉六の喉の辺りまでせりあがって、すんでのところで胸の中へ落ちていった。余計なことは言わないに限る。
「嘉六さん、今すぐ俺とそのゲームしましょう。いくらでも変態みたいなことしていいですから」
「するわけねぇだろ」
 鼻に詰めたティッシュがまた深紅に染まって使い物にならなくなったので、仄は再度新しいティッシュを鼻に詰め直した。
 興奮しては鼻血を出し、収まっては憤慨し、憤慨しては興奮して鼻血を出す。
 余りにも地獄めいた無限ループに陥った仄を嘉六はなんなんだろうこいつという目で見ていた。
「あの後からお前暫く俺んち泊まらなくなったよな」
「できるわけねぇだろ。気まずすぎるわ」
「嘉六さんと……お泊り……?」
 そこだけピックアップしてんじゃねぇよ。お前の耳どうなってんだ。嘉六は思った。
 ぱちくりと男の癖に無駄に長い睫毛を上下させた後、聖霊はああと仄にまた事細かに話し出したマウントを取りはじめた。 
「こいつベロベロになるまで飲むだろ? だから毎回俺が連れ帰って家に泊めてるんだよ。なんなら泊めてくれって来ることあるし俺の服貸してくれって言うときも――」
「俺と飲みに行ったときは全然飲まない癖に!? 泊めてくれ!? 俺の服!?!?」
 ポンポン放たれる高威力のパワーワード。この男は自分に爆弾を降り注いでいるのか。宛ら空襲を仕掛ける戦闘機の様に。
 尤もその戦闘機に例えられた男は意外だと言わんばかりに目を真ん丸くしているが。
「えっ、そうなのか? お前、俺と飲みに行くときもセーブしろよ」
(だって何されるかわかったもんじゃねぇし)
 普段でさえ抜け毛集めるわ、尻尾でビンタ要求するわ。訳の分からないことを言っているのに泥酔して無防備な姿など晒せる訳がない。絶対に。
 心の底から叫びたかった嘉六だが、その言葉に仄がどんなリアクションをするか想像したら怖くてとても言えなかった。
 だから頼む聖霊、それ以上仄を刺激しないでくれと切に祈ったが、聖霊の無自覚マウントはまだ続く。
「あ、でも変化溶けて俺の腕の中で大人しくしてるのは可愛いな。後運びやすくて助かる、モフモフで温いし」
「俺の? 腕の中で??」
 仄の圧に耐え切れなかったグラスにピシリと罅が入る。あとで弁償させねば。いくらするんだろうあれ。余裕で払うんだろうなコイツ。万年金欠の身からすると腹立つな。
 嘉六は遠い目で現実から目を背ける事しかできなかった。心なしかさっきの可愛いウエイトレスが冷たい目で睨みつけてきているような気がする。哀しい。
「俺には抱かせてくれないのに、他の男には抱かせるんですか?」
「言い方に悪意がありすぎる」
 もうちょい言い方ってもんがあるだろと言いたかったが、仄の瞳が『ガチ』だったので何も言えなかった。
「でな? こいつ絶対俺のベッドの真ん中に寝るんだよ。どかしても、どかしても絶対俺のベッドの真ん中で爆睡。仕方ねぇから諦めて俺も寝るんだけどな」
「同衾するってコト……?」
「言い方に悪意がありすぎる」
 仄の脳内ではどんな映像に変換されているんだ。若干覗いてみたい気持ちに嘉六は駆られたが正気度が下がる気しかしなかったので、同じ言葉を繰り返すだけに留めた。
 聖霊が言葉を発する度に憤死メーターが上がっていく仄に、さらに聖霊は追い打ちを(かけるつもりは一切ないが)かける。
「でも朝はちゃんと起きるんだ。ふっと、いい匂いがして目が覚めたら朝飯作ってくれてるんだよ。味噌汁が美味いんだ」
 嘉六は絶対に朝飯を欠かさない。どれだけ泥酔してようが、女性にきつい一発を貰おうが絶対に朝飯だけは食べる。
 気だるげな雰囲気を紫煙と共に燻らせ、纏う色男だが味噌汁に入れる葱を切っている時は面倒だと思わない様だった。
「そういう聖霊は意外と眠そうな顔して起きてくるよな。意外と寝起きの顔は幼いんだぞお前」
「あー? 年上揶揄うんじゃねぇぞ」
「みそしる……? かろくさんの、てりょうり……?」
 仄には理解できなかった。
 予約一年待ちの高級なフレンチディナーだとか、百グラム何万円の高級肉だとか。世界的に有名なパティシエが手掛けた極上スイーツだとか。
 そんな薄っぺらいものよりずっと尊くて土下座してでも食べたい料理、それが嘉六の手料理である。それを、目の前の幻想種の男は当たり前のように食べている。
 昔読んだ少女漫画で羨ましさの余り、真っ白なハンカチーフを涙ながらに食いしばっている描写があったが、成程、存外に的を得ているらしい。
 事実、此処にハンカチーフがあったなら無残に食いちぎられたハンカチーフの残骸が散らばっていたに違いない。

「なぁ、大丈夫か?」
「誰の所為だと思っているんですかお前の所為ですよ」
「えっ、なんか俺酷いこと言ったか? ごめんな? まさか泣いちまうなんて思わなくてよ」
「泣いてません」
 何が気に障ったのかは分からないが、何かしら彼の矜持を傷つけてしまったのであろうことは判った為聖霊は謝った。
 ずび、と鼻血が止まった代わりに赤くなった鼻を啜り、仄はもう一度水を一口含む。塩なんて入ってない筈なのに何故か水はしょっぱく感じた。
 コクンと小さく喉を鳴らして仄は嘉六に視線を向けた。
「……もう一度確認しときますけど、ほんっっっとうにただの友達なんですね?」
「さっきからそうだって言ってんだろ。いちいち大袈裟に考え過ぎなんだよお前は」
「運命の人に他の男の影チラついてたら、いろいろ疑うでしょ」
 きょとんと目を丸くしてさも当たり前だと言わんばかりに『運命の人』などとのたまう仄にとうとう嘉六は盛大に顔を机に打ち付けた。無敵か、無敵なのかこの男は。
 嘉六がばっさり切り捨てるのは可哀想だからと言葉を選べば都合よく解釈し、心を鬼にしてぴしゃりと言い放てば首を傾げる。
「駄目だコイツ早く何とかしねぇと」
 思わず口から率直な意見がまろびでた。ぱっと仄が顔を上げる。
「あっ、それ大分昔に流行ったネットミームですよね。嘉六さん知ってたんですね」
 新たな嘉六の一面を見れたことが嬉しかったのか、いそいそとバッグから取り出した高級なシステム手帳に、これまた書き味抜群の高級なボールペンでさらさら描き込んでいく。
 鼻歌交じりに描き込んでいる様は、可愛らしいがそこに書き込まれているのはこんな三十路の狐じぶんのどうでもいい情報ばかりである。そう考えると嘉六は背中に悪寒が走ることを止められなかった。
 だが、せっかく上を向いた仄の機嫌は、カレンダーが目に付いて聖霊が「あっ」とナニカを思い出した所為でどん底へ突き落されることになる。

「あっ、そうだ。嘉六、シャイネンナハトの店だけど去年と同じ店でいいか?」
「――しゃいねん、なは、と……?」
 しかも、去年と同じ店······ということは去年も二人はシャイネンナハトを一緒に過ごしているという事ではないか。
 一年の内、たった一日だけ世界が争いをやめ、聖夜に想いを馳せる日。それが輝かんばかりのこの夜にシャイネンナハトである。
 あと一か月を切ったその日を、例にもれず仄も(嘉六と過ごす事を)楽しみにしており、あれこれ(脳内で)予定を(勝手に)立てていた。
 だというのに、聖霊は自分より先に嘉六を誘っていたのだ。
 それをよりにもよって自分の前で、口に出して確認した。
 
「聖霊。今思い出すなよ……おい、仄。勘違いする前に言っとくが、あと一人居るから――」
 嘉六のフォローも、衝撃の余り思考回路がショートした仄には届かない。
 
 プツン。
 
 ギリギリまで耐えていた仄の憤死ゲージがとうとう振り切れ、目の前が真っ赤になった仄は椅子ごと後ろに倒れてしまった。
 口、鼻、目。ありとあらゆる穴から血が噴き出し、痙攣までしだした仄に慌てて聖霊は駆け寄った。
「仄!? 大変だ、何故か極度の興奮状態になって血圧がヤベェくらい上昇してる! 嘉六すぐに手当てすんぞ、運ぶの手伝え!」
「えぇ~~……?」

 数分後、通報を受けやってきた救急車に運び込まれる仄を見送り嘉六は思った。
 やっぱりあいつ、怖い――。

  • 初対面の男にマウントを取るつもりは無かった話完了
  • NM名
  • 種別SS
  • 納品日2022年11月28日
  • ・松元 聖霊(p3p008208
    ・嘉六(p3p010174
    嘉六の関係者
    ※ おまけSS『初対面の男にマウントを取られて気を失った話』付き

おまけSS『初対面の男にマウントを取られて気を失った話』

 馴染みの喫茶店で俺はいつもの様にノートパソコンを開いて、仕事をしていた。
 取引先からのメールをチェックし、適宜返信を返していく。この世界は情報がすべてだ。
 どんな兵器だって情報が無ければただの鉄屑と化すし、一つの誤った情報が波紋の様に広がって一つの国が亡ぶことだってある。
 故に、情報とは高く売れる。
 喧嘩の才能にはこれっぽちも恵まれなかった俺だが、神様というのは俺の能力パラメータを”金儲けの才能スキル”とやらに全振りしたようで、情報を商材とした自分の商いは瞬く間に軌道に乗り、まるで攻略方法を知り尽くしたシミュレーションゲームの様にうまくいった。とはいえ、豪邸を買ったり高級車を買い漁ったり、熱心に貴重なものを収集するといった金のかかる趣味も無かったので金は溜まる一方である。銀行口座に入っている零の数はあんまりにも並びすぎて数えるのを止めてしまった。
 そんな俺だが、唯一金に糸目をつけない物……いや、人がいる。
 その人は人生に嫌気がさして、馬鹿ばっかりしていたツケが回ってきた俺を助けてくれた救世主メシアで、運命の人と言っても差支えが無い。
 仕事を終えた俺は、ノートパソコンを閉じてタブレット端末を鞄から取り出した。
 電源を入れ、メーカーのロゴマークが浮かび上がった後、使いやすい様にカスタマイズしたホーム画面が出てくる。
 壁紙に設定しているは運命の人の横顔に、頬が緩みそうになるのを堪えつつショッピングサイトを開く。
「これとこれと……ああ、これも似合いそうだな、うん」
 値段など見ずにその人に似あいそうだと思ったものを片っ端からカートに入れていく。
 あの人は素晴らしい人ではあるが、お金にはだらしがなくて、しょっちゅう金欠だと嘆いて引っ掛けた女を頼っている。
「全く、女に頼るなんて情けない……俺に言えばいくらでも出すのに」
 なんなら彼一人養うくらい訳は無い。ああ、でも今の家は二人で住むにはやや手狭か。
 都内のタワーマンションに引っ越してもいいし、煙管の似合う彼に合わせて古風な日本庭園付きの屋敷を買ってもいい。田舎はちょっと不便だが彼が望むなら構わない。
 その時に備えて物件でも見てみるか。そう思って検索窓に文字を打ち込もうとした時だった。

「いらっしゃいませ」
 ウエイトレスの声が店内に響いた。この時間に自分以外の客とは珍しい。この店は小さく、あんまり人が来ないところが気に入っているのだが。
 仕事も終わったしそろそろ店を出るか。席を立とうとした俺はその人···の顔を見て固まった。
(か、嘉六さん……!?)
 そう、嘉六さん。俺が唯一心を明け渡してもいいと思える運命の人。
 なんてツイているんだろう。まさか、こんなところで嘉六さんと過ごせるだなんて。
 有頂天になっていた俺は、彼の隣の全身真っ白な幻想種ハーモニアの存在に気が付きうえ、とうめき声をあげた。
 顔は中性的で線は細いが、アレは男だ。女好きな嘉六さんにしては珍しい同行者である。アレは誰なんだ、脳内の嘉六さんの知人フォルダを開けて探してみたが情報は見つからない。
 完全に初対面である。まさかその容姿を悪用して嘉六さんに変な事する気じゃないだろうな。
 様子を伺うべく、目はタブレットに向けたまま耳を嘉六さんともう一人の話に傾ける。
 二人は俺に気づいていないのか、珈琲を注文した後に話始めた。

「自分でもアホらしい悩みだとは思うんだが」
「悩みにアホとかあるかよ。絶対に馬鹿にしねぇから話してみな」
 嘉六さんが相談を胃持ち掛ける相手、つまりそれなりに信頼している相手という事だ。
 カタカタとタブレットのメモアプリを起動し、得た情報を入力していく。それにしても悩みなら俺に相談すればいいのに。
「実はよ、ちょっと……とある奴になんつーのかな、執着? されててな」
「執着?」
 は? 誰だそいつ。嘉六さん悩ませるぐらいの執着という事はきっと悪質なストーカーに違いない。
 嘉六さんの甘い声に釣られたどっかの馬鹿女だろう。場合によっては潰すことも視野に入れなければ。

「あの時の女性か?」
「違う違う、その娘じゃない」
 誰だよその女、という古いドラマの修羅場の様な台詞を吐きかけたのを堪える。何気に女には「そのこ」って柔らかな言い方をするのは如何なものか。
 だが、女じゃないとなると男か。ますます気に入らない。
「……あれ程賭けは程々にって」
「違うっての! 聖霊、お前俺のことなんだと思ってんだ」
「酒と女と賭博が好きな狐」
 白髪の男の評価にうんうんと俺は頷いた。それは完全に同意だ。だが、俺以外に嘉六さんを理解しているという事がやはり気に入らない。
「……否定できねぇ、できねぇが今回は違う」
 女でもない、賭け事絡みでもない。となると完全にプライベートで嘉六さんに執着している男がいるという事か。
 ますます自分に相談しない意味が分からない。真相を探るため俺は嘉六さんの言葉を待つ。
「そいつは俺が数年前に偶々。本当に偶々、助けたガキなんだけどな。まぁ、ガキと言っても二十歳なんだが。
 それ以来俺を慕ってるんだろうが、そいつがしてくる行動の意味がよく分からなくてな」
 ……うん? 数年前に助けた二十歳の嘉六さんを慕う男?
 漫画とかでよく見るストーカー男なら「俺が守ってあげないと」なんて的外れな正義感に駆られるのだろうが、俺はそこまで都合のいい男ではなかったので嘉六さんの言っていた男が自分の事だと気が付いた。成程、悩みの種が自分ならばそりゃ張本人に相談するはずがない。思わず舌打ちが漏れ、慌てて自分の口を塞いだが幸い二人には気づかれていない様だった。
「なあ、どうすりゃいいと思う?」
「どうすりゃいいって、お前はそいつのことどうしたいんだよ。それによって答えは変わるが」
 肩眉を上げた白髪の男が嘉六さんに逆に問いかける。俺は緊張して、酷く喉が渇いて水の入ったグラスに手を伸ばした。
「……意味のわからねぇことをやめてほしいとは思う」
「じゃあそのまま言えば良いじゃねえか」
「素直にそれでやめてりゃお前に相談してねぇよ」
 意味の分からないこととは何だろうか。自覚は無いが、言ってくれれば止める程度の常識は弁えているつもりだが。
 床に散らばった抜け毛を拾い集めた事か? あの柔らかい尻尾でビンタをお願いした事か? それともこないだ脛毛を剃らせてもらったことだろうか?
 だがどれも尊敬している人に対して人間種カオスシード が持っている当たり前の感情から来る行動じゃないのか?
 本気で判らない。もう少し推理力に能力値を振ってほしかった。
 
 うんうん俺が唸って腕を組んでいると白髪の男が嘉六さんの頭に手を伸ばし、そのままふわふわの髪を撫でた。
 嘉六さんの、頭を、撫でた。 

 ガタンっっ。

 ああ、やってしまった。
 なんて後悔は一瞬で過ぎ去り只管二人の元へ向かえと脳が脚に指令を出した。
 苛立ちが隠せない足音はどんどん早くなって、嘉六さんの隣目的地に到着し即座に椅子を引いて腰を下ろした。
「随分楽しそうに俺の話してるじゃないですか」
「げぇっ!」
 なんだよ、げぇって。俺は化け物か何かか? 文字通り尻尾を巻いた嘉六さんはテーブルの下を通り白髪の男の隣へ逃げた。
 白髪の男が俺を一瞬見た後、嘉六さんに振り返る。嘉六さんは何度も頷いていたから多分『例の男か?』とか聞いたんだろう。
 じっとこっちを見てくる紫水晶アメジストみたいな瞳は聡明そうな印象を覚えるが、その無駄に整った顔つきに嘉六さんの好みのタイプなんだろうか、と勘繰ってしまう。
 そもそもコイツは嘉六さんとどんな関係なんだ。
「大体あんた誰ですか。嘉六さんのなんなんですか」
「お前、初対面の人間に向かってそんな口の利き方するから喧嘩に巻き込まれんだよ」
 嘉六さんが小言を言ってくるが俺にとっては初対面なんか関係ない。嘉六さんと関係を持っているというだけで要注意人物なのだから。
「まぁまぁ、いいじゃねぇか嘉六。松元聖霊、医者をやってる魔法使いだ。嘉六とは友達。お前は?」
 俺の態度を意に介すこともなく、男は『松元聖霊』と名乗った。幻想種で漢字の名前とは珍しい。
 そういえば嘉六さんが『俺の友達ダチに腕のいい医者がいてな』と話していたことがある。松元さんがその友達ダチなんだろう。
 脳内にあった僅かな情報をアップデートしてから、名乗らないのも変だと思い俺は松元さんへと名乗った。
「……暮石・仄」
「仄か、よろしくな」
「馴れ馴れしくしないでもらっていいですか?」
 嘉六さん以外に名前を気安く呼ばれたくない。言外にそう含めば嘉六さんには伝わったのか「お前なあ……」とまた小言を言われた。
「悪りぃな聖霊。悪い奴じゃねぇんだが……」
「気にしてねぇよ、嘉六」
 ひそひそと嘉六さんが松元さんの幻想種特有の長い耳に唇を寄せる。幻想種は耳が弱いと昔何処かの本で読んだ気がするが、嘉六に躊躇いなく差し出しているあたり松元さんも嘉六さんに信頼を寄せているのだろう。
(いや、それにしても距離が近すぎないか?)
 そう問えば嘉六さんから「気の所為だ」と反論が飛んできた。しかし自分でも疑り深いと自覚している俺は眉間に皺が寄ることを止められそうになかった。
「俺らはいつもこんな感じだよ」
 いつもこんな感じだよ。松元さんが気にすることは無いという風に言った。
……。
…………。
…………い つ も こ ん な か ん じ だ よ。

「いつもってどういうことですか?!」
 思わず机をバンとたたきつけて、勢いよく立ち上がってしまった。いつも、いつもってなんなんだ!? いつもあんな距離近いってことか!?
 しかもしかもしかも!! この男は!!
「さっきも嘉六さんの頭撫でてましたよね? 俺なんか触ろうとしたら嫌がられるのに!!」
「だってお前鼻血出すわ、目が血走ってるわで怖いんだよ」
 嘉六さんがなんか言ってるけど、俺の興奮は冷めやらない。
「まぁまぁ、落ち着いてくれよ。別に他意はねぇよ、手癖みてぇなもんだ」
「手癖なんかで嘉六さんの頭撫でないでくださいよ遊びじゃないんですよこっちは」
 真剣なんだよこっちは常に嘉六さんのこと考えてんだよわかるか松元聖霊!!
 怒鳴ってやりたかったが嘉六さんがどうどうと宥めてきたので、今度は隠す気もないデカい舌打ちをして俺は渋々椅子に座る。
 八つ当たり気味に手に取ったグラスを一気に煽って血が昇った頭を無理やり冷やし、松元さん……いや、松元を睨みつける。
「……本当にただの友達なんですね?」
「ああ、本当にただの友達だよ。まぁ、時々薬の治験に付き合ってもらったりするけどな」
「薬の治験?」
 普通友達にやらせるか? と思ったが、嘉六さんはよく賭けで撒けて金欠になっているしアルバイト感覚でやってるのかもしれない。それにしても薬、薬か。
 もし俺が医者で、嘉六さんに治験に協力してもらったら――。
『身体が、熱い……』
『仄、助けて、くれ……ッ』
 着物を乱れさせて、生娘みたいに染まった頬と涙で溶けた柘榴石ガーネットみたいな紅い瞳で俺を見上げてきて――。
「おい、鼻血! 鼻血出てんぞ!」
 そこまで、妄想していたところで松元が焦った声で俺は現実に引き戻された。もうちょっと夢見させろよ、気が利かねぇな。
 だが鼻血を垂れ流して嘉六さんを怖がらせるのも、アレなので大人しく松元のいう事を従いティッシュを丸めて鼻に詰めた。ダサい恰好だとは思うが背に腹は代えられない。
 これだけ敵意を向けられているのに、血が止まって安堵したような笑みを浮かべている松元は確かに医者として優秀なんだろう。
「まぁ、机も服も汚れちまうしな。そういや、嘉六。お前本当にこないだの薬利いてたんだろうな?」
「だーかーら、利いてたってんだろ! 大体お前惚れ薬なんざ依頼でも作んなよな」
「……惚れ薬?」
 俺自身びっくりするくらい低い声が出た。てっきり風邪薬だとか胃腸薬みたいな治験だと思っていたのにそんな夢物語みたいな薬だったのか。
 そしてそれを嘉六さんは飲んだらしい。聞いても居ないのに、松元は楽しそうにその時のことを話し出した。
「そうそう。なのに、飲んだ後から急にこっちの顔見ようとしねぇし、なんかいつもと違って小学生みたいな悪口言うし……かといって遠くの方で俺のことずっと見てるしよ」
 どう考えても好意を向けられている。嘉六さんからの好意を、薬の一時的な物とはいえど向けられているのに松元この男は全く気付いていない。アホなのか、超が付くほどの鈍感なのか。
 この際どちらでもよいが、どちらにせよ俺の嫉妬がヤバイことには変わらない。
 自分に好意を向けてほしい、というよりも俺ですら見た事の無い嘉六さんの純情な一面をこの男はみたという嫉妬だ。
 だって運命の人の事は何でも知っていたいじゃないか。俺の感情なんか露ほどにも気にしていない松元は燃え盛る日に笑顔で油を注いでいく。
「お前もあのゲームしたかったのか?」
「違うっての! あんな変態じみたことできるか!」
「嘉六さんに変態みたいなことされかけたんですか!?」
「してねぇつってんだろダァホ!!!」
 変態じみたゲームってなんだ!! やっぱりただの友達じゃないだろお前!!
 嘉六さんの反応からして、本当に何もなかったんだろうが変態じみたゲーム……!
 流石に俺だってあんなことやそんなことされるのは男である以上。矜持ってものがあるし真っ平ごめんだ。
 いやまあ嘉六さんならいいかもしれない。というか他の奴に仕掛けるくらいなら俺にしてほしい。
『仄……いいよな?』
『また、罰ゲームだな。ほら、こっち向けよ』
 ……多分嘉六さんはこんなこと言わない、言わないが悪くは無い。
「嘉六さん、今すぐ俺とそのゲームしましょう。いくらでも変態みたいなことしていいですから」
「するわけねぇだろ」
 また鼻血が出てきてしまったので、新しいティッシュと取り換える。この短時間でこれだけのティッシュを消費したのは初めてかもしれない。
 嘉六さんが何か言いたげな目線を寄越していたが、その目線も凄く、イイ。
 だが、悦に浸っていたらやっぱり松元が笑顔で油を浴びせかけてくる。
「あの後からお前暫く俺んち泊まらなくなったよな」
「できるわけねぇだろ。気まずすぎるわ」
「嘉六さんと……お泊り……?」
 宇宙が見えた。文字としては理解できるが意味として理解できない。嘉六さんとお泊り、そんな魅力的なプランがあっていいのか。勿論いい。
 唯一つそのプランが松元が経験済みという点さえ除けばの話だが。
「こいつベロベロになるまで飲むだろ? だから毎回俺が連れ帰って家に泊めてるんだよ。なんなら泊めてくれって来ることあるし俺の服貸してくれって言うときも――」
「俺と飲みに行ったときは全然飲まない癖に!? 泊めてくれ!? 俺の服!?!?」
 ???????????????????????
 凄いな、頭の中にこんなにクエスチョンマークが浮かぶことってあるんだな。初体験だ。こんなことで消費したくなかったな。
 一つ『ベロベロになるまで飲むだろ?』
 二つ『泊めてくれって来ることある』
 三つ『俺の服貸してくれって言う』
 華麗なスリーヒット、こっちのKO負け。無理ゲーである。なんだこの男、今のセリフの中にどれだけ殺傷能力の高いワードを詰め込んできたんだ。
 怪我を直すお医者様ドクターどころか明確に急所を狙って仕留めてくる暗殺者様アサシンではないか。いやいっそ『戦闘機です。空から爆弾をばらまきます』と言ってもらえた方がまだ納得できる。空襲はまだまだ続く。防空壕の中に引きこもらせてくれやしない。
「あ、でも変化溶けて俺の腕の中で大人しくしてるのは可愛いな。後運びやすくて助かる、モフモフで温いし」
「俺の? 腕の中で??」
 いますぐその権利を売ってほしい。金ならある。ここまで来たら一周回ってそのポジションを譲ってほしい。何度も言うが金ならあるんだ。
 でも金で買った友人ポジションは虚しいだけだな、うん。という僅かな理性と、既成事実優先だろという欲望がなんか頭の中で戦争を始めた。これも全部松元の所為だ。
 気づいたら強く握りしめてたグラスに罅が入った。火事場の馬鹿力ならぬ憤慨の馬鹿力である。自分でも何言ってるかわからなくなってきた。
「俺には抱かせてくれないのに、他の男には抱かせるんですか?」
「言い方に悪意がありすぎる」
 だって事実じゃないか。この男には抱かせて、どうして自分には抱かせてくれないのだ。玩具を買ってもらえない子供の様に駄々を捏ねたくなったが、なんとか唇を強く噛みしめるに留める。
「でな? こいつ絶対俺のベッドの真ん中に寝るんだよ。どかしても、どかしても絶対俺のベッドの真ん中で爆睡。仕方ねぇから諦めて俺も寝るんだけどな」
「同衾するってコト……?」
「言い方に悪意がありすぎる」
 唇に痛みが走ってじんわりと血が滲む。
 嘉六さんと、一緒のベッドで寝る。いくらだ、いくらでその夢の様な体験が出来る。必要とあらば口座の金を全部差し出してもいい。
 松元の攻撃を自分の妄想で上書きしないと本当に憤死してしまいそうになる。格ゲーの必殺技ゲージの様に憤死と豪快な筆文字で書かれたメーターが今明確に俺の中に存在し、順調時にボルテージが上がっている。いいのか、このままだと俺はお前の言葉で嫉妬の炎に身を燃やし尽くされて死ぬぞ。警告しても松元は更にこちらの急所を抉る。
「でも朝はちゃんと起きるんだ。ふっと、いい匂いがして目が覚めたら朝飯作ってくれてるんだよ。味噌汁が美味いんだ」
「そういう聖霊は意外と眠そうな顔して起きてくるよな。意外と寝起きの顔は幼いんだぞお前」
「あー? 年上揶揄うんじゃねぇぞ」
「みそしる……? かろくさんの、てりょうり……?」
 そんな贅沢な品を当たり前に食べられる松元聖霊という男、いったい何者なんだ。
 寝起きの顔は幼い年上とか乙女ゲームの攻略キャラにいそうな属性しやがって。なにげに嘉六さんがちょっと意地悪そうににーっと口角吊り上げてるのもなんなんだ。可愛いなその顔俺もしてほしい。というかさっきから全部全部羨ましい妬ましいのオンパレードなんだがほんとうになんなんだこの男。じんわりと歪み始めた視界にぼやけた白が此方に手を伸ばす。
「なぁ、大丈夫か?」
「誰の所為だと思っているんですかお前の所為ですよ」
「えっ、なんか俺酷いこと言ったか? ごめんな? まさか泣いちまうなんて思わなくてよ」
「泣いてません」
 というか謝るなよ。みじめになるだろ。後泣いてない、絶対に泣いていない。油断したら目からしずくが零れそうになることなんて絶対にない。
 もう一回水を口に含んだら妙にしょっぱかった。きっと誰かが塩を入れたに違いないんだ。だが少しだけ落ち着きを取り戻した俺は嘉六さんにもう一度確認した。
「ほんっっっとうにただの友達なんですね?」
「さっきからそうだって言ってんだろ。いちいち大袈裟に考え過ぎなんだよお前は」
 大袈裟? いったいどこが大袈裟だって言うんだ。
「運命の人に他の男の影チラついてたら、いろいろ疑うでしょ」
 当たり前のことを言ったら嘉六さんは床にドンっと顔を伏せてしまった。額とか痛くないんだろうか、腫れてたら見せてほしい。あわよくば舐めさせてほしい。
 何がそんなにショックだったんだろうか、考えてみたが判らなかった。
「駄目だコイツ早く何とかしねぇと」
「あっ、それ大分昔に流行ったネットミームですよね。嘉六さん知ってたんですね」
 久しぶりにいいことがあった。嘉六の情報に書き足すことが増えたのだ。俺はお気に入りの手帳とボールペンを取り出し、『嘉六さんは昔のネットミームを知っている』と書き込む。デジタルで遺すのも悪くないがやはりささっと書き残せるのはアナログ故の魅力だろう。どうだ松元聖霊、お前でも知らなかった嘉六さんの情報を俺はお前より先に知ったぞ。
 勝ち誇っていた顔を松元に見せつけてやろうとしたが、松元はよりによってこのタイミングで店内のカレンダーを見ていた。なんでだよ。
 あっ、と何か思い出したらしい聖霊はとんでもないことを言い放った。

「そうだ。嘉六、シャイネンナハトの店だけど去年と同じ店でいいか?」
「――しゃいねん、なは、と……?」
 
 先に弁解しておくが俺は、輝かんばかりのこの夜にシャイネンナハトを知らない訳じゃない。むしろ、この無辜なる混沌フーリッシュ・ケイオスに生まれたからには誰でも知っているであろう日である。特別な聖夜は当然俺にとっても特別で嘉六さんを誘おうと思っていた。嘉六さんに似合う冬物を見繕って、彼が食べたいと言った料理の店を予約して。一日隣で過ごすつもりまんまんだったのに。既に松元は嘉六さんを誘っていたのだ。しかも去年と同じ店という事は去年も二人は聖夜を一緒に過ごしている。
 脳が考える事を放棄してショートしてしまった。嘉六さんがまた何か言っているが生憎俺は読唇術なんて持っていないので彼が何を言っているのか分からなかった。悔しい。

 プツン。

 何かが切れた音がして、穴という穴から血が噴き出す。世界がスローモーション映像を見ているみたいにゆっくりと廻る。
 二人の顔から天井に変わって、そのまま真っ暗になって――。

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